第12話 僕の名前は桐生院誓。

 〇桐生院きりゅういん ちかし


 僕の名前は桐生院誓。

 先月、15歳になったばかり。


 家族構成は、父、祖母、三つ年上の姉、双子の姉。

 悩みは、なかなか身長が伸びない事。

 お父さんは背が高いのに、僕は、まだ160cmにも満たない。

 周りはどんどん大きくなっていくし、双子の姉の麗だって、僕とそんなに変わらない。


 おばあちゃまは『まだ成長期が来てないんですよ』なんて、のんきな事言うけど…

 僕としては、高等部に入る頃には170cmを超えてる。と勝手に思ってただけに。

 この現実は少々辛い。



「ねえ、やっぱり『華』って漢字は外せないと思わない?」


 目の前で、麗が言った。

 今、僕達は…アメリカにいる。


 三年前、僕達の姉さんは…突然、結婚した。

 16歳になってすぐ。

 その相手は…僕達が憧れてやまない、ロックバンドTOYSのボーカリスト、神 千里さんだった。


 あの日は…本当に驚いたなあ。

 姉さんの彼氏がうちに来るって聞いて、どんな人かと思ったら…

 神 千里なんだもん。



 だけど、僕は詳しくは知らないけど…色々あって…姉さん達は離婚した。

 なのに…離婚したのに…

 姉さんは、アメリカで出産した。

 神さんの子供。

 双子。



 父さんは姉さんを勘当してたけど、姉さんが出産したと聞いて…僕達を連れてアメリカに来た。


 …可愛かったな…

 双子の赤ちゃん。



「父さんは、どの漢字がいいって思ってるの?」


 …あれだけ、姉さんの事を認めてなかった麗。

『あの人』なんて呼んで…嫌な顔してたのに。

 双子の名前を考えてくれって言われた途端…このはりきりようったら。

 笑っちゃうよ。



「そうだな…『華』を外せないとなると…これを前につけるか後につけるか…」


「おばあちゃまは?どんな漢字?」


「そうだね…華ときたら、咲く…って漢字かしらね…」


「そっか…それもいいね…誓は?」


「僕?うーん…僕は…そうだなー…」


 みんな、それぞれ自分の前に白い紙を置いて、色んな漢字を絞り出してる。

 だけど、やっぱり…華の家の子だからなあ。


「麗は?『華』に付ける他の漢字、何がいい?」


 僕がペンをぷらぷらさせながら問いかけると。


「…音って…どうかな…」


 麗は小さくつぶやいた。


「音?」


「…だって…歌う人の…子供だし…」


「……」


 それは…

 姉さんにも、神さんにも当てはまった。

 僕は…『音』っていいと思うけど…


 神家には告げない。

 そう、暗黙のルールみたいなものが出来上がってしまってるだけに…

 父さん達…どうかな…



「…ああ、いい案だな。」


「そうだね…あとは、並びかね…どう読めばいい響きになるんだろう?」


 父さんとおばあちゃまがそう言って、紙に字を書いていく。


 音華、咲華、華咲、華音…



「…決まった。」


 名前が決まった頃には、外が明るくなってて。


「…とりあえず…少し眠ろう…」


「うん…おやすみ…」


「おやすみ…」


 特に、時差ボケが酷かった僕と麗は…



 そのまま、夕方まで眠りこけてしまった…。




 〇高原 瞳


 パパのマンションで、あたしと千里と圭司の三人生活が始まった。

 きっと楽しいに違いない!!

