第14話 「…さくら、最近元気がないな。どうした?」

 〇森崎さくら


「…さくら、最近元気がないな。どうした?」


 窓の外を眺めてると…なっちゃんが、あたしの髪の毛を撫でながら言った。


 …ごめん…なさい…


 謝りたくても…怖くて何も言えなかった。



 あたし…

 なっちゃんじゃない人と結婚して…

 なっちゃんとの赤ちゃんも…死なせてしまって…

 …なっちゃんに内緒で…赤ちゃん産もうとした…罰なのかな…


 それとも…

 貴司さん…

 お義母さん…

 いい人達だったのに…

 騙したりした罰なのかな…



 あたし…

 あの後、どうしたんだっけ…

 思い出したいけど…分かるのは…

 あの、桐生院家の…広い庭。


 桜の花…

 ピンクのチューリップ…



 あたしは…貴司さんを愛したのかな…?

 結婚したのに…

 それさえも思い出せない。



「さくら。」


 あたしの頭を抱き寄せて…なっちゃんが耳元で言った。


「なかなか仕事が落ち着かなくて…留守にしてばかりですまない。」


「……」


 いいんだよ…なっちゃん…

 そんな事…気にしないで。

 あたし…寂しいって思う…資格もないよね…



「さくら…」


 なっちゃんが…あたしの頬を撫でて…

 キスしようとした。

 けど…


「……」


 あたしは…無意識に…

 少しだけ…うつむいてしまった…



 それに気付いたなっちゃんは…

 無言であたしを見てたけど…


「…そうだよな。ほったらかしにして…怒るよな。」


 そう言って、苦笑いした。


 …違うの…

 違うんだよ…なっちゃん…


 周子さんと…瞳ちゃん…

 日本にいるんだよね?

 もしかして…会いに行ってる?って…

 ちょっと…嫌な気分になるあたしもいて…

 あたし…そんな資格ないのに…って…また、そんなの繰り返したり…


 …混乱してる…


 あたし…周子さんと…瞳ちゃん…不幸にしたよね…って…

 そう思うのに…

 二人に妬いてる…


 …もし…

 もし、あたしが…元気になったら…

 なっちゃん…どうする?

 もう…いいだろって…二人の元へ行く…?



