第28話 俺は…

 〇神 千里


 俺は…

 親父さんが麗に質問されて、それに答えるのを黙って聞いていた。


 麗の質問は…知花の母親の事についてだった。


 以前親父さんから、知花の母親を追い出してしまった話を聞いているだけに…

 全部を話さなくてもいいんじゃないか…と、俺も…たぶんばーさんも。

 少し緊張して話を聞いていたが。

 親父さんは、夢を追わせるために…と言った。


 …それでいいと思った。



 それにしても、探してたんだな…

 今は歌ってない…って。

 親父さんは残念そうにそう言って。

 それを聞いたばーさんも、少しがっかりした風で…

 名前を調べたら探せるんじゃないかと名案を出した誓と麗も…落胆した様子だった。



 だが…


「…知花の名前は…私が付けたんですよ…」


 知花…

 …どうして、知花は『華』にしなかったんだろうな。

 そんな事を漠然と考えた。


 ま、麗と誓なんて、華も花もついてないが。



「知花の母親の名前は…みんなが知ってる花の名前でね…それだけでも…何か繋がりを持たせてやりたかったんですよ…」


「……」


 みんなが知ってる花の名前…

 俺の頭の中には『桜』が浮かんだ。

 そして…

 シンガー…


 ……



「…みんなが知ってる花の名前って…」


 俺は、ばーさんに問いかける。


「…桜…ですか?」


 少し心臓が変な音を立ててる気がした。


「…そうですよ。平仮名でしたけどね…でも、うちの庭の桜の木が大好きで…よく庭に立ってました。」


 …さくら…



 俺には、その名前に聞き覚えがあった。


『結婚したいと思っていた…さくらという女性がいて』


『さくらは…事故に遭って…今も…ほぼ寝たきり状態なんだ』


『さくらを俺の事務所のソロシンガー第一号にしたかった』



 知花は…母親のお腹の中に居る時に、歌ってもらっていた歌を覚えていると言っていた。

 歌えと言われたら難しいけど、聞いたら絶対に分かる…と。


 高原さんが…SHE'S-HE'Sの壮行会で歌った…『If it's love』

 …未発表曲だと言ってたのに…

 口ずさんでた知花。


 確かに覚えやすい曲だった。

 だが…すぐに口ずさんでる知花を見て、俺は…

 やっぱりあいつには才能がある。と思った。

 耳の良さや記憶力、そして…高原さんの感性をすぐに読み取るほどの…


 もしかして…



「…みんながみんな…幸せになるのって、難しい事なのかな…」


 麗がつぶやいた。


 それを聞いた俺は…決意した。



 …高原さんに会おう。



 〇高原夏希


「お忙しいのに…すみません。」


 そう言って、千里が頭を下げた。


「いや、いい。それより…どういう事だ?」


 今朝…千里から会長室に電話があった。


『高原さんが一緒に暮らしてる『さくらさん』に…会せてもらえませんか?』


 と…。


 たまたま、今日はスケジュール的に時間がある。

 千里を連れて家まで帰る事は出来るが…


 …どうして千里がさくらに?



