第31話 もうじき今年が終わる。

 〇朝霧光史


 もうじき今年が終わる。

 年明けには日本でのデビューも決まっている俺達は、もう次の作品に取り掛かろうとしている。


 陸とセンが面白いように曲を書いて来て、みんなで案を出し合いながら…それをまとめて知花が歌詞を書いたり。

 知花が詞も曲も書いて来ることもある。


 ただ…神さんと別れて以来ラブソングが苦手なのか、知花の歌詞には恋をしている歌というよりは…

 恋に破れたり、恋はまだ早かったような物を『匂わせる』程度の恋の歌しかない。

 まあ…英語詞だから、どんな風に解釈されてるかは分からないが。



 雪の降る中、一人だけ先に事務所を出た。

 久しぶりに音楽屋にでも行ってみようか…

 そろそろシンバルも新しくした………


「……」


 立ち止まった。

 俺の視線の先に…神さんがいる。

 あの後姿…間違いない。



 最近では、事務所内でも神さんの名前を聞く事はなくなった。

 東さんは、ソロアーティストのレコーディングに参加してるのをよく見るが…

 神さんは、行方不明説が出てからというもの…一度もその姿は見た事がなかった。


 胸が高鳴った。

 向こうで…忘れるつもりでいたのに、映像を取り寄せたりして…

 結局俺は、忘れるどころか、常に追い求めていたのかもしれない。

 知花やノン君、サクちゃんと一緒に居る事で、その存在をより近く感じられる気がして…

 忘れた事など…一度もなかったのかもしれない。


 俺はゆっくりと、その後ろ姿を追った。

 音楽屋の前を通り過ぎて…左に曲がる。

 そして、一本裏の通りを歩いてると…


「……」


 神さんは…『カナリア』という店に入った。



 雰囲気的に、そこは…どう見ても、神さんには…似合わない店だったが…

 ガラスの向こう。

 神さんは…店の人と談笑している。


 …知り合いの店か?


 何の店なんだろう…と、位置を変えて店の中を覗き込んだ。



「…え…」


 そこは、子供服や…雑貨の店だった。


 …なぜだ?

 神さんは…ノン君とサクちゃんの事…知らないはずなのに…

 まさか、親父か高原さんが?