「…さくら…?」


 苦しくて…涙が出た。

 そんなあたしを…なっちゃんは寂しそうにゆっくりと抱きしめて…


「…ごめんな…俺が泣かせてるんだよな…」


 耳元で…

 切なそうな声で…言った…。



 〇高原 瞳


 それからも…

 あたしと千里は、付かず離れずな距離で。

 だけど、一応恋人同士って括りのままでは…あるはず。


 圭司に色々聞いて、何だかモヤモヤしてるんだけど…

 それはグッと飲み込んだまま、あたしは…まずボイトレを再開させた。


 事務所にはボイストレーナーを職業にする人が数人いて、あたしはアメリカ帰りのミナミ先生にお願いする事にした。

 三十代後半かな。

 色の黒い、ドレッドヘアの女性。

 スタイルもいいし、カッコいい。



「瞳、高音はかなり出るのね。」


 ミナミ先生はとてもフランクで、あたしとは気も合った。

 高音を褒められて、めちゃくちゃ嬉しい。

 だって、うちの事務所で高音って言ったら…

 やっぱり…


 桐生院知花。


 あんなハイトーン、聴いた事ないよ。


「下がもう少し出るようになったらいいのと、低音の音程を安定させるトレーニングを頑張りましょ。あと、体力作りもね。」


「はい。」



 スタジオを出て、ちょっと鼻歌なんてしてると…


「ゴキゲンだな。」


 久しぶりに…大好きな声に呼び止められた。


「パパ。」


「元気だったか?」


「うん。いつ帰ったの?」


「さっき。」


 パパは…去年からずっと忙しい。

 ま、元々忙しい人だったのに、もっと忙しくなった。

 と言うのも、イギリスにも事務所を持ったから。



「ボイトレか?」


「うん。」


「いい事だ。」


「千里に刺激されてね。」


「ああ…なるほど。感心だ。」



 パパはそれ以上は言わなかったけど、あたしの頭をポンポンとしてエレベーターに乗った。



 …ふう。

 あ、そうだ。

 確かTOYSってスタジオ入ってるんだっけ。

 見学に行ってみよ。


 あたしはTOYSのスタジオナンバーをチェックして、部屋に向かう。

 クビにかけてるタオルを両手で持って、少し軽やかな足取りで向かってたんだけど…


「そうじゃねーだろ!?」


 突然の大声に…肩を揺らせた。


「何回言ったら分かんだよ!!」


 それは…スタジオの前でのやりとりだった。


 千里が…大声張り上げるなんて、珍しい…


 あたしは少し距離をとって、その様子を眺めた。

 だけど…すでに周りには人だかりができてる。



「うっせーな!!俺はおまえみたいに完璧主義じゃねーから、ここまででいいんだよ!!」


「それについて何度話し合ったと思ってんだ!!」


「だから、もうウンザリなんだよ!!」


 千里と…タモツの言い合い。

 どうしても、この二人がぶつかっちゃうんだよ…

 完璧を望む千里と…楽しくやりたいタモツ。


 んー…

 …どっちの気持ちも…分かる。

 あたしとしては、いっその事解散してさ…

 意見の合う人とやった方がいいんじゃないの?って思うんだけど。


 なんて言うか…

 タモツはともかく、千里は…TOYSのメンバーとやっていきたいっぽいんだよね…

 なんでだろう?



「もう知らねーからな!!」


 タモツがそう言ってスタジオとは反対方向に歩いて行って、野次馬も散らばった。

 あたしは、通路で一人残されて…食いしばってる千里を見てた。


 何で千里って…

 いつも一人ぼっちになっちゃうんだろう。

 圭司だってあたしだっているのに。

 千里は、いつも一人だ。



「…あ。」


 あたしに気付いた千里が、こっちに向かって歩いて来た。


「…えーと…」


「来い。」


「え?」


 腕を掴まれて、言われるがままに千里について行くと、そこはTOYSのプライベートルーム。

 千里はルームに入って鍵を閉めると、あたしをソファーに押し倒した。


「ちょ…ちょっと…ちさ…」


 強引に唇を塞がれて、胸を掴まれた。


 …ちょっと。

 これって。

 何ていうか…



「……こんな形で、しちゃうんだ。」


 千里の唇が首筋に降りた所で、そう言うと。


「……」


 千里は動きを止めた。


「今までもそうだったの?面白くない事があったら、知花ちゃんにこんな事してたの?」


「…黙れ。」


「あ、図星なんだね。」


「黙れ!!」


 パシン


 あたしは、千里の頬を平手打ちした。



「…いいよ。あたしは千里を好きだから。いいけどさ。」


「……」


「でも、千里は…今よりずっと、あたしに罪悪感持つよね。」


 千里はゆっくりとあたしの上から降りようとしたけど。


「逃げないでよ。」


 あたしは…千里の首に腕を回す。


「逃げないでよ…現在からも…あたしからも…」


「……」


「…知花ちゃんからも。」


「…あいつは関係ない。」


「彼女は特別だと思う。」


「……」


「あたしだって、シンガーのはしくれだもん…彼女の事、怖いし羨ましいし、妬みも…あるよ。」


 千里の身体から、少しだけ…力が抜けた。



「持って生まれた才能とか…それ以外にも、きっと…あたし達の知らない所で培った何かがあるんだろうけど…そんなの知らないから…あたしは彼女の事…怖いとしか思えなかった。」


