第35話 「とーと。」

 〇神 千里


「とーと。」


「とーと。」


「……」


 年明けは…風邪で寝込んで。

 それからは…新しいバンドの練習で、なかなか訪れる事が出来なかった桐生院家。


 三月。

 久しぶりに訪問すると…

 子供達が、俺に『とーと』と駆け寄って来た。



「…か…可愛い…」


 俺が真顔でそう言って、華音と咲華を抱きしめると。


「親ばかね。」


 麗が写真を撮りながら、首をすくめた。


「なんとでも言ってくれ。二人とも、背が伸びたな。」


「あ、すごいね。分かっちゃう?」


「久しぶりだからな…会いたかったぞ~。」


 二人を抱きしめたまま、ごろんと転がると。


「きゃー!!」


「ひゃははー!!」


 二人は大声を出して喜んだ。



「…知花は?」


 さりげなく聞いてみる。

 ま、帰って来るような時に俺を呼ぶとは思えないが。


「四時ぐらいには帰るって言ってた。」


 誓が、絵本を袋から出しながら言った。


「四時か…」


 あと三時間…

 昼寝には付き合えるか。



「わー、この絵本可愛い。」


 誓と麗が絵本を開いて言った。

『カナリア』で入手したそれは、飛び出す絵本で。

 ページを開くと折りたたんである部分が立体的になる物。


 不思議の国のアリス。


 まだ内容なんて分からないだろうが、見て楽しむにはいいと思えた。

 それに…

 なぜか、これを見た瞬間、知花を思い出した。



「でも、これは危ないかも。」


 麗が苦笑いしながら言った。


「危ない?なんで。」


「引っ張って破いちゃうよ。」


「……」


 確かに…。

 最近、二人とも少し凶暴になったと噂を聞いた。

 実際、誓は髪の毛を引っ張られて、酷い目に遭ったとも…

 ま、子供はそれぐらい元気な方が…


「…あいててててててて!!」


「あはは。神さん、久しぶりなのに痛い目に…」


「わ…笑ってないで、どうにかしろ!!」


「とーと、とーと。」


「……」


「とーと、ぽっぽ。」


「…何?」


 俺が咲華の言葉を聞き返すと。


「…汽車になれって。」


 誓が笑いを堪えた顔で言った。


「汽車…」


「とーと、ぽっぽ。」


「……」


 少し困る俺の背後で。



 神さんやるかな。


 出来るわけないじゃない。神千里よ?


 でも子供達のリクエストだよ?