 神さんの買い物は、時間がかかった。

 色々手にしては…店の人と話して。

 あの様子だと…ノン君達の事…知ってそうだ。


 これじゃストーカーだよな…って思いながらも、俺は神さんを待ち続けた。

 そして…神さんが店から出て歩き始めた所を…


「神さん。」


 後ろから、声をかけた。


「……よお。意外な所で会うな。」


 神さんは少し間を空けて振り返って、そこに…笑顔はなかった。


「お久しぶりですね。」


「そうだな。」


 俺は神さんの手元を見て。


「…買い物ですか?」


 問いかけた。


「ああ…甥っ子にな。」


「……甥っ子?」


「二番目の兄貴んとこの息子に。」


「……」


「すぐ大きくなるから、着る物が困るってさ。」


 そう言えば…神さんには、四人お兄さんがいる…

 だから、嘘じゃないかもしれない。


「おまえは?何でこんな所に?」


 神さんが辺りを見渡して言った。

 …せめて、表通りに出てから声をかければ良かったと思った。

 それなら、音楽屋に行ったと言えたのに。

 ここじゃ…


「…神さんを…見かけたので。」


「…は?」


 もう、正直に言うしかなかった。


「神さんを見かけたので、追って来ました。」


「……」


「行方不明って聞いてたので…これを逃したら、会えなくなるかと…」


 俺がそう言うと。


「…ぷはっ。何だそれ。」


 神さんは吹き出した。


「…まだ、歌わないんですか?」


「……」


 神さんは前髪をかきあげて。


「…おまえら、すげーな。」


 少し…首を傾げて言った。


「向こうでデビューして、すぐ売れて…ライヴもして、あのロクフェス…ほんと、すげーな。」


「あ…」


 俺達は…本当にトントン拍子だった。

 だが…神さんのTOYSは…ずっともめ事の絶えないバンドだった。

 それでも、俺達がアメリカに行っている間に、全国ツアーもこなしたというのに…

 ツアーが終わって…TOYSは解散した。


『また会おうぜ!!』


 ライヴ映像の最後、神さんが客席に叫んだ言葉は…

 TOYSとして…では、なくなった。



「で?俺をつけて、何か面白かったか?」


 神さんは腕組みをして、斜に構えた。

 …これは…不機嫌になってるっぽいよな…


 だけど俺は…

 神さんに、どうしても…歌って欲しい俺は…



「…神さん。」


「あ?」


「…知花と…よりを戻してください。」


 余計なお世話だと分かっていながら…


「知花と…」


 何度も、そう繰り返して…


「うるさい。俺の問題だ。」


 神さんを…



 怒らせた。



 〇島沢尚斗


「…おまえ、何ニヤニヤしてんだよ。」


 会長室。

 久しぶりにナッキーとマノンと俺と三人が揃ってるんだが…

 さっきから、マノンのニヤニヤが止まらない。


「あれっ、俺ニヤニヤしてたか?」


「してる。」


「ああ。」


 俺とナッキーが同時に頷くと。


「いやー…バンド組む言うたら、鈴亜と渉がめっちゃ喜んでん。」


「あっ、何だよおまえ。言ったのかよ。」


 まだ公表はしないって約束したのに。

 だから、俺も愛美にも真斗にも言ってないのに。


「あ…あー…バンド組むのと、メンバー…」


「千里がボーカルっていうのも言ったのか?光史にも?」


 ナッキーが険しい顔つきで言うと、マノンは首をすくめて。


「千里と圭司の事は言うてへんよ。それに、光史にも口止めした。」


 上目使いで俺達を見た。

 まあ…光史は口が固いから大丈夫だろうが…


「ほんっと、おまえは~…」


「せやかて、嬉しいやんか~。」


 ナッキーに叱られて、小さくなりながらもニヤニヤの止まらないマノン。


 …ま、気持ちは分かる。

 俺だって…本当は言いたくてたまらなくて…

 だけど言えないから、朝までここでナッキーと飲んだ。



 そして…ナッキーの想いを聞いた。

 どうか…もう一度、世界に出てくれ、と。

 千里を、世界に連れて行ってやってくれ、と。


 …でもなー…

 あいつが本気になったら、俺達が連れて行かなくてもって思うんだけどな。

 もしくは…

 俺達が連れて行ってもらう方になるんじゃないかな。