「高原さんに、俺には熱がないと言われて…色々考えました。」


「何を。」


「…俺には、命をかけて守る何かが欠けてるんだと。」


「……」


 千里の言葉を聞いて…俺は言いたくなった。


 おまえには…

 おまえには、守るべきものがある、と。

 知花は…



「でも、それが何かは気付きました。」


 知花だけじゃなく…聖子からも、周りからも絶対に秘密だと念を押されているが…

 ここは俺の一存で知花の子供達の事を告白してしまおうとすると、千里が言った。


「気付きましたが…俺にはまだどうも…高原さんのようなラブソングを書ける器がなくて。」


「…俺にもそんな器はないけどな。」


「俺から見たら、高原さんの器は頑丈ですよ。」


「…それで、どうしてさくらに?」


 俺がそう言うと、千里は少しだけ空を見上げて。


「…会ってみたくなったんです。高原さんが…ずっと一途に愛して来た人を。」


 今まで俺には見せた事がないような…柔らかい表情で言った。

 つい…千里につられて空を見上げる。



「差支えがなければ…ですが。」


「…連れて帰ってからさくらに会ったのは…周子だけだな。」


「周子さんが?」


「ああ…瞳がこっちに来る前に…会いに来た。」


「……」


「…おまえになら、いい。会わせても。」



 マノンにもナオトにも…

 瞳にさえ、さくらと暮らしている事は打ち明けていないのに。

 千里には…いいと思えた。


 …なぜだろうな。



 久しぶりの千里は、少し変わった気がした。

 トゲが無くなったと言うか…

 知花と別れた後の、あのギスギスしたような感じはなく。

 少し余裕さえあるように思えた。



「…曲作りはどうだ。」


 車に乗って問いかけると。


「順調です。そろそろバンドを組みたいと思ってるので、声をかけるつもりです。」


 千里はシートベルトをしめながら、ハッキリと言った。


「圭司と、他は誰を思ってる?」


「浅香京介とやりたいと思ってます。」


 浅香京介か…。

 確かにあいつのドラムは若手の中では光るものがある。

 だが、気分の浮き沈みが激しい。

 千里とは似たり寄ったりなタイプと思えるが、千里ほど頭は良くない。

 そして、最悪とも思えるほどの…人見知りだ。



「…って、おい。あいつをSAYSから脱退させるのか?」


 今の所、SHE'S-HE'Sに続いて、うちの事務所の売れ所だ。


「SAYSはもう持ちませんよ。」


「どうして。」


「曲がワンパターン化してる。浅香もそろそろ飽きてる頃じゃないですかね。」


「……」


 それは、確かに否めない。

 粗削りだが、勢いがあって二十代三十代の…特に男からの支持が高いSAYSだが…

 主に曲を作っているギターボーカルの里中が、息切れし始めている。

 3ピースバンドだが、目立つのは里中ばかり。

 その辺を、ベースの小野寺とドラムの京介がどう思っているのかは分からないが…



「俺に言わせれば、あいつがSAYSに居るのがもったいないです。」


 千里が…熱を取り戻した気がした。

 一時期は自分に自信がないとまで言っていたのに。



 それから、瞳と圭司の話になった。

 千里が意外と圭司の事を高く評価している事に驚いたが…

 実際は、今は俺も圭司を頼りにしている。



「ここだ。」


 門の前で一度車を停めると、千里は辺りを見渡して。


「いい所ですね。」


 少し笑顔になった。


「寂しい所だと言うかと思った。」


「俺、緑の多い所が好きなんで。」


 それこそ意外な気がした。



 前もってサカエさんには連絡をしておいた。

 もしかしたら…一人、客を連れて帰る、と。


「おかえりなさいまし。」


「ただいま。さくらは起きてるかな。」


「はい。」


「…じゃあ、部屋へ行く。」



 ここ数ヶ月…

 俺とさくらは…ぎくしゃくしている。

 寝た切りで言葉も思うように発せないさくらと、ぎくしゃくしようもないかもしれないが…

 だからこそ、伝わってくる事もある。


 一度は…キスを拒まれた。

 そして、周子に会うようになって…さくらに罪悪感を持った俺は…

 さくらを抱けなくなった。


 ただ、以前のように…

 仕事から帰ったら、さくらの隣で眠り、朝は一緒に風呂に入って…後ろから抱きしめるだけだ。


 …だから、なのかもしれない。

 俺以外の人間を、さくらに会わせたいと思ったのは。

 千里と会う事によって、さくらの気分も変わるかもしれない。



 〇神 千里


 高原さんに連れて来られた『さくらさん』と住む家は、緑の中にあった。


 …すげーな。

 すげー…落ち着く。



 家には『サカエさん』という住み込みで働く人がいて、俺は軽く会釈をして…高原さんに続いた。



「…さくら、ただいま。」


 部屋に入ると、高原さんはそう言ってベッドの脇に座り…横たわる人物の頭を撫でているようだった。


 とても明るくて…窓からの眺めも良くて。

 本棚と、椅子とサイドボードがあるだけのシンプルな部屋だが…温かさを感じた。


 …俺が思うに…

 今、目の前に居るこの二人…

 高原さんと、さくらさん。

 この二人は…


 知花の、実の両親だ。



 自分のオーディションの時よりもドキドキした。

 知花を…産んだ女性…

 どんな…



「今日はお客さんが来てる。」


 高原さんはそう言うと、ベッドから立ち上がって…俺を手招きした。


「……」


 ゆっくりとベッドに近付いた俺は…つい…忙しく瞬きしてしまった。


「…おいくつなんですか?」


 高原さんにそう問いかけると。


「ふっ。おまえ、いきなり女性の歳を聞くか?さくらはこんな状態だけど、全部聞こえてるんだぜ?」


 高原さんは口元に手を当てて笑った。


「あ…あ、すみません。でも…」


 …驚いた。

 知花の母親のはずなのに…

 そこに横たわっている女性は…二十代に思える。



「今37歳だ。」


「37!?」


「その驚きはどっちだ?37に見えない?それとも、俺と離れすぎてる?」


「……ど…どっちもです。」



 高原さんも若く見える人だが…実年齢は50歳だ。

 13違い!?

