第20話 「光史、本当に…色々ありがとう。」

 〇朝霧光史


「光史、本当に…色々ありがとう。」


 部屋の掃除を終えた知花が、俺に深々と頭を下げた。


「何言ってんだよ。俺も随分助けられたし…お互い様って所だろ。」


 事実…そうだった。

 知花にも、ノン君にもサクちゃんにも…癒された。

 ずっと、俺に足りなかった物だと思う。

 誰かに…癒される事。


 もしかしたら、知花の中に…子供達の中に…神さんを見ていたからだとしても…

 それは本当に、俺の支えにも力にもなった。



「あー。」


 サクちゃんが俺の足に抱きついた。


「…帰ったら一緒に居られないなんて、寂しいな。」


 そう言いながら、サクちゃんを抱っこする。

 帰国したら…知花は桐生院に戻る。

 こうして、サクちゃんを抱きかかえる事も…なくなる。


 神さんに…どころか、二人の存在を知ってるのは朝霧さんと高原さんだけ。

 その高原さんにも…つい先日、ロクフェスの成功と帰国前のパーティーで、朝霧さんに勧められた事もあって打ち明けた…と、知花が言った。

 だから、当然…事務所に連れて来るなんて事はないだろう。


 …子供達に会えなくなるのは…本当に辛い。

 そう思うと、こんなに可愛い子供達の存在すら知らない神さんを、かわいそうに思った。



「…サクちゃん、俺の事覚えててくれるかな。」


 サクちゃんの頬を触りながら言うと。


「そんな、一生の別れじゃないんだから…」


 知花は小さく笑った。



 帰国しても、一緒に暮らさないか?

