第26話 俺が再び下を向いて涙を流すと。

 〇神 千里


 俺が再び下を向いて涙を流すと、すかさず…頭を撫でられた。


「……」


 顔を上げて…俺はゆっくりと、両手で二人を抱き寄せる。


 最初は少し声を出されたが…『咲華』の方が…俺の頬を流れる涙を怪訝そうな顔で叩いて。


「…ふっ…」


 俺が笑うと…『華音』も、それを真似た。


「…我が子に叩かれてる…」


 麗が…泣きながら笑う。


「…咲華。」


 呼びかけると、咲華はじっと俺を見た。


「サクちゃんは、高い高いが好きなの。」


「…高い高い?」


「抱き上げて、高い高いって。」


「……」


 麗にそう言われて、俺は…


「…こう…か?」


 恐る恐る、咲華を抱えて…


「きゃー!!」


「……」


 め…めちゃくちゃ…笑顔になった咲華…


「あー!!あっ!!」


 足元では、華音が俺の脚にしがみついてジャンプする。


「ノン君もして欲しいって。」


「……」


 麗に言われるがまま…

 咲華を下ろして、華音にも同じように…


「きゃー!!」


「……」


 咲華と同じ反応…。

 その時咲華は、さっきの華音と同じように、俺の脚にしがみついてジャンプ。


「や~ん…もう、可愛い。カメラ持ってくれば良かった。ね、おばあちゃま。」


 麗がそう言うと。


「そうで…ダメですよ。知花に内緒なんだから…」


 ばーさんは、緩んでた口元を引き締めた。


「そうだけど…この瞬間って今しかないのよ?成長記録として欲しいじゃない。姉さんには隠しておくから。」


「それはそうですけど…」


「ちょっと走って取って来る。神さん、まだ時間いいよね?」


「お…俺はいいが…」


 写真なんて…いいのか?

 でも…


「きゃー!!」


「あー!!」


 ……こんなに可愛い我が子のそれは…

 確かに、残しておきたい気がした。



 こうして子供達に会えて…最高に嬉しいが…

 正直…知花に対しての罪悪感もある。

 知花はもう…俺とは終わらせてる。

 なのに…俺がこうやって子供達に会うのは…



「…いいんでしょうか。」


 子供達の手を持って、少しだけジャンプさせながら…ゆっくりと回る。

 自然とそんな動きになったそれは、昔、小学校のグラウンドにあった『オーシャンウェーブ』という遊具を思い出させた。



「何がですか?」


「…知花が知らない所で…子供達と…」


 俺が遠慮がちにそう言うと、ばーさんは二人の笑顔を見ながら。


「知花は…必死で千里さんを忘れようとしてるんだと思います。」


「……」


「私は…知花に素直になって欲しい。だから、少しずつ…こうして周りからって言うのもおかしいですが…」


 ばーさんの視線は、ずっと子供達にあった。

 優しい顔で、二人を見て…


「千里さんの想いを知った今、私は…二人に幸せになって欲しいんですよ…」


 俺に、視線を移した。


「…ねんね…」


 ふいに、咲華が俺の足に抱きついて言った。


「…え…えっ?」


「ああ…眠いようですね。ベンチに座って、抱いてやって下さい。」


「ひ…一人だけですか?」


「華音はさっきまで寝てましたから、もう少し起きてると思います。」


 俺はばーさんに言われた通り、ベンチに座って咲華を抱える。


「さあ、ノン君。サクちゃんはねんねするから、大ばあちゃんとお散歩して来ましょうかね。」


 ばーさんがそう言って、華音の手を引くと。

 華音は俺の腕にいる咲華を気にしながらも、ばーさんと歩いて行った。



「……」


 本当にもう寝たのか?と思ってしまうほど、俺の腕ですぐに眠ってしまった咲華の顔を覗き込む。


 …難しくないのか?

