第25話 最近…

 〇森崎さくら


 最近…


 なっちゃんが…あたしに、キスしなくなった。

 こんな時って…余計な事勘繰ったり…しちゃって当然だよね…?


 たぶん…周子さんだ…って、思った。


 でも…仕方ないよね。

 あたしだって…貴司さんと結婚した。

 …死産したから…追い出されちゃったけど…


 なっちゃんじゃない人と…結婚した。

 なのに…またアメリカに行って…

 なっちゃんと…幸せになろうとした。


 あたしがこうなったのは…罰なんじゃないの?



 アメリカにどうやって渡ったのか。

 向こうでどうやって生活していたのか。

 それらを思い出そうとすると、色んな景色が頭の中にめぐって…気持ちが悪くなった。

 ただ、なっちゃんが話してくれたのも手伝って、少しだけ思い出したのは…


 なっちゃんが…すごく、あたしを愛してくれてた…って事。


 あたしのために…歌を作ってくれた。

 Deep Redで…それを発表して…全世界でそれが愛される曲になった。

 あたしにとって、なっちゃんの歌はどれも特別。

 だけど…特に…特に、あたしが好きなのは…


 If it's loveって歌…


 あたしだけにしか…歌われてない。



 あたしは…あの歌を口ずさみながら、お腹の子に。

 早く会いたいね。って…

 祈りを届けてたはずなのに…



 もう、いや!!


 苦しみのあまり…あたし…そう言ってしまった…


 …最低。



「……」


 ゆっくりと、サイドボードに目を向ける。

 そこには…木彫りの天使。

 あたしが、ずっと部屋に置いてた物だから…って、なっちゃんはこれも持って帰ってくれてた。

 あたしが眠ってる間も…ずっと見守り続けてくれてた天使。



 …ねえ。

 あたしは…どうしたらいいのかな。

 最近、なっちゃん…辛そうだよ…

 もしかして、あたしの事…お荷物になっちゃったのかな…



「……ふ…」


 泣けてしまって…声が出た。

 あたし…一人じゃ、この涙も拭えない。

 どうして、こうなったの?

 思い出そうとすると、悪い夢を見る。


 あたしが…

 あたしが、たくさんの人を…



 殺す夢。




 〇神 千里


「…神、どうかした?」


「…は?何が。」


「だって、それー…ピーマンだよ?」


「……」


 アズに言われるまで、自分がピーマンを食べてる事に気付かなかった。


 超、超超偏食家の俺は…知花の料理では食えてたピーマンが。

 他の奴の料理では、全く食えなかった。

 特に、生のピーマンなんて最悪だ。


 なのに…今朝の俺は…

 アズが焼いた、トーストの上にチーズとピーマン…

 特にピーマンはほぼ生の物を…


 食ってる。



「神の分はこっちだったのに。」


 そう言って、アズはレタスとハムのサンドイッチを差し出した。


「…もういい。食った。ごちそうさま。」


 コーヒーを飲んで、手を合わせた。


「…大丈夫?千里。何かあったの?」


「いや、別に。」


「今日は事務所に行く?」


「…いや、今日は用がある。事務所には…もう少し自分の中で区切りがついてから行く。」


 二人に心配をかけているのは分かる。


 …二人だけじゃない。

 事務所の人間にも…きっと、心配も迷惑もかけている。

 俺が手掛けるはずだった新人バンドは、ナオトさんが育てる事になった。


 …本当に、無責任だな。俺。



 今日…


 俺は…

 俺の、子供達に会う。


 …俺の、と…言ってもいいんだろうか。

 知花と俺の子供だが…

 知花は、俺に打ち明けないと決めて産んだ。

 …知花の子供だが、俺の子供じゃない。


 そう決められた気がしてならない。



 だが、麗とばーさんに背中に押されて。

 俺は…いつか知花を取り戻すために…

 まずは、自分を取り戻そうと思っている。



「……」


 畳の間で、腕組みをして考えた。


 …何着て行きゃいいんだ?

 子供に会うんだから、別に…格好なんて…

 いや、でも変な奴と思われたくない。


 …まだそんなの分かんねーよな…

 いや、でも最初が肝心だと言うし。


 …だから、まだ何も分かんねーよな…


 いや、例えば…会った後に少しでも遊ぶ時間があれば…

 …子供と遊ぶって、どうやって遊ぶんだ?

 いや、いきなりそんなに時間をもらえるとは限らねーよな…


 …でも、もしもらえたら…?


 …子供って…どうやって抱けばいいんだ?

 そもそも、今…どれぐらいの大きさだ?

 俺に抱えられたりしたら…泣くか?


 もし…抱えられたとして…

 子供が心地いい肌触りってあんのか?



