第24話 麗が帰るのを見送って。

 〇神 千里


 麗が帰るのを見送って。

 歌うために…何から始めたらいいのか考えようとしたが、頭が回らず。

 まずは、一度部屋に戻って走りに行こうか…と思ってると。


「…千里さん。」


「あ…」


 知花の…ばーさん。


「…今の…」


 麗が帰った方向を見て言うと。


「…すいません。聞いてしまいました。」


 ばーさんは、軽く頭を下げた。


「…いえ。もとはと言えば……俺が不甲斐ないばかりに…」



 突然麗に会って…知花が子供を産んだと聞かされ。

 さらには、ばーさんに…

 さすがに、咄嗟に言葉が出ない。


 ばーさんと向かい合ったまま立ちすくんでいると。


「…あの子とは…」


 ばーさんが、日傘をたたんでベンチに座った。


「……」


 俺も、少し悩んで…隣に座る。


「知花とは…偽装結婚だった…そうですね。」



 親父さんに呼び出されて聞かれたが、俺は一度もそれについて答えなかった。

 知花がそう言ったと聞いても…正解とは言わなかった。

 キッカケはそうでも、俺達は違うと信じていたかったのもある。



「…知花が、離婚の原因としてそれを一番にあげたんですか?」


 少しだけ、ばーさんの方に向いて言うと。


「一番も何も…あの子がうちに帰って言ったのは、『離婚した』と『アメリカに行く』と…」


「……」


「…家を…出たかったから…結婚した…と…」


 ばーさんの声は、消え入るほど小さかった。

 俺は…あらためて、自分がどれだけの人を巻き込んで、傷付けていたかを思い知った気がした。



「…すみませんでした。」


 ベンチから立ち上がって…ばーさんの前で土下座をした。


「千里さん…やめて下さ」


「聞いて下さい。」


 ばーさんが立ちかけたが、俺はそれを制して続ける。


「俺は…自分の居場所が欲しかった。」


「……」


 ばーさんは、ゆっくりとベンチに座り直して…背筋を伸ばした。


「そんな俺と…同じような思いを持った知花が出会って…確かに、最初は契約でした。」


「…契約…」


「お互いのプライバシーには関与しない、お互いのための偽装結婚のはずでした。」


「……」


 小さな溜息が聞こえた。


「だけど…」


「……」


「…俺は、早い内に…知花に惚れました。」



 三日月湖で…赤毛を見せられた。

 新居に必要な買い物に行って、本当の夫婦みたいだと思った。

 偏食家の俺が…あいつの料理だけは…飯をおかわりしてまで食えた。

 結婚して…あいつに一人で飯を食わせるのが嫌で早く帰ってたが…

 何のことはない。

 俺が、あいつと居たかったんだ。


 あいつが…俺の居場所だったんだ…。



「ちゃんと…夫婦になれたと思ってました。」


 地面に手をついたまま、俺は続ける。


「…なのに、どうして離婚を?」


「…結局は、俺の器が小さかったんです。」


「……」


「俺は…知花を愛してるのに…シンガーとしてのあいつに嫉妬してました。」


 本当に…なんて器が小さいんだ。

 惚れた女の才能に…嫉妬するなんて…



「俺があの時、二年なんて…なんて事ないって言ってやれば…」


 どこに居ても関係ない。

 頑張って来い。

 俺はここで頑張るから。

 また二年後には、ここで暮らせるんだ。

 なんて事ない。

 おまえは、おまえの仲間たちと…向こうで暴れて来い。


 …なんて事ない。


 …どうして…そう言ってやれなかったんだろう。

