第27話 「ねえ、パパ。お願いがあるんだけど。」

 〇高原 瞳


「ねえ、パパ。お願いがあるんだけど。」


 あたしは…今日、すごくすごく一大決心をして…

 会長室に乗り込んだ。


 こんなお願い…どうかしてるかもしれないけど…



「何だ?」


 パパは椅子に座ったまま、キョトンとした顔であたしを見てる。


「あのね…」



 圭司とは…四月に結婚式を挙げる事になった。

 あと五ヶ月したら…あたし、ウエディングドレスなんて着ちゃうんだ。


 …夢みたい。



 だけど。

 そんなあたしの幸せを、今…誰よりも喜んでくれてるママ。

 あたしは、ママにも幸せになって欲しい。



「ママと…結婚して欲しいの…」


「……」


 あたしの言葉に、パパは書類を手にしたまま無言であたしを見つめた。


「…ママの事、嫌い?」


「そういうわけじゃない。でも、今更…」


「ママには…今更じゃないよ…」


「……」


 ママは…今もパパと暮らしてると思ってる。

 別れた事も、ジェフと再婚した事も、グレイスを産んだ事も忘れて…


「ママには…パパが必要だよ…」


 あたしがそう言うと、パパは書類をバサリと机の上に置いて…小さく溜息をついた。



「…瞳。」


「なあに?」


「…俺には…周子と別れた後から…ずっと想い続けてる女性がいる。」


「……」


 その話は…ママから聞いた事があった。

 ママが…酷い事を言ったから…別れた…って。



「…知ってるよ…ママから聞いたから。」


「……」


「だけど、別れたんでしょ?ママは…自分のせいで二人が別れたって言ってた。でもあたしは、誰かのせいで別れるなんて…そんなの愛じゃないって思った…」


 パパは…机の上に肘をついて、指を組んだ。

 そこに自分の額を当てて…何か考えてるみたいだった。



「その人の事…今も好きなの?」


「……」


 あたしの問いかけに、パパはしばらく何も言わなかった。

 あたしは…追い打ちをかけるように。


「最近のママ、すごく笑顔増えたよね。パパが来るの待ってたみたいに…甘えちゃって。」


 笑いながらそう言った。



 だって…あたしは何も知らなかったから。


 この時、パパが。

 あたしを…ママを傷付けまいとして…

 自分の気持ちを、押し殺そうとしてたなんて。

 あたしは、何も…


 本当に、何も…知らなかったから。



 〇神 千里


「わーあ。」


「わーあ。」


 12月。

 もうすぐクリスマス。


 子供達に、大人の手の平サイズのプレゼントを買った。

 華音には緑色のツリーで、ボタンを押すと赤いランプがイルミネーションのように光って。

 咲華には赤のツリーで、白いランプが光る。

 ボタンのそばにはトナカイとサンタらしき姿もあって、俺はこれに一目惚れして買ってしまった。



「ピカ!!ピカ!!」


 ボタンを押しては、そう言う二人が可愛くてたまらない。


「神さん、これどこで買ったの?めちゃくちゃ可愛い~。」


 麗が咲華の手にしているツリーを見て言った。


「音楽屋の一本裏の通りに『カナリア』って店があったんだ。子供服とかおもちゃを売ってる店。」



 孫のために自分達が欲しい物を考えていたら、店が出来てしまったという五十代の夫婦がやっている。

 気が付いたら…俺はそこの常連客。

 スタンプカードを持ったのは初めてかもしれない。



「あたしも今度行ってみよ。」


「同じ物買うなよ?」


「神さん、買い過ぎ。」



 俺と麗がそんな会話をしていると…


「千里君、今はどういった活動を?」


 親父さんに聞かれた。


「今は…ずっと曲を書いてます。」


「またバンド組むの?」


 麗が目をキラキラさせた。


「ああ…組みたいと思って、メンバーの目星もつけてるけど…どうやって誘うかだな。」


 どうせなら…と、俺は欲を出している。


 どうせバンドを組むなら。

 もう、これが最後のバンドにしたい。

 …つーか、TOYSに続いてまだ二つ目だけど。

 でも、そのバンドで…歌人生を終えたい。


 だからこそ、欲を出したい。