 そう…言いたい気持ちを飲み込んだ。


 聖子に聞いた。

 知花は…ずっとぎくしゃくしていた家族と…

 ノン君とサクちゃんが生まれたおかげで、絆が出来た…と。

 その家族は、きっと…知花達の帰りを待ってる。



「サクちゃんが二十歳になった頃に俺が独身だったら、結婚してもらおうかな。」


 俺が笑いながら言うと。


「聖子のお姉さんも年の差婚するみたいだし、違和感はないけど…」


 知花は俺とサクちゃんを見ながら。


「あたしの事、お義母さんって呼ぶの…?」


 そう言って、真顔で首を傾げた。


「……」


「……」


「…ぷはっ。呼べねーな。」


「だよね。」


 俺達が三人で笑ってる間も、ノン君はずっとソファーで眠ってる。


「よく寝るなあ、ノン君。」


「安心しきってるよね。」


 二人でノン君の寝顔を覗き込むと。


「…ねんね…」


 サクちゃんが目を擦った。


「咲華も眠くなったかな。」


 知花が手を伸ばす。

 すると、サクちゃんがおとなしく知花の腕に。


 …結婚もしていないクセに…

 それ以前に…

 男しか好きにならないクセに…

 こうして、俺のそばで安心してくれる誰かの存在が離れて行くのが、とてつもなく…



 …寂しかった。



 〇桐生院貴司


「ねえ、父さん。スコップは何色にする?」


「男の子と女の子だから、やっぱり青と赤が良くないか?」


「でも、こっちの緑とピンクのセットも可愛いよ?」


「う…うむ…そうだな…」


「もう、全然決まりゃしないじゃないですか。」


「じゃあ、おばあちゃまが選んでよ。」


「…縁起物として、赤と白がいいんじゃないかい?」


「紅白…」



 今日は、家族で買い物に出かけている。

 と言うのも…明後日、知花達が帰国する。

 華音と咲華もだ。


 楽しみでならない我が家全員は…ただ広いだけの芝生の裏庭に、遊び場を作った。



「買い過ぎたかなあ?」


 家に帰って、買った品々を並べながら誓が言った。


「えー、でもすぐ大きくなっちゃうもの。」


 そう言いながら麗が子供服を広げて見せる。

 もっと早くから色々買い足したかったが、子供達の成長に合わなくては意味がない…と、今日まで我慢した。



「ノン君とサクちゃん、可愛くなってるだろうな。楽しみ。」


 麗は…一時間置きぐらいに、この言葉を発している。

 いつか、知花に聞かせてやろうと思った。



「ねえ、明日学校休んじゃダメ?」


 私は、麗が母に言っている言葉に耳を疑った。


「何を言っているのですか。学校はちゃんと行きなさい。」


「だって、お昼に帰って来るんでしょ?」


「えー、僕も休みたいよ。」


「ほら、誓も休みたいって。みんなで空港まで迎えに行こうよ。」


「ダメです。」


「おばあちゃま~。」


 三人に背中を向けたまま、私は笑いを堪えていた。

 まあ…麗は知花に会いたいと言うより、双子に会いたいのだろうが…それにしても、学校を休んでまで…


 休ませてやりたい気持ちはあるが、そこはぐっと堪えた。


「授業が終わって、まっすぐ帰ればいいだけだろう?」


 駄々をこねる二人に言うと。


「え~、お父さんまで~…」


 麗と誓は同時にそう言って唇を尖らせた。

 …こうして見ると、双子らしいもんだ。

 誓はにこやかで、麗はずっと冷たい顔をしていたが…

 ここの所、麗も表情豊かだ。


 子供と言うのは…力があるのだなと思った。



 翌日、渋々学校に行った麗と誓。

 実は私も…休みたい気持ちはあったが、子供達の手前…仕事に行った。

 知花は空港から事務所の車が自宅まで送ってくれるとの事で、母も家でそれを待つ事にした。



「…社長、今日はもうお帰りになられますか?」


 時計が正午を過ぎた頃、突然辻さんがそう言った。


「え?どうして。」


「今日は朝からずっと時計を気にしてらっしゃいます。お嬢様が帰国される日でしたね。」


「……」


 無意識だったが…辻さんには敵わない。


「…私が帰っても大丈夫ですか?」


 首を傾げて問いかけると。


「私と深田でどうにか出来る事ばかりです。数日お休みになってはいかがですか?」


「……」


「たまには家業の方にもお戻りになって、こちらは人に任せる事も覚えて下さい。」


 …全く、辻さんには敵わない。


「…そうですか。じゃあ…お言葉に甘えて、辻さんと深田に頼る事にします。」


「お任せください。」



 一時前に家に戻ると…


「おや、貴司…会社はどうしたんですか。」


 母が、怪訝そうな顔で言った。


「辻さんが帰っていいと言ったので…」


「…次は誰が帰って来るかしらね。」


 母はそう言いながらも、ソワソワと廊下を行き来する。



「…お茶でも入れましょうか?」


 私がそう言った瞬間…


 ピンポーン


「…誰かしらね。」


「知花じゃないですか?」


「自分の家なのに、インターホンを?」


「…一度勘当してしまいましたから…」


「……」


 母は平静を装いながらも、少し早い足取りでインターホンに向かった。


「はい。」


『…あ…知花です。』


「…はい。おかえり。」