 アズは意外とオシャレだ。

 新しい物にもどんどんチャレンジする。らしい。

 が、俺は結構な無頓着。

 自分に何が似合うかなんて分かんねーんだよな…

 だから、取材の時もいつもスーツだし。

 もはやそれが『神の制服』なんて呼ばれたりもした。


 私服もモノトーンが多いし…唯一ある派手なボトムは、カーキ色。

 …酔っ払って買ったんだっけな…


 つーか…

 俺はそんなに服を持ってない。


 さすがにヨレヨレのTシャツと迷彩柄の短パンは、もう着る気にはならねーけど…

 あ、捨てられたのか。



 ラフな服を持ってないのは痛い気がした。

 いや、初対面だからラフな格好はしないけど。

 でも、スーツもどうかな…


 知花と会う時は…だいたい事務所の帰りだった。

 だから、『神の制服』って言われてる格好のままで会う事が多かった。

 ま、あいつも制服だったしな…



 …まるで俺は初めてのデートのように、浮かれていた。

 いや、初めてのデートでも、こんなに浮かれなかった。

 …もう記憶になんてないが。



「あー…」


 …しっかりしろ。

 俺。



 結局、ジャケットがないだけの『神の制服』にした。

 約束の時間より三時間も早く家を出て…図書館に行った。

 今更、育児書なんて読んだって…俺には何も出来ないのに。

 何か…と。

 そう思えて仕方なかった。



 図書館の前で、ベビーカーを押す女性が近くにいた。

 つい…見入ってしまうと…


「…あの…」


 声をかけられた。


 …ジロジロ見て怪しかったか?


「神…千里さんですか?」


「……」


 そうか。

 TOYSが解散したから、俺も忘れ去られたもんだと思ってたが…


「…はい。」


「ファンなんです。あの…良かったら…握手と、その…サインも…いいですか?」


「…解散したのに?」


「バンドは解散しても、歌は消えませんよね。あたし、TOYSの歌大好きです。」


「……」


 俺はその女性と握手をして、彼女が手にしていたハンカチにサインをした。


「…いくつ。」


 ベビーカーの前にしゃがみこんで、眠っている子供の顔を見る。


「一歳三ヶ月です。」


 同じぐらいなんだろうか。

 だが…一歳三ヶ月って、思ったより小さいんだな。


 一歳過ぎたら、ベビーカーなんて乗らずに歩くのかと思ってた。

 って、まあ…何の知識もない俺が、勝手に思っただけだが…



「…子供、お好きなんですか?」


 意外そうな声が降って来た。


「…似合わねーって思った?」


「あっ、いえ…あの…あ…でも、やっぱり意外ですけど…」


「ふっ。仕方ねーよな。」


「…でも、何だか嬉しいです。」


「嬉しい?」


 見上げると、女性は俺がサインをしたハンカチを握りしめて。


「神さんて…孤独とか正義がメインで、愛とか優しさを歌う人じゃなかったから…でも、ちゃんと愛と優しさもある人だって思ったら…ますますファンになりました。」


 照れ臭そうに、そう言ってくれた。


「……」


 俺は無言で子供の寝顔を見つめる。


「これからも、歌って下さいね。応援してます。」


「…今までと違う俺でも?」


 首を傾げて問いかける。


「違う神さん…ですか?」


「孤独と正義はどこに行ったんだって。愛と優しさばっか歌う俺になっても?」


 自分で言って、小さく笑った。


 俺に…そんな歌が歌えるか?

