第21話 「…緊張してる?」

 〇早乙女千寿


「…緊張してる?」


 隣で、世貴子が笑った。


「…してるさ。」


「あんなに大観衆の前でライヴしたのに?」


「あれとこれじゃ内容が違うだろ。世貴子は?」


 俺が世貴子を見下ろして言うと。


「緊張?してないよ?」


 世貴子は…リラックスした笑顔。


「…さすが世界一の女…」


「だって、畳の上だと一人だけど、ここにはセンがいるから。」


「……」


 聖子のお母さんの作品だという、少しラフなウエディングドレスの世貴子は…いつもより少しだけ背が高い。


 今日は…俺と世貴子の、ささやかな結婚パーティー。


 出会って一ヶ月でプロポーズなんて…本当、自分でも驚いた。

 世貴子のご両親は、今もどこか夢のように思っているらしい。


 それは…俺もなんだよな。


 プロポーズしたのはいいけど、俺はその翌月には渡米したし…

 世貴子はオリンピックに向けて合宿に入ってたから、連絡も思うように取れなかった。


 不思議な事に…あれだけ離れていて、連絡も取りにくい状況にあっても。

 俺達はお互い、不安な気持ちにはならなかった。


 …すごいよな。


 オリンピックで優勝したと言うのに、世貴子は優勝会見であっさりと引退を表明した。

 色々報道されたけど、世貴子はどれも笑顔でかわしている。


 一昨日は、両家で食事会をした。

 写真も撮りに行った。

 久しぶりの着物は、ここ数年の音楽漬けの俺を…昔の早乙女千寿に戻した気がした。

 …悪い気はしなかったが、あれだけしっくりきていたのに…少し窮屈に思えた。



 今日のパーティーは本当にささやかな物。の、はず。

 今は迎え入れてもらえているが…俺は一度勘当を言い渡された身。

 あまり大げさな式は気が引けるが…

 世貴子的には、ちゃんとした披露宴をした方がいいんだろうかって悩んだけど、世貴子は…


「あたしは別に…こじんまりしてるぐらいがいいかなあ。」


 そう言った。


 だけど、一人娘の結婚式だし…ってご両親に渋られるかと思いきや…


「私達とは会食もある事だし、お友達と楽しいパーティーをすればいいよ。」


 …あっさり。



 そんなわけで、今日はSHE'S-HE'Sのメンバーがプロデュースしてくれたパーティー。

 最初は普段着で~なんて言われてたのに…


「世貴子さんのドレス姿、見たくない?」


 と聖子に言われて…


「センのスーツ姿って、世貴子さんにどう映るかな。」


 と光史に言われて…

 結局…ちょっと小洒落た格好になってしまった。


 …実際、世貴子のドレス姿は…とても可愛くて。

 俺的には、これだけでも大満足。



「…ん?」


 世貴子が俺を見てる事に気付いて、首を傾げる。


「…セン、着物も似合ってたけど…」


「けど?」


「…スーツも、似合うのね。」


 …光史、サンキュ!!


「…世貴子だって、めちゃくちゃ可愛い。」


「…ほんと?」


「ああ。」


 本当に。

 ピンクの小さなバラを耳の上に飾って…

 白いドレスは膝上丈だけど、レースが印象的な上品な物。



「お化粧が落ちる前に、写真撮ってもらえるかな。」


「中に入ったら頼んでみよう。」


「…パーティーだよね?」


「ああ。」


「…あたし、歌わされたりするのかな…」


 不意に世貴子が不安そうに言った。


「世貴子が?なんで?」


「…ううん…」


「…俺も…変な事させられないよな…」


「変な事?何?」


「…いや…」



 このドアの向こうに、どんな事が待ち受けてるのか…

 なんて言うか…

 すごく楽しみなんだけど…


 不安もあるのは、なぜかな。



 〇二階堂 陸


 おそらく…

 ドアの向こうで待機してるセンと世貴子さんは、中がどんな事になってるか…不安だろうな。


 帰国する時、飛行機の中でセンの隣だった光史が。


「…セン、パーティーの事なんだけどさ…」


「ん?」


「気を付けろよ。陸の奴、センに変な事させるって言ってたから…」


「…へ…変な事…?」


「ああ。世貴子さんに幻滅されちまえばいいのにって言ってた。」


「……」


 誰がそんな事言うかよ。

 そう思いながら、光史の言葉を聞いた。


 そして、最初はドレスを着ないって言ってた世貴子さんに。

 聖子が『うちの母が作ったドレス着てみない?』って、七生家に誘った。

 その時…


「ねえ、世貴子さんて歌好き?」


「…え?うん。」


「うちのバンドの曲とか、聴いてる?」


「もちろんよ。好きな歌、たくさんあるわ。」


「じゃあさ…うちのバンドの曲で、何か歌えるのある?」


「えっ、無理無理。あんな高い声出ないもん。」


「そっかあ…じゃ、何でもいいから何か得意な歌は?」


「…ど…どうして、あたし?」


「え~?それは内緒だけど…世貴子さんの歌、聴いてみたいなと思って。」


「……」



 聖子が言うには、世貴子さんは顔面蒼白だったらしい。

 …歌は好きでも得意そうには見えないもんな。(失礼)