 結局俺は…自分を守るために、知花を…突き放した。



「…さっき、麗に…知花が子供を産んだと聞いて…自分が恥ずかしくなりました。」


「……」


「俺は…ずっと何をしてたんだ、って…」


「…千里さん。」


 ずっと地面に手を着いたままだった俺に、ばーさんが手を差し伸べた。


「……」


 その手を見て…ばーさんを見上げた。


「子供達に…会いますか?」


「……え…っ?」


「会いたいですか?」


「……」


 俺は…口を開けたまま、ばーさんを見つめた。


「お…俺なんかが…会って…」


「あなたは、父親です。」


「……」


「どうか、奮い立って下さい。」


 ばーさんは無理矢理俺の手を取って立たせると。

 両手で俺の手を握って。


「子供達に会って…自分を取り戻して下さい。」


 低く…強い声で言った。



 俺の子供と言われても、実感が湧かなかった。

 だが…会いたいかと言われると…

 会いたくないはずがない。


 俺は、遅れてやって来た感情に突き動かされた。



「…会いたいです。お願いします…お願いします。」


 ばーさんの手を握り返して、何度も頭を下げた。


「…千里さん。」


「……はい。」


「自分を取り戻したら…知花の事も、取り戻して下さい。」


 ばーさんの目には、涙はなかった。

 ただ…強い光は見えた。


「…私は、あなたを信じてます。」


「……」


「来週、ここでお会いしましょう。知花には秘密です。」


「…分かりました。」


 ばーさんはゆっくり手を離すと。


「では…来週。」


 日傘を差した。


 俺はばーさんの姿が見えなくなるまで…

 深く頭を下げた。



 〇東 圭司


「……」


「……」


 俺と瞳ちゃんは…顔を見合わせた。


 だって…

 神が…



「…どうしちゃったんだろうね…」


「…復活の兆しかしら…?」


 俺達は、少しだけ開いた畳の間(神の部屋)の襖の隙間から、その様子をうかがってる。

 その様子。

 神が…めっちゃ腹筋してる!!


 うちに帰って来ても、ぜんっぜんトレーニングしてる様子なんてなかったのに。

 今日は俺が帰った10分ぐらい後に、汗だくの神が帰って来て…


「…あれ?走って来たの?」


「ああ…つーか、走って帰って来た。」


「…どこから?」


「…さあ。適当に歩いて出かけてた所から。」


 そう言ってシャワーして…

 俺がカレー作ったら、それを一緒に食って…

 瞳ちゃんが帰って来た時は…確か腕立てをしてた気がする。

 で、今は…腹筋…と。


 これって、またシャワーに行く感じだよね。

 なんで急に?

 何かしてないと気が済まない的な感じなんだけど。

 何かあったのかな?



「瞳。」


 ふいに襖が開いて、神が瞳ちゃんに言った。


「えっ…な…何。」


「おまえ、アルバムにDeep Redのカバー入れるんだってな。」


「う…うん…」


「録ったやつ、今あるか?」


「…え…?」


 瞳ちゃんは俺の顔を見て、それからまた神を見て。


「あるけど…」


「聴かせてくれ。」


「……」


 また、俺を見た。


「…聴かせてあげたら?」


 俺がそう言うと、瞳ちゃんは。


「ちょっと待ってね。」


 部屋に音源を取に行った。



 …神、熱が戻りかけてるのかな?

 帰ってから、一度も神が音楽に触れない…って思ってたけど。

 今夜はどうしたんだろう?