「焦らせるわけじゃないが…いつ頃動くつもりだい?」


 親父さんが心配になるのも当たり前だ。

 知花に内緒で子供達に自由に会って…なかなか、肝心な知花に…モーションを起こさない俺。


「年が明けたら、水面下でバンドを作ります。」


「水面下?」


「ちゃんと続けられる自信がつくまで、表に出したくないんで。」


「…意外と慎重派だな。」


「意外ですかね?」


「それから?」


 俺と親父さんの会話を、麗と誓も食い入るようにして聞いている。


「春までは…とにかく練習に専念します。」


「…ふむ。」


「夏には、必ず…」


「再デビューって事か…」


「成功します。」


「……」


 言い切った俺に、親父さんは少しマヌケな顔をして。


「…怖いもの知らずだな。」


 笑った。


「失敗する気はないんで。」


「だから慎重なのか。」


「手に入れたい物が、それだけ…大きな物ですから。」


 子供達は、まだボタンを押して遊んでいる。

 時々二人がお互いのボタンを押し合ったり…交換したり…

 そこに言葉がなくても、目を合わせて笑って…

 俺は…この光景を、知花と一緒に見たい。


 だが、今のままじゃダメだ。


 自信をつけて…

 周りが驚くようなバンドを…



「期待してるよ。」


 親父さんにそう言われて、顔を上げる。


「その時には…君のおじいさんにも謝罪に行かなくてはいけないな。」


「…いえ、その時が来たら…知花と子供達を連れて、俺が謝罪に行きます。」


「君が?謝罪?」


「あー…俺も勘当された身なんで…」


「え!?」


 驚きの声を上げたのは、ばーさんと誓と麗だった。

 親父さんは知っていたのか…表情一つ変えない。


「幸作さんは君の事を、大勢いる孫の中で、一番心の優しい子だと言っていたよ。」


「…え?」


「あの人も…きっと後悔しているんじゃないかな。」


「……」


「私が…知花を勘当してしまった時のように。」


 親父さんは、ゆっくりと…視線を窓際に置いてある写真に移した。

 そこには、二人の子供を膝に抱えた知花を中心にして、家族全員が笑っている写真。



「家族は…離れていちゃダメだ…」


 そのつぶやきは…親父さんの後悔そのものに聞こえた。


 知花の勘当じゃなく…

 知花の母親を追い出した事に対する…後悔だと思えた。




 〇桐生院貴司


「…聞きたい事があるんだけど。」


 突然、ソファーにいた麗がそう言って、私を見据えた。


「…姉さんのお母さんって、生きてるんでしょ?どこで何してるの?」


 いつか誰かに聞かれるかもしれない。

 そう…思わない事もなかった。

 だが、それを聞いて来るのが麗だとは思わなかった。



「父さんは、姉さんのお母さんは死んだって言ってたけど…あたしのお母さんは…逃げたって言ってた。」


「……」


「本当は、どうなの?」


 私は小さく溜息をついて。


「…全部、話すとしよう。」


 背筋を伸ばした。


「貴司…」


 母が入れかけたお茶を置いて。


「何を…全部話すと…」


 不安そうな顔をした。


「真実ですよ。」


「……」


 私は窓辺にある家族写真を見て…

 さくらが居る時にも、撮れば良かった…と思った。



「まず…もう…お前たちも容子から話を聞いて知っているだろうが…知花は、うちとは血の繋がりがない。」


「……」


 驚く様子がない所を見ると…真実だと分かっていたようだな。


「私は、知花の母親が妊娠しているのを知っていて、結婚した。」


「…好きだったの?」


 麗の問いかけに、小さく笑って頷いた。


「とても…可愛らしい女性でね。私達二人は…いつも彼女に翻弄されていたな。」


「…本当に。ビックリするような事ばかりしてくれて…」


 母の言葉に、下を向いて笑った。


 本当だ。

 私はともかく…母はさくらと二人の時間が長かった分、驚く事も多かっただろう。

 あの、突拍子もない行動力や、私達にはない発想力。



「だが…彼女には…」


「貴司…」


「……」


 母と千里君が、私を見る。