 あたしがそう言うと、耳元で…千里の小さな溜息。


「あたし、最近…やっとちゃんと、彼女の歌聴いた。」


 マノンさんがアメリカの事務所から持って帰ったデモテープがある。

 そう聞かされて…あたしは、マノンさんにお願いして、それを聴かせてもらった。


 それを聴くには…すごく勇気が必要だった。


 以前は、会長室で…パパとマノンさんが聴いてるのを、何となく聴くぐらいに留めてた。

 そうじゃないと…自分が壊れそうだったから。



「本気で…すごいって思って…泣けた。」


「…なんで。」


「だって彼女、本当に歌が好きだよ。」


「……」


「彼女の歌聴いてたら…ただ凄いって怖がってた自分がバカみたいに思えた。」


 それは、本当に…。


 勢いだけのシャウトじゃない。

 楽しいからって、それだけで歌ってるんじゃない。


 魂だ。


 そう思った。


 千里と離れたくないって言ったクセに、離婚までして向こうに行って…

 だけど、その決意がまるで目に見えてしまうかのような…歌声だった。


 彼女はあきらかに…あの頃より上手くなった。

 もう、怖がっていいレベルじゃない。

 あたしなんて、足元にも及ばない。

 それは、認めるしかない。


 だけど…それを認めてしまったあたしは、彼女の歌をすんなりと聴けるようになった。

 それはきっと、あたしが彼女を…ライバルとしてじゃなく…

 一人のシンガーとして尊敬出来たからと思う。



「千里は…彼女の事、ライバルって思いたくないのに思っちゃうのが嫌なんだよね…?」


「……」


「でも、あたしから見たら…彼女も千里も…すごいシンガーだよ。」


 背中に回した手に…気持ちをこめる。


「二人とも…すごくカッコ良くて…自慢のシンガーだよ…」


 千里は無言だったけど…しばらくすると、ゆっくり起き上がって。


「…瞳。」


 あたしの前髪をかきあげた。


「…何?」


「…悪かった。」


「…それは、こんな事したのを?それとも…」


「……」


「…好きになれそうにないのに、彼女にしちゃった事?」


「……」


 千里は…寂しそうな目のまま…あたしを見下ろす。


「…正直に言って。」


 あたしがそう言うと、千里は小さく溜息をつきながら…


「…両方…」


 そう言った。


「そっか…正直に言ってくれてあり」


「でも。」


「……」


 あたしの言葉を遮った千里は…さっきとは違う…あたしの好きな、強い目だった。


「でも、おまえがそばにいてくれて、助かってるのは本当だ。」


「……」


「悪いと思いつつ…甘え過ぎた。」


「……」


「…ほんとに…悪い。」


「……バカ。」


 あたしはもう一度千里の首に腕を回して、千里を抱きしめる。


「バカだよ…千里。」


「……」


 本当に…バカだ。


「どうして、あたしとなんか付き合ってないって、あの子に言わなかったの?」


「…なんでそ」


「こんなになるぐらい好きだったのに、どうして手を離しちゃうのよ。」


「……」


「ほんっと…」


 あたしは一度千里から離れて。

 両手で千里の頬を挟んで…


「…腹立つ。」


 チューーーーーーッて、キスした。


「…千里って、あたしが思ってた男と違うわ。」


 唇を離してそう言うと、千里は小さく鼻で笑った。



「これ以上イライラしたくないから、あたしからふってあげる。」


 トン、と千里の胸を押して、ソファーから立ち上がる。


 …あーあ。

 あたしもバカだ…。



「…瞳。」


「…何。」


「本当に…」


「悪いって言わないでよ。」


「……」


「感謝してちょうだい。」


「……」


 あたしが腰に手をあててそう言うと。

 千里はゆっくり立ち上がって…そっと…あたしを抱きしめて。


「…サンキュ…」


 …泣いちゃいそうになるぐらい…

 いい声で言ってくれた…。


 …バイバイ。


 あたしの…




 恋。




 〇神 千里


 知花のバンドが渡米して…一年以上が過ぎた。

 俺は高原さんと瞳の好意に甘えて、高原さん名義のマンションにアズと一緒に居候させてもらっている。



 …知花と離婚して…色んな事に気付いた。

 とても、くだらない事だ。


 だが、要点をまとめると…

 俺はあいつに心底惚れていた事。


 それに尽きる。


 …ま、それも今となっては…だ。



 アメリカで…まるでモンスターのように成長していくSHE'S-HE'Sの噂は、嫌でも耳に入って来た。

 先週発売されたCDは、新人では異例の売り上げを見せたらしい。

 あいつらのアメリカデビューの日…事務所でも、その音源が一日流れた。

 …俺は、ルームでそれを聴きながら…

 体の震えが止まらなかった。



 俺は…

 知花に惚れていたが…

 同時に、あいつを怖いと思っていたのかもしれない。

 そして、妬ましい…とも。

 きっと、それに気付かないフリをしていただけだ。



 ライバルになりたくない。

 だが、そういう目で見てしまっている俺もいた。

 バンドどうこうの話じゃない。

 俺の、問題だ。


 アメリカに…行かせたくない。

 一瞬でも…俺はそう思った。

 だが、それは…知花を手放したくなかったから…じゃない。

 あいつの才能に…嫉妬したからだ。


 そうじゃない。と、何度も自分で言い聞かせた。


 知花が大事だ。

 愛してる。


 …なのに…

 俺の歪んだ葛藤は…結局…知花を傷付けた。


 知花だけじゃない。

 俺は…瞳も傷付けた。


 あんなに、真っ直ぐ俺を見てくれる女…今までいなかった。

 知花を失った俺に、それは…正直、とても魅力的に映った。


 だが…瞳は知花じゃない。

 俺の求めるそれと、瞳は…違う。


 どうしてあの時…瞳に応えてしまったのか…

 寂しいとか、悲しいとか…そう言う次元の話しじゃない。

 瞳を知花の代わりにするとか、そういうのでもない。

 …誰でも良かったわけでもないが…瞳にするべきでもなかったとも思う。

 ま…もう…特別な存在を作る気はない。



 俺は、少しずつ自分の殻に閉じこもった。

 タモツとの言い争いにも疲れて、適当に合わせるようになった。

 だが、それが功を奏したのか…ツアーの話が出た。

 当然メンバーは盛り上がったし、俺も表面上やる気は見せた。


 新曲も書いた。

 初めての全国ツアーに、俺達も…ファンも盛り上がった。

 もう、何をしても成功する気がした。


 ただ…


 そこに、神 千里は居ても…





 俺は居なかった。

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