 真斗はSHE'S-HE'Sのキーボーディストとして、大きく成長した。

 そんな我が息子の姿を見て…誇りに思うと同時に、ウズウズしている自分がいた。


 こいつは…いつの間にこんなに…?と。

 ずっと俺の背中を見てくれてると思ってた真斗は、とっくに自分の居場所を確立して大きく成長していたんだよな…

 嬉しいような…寂しいような…


 だけど、またバンドを組んで世界に出るって気持ちを持つと…

 真斗とライバルになれる。

 それが、より一層俺をワクワクさせた。



 …本当は、ずっとDeep Redをやっていたかった。

 それをナッキーに吐き出すと…


「…悪いけど、俺が燃え尽きたからな…」


 ナッキーは苦笑いしながら、ビールを飲んだ。


 せめて…

 せめて、さくらちゃんがいてくれたら…と。

 俺は、出かかった言葉を飲み込んだ。



「千里からデモテープもろた?」


「ああ。ナッキーと聴いて笑った。」


「わろた?なんで?」


「息を吹き返したな、って。」


 本当に。


 千里が持って来たデモテープは…

 すぐにでも弾きたくなるような物だった。

 ナッキーも、満足そうだった。



「…なあ。」


 ふいに、マノンがナッキーの目を見て。


「俺ら、千里と組むけど…また周年にはDeep Redやろうで?」


 真顔で言った。


「……」


 ナッキーは少しだけ嬉しそうな顔をしたものの…

 小さく笑って目を伏せた。

 が…


「俺の根っこは、Deep Redなんや。もう周年でもやらんとか、頼むから言わんといてくれ。」


 マノンのその言葉に。


「分かってるさ。ただ、充電に時間がかかるようになったんだよ。またその内…ゼブラとミツグが出来る間にやらなきゃな。」


 ナッキーはそう言って顔を上げて。


「おまえら、俺が歌いたくなるぐらい、しっかりやって来い。」


 俺とマノンの頭をくしゃくしゃしながら、ソファーから立ち上がった。




 〇森崎さくら


「さくらさん、今日もいいお天気ですよ。」


 サカエさんが…カーテンを開けながら、そう言った…

 あたしは…少しだけ…首を動かして、窓を見上げる…


 朝陽が射し込んで…眩しかった。



「今日は旦那様、新年のご挨拶で早くお出かけになったので、私が身体を拭きますね。」


 そう言って、サカエさんはあたしの手を取った。



 …あの時…

 こめかみに…手を当てられて…

 ああ、また…あの『儀式』だ。と…思った。


 だけど、あの瞬間…あたしの脳裏には、会った事のない…存在すら知らなかった娘の…知花の顔が浮かんだ気がした。

 そして…信じられない事が起きた。


「えっ…」


 あたしのこめかみに手を当てたサカエさんの手を…あたしは…払い除けた。

 驚いた様子のサカエさんのこめかみに…手を当てて。

 …あたしは…何をしたんだろう?


 よく、分からない…



 だけど…

 いつもそうされた後は、霧がかかったみたいに…なってたのに。

 今回は…あたし…サカエさんに…それをしちゃったのかな…

 サカエさん…

 あたしと、なっちゃんの事は…分かってるけど…

 時々…あたしに何か言いかけて…


『…何か聞こうと思ってた事があったはずなのに…忘れちゃいましたね…』


 って…笑う…


 あの瞬間は…動いた…あたしの身体…

 ビックリした…

 すごく…素早く…動いた…

 だけど、また…あたしは…寝たきり…



 なんて言うんだろう…

 何か…見えない鎖に…繋がれてるみたいな感じ…

 あの瞬間だけは…それが解けたのに…



 あたし…何者なんだろう…

 たまに見てた…あたしが…大勢の人を…殺す夢…

 あれは…あたしに…何か関係…あるのかな…


 それを思い出そうとすると…なぜか…ますます身体が動かなくなった…

 だから…自然と…考えないように、考えないように…って…

 考えるなら…楽しい事だよ…


 なっちゃん…今日は…どんな格好で行ったのかな…

 いつだっけ…

 紋付き袴…カッコ良かったな…

 ハロウィンの…ライヴ…

 あの後…近所の人達と…



 ……あれ?

 これ…あたしの記憶?


 あたし…色々…思い出してる…?