 って思ったんだけど…


 実は、ちょっと不便さを感じる…今日この頃。



 と言うのも…



 引っ越し当日。


「じゃ、こっちが圭司で、こっちが千里ね。」


 玄関入ってすぐの右の部屋を圭司。

 で、左側の部屋が千里。

 あたしは、廊下を真っ直ぐ歩いて左側の畳の間を自室にする事にした。


 二人はそれぞれの部屋を回ったり、トイレやお風呂を見て歩いた後…



「…おまえ、俺と代われ。」


 いきなり、千里が言った。


「え?なんで。」


「アメリカ育ちが畳の間は辛いだろ。」


「そんな事ないわよ。」


「いいから。」


「なんでよ。せっかく色々考えてたのに。」


「窓がねーだろ。」


「……え?」


「畳の間。」


「…だから…何。」


「…別に。だから、俺はそっちがいいんだよ。」


 千里はそう言うと、さっさと自分の荷物を畳の間に運んだ。



 あたしはー…

 千里と圭司が帰りが遅くなったりした時に、あたしに気を遣っちゃうんじゃないかと思って…

 だから、わざと二人を玄関に近い部屋にしたのに。


 あたしは一度寝ちゃったら全然気になんないけど、圭司はともかく…千里はそういうの気にするかなって思ったから…



「もう…せっかく…」


 あたしが玄関で口を尖らせてると。


「…いーじゃん。あれはあれで、神の優しさだよ。」


 圭司が荷物を両手で持ったまま、あたしの肩にぶつかって言った。


「どういう事よ。」


「…前もさ、知花ちゃんの部屋は日当たりのいい部屋にしてたんだ。」


「……」


「女の子には明るい部屋がいいって、神なりの思いやりがあるんじゃないかなあ。」


 それを聞いて…なんて言うか…

 あたしの、千里への想いが…再燃した。


 ダメだよ、千里。

 女はね…そんな、さりげない気遣いなんてされたら…誤解しちゃうんだから。

 特に…あたしなんて…千里の事、ずっと片想いしてたから…


 こんなチャンス…逃すわけないじゃない!!



 そんな感じで、引っ越し初日から。

 あたしは、ハイエナのように…美味しそうな千里を標的にしてた。




 その日の夕方。

 圭司が事務所に忘れ物を取りに行って、偶然タモツと会ったから飲みに行くって連絡があって。

 あたしは千里と二人きりで夕食を取る事になった。


「何か作るね。」


 あたしがキッチンに立つと。


「作れんのかよ。」


 ソファーに座ってる千里は、顔だけ振り向いて…ちょっと嫌そうな顔をした。


「…そりゃあ…上手ではないけど…」


 くっそー。

 料理教室にでも通っとくんだった…



 ちょっと時間はかかったし、ちょっと見た目もアレなんだけど…

 あたしは、何とか…何とか…

 親子丼を作った。



「……」


 千里はすごく微妙な顔でそれを眺めて。


「…い…要らないなら、食べなくていいよ…」


 あたしがそう言うと。


「…いただきます…」


 手を合わせて、箸を手にした。

 …あたし…ちょっと泣きそう…


「……」


「……」


「……」


「……どう…?」


 食べ始めた千里は、何も言わない。

 それが不安で…聞かなきゃいいのに聞いてしまった。

 すると…


「……不味い。」


 がーん!!


「の…残して…いいから…」


 ダメージを受けながら、あたしも親子丼を口に…


 …ま…

 まずっ!!


「やだ!!千里、残して!!もう食べないで!!」


 あたしが立ち上がって言うと。


「もう食った。ごちそうさま。」


 千里は箸を置いて手を合わせて…

 自分の食器をシンクまで運んだ。

 そして、そこで…何か悩んでる。


「…どうしたの…?」


「…どうやって洗えば?」


 え?食器の洗い方で悩んでんの?


「……置いてていいよ。」


「せっかく作ってくれたから、洗い物ぐらいはする。」


「前もしてたの?」


「…してない。」


「じゃあ、ここでもしなくていいよ。」


 あたしは立ち上がって千里の隣に行くと。


「あたしが、全部するから。」


 千里を追いやって、丼を洗おうとした。


「でも、おまえ相当頑張ってくれたみてーだから。」


 千里のその言葉に…カチンときた。

 あんな…あんなマズイ物食べさせられたのに…

 そんな事言う!?