 でもやらないわよ。


「……」


 おい。

 聞こえてんぞ。

 双子。



「…よし。とーと、ぽっぽだ。」



 俺は、覚悟を決めた。


 …が…



「おや。千里さんも一緒に寝たのかい?」


 ばーさんの声が聞こえる。

 俺は、子供達と和室で昼寝。

 ポカポカ陽気で気持ちがいい。



「うーん…なんて言うか…ふて寝?」


「ふて寝?」


「…サクちゃんのリクエストで、ぽっぽを…」


「千里さんが?」


「うん…だけど…子供達…神さんのぽっぽ見て…ぷっ…」


「ぽ…ぽかーんとしちゃって…ぷぷっ…」



 麗と誓の告げ口に、少しムッとしたが…


「…とーと…ぽっぽ…」


 華音が…俺の頬に触りながら言った寝言で…そのムカつきも鎮まった。


 …仕方ねーな…


 早く…

 早く、成功して…知花を取り戻したい。

 そして…


「とーと…ねんね…」


 華音の向こう側で、顔を起こして俺に言った咲華。

 その向こう側に…知花を寝転ばせて…

 親子四人。

 早く…一緒に夢を見たい…。



 〇桐生院知花


「…え?」


 あたしは…目を見開いた。


 だって…

 今、あたしの目の前にいるのは、瞳さんと…東さん。

 二人は、来月結婚される。

 それだけでも十分驚いたのに…



「結婚式で、讃美歌歌ってもらえない?」


 二人に…そうお願いされた。



「あ…あたし…ですか?」


「ええ。」


 瞳さんは、満面の笑み。


 …前から綺麗な人だなって思ってたけど…

 何だろう…

 少し、角が取れた…って言い方は失礼かもしれないけど…

 表情が、すごく柔らかくなった感じ。



「でも…」


 あたしが渋ってると。


「何か不都合ある?」


 東さんが、あたしの顔を覗き込んだ。


「…あたし、一度離婚してるし…なんて言うか…縁起が良くない…感じじゃ?」


 あたしがしどろもどろにそう言うと。


「…ああ!!忘れてた!!」


 瞳さんと東さんは、顔を見合わせてそう言った。


「あ、でも全然平気。あたしは気にしないわ。ね、圭司。」


「うん。俺も全然。」


「そ…うですか…でも…」


 色々…気になってしまう。


 例えば…

 その式に…千里は来るのかな…とか…



 行方不明だって言われてたけど…帰って来てる事は聞いた。

 だけど、全然見かける事がない。

 それについては…

 事務所外のスタジオにこもってるから…らしい。



 …会いたいわけじゃない。

 だけど、気になってるのは確か。

 会いたい…ううん…会いたくない…


 忘れたはずなのに…忘れてない…

 どこかで千里に似た声を聞くたびに、つい…辺りを見渡してしまう。

 華音と咲華の寝顔を見ながら…

 こんなに愛しい二人を…あたしが一人占めしてるなんて…って…



 さくらさんの所に通いながら。

 あたしは、色々考える事が増えた。

 あたしの存在を、高原さんに伝えていないさくらさん。


 …同じだ…

 あたしは、お母さんと同じ事をしてる…


 だけど。

 あたしは、千里を傷付けた。

 それに…傷付いた。

 あたしの傷なんて、見ないフリしていればいいのかもしれないけど…

 あたしは、千里の言動一つで、全ての自信を失くしてしまう。

 それほど…あたしの中での千里の存在が大きすぎて…苦しい。


 …もう、関係ない。

 あたしは…桐生院で…華音と咲華をみんなで愛して…育てていく。

 うん。


 それでいいの。



「もしかしてー…神が式に来るかどうか?」


 意外と東さんがするどい事に驚いた。

 …って言ったら失礼か…


「あー…それも…少し…」


 それが全てのクセに。


「なら大丈夫だよ。神、俺らの結婚式の頃、アメリカ行ってるから。」


「…え?」


「そ。わざととしか思えないわよね。」


 瞳さんが、目を細めて言った。


「…わざと?」


「千里にも歌ってもらおうかなって思ってたから。」


「……」


 そっか…いないんだ…

 少しホッとした。



「あたしで良かったら…」


 遠慮がちに返事すると。


「あなたがいいのよ。」


 瞳さんはそう言って、あたしの手を握って。


「楽しみにしてるわ。」


 そのまま…ハグされた。


 …いい香り。


 瞳さん…

 幸せになって欲しいな…。




 〇七生聖子


「今日は提案があります。」


 もうすぐ四月。

 今後のスケジュールについての会議が始まる前に。

 いきなり…光史が立ち上がった。


 なんだろ。

 光史が提案って珍しい。


 それより…今後が楽しみだな~。


 あたし達は、まだ全然顔も名前も出してない。

 だけど、プロデューサーである朝霧さんが、今年はPV作るって言ってたって言うし…

 ついにあたし達も顔バレして、道行く人たちに声をかけられる存在になっちゃうのね。


 って…

 あたしは、ずっとそう思ってたんだけど…



「顔も名前も、出さないままやっていくのはどうだろう。」


 あたしは…手に持ってたペンを落としそうになった。

 だって、光史…あんた!!


「あ、俺それ賛成。」


 そう言って手を挙げたのは…陸ちゃん!!


「俺も…かな。」


 センまで!?


「僕もいいよ。」


 まこちゃん!!


「……」


 知花は、遠慮がちにあたしを見てる。


 …そうよね。

 あたし、PVの時にドレス着たいとか、願望言っちゃってるもんね。


「…いいよ、知花。」


 あたしがそう言うと。


「…うん…あたしも…」


 結局…あたし以外は、みんな顔出ししたくない、と。


 …それ、何かな。

 あたし達、もうアメリカで顔バレしちゃってるよね!?


 あたしがそう思って眉間にしわを寄せてると。


「向こうでの映像は回収済みだ。」


 腕組みをした伯父貴が、そう言った。


「え!?」


 あたし、つい大声出しちゃったわよ。


「いつ!?」


「結構早い段階だな。」


「…伯父貴、それって…光史が提案した事と、伯父貴の狙いは合致してるの?」


 伯父貴は…儲ける事に関しては頭が切れる。

 だから、そんなに早い段階に映像回収って…

 絶対何かあるよね!!



「ま、俺の思いと光史の思いは違うと思うが…でも結果オーライだ。」


「……光史、理由聞いていい?」


 だって…

 一生?

 あたし達、デビューしたんだよ?

 なのに…

 一生、名前も顔も出さないの?

 仕事は?って聞かれた時、SHE'S-HE'Sですって言えないの!?



 会議室には…あたし達以外は、朝霧さんと伯父貴だけ。

 光史は立ったまま…


「向こうで、知花と子供達が危険な目に遭った。」


 キッパリ言った。

 それまで、手元にある事案要項に目を落としてた知花が、顔を上げて光史を見た。


「国内のデビューCDもオリコン一位だった。俺ら…注目集めるよな。間違いなく。」


「……」


 あたしは…もう、光史の言わんとしてる事が分かった。


 知花を…

 ノン君とサクちゃんを…守るため?



「もう集めてるよな。」


 陸ちゃんが笑いながら言った。


「うちはー…家業が家業だからな。」


 はっ…

 陸ちゃんち…

 二階堂組は…

 ヤクザ!!