 母は門の横にあるドアのロックを解除して。


「貴司、迎えに行きましょう。」


 着物の裾を、軽く捲った。



 そんな母を見て…私は笑った。



 〇桐生院 誓


「はっ…はっ…は…はあ…」


 走って走って、僕がようやく家に帰りついたのは、三時半を少し過ぎた頃だった。


「ただいまー。」


「あ、誓。おかえり。」


 急いで靴を脱いでると、姉さんが玄関まで出て来てくれた。


「あっ、姉さん!!おかえり!!」


 一年ぶりの姉さんに、嬉しくなった。


「麗は帰ってる?」


「ええ。」


「あいつ、六限目サボったんじゃないだろうな…」


「まさか。」


 姉さんと話しながらリビングに向かうと…


「…あれ?父さんも帰ったの?」


 ノン君と遊んでる麗と、サクちゃんを抱っこしてる父さんがいて。


「もう、いつもこれぐらい早い時間に全員が揃うと、色々楽なんだけどねえ。」


 おばあちゃまが、そう言ってお茶を運んだ。


「あっ、羊羹…食べたかった…」


 姉さんがそう言って、おばあちゃまが出した羊羹を前に笑顔になる。

 すかさずノン君とサクちゃんも興味津々で、テーブルに集まった。


「わー、歩いてるんだ…写真で見てはいたけど…目の前で見ると感動だな~。」


 僕が二人の前に腰を下ろすと。


「華音、咲華、この人誰だっけ?」


 姉さんがそう言って、二人は僕の顔を見て…


「ちー。」


 僕を指差して…同時に言った。


「えっ!!僕の事覚えてるの!?」


「写真見せて覚えさせてたの。あ、美味しい…これ、窪田の羊羹?」


「そうですよ。」


 …僕は、感動してた。

 僕の名前を呼んでくれたノン君とサクちゃんにも…

 そして…

 窪田の羊羹って、朝早く行かなきゃ売り切れちゃうんだけど…

 おばあちゃま、いつ行ったのかなって。



「麗の事は?呼んでくれた?」


「…呼んでくれたわよ?」


 僕の問いかけに、麗は微妙な顔をした。


「あ~…『ら』が難しくって…」


 姉さんが目を細めながら、苦笑い。

 …そうだよね。


「ノン君、サクちゃん、う・ら・ら・ちゃんよー。」


 麗が二人にそう言うと。


「う!!や!!や!!」


 なぜか二人は万歳をしながらそう言って。


「あははは!!違うけど可愛いからいいや~!!」


 麗が…悶絶してる。

 父さんはそんな麗を見て…笑いを我慢してるみたい。

 あ…おばあちゃまもだ。



「姉さん、庭見た?」


「うん。すごいね…なんか、申し訳ないや。」


「どうして?」


「だって…せっかく綺麗な芝生があったのに…」


 姉さんが首をすくめると。


「僕達がのびのび遊べるんだから、いいんでちゅよー。」


 麗がノン君の手を持って、腹話術みたいにして言った。

 そうされたノン君は、嬉しそうに笑う。


「…そっか。嬉しい。ありがとう…みんな。」


 姉さんは少し涙ぐんだけど…


「…なんか、すぐ泣くって、年寄りみたいだからやめてよ。」


 麗の、久しぶりの毒舌。


「ふふ…うん…そうね…」


 その麗の毒も嬉しかったのか…

 姉さんは、すごく…笑顔になった。


 姉さんが笑顔になると…嬉しいや。


 おかえり、姉さん。

 これからは…

 ずっと家族みんな一緒だよ。



 〇七生聖子


「みんな、時差ボケ大丈夫?」


 あたしがそう言うと…


「約一名、撃沈寸前がいるな。」


 光史がまこちゃんを見て言った。


「…まこちゃん、横になったら?」


 知花がそう言うと。


「う…うん…お言葉に…甘え…」


 まこちゃんは、広ーいリビングの端っこにある、少し低めのソファーに横になってすぐに落ちた。



 昨日帰国したばかりなんだけど…今日は、光史の家に集合。

 あ、セン以外ね。

 なんたって、今日はセンの結婚パーティの打ち合わせなんだもん。

 あたし達のプロデュース。


 もう大体はアメリカで決めて、こっちの会場となる場所と打ち合わせも出来てるんだけど。

 さらに、何かサプライズしたいよねって。


 光史んちなら、あたしも真向いだし。

 知花の事情を知ってる朝霧さんが、家族に話してくれたから…って、朝霧邸に。


「どうしよう…可愛くてたまらない…」


 知花の子供達も、同伴。

 るーおばちゃんがメロメロになってる。


 センは跡継ぎだったのに家を出てるからって事で、あまり大きな事はしたくないみたいなんだけど…

 お嫁さんになる人が、オリンピック柔道で優勝した人だし。

 ちょっとそれは無理なんじゃ?って誰もが思ったんだけど。


 お相手の世貴子さん。

 あっさり引退しちゃったんだよね…

『普通の女の子に戻ります』って。


 本当に柔道選手!?って思うような、きゃしゃな人なんだけど。

 セン曰く…美しい筋肉の持ち主らしい。


 知花が『いつ見たの?』って真顔で問いかけて、センが真っ赤になったりして…

 あの時は笑ったなあ。

 真っ赤になったセンにも、天然な知花にも。



 光史のお母さんがノン君とサクちゃんの相手をしてくれてて、あたし達がコソコソと色んなプランを立ててると。


「おっ、日本で見るとまた違うて見えるな~。」


 ん?なんでこんな時間に家に居るの?