 何も全部話さなくても…という目か。



「…彼女には…夢があったんだ。」


「…夢?」


「彼女は元々…シンガーだった。」


「えっ!?」


 麗の誓の声に、華音と咲華が驚いて。


「あー。」


「うー。」


 二人は、千里君の膝に避難した。

 …もう、千里君は…父親として認められているも同然だ。


 知花は…

 仕事から帰ると、華音と咲華を抱きしめる。

 そして、一人ずつ…しっかり顔を見て…


「いい子にしてた?」


 と、頭を撫でながら笑いかける。

 …その光景は…何度見ても、美しく愛おしく思える。


 私は、さくらから…そういった幸せを奪ってしまった。

 …一時の…嫉妬で…



「あ…ごめん。大きな声出して…」


 誓が二人に手を合わせる。


「姉さんの母親も…シンガーだったなんて…それで?」


「…彼女は、ここに居るべきじゃない…と、私が勝手に決めつけて…追い出してしまったんだ。」


「…父さんが…?」


「ああ。」


 私の告白を、母と千里君は無言で聞いている。


「…今…どこかで歌ってるのかな…」


 誓がそう言って、千里君の隣に座って華音の手を握った。


「姉さんが歌ってるの…どこかで知って…喜んでるかな…」


「気付かないわよ…姉さん達のバンド、名前出してないもの。」


「あ、そっか…テレビに出たりする事もないのかな…」


「…出ても分からないかもしれないな…彼女は…知花が生きている事を知らないから。」


「えっ!?」


 また二人が大声を出して、華音と咲華が千里君に抱きついた。


「あっ…ごめんごめん…」


「…死産だったと伝えてしまった。その方が…夢を追えると思って。」


「…父さん…」


「酷い事をした。」


「……」


 しばらく沈黙が続いたが…それを破ったのは誓だった。


「父さん、その人の名前、なんて言うの?」


「え?」


「だって、もし歌ってるなら…調べる事が出来るんじゃないかな。」


「そうよ。どこかで歌ってるなら、名前で調べられるかもしれないわよ。」


 二人は名案と思ったのだろうが…残念ながら、私は小さく首を横に振った。

 危険な組織に関係しているなんて…口が裂けても言えない。


「もう…歌ってないらしいんだ。」


「貴司…調べたんですか?」


「ええ…でも消息は掴めませんでした。ただ、歌ってない事だけは…確かです。」


「……」


 母は肩を落として溜息をついて。


「…知花の名前は…私が付けたんですよ…」


 小さくつぶやいた。


「知花の母親の名前は…みんなが知ってる花の名前でね…それだけでも…何か繋がりを持たせてやりたかったんですよ…」


 私は…この時、初めて母の気持ちを知った。


 みんなが知ってる花の名前…?

 さくらと知花に繋がりを持たせたかった…?


 …お母さん。

 あなたがそこまで…さくらを大事にしていたなんて…

 私は本当に、なんて酷い事を…


 私が泣きそうになった所で…


「…みんなが知ってる花の名前って…」


 千里君が、口を開いた。


「…さくら…ですか?」


「…そうですよ。うちの庭の桜の木が大好きで…よく庭に立ってました。」


 誓は…母の穏やかな顔を見て、優しく笑ったが…

 麗は複雑な顔をしていた。

 麗たちの母親は…あきらかに母から良く思われていなかった。

 …私からも。

 容子は知花には冷たかったが、麗には優しい母親だったはずだ。



「じゃあ…その人…姉さんが生きてて…歌ってて…子供を産んだ事も知らないんだ…」


 麗が沈んだ声でそう言うと…


「…うやっ。」


 咲華が、千里君の膝を離れて…麗に抱きついた。


「あは…何?泣いてないよ?」


 麗はそう言ったが、咲華は麗の頬を叩いたり撫でたり…


「麗が泣きそうな声で言うから。」


 誓がそう言うと、麗は咲華をギュッと抱きしめて。


「…みんながみんな…幸せになるのって、難しい事なのかな…」


 少しだけ赤い目をしてそう言った。

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