 〇神 千里


「神、大丈夫?」


 アズが俺の顔を覗き込んだ。


「…ああ。いいから行って来い。」


 年が明けた。

 ビートランドでは、元日に年始の宴が開催される。

 自由参加だが、ほとんどの社員は参加している。



「これ以上熱が上がるようなら、病院行った方がいいわよ。」


 瞳が襖の隙間から、こっちを覗いて言った。


「…だるい。寝とくからいい。」


「ごめんね。あたし明後日から歌入れだから、もらうわけいかないの。」


「…悪いな。こんな時に…」


「しっかり治してね。」


 心配するアズと瞳が出かけて…

 とにかく、俺は眠った。

 滅多に風邪なんてひかない。

 特に、シンガーになってからは…風邪なんてひかなかった。

 なのに…


「あー…だりー…」


 39度なんて、ガキの頃ぶりだ。



 三日前…カナリアに華音と咲華の服を買いに行った。

 今年は去年より寒い。

 子供達が雪遊びをしたくなった時のために…と思って、店に行った。


 マフラーにポンチョに手袋に帽子に…と、今まで見るジャンルじゃなかった物を、真剣に選ぶ自分に少し笑いが出た。


 が…

 子供達がこれを身に着けているのを想像すると、それだけで幸せな気分になった。

 さすがに全部を買うと、ばーさんに『買い過ぎです』と真顔で叱られるから…

 悩みに悩んで、『あったかタイツ』とポンチョを買った。

 キリンのマークが華音で、ウサギが咲華。


 …ふっ。

 買い物が楽しくてたまらないぜ。


 なんなら少しにやけた口元だったかもしれない。

 そんな俺に…声を掛けてきた奴がいた。


 …朝霧光史。

 朝霧さんの息子で…SHE'S-HE'Sのドラマー。


 あいつには…なんて言うか…

 以前から、何か感じる物があった。

 …知花を好きなんじゃねーか?って。



「買い物ですか?」


 朝霧は、俺が手にしていたカナリアの紙袋を見て言った。



 とっさに…二番目の兄貴、千幸の息子『隆幸』の服を買いに来た…と言ってしまった。

 俺は、子供達の事を知らない事になってるし。

 それに実際、隆幸にも服を買った。


 華音と咲華の存在を知って、桐生院家の温もりに触れるようになって…

 誰かに優しくしたい。

 俺の中に、そんな気持ちが芽生えた。

 だけど方法が分からない。

 優しくするって、どうすればいいんだ?


 華音と咲華の服を選んでいた時、千幸の事を思い出した。

 じーさんに勘当されてからは、四人の兄貴達には自分から連絡する事もなかったが…

 千幸の店の前までは…行った。

 接客中だった千幸はすぐに気付いて、『待ってろ』と指で俺に合図したが…

 俺はそのまま去った。


 年が明けたら、千幸の所に…隆幸へのプレゼントを持って行こう。

 カナリアで、普通にそう思えた。


 だが…

 目の前に現れた朝霧は…しつこかった。

 買い物かと聞いただけならまだしも。

 俺の姿を見かけたから、追いかけた、と。

 そして…まだ歌わないのか、と。


 朝霧さんとナオトさんをDeep Redから引き抜いた事…

 朝霧さん、内緒にしてくれてるんだな。

 それについて、かなり感謝した。

 まだ、アズにも浅香京介にも話してない。

 慎重に、こっそりと進めたい。



 続いて、朝霧は…知花とよりを戻せ、と言った。


 俺の問題だ。

 そう答えたのに…

 朝霧は、俺がいまだ居候中の高原さんのマンションの前までついて来た。

 ずっと、知花の事を話しながら。



 雪の中、押し問答が続いた。

 恐らく、一時間はそうしていたかもしれない。

 その間、あいつはずっと知花の話。

 俺は…それを語る朝霧をじっと見ていた。



 本当は…

 こいつの叩くドラムで歌ってみてーんだよな…と。

 こいつは、文句なく、ビートランド一のドラマーだ。

 ミツグさんよりも、誰よりも、上手い。

 世界のギタリストの息子でありながら、ドラムを選んだのはもったいない気もするが…

 見事に、ドラマーとして成功している。


 顔は…何となく朝霧さんに似ているが、性格は全く似てない気がする。

 いつも誰に対しても笑顔でいてくれる朝霧さんは、常にみんなの輪の中に居る。


 あの笑顔で『おまえ、なんやねん!!笑えや!!』って言われると…

 つい笑ってしまう。って、みんな言うしな…


 だが、朝霧は…いつも一歩引いた位置で、客観的に『そこ』を見ている。

 物静かな男で、だけど腹の中に何か抱えている気がしてならない。

 そんな男が…一時間も、俺に語り続けた。



 …知花の事を。


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