 たぶん、みんなそんな顔をした。

 おじちゃ…朝霧さん…(本当は言い慣れない)普段なら事務所に入り浸ってる時間帯だよね。



「な?言うた通り、可愛いやろ?」


 朝霧さんは、そう言ってノン君とサクちゃんの頭を撫でる。


「もう一人いくか?」


「もう、やめてよ。」


 そして、これ見よがしみたいに…イチャイチャ…



「…今日、ノン君達も来るって言ったから…帰って来たのかな。」


 光史が小声で言った。


「向こうでも、孫みたいに可愛がってたもんな。」


 陸ちゃんも、首をすくめて言った。


「…本当、みんなに可愛がってもらえて…幸せ。」


 知花は、そんな光景を見て…目を細めた。

 あたしまでがジーンと来たけど…


「…頼むから、あの子達が大きくなっても『俺がオムツ換えてやったんだ』なんて言わないでやってね。」


 あたしは、光史と陸ちゃんに言う。

 うちのメンバーは、みんな二人のオムツ交換を経験した。


「なんで。大きくなった頃に一度は言いたいもんだよなあ。」


 陸ちゃんがそう言ったけど…


「聖子がこんくらいの時、オムツ換えたったで。」


 朝霧さんがそう言って…


「もう。会うたびに言うのはやめてあげて。」


 るーおばちゃんが、朝霧さんの背中を叩いた。

 あたしが目を細めると。


「……」


「……」


「……」


 光史と陸ちゃんと知花はあたしを見て。


「…分かった。言わない。」


 陸ちゃんは、少し笑いながら…そう言った。



 〇高原 瞳


「…神、どこ行っちゃったのかな…」


 圭司が溜息をついた。


 千里が…あの日以来、帰って来ない。

 あの日…よ。

 あたしと圭司が、リビングのソファーで裸で抱き合ってたのを見られた日、よ。


 何となくだけど、うちに帰って来なくても、事務所に行けば会えるって思ってたから…

 あたしは、圭司との結婚が決まったって、千里に一番に言いたくて。

 それは圭司も同じだったみたいで…

 パパと三人で施設から帰ったその足で、事務所で千里を探した。


 だけど…どこを探してもいなかった。

 館内放送で捜索願的な感じで探してもらったけど…

 それでも見つからなかった。

 マンションにも帰った形跡無くて…


 そしたら、圭司が…


「…もしかして…昨日の…」


 って、つぶやいた。


「昨日のって何よ…あたし達の…?」


「違うよ。昨日…さ…会議で、神…高原さんに…」


「…え?」



 話を聞いて、驚いた。

 パパがみんなの前で、千里にダメ出ししたって…


 パパは千里を可愛がってる。

 すごく期待してるし、自分を超えて欲しいって思ってるんだと思う。

 だから、今の千里が歯がゆいんだよね?

 分かるけど…



「それで千里…帰ったら帰ったで…あんな場面に出くわして…」


 あたしがつぶやくと、圭司は小さく『あちゃー』なんて言いながら、頭を掻いた。


「千里が飲みに行くって言った時、ついて行けば良かったのに…」


 今さらだけどそう言うと。


「だって、瞳ちゃんと一緒に居たかったんだもん。」


 圭司はさらっとそう言った。


「でも…千里の事、心配だったでしょ…?」


「心配だったけど、神は男だし…どうにかするって思ったし。瞳ちゃん…アルバム制作が決まった日だったから、ずっと一緒に居てあげたかったんだ。」


「……」


 …やだ。

 圭司って…

 すごく優しいじゃん!!

 あたし、どうして今まで気付かなかったんだろう!?



「お祖父さんの所に帰ってるかなあ…」


 圭司が顎に手を当ててつぶやいた。


 あの日から一週間。

 いまだに千里は姿を見せない。


 …あたしが知る限り…

 千里には、圭司以外に友達はいないと思う。

 まあ、タモツとマサシもいるけど…

 こんな時に彼らを頼るとは思えない。

 お祖父さんち…


「…勘当されたって言ってたよね?」


「だよね…」


 知花ちゃんと離婚して、勘当されたって。

 なんで離婚で勘当なんだろって思ったけど、立派な家柄だとそういうのもあるのかなって勝手に思った。



「はあ…大丈夫かな…神…」


 心配してるし、落ち込んでる圭司。

 そんな圭司を見てると、連絡もして来ない千里に少しイラッとした。


「…その内帰って来るわよ。」


 あたしは、そう言うしかない。

 うん。

 男なんだから…奮い立って欲しい。

 願いも込めて…



「ほっといてあげましょ。考える時間が必要なのよ。」


「…そっかな…」


「それより、新居どうする?」


「あっ、それだよね。うん。」



 …千里のバカ。


 もっと…

 圭司やあたしに…

 頼りなさいよね。


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