 だけど、今なら歌える気がしていた。

 俺の子供達…まだ会ってもいないのに…俺の胸は、愛しさでいっぱいだ。



「聴いてみたいです!!」


 女性が少し大きな声でそう言ってしまい、ベビーカーの中の子供が目を覚ました。


「あっ…あ、ごめんねユウちゃん~。」


 目を開けた子供は、目の前にいる俺を見て…


「……」


 一瞬キョトンとした後…


「あああああああああーん!!」


 大泣きし始めた。


「あっ、すすすすいません…」


「いや…『ユウちゃん』には怖かったみたいだな。」


 空色の服を着た、『ユウちゃん』は。

 なかなかのハンサムだった。

 目がパッチリして…って、今は顔をクシャクシャにして泣いているが。



「すいません…本当…」


「いや、いい刺激になった。ありがとう。」


 俺は立ち上がって礼を言うと。


「じゃあな、ユウちゃん。」


 そっと、子供の頭を撫でた。


 …我が子にも…泣かれたらどうしよう。

 内心、少し不安もよぎったが。

 俺は…ゆっくりと公園に向かった。




 約束の時間より、30分早く公園に着いた。

 少し離れた遊具がある場所では、小さな子供が母親に連れられて遊んでいた。

 それを眺めながら…俺は麗と会ったベンチに向かった。

 ここは、その場所からは少し離れていて…静かだ。



 ベンチに座って…落ち着きなく指をもてあそんだ。


 …落ち着け。

 落ち着け、俺。


 今までの何より…緊張した。

 知花の家に…挨拶に行った時よりも、だ。

 あの時は…知花が居たから…

 あいつを…あいつと、絶対結婚するっていう目標もあって…


 だが、今は。

 俺を誰とも知らない…子供達と…会う。


 …拒絶されたら…


 いや、相手は子供だ。

 そんな事があっても仕方ないんだ。

 …そう思おうとするのに、なぜか俺には不安が広がった。


 色んな葛藤に溜息をつくと…



「こんにちは。」


 いつの間にか…近くにばーさんが立っていた。

 まだ、約束の時間まで…15分ある。


「…こんにちは…」


「私達も早く来たつもりですが…千里さん、随分お早いようで。」


『私達』とは言ったが…ばーさんは一人だ。


「…いてもたってもいられなくて。」


 俺の言葉に、ばーさんは小さく笑った…ような気がした。



「今日は、お約束通り、子供たちを連れてきました。」


「…知花は…この事…」


「知りません。今日からレコーディングだとか言って帰りも遅いですから、ゆっくり遊んでやって下さい。」


 ばーさんはそう言うと。


「麗。」


 植え込みの向こうに…声をかけた。


 すると、そこから…麗が、腰を屈めて…

 二人の子供と、手を繋いで…ゆっくりと歩いて来た。



「……」


 言葉が…浮かばなかった。

 とにかく…二人とも…とてつもなく…愛しくて…



 麗に連れられた二人は、キョロキョロしながらも…俺の前まで辿り着いた。



「…あなたの、子供ですよ。」


 呆然としてる俺に、ばーさんがそう言って…

 俺は…ゆっくりと、二人の前にしゃがみ込む。


「…名前は?」


 声が…震えた。

 まだ…名前なんて言えないか…


 二人は、麗の足に隠れ気味になりながら…


「…かろん…」


「…しゃっか…」


 よく…分からない言葉を発した。


「こっちが華音、男の子です。こっちは咲華、女の子。」


「かのん…さくか…」


「かのんは華の音、さくかは咲く華って、あたし達家族が付けたんです。」


「……」


 二人は相変わらず麗の足に隠れながら…俺をチラチラと見る。



「すぐにはなついてくれないかもしれませんが、血がつながってるんですから。きっと、何か感じるものはあると思いますよ。」


 ばーさんが、優しい声で言ってくれた。


 二人は俺と目が合うと、下を向いたり…麗のスカートの裾を握ったりする。


 柔らかそうな髪の毛…

 白い肌…

 パッチリとした、大きな目…


「…目元が、知花にそっくりだ。」


 俺が二人を見ながらそう言うと。


「でもね…」


 麗がしゃがんで…


「だんだん神さんに似てきたなって思う。」


 小さく、つぶやいた。


「…俺に似たら、こんなに可愛い顔にはならない。」


 そう言いながら…俺は泣きたい気持ちを押し殺していた。



 知花…


 おまえ、何だって…何も言わなかったんだ。

 勘当された事も…

 妊娠した事も…


 そりゃあ…俺達は別れた。

 不本意だったが…俺は…おまえからの別れを…受け入れた。

 だけど…


 …いや、言えないよな。



 感情に任せて…知花に怒鳴った。


 行きたくないなら行くな。

 でも、行かなかったら…おまえは一生歌なんか歌えない。

 歌わないおまえに、魅力なんてない。


 俺は…なんて酷い事を言ったんだ…



 俺は、高原さんに知花達を推しながら…

 知花の才能を認めてもいたクセに…

 ずっと嫉妬もしてた。


 俺がつまらない葛藤に潰されそうになっている間…

 知花は…



「…知花は、いつも子供たちの寝顔をずうっと見つめてますよ。」


「……」


 ばーさんの言葉に、俺は涙を我慢する事が出来なくなった。

 しゃがみ込んだまま…目頭に手を当ててうつむくと…


「……」


 何かが…髪の毛に触れて、顔を上げる。

 するとそこには…悲しそうな顔をして、俺の頭に手を当てる…子供達がいた。


「…よしよし…って、言ってる。」


 麗が…涙目で笑う。


「…え?」


「泣かないでって。」


「……」


 子供達を見ると、二人とも…なぜか俺の涙を見て…泣きそうな顔…



「この子達…誰かが泣いてると、すぐにそうやって『泣いたらダメ』って顔をするみたいなんですよ…」


 ばーさんが言った。


「そうそう。早乙女さんの結婚パーティーでも、嬉し泣きしてるのにダメダメって顔をしたって、姉さん言ってたよね。」


「……」


 泣かずにいたかったが…泣かずにはいられなかった。


 自分の不甲斐なさと…

 知花の強さと…

 子供達の純粋さと…


 桐生院家の…温かさに…。

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