 結局…

 色々企んではみたものの、普通にアットホームで幸せな雰囲気のパーティーにしようって事になった。

 不安がらせておいて、蓋を開けたら普通だった…って感じだな。


 今日の会場は…本当は二階堂の者しか使えないホテルのレストラン。

 世貴子さんがオリンピックで優勝したから、メディアは彼女をほっとかない。

 だけど、何とか…騒がれずに祝いたい。

 そんなこんなで…

 環が動いてくれた。


 ま…そこは…センには、伏せてるんだけど。



「準備いい?」


「じゃ、ドア開けるね。」



 聖子と知花がそう言って…内側からドアをノックした。

 二人には、ノックが入場の合図だと前もって言ってある。


 ドアが開いた瞬間、二人は…


「…えっ…?」


 目を見開いた。

 まずそこには…親族が並んで立ってるからだ。


「え…え?なんで…?」


「いいから早く、席に着きなさい。」


 世貴子さんのお父さんが、手にしていたブーケを世貴子さんに渡した。



 二人の親族は…一昨日食事会をしたと聞いた。

 だけど俺達は…どうしても、このパーティーに出席して欲しくて、無理を言って都合をつけてもらった。


 ただ一人…

 センのおふくろさんだけは、どうしても外せない席があると言う事で…欠席されている。



 特にプログラムがあるわけじゃない。

 二人が席に着いた所で、センの親父さんがシャンパングラスを持って。


「SHE'S-HE'Sの皆さん、これからも千寿の事をよろしくお願いします。」


 そう言って…


「こんな風に…仲間から大事にされてる千寿君と結婚出来るなんて…うちの娘は幸せ者です。」


 世貴子さんの親父さんも、シャンパングラスを手にした。


「今日は堅苦しい事はなし!!乾杯しましょ!!」


 聖子がそう言って…みんな笑顔で乾杯をした。



 ドレスアップしたノン君とサクちゃんが、二人の口にチョコレートを運ぶ姿に癒されたり…

 センのお祖母さんが、シャンパンをグイグイ飲む姿にセンが大笑いしたり…

 俺がギターを持った所で『あたし…歌えないよ…?』って言った世貴子さんに、聖子が『ごめんごめん!!』って種明かしして、みんなで笑ったり…


 すごく楽しい時間が流れた。



「じゃ、ここで…みんなを代表して、陸ちゃんからお祝いの言葉を。」


 パーティーが始まって一時間が過ぎた頃。

 突然、聖子がそう言った。


「は?」


 な…なんだそれ!!

 聞いてないし!!


「…おい。俺にサプライズはいらねーだろ。」


 俺が眉間にしわを寄せると。


「めでたい席だぜ?笑顔でいけよ。」


 光史が俺の背中を叩いた。


「……」


 くそっ。

 何なんだこれは。


 と思いながらも…俺は襟を正して立ち上がった。



「えー……」


 立ち上がったのはいいが…言葉が浮かばない。

 センと世貴子さんは、笑顔で…俺を見てる。


 んー…困った。

 何を…



「…センとは…中等部の時は喋った記憶がない。」


 俺は、そう言って、グイッとシャンパンを飲み干して…続けた。


「だけど、高等部に入って…思いがけず…喋ったっつーか、まあ…度の過ぎたスキンシップみたいなのを…」


「おまえが一方的にな。」


 光史が隣で笑いながらツッコミを入れた。


「…センは…名家の生まれで、俺らとは縁がないような人間で…なのに思いがけず関わってしまって…」


 そうだ。

 織と出会ってしまったセン…

 あれからじゃねーのか?

 おまえの…人生が、大きく変わったのって。


 あのまま織と出会わなければ…おまえ、茶道家元の道をまっしぐらだったよな。

 それはそれで、たぶんおまえに合った人生だったと思うぜ…俺は。


 なのに…

 織と出会って…海が生まれて…

 俺達とも…関わって…



「……」


「陸?」


 センが、黙った俺の顔を覗き込んだ。

 …余計な事は言うなよ?って顔か?