 つーか、さくらさんが37に見えないから、もっと離れてるようにさえ思える。


 俺はもう一度さくらさんを見る。

 目は…何となく開いているが…眠そうだ。

 …知花に、似ているような気もするが…そっくりなわけでもない。


 ただ…

 雰囲気は、似てる。



「…高原さん。」


「ん?」


「さくらさんと二人きりで…話してもいいですか?」


「……」


 高原さんは少し意外そうな顔をしたが。


「さくら、後で教えてくれ。」


 小さく笑いながら、さくらさんの額にキスをした。


「じゃあ、俺はリビングにいる。何かあったら言ってくれ。」


「ありがとうございます。」



 高原さんが部屋を出て行って…俺は椅子をベッドの横に置いて座ると…


「…初めまして。神 千里といいます。」


 自己紹介をした。

 そして…


「…さくらさん。」


 目を見て、問いかけた。


「桐生院貴司さんを…ご存知ですか?」


 俺のその言葉に。

 さくらさんの目が…ゆっくりと、大きく開いた。

 そして…視線が…


 俺を捕えた。


「……た…し…さ…」


「え?」


「…かし…さん…」


 さくらさんが、小さく言葉を発した。

 それは…『貴司さん』と言っているように思えた。



「…さくらさん。聞いて下さい。」


 俺は、少しだけさくらさんに顔を近付けた。


「あなたは…桐生院貴司さんと結婚して…高原さんの子供を産みましたね?」


「……」


 さくらさんは、俺の目をじっと見つめて…一度、ゆっくりと瞬きをした。


 …Yesって事か…?


「その時…子供は死んだ…と、桐生院さんは言われたはずですが…」


「……」


「生きてます。」


「……え……?」


 さくらさんは俺に手を伸ばして…


「ほ…ほん…」


 目を…これ以上開かないぐらいに…開いた。

 俺はその手を取って。


「本当です。あなたと高原さんの娘さんは…今二十歳で…シンガーになってます。」


「あ…あ…?」


「…あなたの名前が…みんなが知ってる花の名前だから…と、ばーさんが『知花』と名付けました。」


 さくらさんの目から、ポロポロと涙が流れる。

 俺は空いた方の手で。


「失礼します…」


 その涙を…拭った。

 それでも…涙は止まらない。



 ずっと…死んだと思っていた子供が…生きていた。

 この人は…もうずっと寝た切りで…その間…どれだけ知花の事を想っていただろう。

 死んだと知らされた子供の事を…

 どう、思い続けて来たのだろう。



「…あなたが出産した事を、高原さんは?」


 俺の問いかけに、さくらさんは瞬きを二度した。


 …知らないのか…


 皮肉にも、俺も…麗と出会わなければ、同じ状況だった。



「…俺は…知花の事が大好きなんです。」


「……」


「だけど、あいつのシンガーとしての才能に嫉妬して…傷付けました。」


 俺は…素直にさくらさんに全てを話した。

 知花が…どんなに可愛らしくて、どんなに聡明な女か。

 そして、どれだけ才能に溢れるシンガーか。


 だが…華音と咲華の事は話さなかった。

 俺がその存在を知らされていない事を知ったら…さくらさんは、自分を責めるかもしれない。



「どうか…元気になって下さい。」


 両手で…さくらさんの手を握る。


「………っちゃ…」


「え?」


「なっ…ちゃ…には…ひ…み…つ…」


 …なっちゃん?


「高原さんですか?」


 瞬きが一回。


「高原さんに、秘密?」


 また、一度。


「…分かりました。」


 さくらさんは…少し…優しい目になった。



 結局、俺にはどうする事も出来ない。

 桐生院の親父さんとばーさんは、きっと…さくらさんを見付けたと言えば迎え入れる気はあるだろう。


 だが…


 さくらさんを今も愛し続ける高原さん。

 ずっと…寝た切りの状態のさくらさんを守って来た人だ。

 その人から、さくらさんを奪う事は…俺には出来ない。

 さくらさん自身が…知花の存在を知って、会いたいと思って…回復するしかないんだ。



 俺は立ち上がると。


「…残念ですが、俺はもうここには来ません。高原さんに怪しまれるのも…困るので。」


 さくらさんの耳元に顔を寄せて、そう言った。


「俺は…知花を取り戻すために、今…奮起してる最中です。」


「……」


「あなたも、知花に会うために…奮い立って下さい。」


 俺の言葉に、さくらさんは…


「……うん…あ…ありが…と…う。」


 声を…振り絞って、そう言ってくれた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る