 顔が真横向いてるけど…

 位置をずらすには…こっちの腕を…

 あ…起きちまうかな…



 俺がヒヤヒヤしながら咲華の寝位置を変えようとしていると…


「どういう事だ。」


 背後から低い声が聞こえた。

 その声に顔を上げると…知花の親父さんが、そこにいた。



「……ご無沙汰しています。」


 咲華を抱えたまま、ゆっくり立ち上がる。

 親父さんの後には、息を切らした麗が困った顔をして立っていた。


「…君はもう、うちとは関係ない人間のはずだ。」


「……」


「…咲華を返しなさい。」


 親父さんが俺の腕から咲華を取ろうとした瞬間…


「じー!!」


 ばーさんと歩いて行ったはずの華音が…笑顔で足をもつれさせながら、走って来て…


「あっ。」


 全員で声を出してしまった。

 華音が、派手にすっ転んだんだ。


 俺は腕の中の咲華を気にしながらも、転んだ華音に近付いて。


「立てるか?」


 顔を覗き込んだ。

 うつ伏せになったままの華音は、顔だけを上げて俺を見て、周りを見て…


「うー……」


 泣くのかと思いきや…


「いっ…あっ…はっ…ぱ!!」


 よく…分からない言葉を発して…


「わー!!」


 万歳をして…立ち上がった。

 そして、俺の腕で眠っている咲華を覗き込んで…


「…しゃく、ねんね。」


 俺の腕に抱きつくような格好をして…言った。


「…うん。サク、ねんねだな。」


 そして、自分の手の平を見て、それから膝を確認して…

 少しだけついていた砂埃を…


「じー。」


 親父さんの所に行って。


「こっ。」


 そう言いながら、膝を指差した。


「…よく泣かなかったな。偉かったな。痛くなかったか?」


 親父さんはしゃがみ込むと、そう言って華音の膝の砂埃を優しく払う。


「だっ。」


 華音にそう言われた親父さんは、華音を抱きかかえて。

 愛しそうに…頭を撫でた。


「…千里君。」


「…はい。」


「私は、君に…」


 親父さんが何か言いかけた時。


「貴司。」


 ばーさんが…俺の横を通り過ぎて、親父さんの前に立った。


「私が、この子達を千里さんに会わせたいと思って、連れて来たんです。」


「……」


「…あなたも、思ったでしょう?こんなに可愛い子供達を…父親である千里さんが存在さえ知らないなんて…って…」


「……」


 親父さんは無言だった。

 そして…


「私は…繰り返したくないんです…」


 ばーさんの言葉に、親父さんの後で、首を傾げる麗の姿が見えた。



 * * *


「……」


「……」


「……」


「……」


 俺は、今…

 桐生院家の広縁で、庭を眺めている。

 そして…


「んばー。」


「んばー。」


「……ふっ。」


 なぜか…俺を笑わそうと必死になっている華音と咲華。


 二人に…癒されている。

 だが…

 俺の背後には、親父さんと麗とばーさん。


 三人が…


「あっ!!絶対今のいい写真撮れた!!」


 麗はカメラを構えてて。


「麗、そんなに続けて撮ったらフィルムがなくなりますよ。」


「だって、ほら…二人ともすごく楽しそうなんだもん…」


「…そうですね…」


 ばーさんの言葉に少しホッとするが…親父さんはずっと一言も発さない。

 それが…無言の圧力となって、俺の背中にヒシヒシと…



 一緒に帰ろうと言ったのは、華音だった。

 言った…っつーか…


 親父さんが華音を抱えたまま、麗に咲華を連れて帰れと言うと。

 華音が、俺を指差して、何か唸った…んだと思う。


 咲華を麗に渡して、俺はみんなを見送ろうとしたが。

