第22話 八月。
〇朝霧光史
八月。
俺達SHE'S-HE'Sは年明けに国内でもデビューする事になり、レコーディングを始めた。
ま、レコーディングと言っても…前もってアメリカで録音していたのもあるし、シングル先行かアルバムなのか決まってないだけに、実感がなくてゆったりした感じになっている。
センと知花と三人で、スタジオの前のベンチに座って話してると、東さんが知花に声をかけた。
…東さんと言えば…
TOYSのギタリスト。
…あ、元、か。
TOYSが解散したと聞いた時は、まさか…と、やっぱり…と。
どちらも浮かんだ。
東さんは神さんに一番近い存在と言える。
ここの所…少し気になる噂を耳にしていた俺にとって、東さんは話してみたい存在だった。
…気になる噂。
神 千里、行方不明説。
TOYSの解散後は新人のプロデュースを手掛けるという話も耳にしたが、神さんは、突然行方をくらませた。
親父に聞いても何も知らないとしか言わないし…
俺は内心ずっともやもやしていた。
帰国したら…会う事があるだろう。
消化できない気持ちは、そこで再燃するのか、それとも反対に鎮められるのか。
俺は少し期待していたのかもしれない。
どうしようもない想いが、どちらに動くのか。
神さんに会って…確かめたかったのかもしれない。
「セン君。高原さんが呼んでるよー。」
エレベーターから顔を覗かせたまこが、大声でそう言って。
「え。何だろ。ちょっと行って来る。」
「おう。」
センがエレベーターに乗ったのを見届けて…俺は知花と東さんが入ったスタジオに歩く。
さすがに二人きりでドアを閉めるのは気が引けたのか、ドアは開いたままだった。
知花がそうしたのか、東さんがそうしたのかは分からないが、俺には救いだった。
ドアの外で、息を殺して聞き耳を立てる。
「解散する時にね。神、初めて、俺に弱音を吐いたよ。何のために歌えばいいか、わからなくなったって。」
いきなり…意外な言葉が聞こえて来た。
神さんはいつもクールで、誰にも心の奥底の事は話さない人だと思っていた。
…彼も人間なんだと思うと…よりいっそう親近感が湧いた。
「神とさあ、ヨリ戻せない?」
少し…動揺した。
今更?
今更ヨリを戻してどうする?
少し苛立つ気持ちが湧いた所で、知花が言った。
「…歌わない彼に、魅力なんて感じませんから。」
………本音か?
…いや、そんなはずはない。
向こうで一緒に暮らしていた時…知花は忘れたつもりでいたのだろうが…
片時も神さんを忘れた事などなかったはずだ。
アパートの窓から見える夕陽を、子供達と見ていた時も。
静かに降り積もる雪を眺めていた時も。
知花は…常に神さんを心のどこかに置いていたはずだ。
…隣にいたのが俺でも。
「…そうだよねえ。ごめんね、こんな話しちゃって。」
「いいえ…」
「もし、神に会ったら知花ちゃんの口から、歌えって言ってやってくれないかな。」
「……はい。」
…どこか…
胸のずっと奥のどこかが疼いた気がした。
知花の口から、神さんに…歌え…と?
知花は、言うだろうか。
そして、神さんは…
知花にそう言われたら…
歌うのだろうか。
〇神 千里
九月。
TOYSが解散して…四ヶ月か。
その間に俺は…
新人プロデュースの話が出たものの、高原さんに楽曲をダメ出しされて。
…あれ以来、事務所に行っていない。
それどころか…
瞳とアズと三人で暮らしていたマンションにも…戻ってない。
あいつらが付き合い始めて、邪魔だと思って帰らないわけじゃない。
ただ…何となく、現実と向き合うのが嫌なだけだ。
最初はタモツの実家に行った。
三日間、泊まらせてもらった。
タモツの親も交えて…懐かしい話をしつつ飲んで。
転職した会社の話を聞いたり。
タモツが仕事に行ってる間は、おふくろさんが通ってるという書道教室に付き合ったり。
晩飯の買い物にも付き合った。
それが酷く非現実的で、俺には新鮮かつ最高の現実逃避になった。
若い男を連れてどうしたのかと、顔馴染みの人達にからかわれたタモツのおふくろさんは。
「息子の自慢の友達でね~。」
と、自分の自慢でもあるかのように…大袈裟にそう言ってくれた。
次は、マサシの家に行った。
マサシは音大目指して勉強中で、出掛ける事がなかったからずっと一緒に家に居た。
親は共働きで、昼間はマサシの作った炒飯や焼そばを食った。
三日間居て、マサシの器用さを随分知った。
二人とも、俺と二人きりになる事なんて今までなかったからか…
最初は酷く緊張していたが。
帰る頃には『もう少し居ていいぜ?』と言ってくれた。
…嬉しかった。
それからは…本当に行き当たりばったりの旅に出た。
音楽の事は考えたくなかった。
クビになるかなー。と思ったが、その時はその時だ。
四人の兄貴達の誰かに会いたい気もしたが…そうすると、ずっと甘える気がしてやめた。
別に自分を戒めるつもりの旅じゃないが、少し自分を追い詰めたかった。
…高原さんに、熱がないと言われた。
熱って何だよ。
それって、みんな持ってんのかよ。
…胸に来るものがない。
そう言われた時、今まで感じた事のない痛みが走った。
がむしゃらに作っただけの楽曲だったかもしれない。
何かに焦っていたのは確かだ。
TOYSが解散して…俺には何もなくなったと思った。
何のために歌えばいいのか…分からなくなった。
だが、何かを始めないと。
焦りだけが…俺の中にあった。
…ちっせーな。俺。
音楽の事…そして、知花の事を考えない旅。
そう決めていたのに…
景色のきれいな場所に出くわすと、知花を思い出した。
三日月湖で、目を輝かせた知花。
あまり出かけた事がないのかもしれない。
あんな場所でさえ、あれだけ目をキラキラさせて…
そう思うと、今、隣で…この景色を見せてやりたい…なんて、つまらない事を思ってしまって…笑った。
もうとっくに終わってるって言うのに…
なんだって俺は…こんなに引きずってんだ?
そう気付いてからは、絶景ポイントは外して旅を続けた。
ただの繁華街を歩いたり…ひたすら電車を乗り継いだり…
食う事に執着がない分、数日は飲み物だけでも過ごせた。
気が付いた時は随分南に来ていた。
着の身着のまま出て来て…適当に服を買って着替えて…の繰り返しで。
一ヶ月経った頃には、今までの俺とは全く違う格好をしていた。
これも現実逃避か。
神 千里でいなくていい。
もう、神千里はいなくていい。
そう思えたのかもしれない。
…気楽だった。
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