「俺も、嫁さんが有名人だから分かった事がいくつかあって…」


 センの奥さんになった世貴子さんは、オリンピック柔道で優勝されて、なのにあっさり引退して…

 世の中の女性から『カッコいい!!』と、憧れの存在となってる。


「子供が出来た時の事とか…色々考えると。それでなくても、俺は早乙女の長男なのに血の繋がりがない。しかも浅井晋の息子って事となると…ある方面にはゴシップだからな…」


 センがそう言うと。


「最近のマスコミ、すげー捜査網持ってやがるからな。」


 陸ちゃんは目を細めた。


 …そりゃあ…そうだけど…

 あたしが唇を尖らせてうつむき加減になってると。


「聖子は納得いかないか?」


 伯父貴が指を組んで。


「大事な事だ。ちゃんと意見を言えよ?」


 あたしに向かって言った。


 あたしは…


「…あたしは。」


 あたしが立ち上がると、それまで立ってた光史が座った。


「あたしは、みんなが自慢なの。」


 みんなを…見渡す。


「だって…みんなすごいよ。」


 本当に。

 あたし達…最高だし、最強だよ。


「だから…あたし…世の中の人、みんなに…自慢したかった…」


「…聖子…」


 隣に座ってる知花が、あたしの手を握った。


「…知花の歌を聴いて、桐生院知花すげーな!!って…陸ちゃんとセンのギター聴いて、二階堂と早乙女のツインリード鳥肌立つよな!!って…」


 本当に…あたしの自慢なんだよ…みんな…


「まこちゃんのキーボード聴いて…島沢は親父を超えるぜ!!って、Deep Redのファンに言わせたいし…光史のドラム…」


 あ…ダメだ。

 泣きそうになって来た。


 公表されないのがイヤなんじゃない。

 ただ…

 あたし、本当に…

 みんなの事、大好きなんだな…って、思い知らされて…泣きそう…



「…光史のドラム…親父がギタリストなのに、って笑われて…でも…世界一だって…あたしのベースに…ピッタリで…朝霧と七生、最強のリズム隊だ…って…」


 唇が震えて、涙声になった。

 つまんない…つまんないよね…

 あたしの、こんな…想い…



「聖子。」


 隣の知花が…立ち上がって、あたしを抱きしめた。


「…嬉しい。」


 知花がそう言った途端、涙がこぼれちゃって…

 ちょっと恥ずかしくなった。

 だけど…


「…ええなあ。こんな居心地のええバンド、そうそう組めへんで?」


 朝霧さんが…頭の後で手を組んで言った。

 それがまた…嬉しくて…ますます泣いちゃうと。


「聖子。サンキュ。でも、俺はー…名前なんかどうでもいいかなって思う。」


 センが言った。


「CD聴いて、すごい奴らがいるって思われるだけで十分だよ。」


 ずずっ…て鼻水をすすると、伯父貴が指を組んで前のめりになった。


「おまえら、顔を出さないって事は、テレビもないが、ツアーもライヴもないって事だぞ?」


 そう言った。


 みんなはそれに対しても表情は変えず。


「周年パーティーでいいかな。」


 まこちゃんが笑って、伯父貴はカクッと肩を揺らせた。

 みんなも…そうそう。なんて…頷いてる。



「…あたしが襲われた事がキッカケで、みんなにこんな思いをさせるのは…すごく…申し訳ないって思う。」


 知花が、あたしを抱きしめたまま…

 って言うか、あたしに抱きついたまま…みんなを見て言った。


「初めてのライヴ…それに、ロクフェス…楽しかったよね?」


「……」


 みんなは…無言だった。


「あんなに楽しかった事…もうやらないって…みんな、本当にいいの?」


 知花の言葉にみんなはしばらく無言だったけど、それは…悩んでるような顔じゃなかった。



「…俺達も、いずれは結婚して子供が生まれるとして…」


 陸ちゃんは、ポケットに手を入れて…だるそうに座ったまま。


「やっぱ、自分がメディアに出るせいで、家族が身の危険にさらされるっていうのは、嫌だと思う。」


 だけど…少し笑顔でそう言った。


「…うん。それに、こういうバンドもいてもいいんじゃないかな。謎めいてて、聴く側の想像を駆り立てるよね。」


 まこちゃんは…ずっと笑顔。


 …なんだ…

 みんな、もう…決めてるんだ…



「…聖子、どうだ?」


 伯父貴がそう言って、あたしは無言で頷く。

 すると…


「…おまえらはうちの事務所の稼ぎ頭になってるからな…ハッキリ言って、ライヴもツアーもやって、もっと稼いで欲しかったんだが…」


 伯父貴は、本当に残念そうな顔でそう言って。


「メディアに出る気になったら、いつでも言えよ。」


 意地悪そうな目つきで…笑って。


「ナッキー…ええ話をぶち壊さんといくれや。」


 朝霧さんに、冷たくそう言われた。


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