 華音が…親父さんの腕の中から、俺に両手を差し伸べて…泣いた。


 それを見た麗が。


「神さん、一緒にうちに帰ろうよ!!」


 そう言って…

 その結果、俺はここにいるわけだが…



「貴司、もう少しにこやかにしないと、子供達がじーが怖いって寄り付きませんよ。」


「そうよ。お父さんのせいで、さっきから二人とも神さんの所にばっかり。」


「ち…千里君だって、ニコニコしてるわけじゃないだろう?」


「……」


 その言葉に三人が俺を見て。

 俺は…


「……」


 む…無理矢理…口元を緩めてみた。


「…反対に怖いわ…」


「これ、麗。」


「…ダメか…」


「んばー。」


「…ふっ。」


 咲華に抱きつかれて…自然と笑いが出た。

 それを見た華音が、真似をして抱きついて来る。


 二人とも……………可愛くてたまらない。


 ヤバい。

 このまま…帰りたくなくなる…。



「えっ!?神さん!?」


 それまで居なかった誓が、突然和室の向こうから大声を出して。


「ちー!!」


「ちー!!」


 華音と咲華が誓に走って行く。


「ただいま~…って…この展開…って…」


 誓はしゃがみこんで二人の頭を撫でながら、キョロキョロと俺達を見渡した。


「前にも言いましたが、知花には内緒ですよ。」


 ばーさんがそう言うと。


「誓も知ってたのか。」


 親父さんが、眉間にしわを寄せて言った。


「え…う…うん…」


「私だけが蚊帳の外か…」


 さすがにそれは…親父さんの機嫌が悪くなっても仕方ない。

 が、麗は全然それを気にする事もなく。


「誓、いつ帰ったの?見えなかったけど。」


 確かに。

 ここに座ってると、門から歩いて上がってくる姿は必ず見える。


「あー…裏から。楽なんだよねー。」


 …裏?

 俺が首を傾げて誓を見てると。


「あ、神さん、裏見た?」


 誓が笑いながら。


「父さんがすごい物作っちゃってさ。」


「…すごい物?」


「別に…そんなにすごい物でもない。」


「えー?姉さん感動して泣きそうだったじゃない。」


 麗にそう言われて、親父さんは『余計な事を言うな』とでも言わんばかりの表情。


「ノン君、サクちゃん、お庭見せてあげる?」


 麗が二人に声かけると、二人はどこか…部屋の奥を指差しながら。

『あっち?』とでも言っている風に麗を見上げた。


「そ。『とーさん』連れて行ってあげて?」


「……」


 とーさん…


「麗。」


 親父さんが低い声で麗を呼んだが。


「パパの方が言いやすいかなあ?」


「でも知花は『母さん』って呼ばせようとしてるみたいですよ。」


「ママの方が早く呼びそうだけど。」


「結局『かか』って言ってるよね。」


「じゃあ、『とと』って呼ばせたらいいのかな?」


 麗と誓とばーさんは…完全にタッグを組んでいる。



 それにしても…

 桐生院家のみんなが…変わった気がした。

 誓は背も伸びて…男らしくなった。

 麗は以前よりずっと笑顔が増えたし…ばーさんもそうだ。

 …親父さんに関しては、まあ…冷たくされるのは仕方ない。


 だが。

 みんなが華音と咲華を中心に、優しい顔になる。



「あー。」


 華音に手を取られた。


「ん?」


「あっち行こうって。」


 誓に言われて、立ち上がると…親父さんがすごく渋々と、俺より先に立ち上がって歩いて行った。


「…たぶん、恥ずかしいんだろうね。」


「だよね。」


「誰も知らない事ですからね…」


 三人はそう言って顔を見合わせたけど…何のことだ?