「どっ…どうせあたしは、料理上手じゃないわよ!!」


「……」


 急に怒鳴られた千里は、表情は変えなかったけど…一歩退いた。


「でも、だからって…そんな…嫌味みたいに言わなくても…」


「…別に嫌味なんて言ってねーけど。」


 涙目になってしまった。

 こんな事で…って、ちょっとバカらしく思えて…


 分かってる。

 嫌味なんかじゃないよね。

 千里は、ちゃんと感謝の気持ちを言ってくれたんだと思うよ。


 うん。

 だけど…

 どうしてあたし、こんなに料理下手なの⁉︎

 知花ちゃんなんて、偏食家の千里を健康的にしちゃうぐらい、料理上手だったっていうのに‼︎



 千里の前にいるのが嫌になった。

 もう、明日からはコンビニ弁当だ。

 あたし、もう絶対作らない。

 そう思って無言で食いしばってると…


「…ありがとな。」


 千里が…あたしの頭を抱き寄せて言った。


「……え?」


「色々気使ってくれて。」


「……」


 あたしは…その時…

 これはもう、付け込むしかないよね。って…思った。



「…千里。」


 千里の腰に手を回した。


「…あたしなんかじゃ…全然千里の助けにならないかもしれないけど…」


「……」


「あたし、ずっと…千里の事、そばで応援する…」


「……」


「…だから…あたしの事…ちゃんと見て…?」


「……」


 千里は何も言わない。

 分かってる。

 今も…きっと、あの子の事…好き。

 だけど…


「…好き…」


 千里を見上げて…頬に手を当てた。

 千里はいつもと変わらない目であたしを見てたけど…


「…俺と付き合っても、楽しい事なんかないぜ。」


 小さく、そう言った。


「…どうして?」


「…女がして欲しい事なんて、一つも叶えられない。」


「女がどういう事をして欲しいって思ってるの?」


「…一緒に出掛けたりとか…」


「そんなの、しなくていい。」


 強引に、キスをした。

 すると…意外にも、千里はあたしの背中を抱きしめて…キスを深めた。


 ……もしかして。

 これ…

 あたし、いけちゃうんじゃない!?



 もつれるようにソファーに倒れた。

 千里は荒々しくあたしの首筋に唇を這わせて、右手で服を脱がせにかかった。


 …今度こそ…

 今度こそ、やめないでよ!?


「あっ…」


 胸を掴まれて…声が出た。


 進んだー!!

 千里も男よ!!

 ここまで来たら、もう絶対やめないよね!?


「千里…」


 あたしはついに上半身裸にされて…

 もう…どっぷりいい気持ちにさせられてる。

 あー…やだ…どうせなら…ベッドでしたかったけど…

 でも、念願の…だもん!!


 燃える!!



 ピンポーン♪


「……」


「……」


「…いい…ほっとこ…」


 ピンポーン♪


「……」


「…高原さんじゃねーよな?」


「パパは…鍵持ってるもん。」


「えっ、マジかよ。じゃ、急に帰ったりすんのか?」


「それはないよ。いつも電話して来るもん。」


 ピンポーン♪


「…もうっ…」


 あたしは上半身裸のままというマヌケな格好で、インターホンに向かう。


「はいっ。」


『あ、宅急便です。』


「…はい。」


 はあああああああ…


 あたしがうなだれてると、背後で千里が鼻で笑った。

 宅急便が来た後、続きやってくれないかなあ…なんて考えてると。


 ♪♪♪♪


 電話が鳴って。


「…もしもし。」


『あ、瞳ちゃん?神にさ、『佐助』に来いって言って。』


「…佐助ってどこ。」


『事務所の近くにある居酒屋ー。じゃ、頼んだよー。』


「……」


 あたしは目を細めながら千里を振り向いて。


「…圭司が佐助に来いって。」


 そう言って、ソファーの下に落ちてるブラとTシャツを拾って着た。


 あーあ。

 残念。


 ピンポーン♪


 再びチャイムが鳴って、あたしは印鑑を持って玄関へ…行こうとして。


「俺が行く。」


 千里が、あたしの手から印鑑を取った。

 玄関先で、お決まりのやり取りがあって。

 千里はそのまま出かけるのかな…って、あたしは美味しくない親子丼を片付け始めると。


「おまえも行くか?」


 千里が…意外なお誘いをしてくれた。


「え…あたし?」


「別に、うちのメンバーとなら気は使わねーだろ?」


「……」


 そうだけど。

 何だか、ちょっと…余韻に浸りたかった。

 千里…すごく優しい…。



「ううん。今日はやめとく。」


「そっか。」


「…ねえ。」


「あ?」


「あたし…千里の彼女だ…って、思っていいの?」


「……」


 千里は…これまた表情を変えずに…無言。

 ほんっと…分かりにくい男!!


「…ああ。」


「…………え?」


「思っていい。」


「…え?え?ほ…ほんとに…?」


「……行って来る。」


 その背中に飛びつきたい気分だったけど、ぐっと堪えた。


「行ってらっしゃーい。」


 あたしが弾むような声でそう言うと。

 千里は玄関で靴を履きながら、鼻で笑った。



 やったーーーーーー!!


 あたし、千里の彼女!!

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