「はい、これ。」


 瞳ちゃんがCDを手渡すと、神はそれをリビングにあるステレオにセットして…

 ヘッドフォンを付け始めた。


「えー!!ヘッドフォンで聴くの?みんなで聴こうよ。」


 神が首にかけてるタオルを引っ張りながら俺が言うと。


「ちゃんとブレスまで聴きてーんだよ。」


 神は…そう言いながらヘッドフォンをした。

 俺は少し唇が尖ったままなんだけど…


「……圭司。」


「ん?」


「…そっとしとこ。」


 瞳ちゃんがそう言って…


「…ん…」


 俺は、渋々…瞳ちゃんとリビングを出…

 るのかと思ったら。



「…神観察?」


 ステレオに向かってる神を、ソファーで並んで座って見る形に。


「だって、千里にヘッドフォンで聴かれるあたしの身にもなってよ。反応気になるわ。」


「う…た…確かに…」


 そんなわけで…

 俺達は無言で神の背中を眺めてたんだけど…


「……」


 たぶん、曲の後半部分。

 神…泣いてるのかな。

 瞳ちゃんもそれに気付いて…


「…部屋行こっか…」


 俺の腕に手をかけて、そう言った。


「うん…」


 神の事が気になったけど、そっとしておいてあげようか…って、リビングを出かけると…


「…アズ。」


 神が、ステレオの方を向いたまま言った。


「…え?」


「…あいつらのCD、持ってるか?」


「…あいつら?」


 俺が聞き返すと、隣で瞳ちゃんが肘打ちした。


 …あ、知花ちゃん達のか…


「うん。持ってるよ。」


 日本では発売されてないけど、俺は朝霧さんから買った。

 あのツインギターすごいもん。

 後輩だけど、勉強させてもらってる。


「…聴く?」


 ヘッドフォンを外しかけてる神に問いかけると。


「…ああ。」


 神はこっちを向かないまま、そう答えた。



「はい。」


 俺と神が話してる間に、瞳ちゃんが部屋から持って来てくれてて…

 それを神に手渡した。


「名盤よ。」


「…サンキュ。」


 そうして…俺と瞳ちゃんは神をリビングに残して、瞳ちゃんの部屋に入った。


「…神、大丈夫かな。」


「大丈夫よ。奮い立つ気で聴くんじゃないかな。」


「そっか…」


「…あたしの歌聴いて泣くなんて…意外だった。」


 瞳ちゃんは、そう言いながらも…嬉しそうだ。


「俺が知ってる限り…神が人の歌聴いて泣くなんて、初めてだよ。」


 うん。

 本当に。


「…千里…変わろうとしてるのかもしれないね…」


「……」


 ベッドに座って、瞳ちゃんの肩を抱き寄せる。


「瞳ちゃん。」


「ん?」


「俺…ずっと神の事…応援したいんだ。」


「…うん。」


「だから…もし、また神が歌うって言ったら、あいつと組んでいいかな。」


 俺がそう言うと、瞳ちゃんは目を丸くして。


「なんでそんな事聞くの?圭司と千里は絶対一生一緒だって、あたしは思ってるわよ?」


 そう言った。


「…瞳ちゃん、大好き。」


 顎を持ち上げて、軽くチュッとキスすると。


「…あたしも。」


 瞳ちゃんは、俺の首に腕を回した。


「…あのCD、一時間ぐらいあるよね。」


「…そうね。」


「…じゃ。」


 ゆっくり、瞳ちゃんを押し倒した。



 ずっと…神の事が気になって。

 俺だけが幸せになるのが、すごく…悪い気がして。

 ごめんね、瞳ちゃん。

 ずっと、二番目みたいな感じにしちゃってて。


 だけど、こんな俺の事…すごく解ってくれてる瞳ちゃんに…

 俺、メロメロだから。



 〇神 千里


 瞳がDeep Redの曲をカバーすると聴いた時は…

 へー。

 ぐらいしか思わなかった。

 だが、そのタイトルを聴いて…高原さんが、あの曲を誰かに歌わせるなんて…と思った。


 Deep Redの曲は、多くのアーティストがカバーしている。

 特に、海外アーティストが。

 だが…

 特定の数曲に関しては、高原さんが絶対的にカバーNGにしていて。

 誰も、あの名曲のカバーは出来なかった。

 瞳が選んだのは、その中の曲だ。


 さすが一人娘…

 特権を使ったな。

 正直…そう思った。


 だが…音源を聴いて、素直に涙が出た。


 All About Lovin' You


 瞳の歌には…愛があった。

 俺にないものだ。



 勢いで…知花の歌を聴く気になった。

 日本では発売されてないが…たぶんアズなら持ってると思って聞いたら…やっぱり持ってた。


 …ライバルと思いたくなかった。

 俺は半ば敵のようにさえ思ってしまっていたはずなのに、それさえ認めたくなかった。

 知花をライバルにしたくない。

 だが…本当は気付いてたよな。

 知花は、俺よりもずっとずっと才能があるって。



 事務所で流れているそれを聴いて…震えた事が何度かあった。

 だが、今は…気持ちが違う。

 あいつは…向こうで俺の子供を産んだ。

 相当な覚悟をしたはずだ。

 勘当までされてたなんて…

 どんなに辛かったか…



 俺が一人で腐って旅をしていた間。

 あいつは、闘ってたんだ。

 闘い続けてたんだ…。



 …何がライバルだ。

 俺は全然…あいつの足元にも及ばない。



 深呼吸をして、スタートボタンを押した。

 クリアトーンのギターのイントロ。

 そこから…全パートが加わっての、重い音。

 一気に鳥肌が立った。


 知花の歌は…初めて聴いた時よりもずっと…力のある声に聴こえた。

 そして、ハイトーンの伸びも…



「…ふっ…」


 つい、笑いが出た。

 こんなに歌える奴を…なんで俺は…認められなかったんだ?

 ライバルとして…いや、ライバル以上として。


 いつか瞳が言っていた。

 彼女を尊敬したら、歌を聴くのが怖くなくなった、と。


 …そうだな。

 本当に…そうだ。

 今は…ただただ、すげーなって気持ちと…


『あたしを歌わせるのは…千里だから』


 別れる時、知花が言った…あの言葉…



 全曲リピートして聴いてたら、朝になってた。

 必死で聴いてたせいか、肩にタオルケットがかけられてた事にさえ気付かなかった。

 ヘッドフォンを外した頃には、アズも瞳もいなくて。

 テーブルに『ちゃんと食べなよ!!』って、アズの走り書きと共にサンドイッチがあった。


 小さく笑いながら…アズと瞳の思いやりに感謝した。



 俺は…歌う。

 俺が俺でいるために。



 いつか…


 知花を…取り戻すために。

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