 言われるがままについて行くと…


「…ここって…確か、蔵があったり…」


 裏庭に、立派な遊び場が出来ていた。

 つーか、これ…公園レベルだよな。


 桐生院家は表に庭園のような広い敷地があるが…

 実は裏にも相当広い庭があった。

 おまけに…


「ここ、姉さんと子供達の部屋。」


 その庭に面した日当たりのいい場所に、部屋が増築されている。


「もう、お父さん浮かれ過ぎ。向こうで子供達に会って、帰ってすぐ着工よ?あたし達には相談もなかったわ。」


「気持ちは分かるけどね。」


「それほど嬉しかったんですよ…」


「……」


 ここにいない親父さんに、一言…伝えたくなった。


「どこに行かれたんでしょう。」


 隣にいるばーさんに問いかけると。


「居間で新聞を開いて、読んでるフリでもしてるんじゃないでしょうかね。」


 ばーさんは、小さく笑った。


 俺が居間に向かうと…ばーさんの言う通り、親父さんは新聞を開いていた。


「…お義父さん。」


 背中に声をかけると。


「…もう君とはそういう関係ではないと思うが。」


 振り向かない親父さんから、低い声が返って来た。


「…俺は…」


「……」


「知花を愛してます。」


「……」


「でも、同時に…あいつの才能に嫉妬して…辛い目に遭わせました。」


 そう言いながら、俺は親父さんの前に行くと、手を着いて頭を下げた。


「チャンスをください。」


「……」


「…もしかしたら、あいつは俺の事なんか吹っ切って…他の奴との将来を考える選択をするかもしれません。」


「……」


「…でも、俺は知花を取り戻したい。」


「…もし、もうすでに知花が他に恋人を作っていたら?」


 親父さんは、溜息をつきながらそう言った。


「それでも君は、子供達に父親だと名乗りたいか?」


 そうだ。

 それはもう…始まっていてもおかしくない。

 あんなに…可愛い女。

 男がほっとくかよ…



「…その時は…潔く諦め…」


「……」


「…諦めません。」


「……」


 親父さんは小さく笑って立ち上がると。


「…今は音楽と子供達の事で、頭がいっぱいだそうだ。」


 そう言って…そばにある古風な茶箪笥の引き出しから、小さな紙袋を取り出した。


「これは返すよ。」


 目の前にそれを差し出されて、俺が中を見ると…


「君が持って来た金だ。」


 親父さんは再び、俺の前に座った。


「本当に知花を取り戻したいなら、もう一度歌う事だね。」


「……はい。」


 急に穏やかな表情になった親父さんに、少しだけ戸惑いながら…それでもその言葉を噛みしめた。


 …本当に知花を取り戻したいなら、もう一度歌う事。

 そうだ。

 知花に償うには、そして…俺自身と知花を取り戻すためには。

 歌うしかない。



「知花の才能に嫉妬したと言ったが…君だって十分才能があるじゃないか。」


「……」


「誰一人として、同じものは持っていない。君は君の才能を、開花させればいいだけだ。」


「…………ありがとうございます。」


 まさか…親父さんにそう言ってもらえるとは思ってなかった。

 それだけに、このエールは俺にとってとてつもない力になる気がした。


 深く深く…頭を下げた。

 これだけでは足りない。と思いながら。


 するとそこに…


「わー!!」


「わー!!」


 華音と咲華が、乗って来た。


「あははは!!可愛い~!!」


 それを麗が写真に撮る。


「…お茶にしましょうかね。」


 ばーさんがキッチンに行くと。


「千里君、アルバムを見たいだろう。」


 急に…親父さんがにこやかに言った。


「…見たいです。」


「誓、全部持って来なさい。」


「あはは。神さん、見るの大変だよ?」



 そして、誓が持って来たアルバムは…



「これが生後三日です。」


 最初は、ばーさんの解説付き。


「こんなに小さかったんですか…」


 病院での二人。

 本当に…小さい。


「しゃく。」


 咲華が、写真を見て言う。


「それはノン君じゃないかな?」


「同じだからわかんないよね。」


 …子供を抱く知花の写真があった。

 そのページで…俺の手が止まる。


 知花…



 あまりにも動きを止めたからか、俺の腕をかいくぐって左の膝に華音、右の膝に咲華が入り込んで来て。

 少し窮屈そうにしながらも…二人で並んで座った。


「あははっ。もう…たまんない。神さん、いい顔して?」


 正面から麗がカメラを構える。

 俺は二人を抱きしめるようにして…自然と笑顔になった。

 俺に抱きしめられた二人も…


「きゃは。」


「ひゃはっ。」


 笑った。



 …華音、咲華。

 俺、頑張るから。


 お前たちに…恥ずかしくない父親になるから…。

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