第29話 さくらさんに会って…俺の創作意欲はますます湧いた。

 〇神 千里


 さくらさんに会って…俺の創作意欲はますます湧いた。

 早朝から昼までは、ひたすら曲を書いた。

 そして、午後から…とにかく、毎日走った。

 走って…公園でトレーニングをして…

 帰ってシャワーをして、作りためた楽曲の手直しをした。


 ギターと…ベース…ドラム…

 …キーボード。


「……」


 俺が譜面を眺めていると。


「ただいまー…」


 アズが帰って来た。


「あれ?神いたの?」


「ああ…瞳は?」


「今日はお母さんの所に泊まるって。」


 アズはリビングで譜面を開いてる俺を見て。


「えっ…これ、全部作ったの?」


 嬉しそうに…俺の向かい側に座った。


「…アズ。」


「ん?」


「俺と、一生一緒にやるか?」


「……」


 俺の問いかけに、アズは譜面を手にしたままキョトンとして。


「当たり前じゃん。今更何言ってんだよ。」


 ニコリともせず…ただ、キョトンとしたまま言った。


「…ふっ。」


「いつ?いつからやる?」


「これはもうおまえにやる。練習しろ。」


「えー‼︎いいの⁉︎やったー‼︎神、やったー‼︎」


 譜面を渡しただけで、飛び上がってじゃれついて来るアズ。


「っ…たく…落ち着け。カッコ良く弾かなきゃ承知しねーぞ。」


 俺はそう言うと、ジャケットを手にした。


「え?どこか出掛けるの?」


「ああ。」


「晩飯はー?」


「帰って食う。」


「美味しいの作って待ってるー。いってらっしゃーい。」


 おまえは嫁か。

 心の中でそう思いながら、小さく笑った。



 もう外は暗くて…寒かった。

 クリスマスが過ぎた途端に、街は正月を思わせるディスプレイ。


 …知花の着物姿、たまらなかったな…


 ふいに、知花がじーさんと篠田にもらったぽち袋を手に、困った顔をしていたのを思い出して…歩きながら少し笑った。

 …怪しいな。



 この時間なら、事務所にもそう人はいない。

 居るとしても、スタジオにこもってる奴らかレコーディング中の奴らだ。


 俺は久しぶりの事務所に少し緊張しながら、まっすぐにエレベーターで会長室に向かった。



 ノックをすると、中から。


『はい。』


 高原さんの声。


「神です。」


『何だ。入れ。』


 ドアを開けて中に入ると…


「おお、久しぶりやな。」


 朝霧さんもいた。


「ご無沙汰してます。」


 俺は朝霧さんが座ってるソファーまで行って、軽く頭を下げた。


「聞いたで?京介を引っ張ろう思うてるらしいやん。」


「はい。」


「あはは。楽しみやなあ。」


 そして…

 机に向かって、何か難しい顔をしながら書類を見ている高原さんに…


「高原さん。」


「あ?」


「…朝霧さんを、俺にください。」


「………は?」


「………へ?」


「朝霧さんを、俺のバンドにください。」


 俺にそう言われた高原さんは、驚いた顔のまま手にしてたペンを落として。

 朝霧さんは、口を大きく開けたまま俺を見て。


「………はあ!?」


 同時に、マヌケな声を上げた。



「マ…マノンをくれって…」


「お願いします。」


 俺は高原さんに頭を下げる。


「…おまえのバンドには、圭司も入るんだろう?」


「アズには、まだまだ勉強が必要です。」


「……」


「朝霧さん。」


 俺は朝霧さんに向き直って。


「俺のバンドに入って…アズを引っ張り上げてもらえませんか?」


 真顔で言った。


「…引っ張り上げるて…」


「俺は、そのバンドを一生やるつもりです。」


「……」


「世界にも、向かうつもりです。」


「…マノンの力で世界に行こうって思うのは、ズルいんじゃないか?」


 高原さんが立ち上がって、朝霧さんの隣に座った。


「…ズルいでしょうか?」


「おま…本当にマノンの力で世界に行こうって思ってんのか?」


「そりゃあ、多少は。でも、朝霧さんだけの力でとは思ってません。」


「マノンの力だけじゃない?」


 高原さんが、少し…嫌そうな顔をした。


「ナオトさんも、ください。」


「……」


 もはや、二人は呆れて物も言えない状態だ。

 まあ…仕方ない。

 俺は『世界のDeep Red』から、二人も引き抜きにかかってるんだから。



「おまえ…バカ言うな。」


 高原さんは首をすくめて。


「マノンとナオト…もう、それだけで世界になんて簡単に行ける。甘えんな。」


 少しきつめの口調で言った。

 だが…


「確かに、朝霧さんとナオトさんの名前だけで行けてしまうでしょうね。でも…俺は引けを取りません。」


「……」


「Deep Redの朝霧真音っていう認識を、消すぐらいのバンドにします。」


 しばらく…沈黙が続いた。

 俺は引くつもりはない。

 朝霧さんも…ナオトさんも欲しい。


 高原さんは大きく溜息をついて。


「…ムカつく奴だな。」


 頭をガシガシと掻いた後。


「おまえ、まんざらでもねーんだろ。」


 隣にいる朝霧さんに、そう言った。


「え…えっ?」


「さっきから、嫌だとは一度も言わない。」


「…そりゃあー…なあ。」


 朝霧さんは前髪をかきあげて。


「若手を育てるのんも、楽しいで?けど…俺はギタリストやねん。」


 高原さんの肩に、手を掛けた。


「ぶっちゃけ…さっきの千里の言葉には、ドキドキしたで。こんなん、久しぶりや。」


「……」


「Deep Redは解散してへん。わかっとる。けど、俺も…もう一回、自分が納得いくまで弾きたい思う。」