 言うかよ。

 言わねーけど…


「…正直…お坊ちゃんにギターなんか弾けるかよって、バカにしてた部分があった。でも…」


「……」


「今は…俺の隣でギター弾いてるのがセンで…最高だなって思うし…」


 頭の中に、色んな事が浮かんでた。


 センをボコボコに殴ってしまったあの日。

 センは…殴り返そうとすれば出来たはずなのに…

 殴られっぱなしだった。


「…一生…俺の隣でギター弾いててくれよって…思う…」


 なんだろーな。

 泣けてきた。

 めでたい席なのに。


 見ると、まこが号泣してて、それにつられて知花も泣いてて。

 泣いてる知花を心配そうに見上げるノン君とサクちゃん。


 あー…わりぃな。

 俺、場の空気を冷やしきったか。



「…俺は…」


 突然、センが立ち上がった。


「俺は、知花にスカウトされて…ミーティングに行った時、陸が来たのを見て…来るんじゃなかったって思った。」


「……」


「こいつと、バンドなんか出来るかよって…」


 センは…らしくない顔をしてた。

 眉間にしわを寄せて。

 いつも穏やかな顔してるのに…険しい。



「…だけど、先にもらってた音源が…とにかく…凄すぎて…」


 隣で、光史が小さく鼻で笑ってうつむいた。


「…刺激された。誰が…どんな奴がこれを弾いてるんだろうって…ワクワクした。」


「……」


「どうしても…ギタリストになりたかった。だから…この際…好き嫌いなんて言ってる場合じゃないって…」


 …何だよ。

 おまえ、根に持ってやがったな?

 …って、俺も…十分そうだったけどな…


「…だけど意識してて…なのに…スタジオで普通な顔してる陸見てると……救われた気がして…」


「…初めて合わせた日、お坊ちゃん、こんなに弾けんのかよって…驚いた。」


「…ようこそ我がバンドへって…言ってくれたの……嬉しか………」


 センが左手で口元を押さえると。

 隣の世貴子さんが…優しい顔でそれを見上げて…センの背中に手を当てた。

 俺は歩いてセンの隣に行くと。

 ガシッ…と…センを抱きしめて。


「…幸せんなれよ…マジで…」


 耳元で…言った。


「…ありが…と………ん?」


 センの声につられて下を見ると…

 俺とセンの足に、ノン君とサクちゃんが抱きついてる。


「……」


 二人は俺達を見上げて、唇をへの字にして首を振ってる。


「…泣くなって?ははっ。そうだな。めでたい席なのに、悪かったよ。」


 俺はそう言って、ノン君を抱えた。

 同じように、センがサクちゃんを抱える。


「…今日は本当に…おめでと。世貴子さん、センの事、頼みます。」


 俺がそう言うと、世貴子さんは…


「最高に…いい日。陸くん…ありがとう…」


 すごく…いい笑顔を見せてくれた。



 〇朝霧光史


 思いがけない陸とセンの抱擁に、俺は必至で泣くのを我慢した。


 …それにしても、セン…嫌だったんだな…やっぱ。

 複雑な顔してたもんな。

 あの夜…ダリアで会った時。


 気が付いたら、親族の皆さんも…酒の力のせいか、泣いてたようで。

 陸は場を冷えさせたって言ってたが、ある意味盛り上げたよな。


 その後、まこのピアノで、知花と聖子がハモって『てんとう虫のサンバ』を歌った。

 結婚式では定番の『口づけせよとはやしたて…』の部分で活躍したのは、ノン君とサクちゃんだった。

 あのフレーズになると、二人が誰かの頬にキスをすると言う事で、みんなが体勢を低くして二人の唇を待ったが…

 意外な事に、二人はセンのお祖母さんのそばを離れなかった。

 それについては、知花のお祖母さんと雰囲気が似てるからだろうとの事だったが…

 二人の唇に出会えなかった面々は、お祖母さんを羨ましそうに眺めるだけだった。



「この歌なら、一緒に歌えるかも。」


 そう言って、途中から世貴子さんも参加して。

 そうなると…お酒の入ったセンが世貴子さんの頬にキスをして、お祖母さんから『人前で!!』と叱られて。

 それを『まあまあ』と、なだめるセンの親父さんは…

 センの幸せそうな笑顔に…優しい顔をされた。



 …羨ましかった。

 見つめ合う、センと世貴子さん。

 誰かを愛しいと思える事。

 その、ただ一人を…人生の伴侶として誓える事。

 …俺は、人を愛せても…その人から愛されない。


 空しい…



「こー。」


「……」


 一人でブルーな気持ちになってると、足元にサクちゃんが来た。


「…ねんね。」


 サクちゃんは俺を見上げて、両手を差し出した。

 …その姿を見て…ホッとした。


 誰かを…愛したい。

 守りたいと思える誰かが…欲しい。

 だけど、誰でもいいわけじゃない。


 神さんへの気持ちを、いまだ消化出来ないまま…

 俺は…



「あっ…ごめん光史。咲華、こっちおいで。」


 サクちゃんを膝に乗せて眠らせてる所に、知花が気付いてサクちゃんを抱えようとした。


「いいよ。もう寝てるし。」


「光史暑くない?」


「平気だよ。」


「ごめんね…」


「寝床に選ばれて光栄だぜ?」


「…ありがと。」



 知花と居ると…錯覚する。

 神さんに…近付けてる…と。

 彼の知らない、彼に近い存在を…俺は大切にしているという…屈折した優越感に。


 俺は…束の間だが、満足した。

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