 Deep Redは…何年に一度か、アルバムを出す。

 だが、ツアーもテレビ出演もない。


 もはや人前での演奏は、もういいといった考えなのが…ゼブラさんとミツグさん。

 周年ライヴにも、Deep Redは近年出演していない。

 若手ばかりに任せて…高みの見物だと笑っている。


 だけど、朝霧さんは…まだ現役で弾きたいんだと思った。

 それは、ナオトさんも。

 二人は、ソロでもアルバムを出している。

 燃え尽きる方法を…探しているように思えるんだ。



「無理強いはしません。ナオトさんが嫌って言ったら、その時は諦めます。」


 俺がそう言うと。


「あいつが嫌なんて言うかよ…」


 高原さんは目を細めて俺を見て。


「ったく…どれだけ欲張りなんだ…」


 低い声でぼやいた。


「…欲張りついでに、ベースは臼井さんに声をかけさせてもらいました。」


 俺がそう言うと。


「……」


 高原さんはポカンとして。


「ふっ…あははははは!!」


 朝霧さんは、大笑いした。



 〇高原夏希


「……」


 千里が、マノンとナオトをくれと言った。

 一応渋ってみせたのは…本当に千里がやる気があるかどうか…確かめたかったからだ。



 俺達Deep Redは解散こそしていないが…

 アルバムを作っても、もう人前での演奏はいいだろうと思っているゼブラとミツグ。

 俺は…他の仕事が忙しくて、ボイトレもできてない状態で、人前に立つのは嫌だ。

 だが、マノンとナオトはいつでも何かをやりたいと思っているはず。


 あいつらの熱は…今もバンドに向かっている。



 半ば無理矢理、ミュージャンを育てる事に付き合わせてしまった。

 本当は、まだまだステージに立っていたかったはずのあいつらを…巻き込んだ。

 その負い目は、俺の中にずっとある。


 …千里なら…

 あいつらの熱を、沸点まで持って行ってくれるかもしれない。



 千里もマノンも帰った後。

 一人で…引き出しから写真を取り出して眺めた。

 …さくらとの写真。

 サカエさんが隠し撮りしたという…一枚。



 千里がさくらに会いに来て以来…さくらが、見違えるほど元気になった気がする。

 相変わらず、言葉の発し方は遅いが…

 …目が。

 目が、違う。


 そして、気分のいい朝は…手を伸ばして俺に触れる。

 サカエさんにも、そうしているらしい。



 …千里は…何を話してくれたんだろう。

 さくらに問いかけてみると、目を細めて…優しく笑った。

 その笑顔が…何とも…

 俺を幸せな気分にした。

 その瞬間は、周子の事も…瞳の事も忘れた。



 周子と結婚してやってくれと言う瞳…

 気持ちは分かる。

 だが…



『入るぞ。』


 ドアの外から声がして…


「マノンから聞いた。」


 ナオトが入って来た。


「ああ…どうだ?」


 俺は写真を引き出しに入れて、机の上で指を組む。


「…おまえは?それでいいのか?」


「何が。」


「俺とマノンが、他の奴と組む事。」


「ああ…」


 俺は立ち上がって。


「コーヒー飲むか?」


 カップを出した。


「ああ。」


 ナオトはソファーに座って。


「…正直言って、悪い気はしない。こんな歳になって…いきなり熱い話をもらったわけだからな。」


 足を組みながらそう言った。


「面子的に物足りないかもしれないが、その辺はどう思う?」


 俺が問いかけると。


「まあ…圭司はマノンに引っ張られて上手くなるだろうし…臼井は問題ない。ただ、SAYSが解散してない事と、京介がメンバーを聞いて入るって言うか怖気付くか…て感じかな。」


 ナオトは天井を見ながら答えた。


 …確かにな。


 SAYSは売れてはいるが…技術的な事を言うと、何時間も説教しなきゃいけなくなる。

 京介は若手の中では上手い方だが…光史の足元には及ばない。

 …千里は、京介をどう育てるつもりだ?



「千里はどうだ。」


「しばらく歌ったのを聞いてないから、なんとも言えないけど…ま、あいつ…最近相当走り込んでるからな…」


「見たのか?」


 ナオトにコーヒーを差し出す。


「サンキュ。いや…真斗が見たって言ってた。」


「……」


「何だ?」


「まこが随分成長したから、腕がウズウズしてたんじゃねーか?」


 俺が笑いながらそう言うと。


「……」


 ナオトは何とも言えない顔をして…


「はあああああ~…」


 大きなため息と共に、前のめりになった。


「…そうなんだよな。あんなにちっこい奴だったのに…今、すげーの弾いてやがる…」


「そりゃ、血が騒ぐよな。」


「そうだな…」


 俺はナオトの向かい側に座ると。


「やれよ。そしてもう一度、世界に出ろ。」


 カップを掲げて言った。


「…ここ、おまえ一人じゃ無理だろ。」


「どうにかなるさ。」


「…俺らを頼れよ?」


「分かってる。でも、それ以上に…俺は、初めて聴いた時から、おまえの鍵盤のファンだからな。」


「……」


「また聴けるなんて、最高だ。」



 …本当に。


 また、マノンとナオトの音を聴ける。

 それが、俺とじゃないのは少し寂しいが…俺には俺の道がある。



「…長い間、道連れにして悪かったな。」


 俺が小さくそう言うと。


「…バカ言うな。これからもずっと、道連れだ。」


 ナオトは…俺のカップを鳴らして。


「また忙しくなるな。」


 昔みたいな…笑顔を見せた。

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