第11話 「………妊娠…?」

 〇桐生院貴司


「………妊娠…?」


 私は…頭の中が真っ白になった。


 受話器を持って、そうつぶやいたままの私を…深田が目を丸くして見ている事に気付いたが…

 どうにも出来なかった。

 いつもなら…驚く事があってもすぐに元に戻せるのに…



 母から電話があった。

 そして、その内容は…

 知花が、妊娠しているというものだった。

 さらには…もう…産まれそうだ…と。



『私は今からすぐに発ちます。』


「た…発ちますって、お母さん、今どこですか。」


『空港です。』


「…どうして連絡があってすぐに言ってくれないんですか。」


『…反対されるのが嫌だからですよ。』


「反対だなんて…」


『反対するでしょう?もう勘当したんだから関係ないって。』


 母は電話の向こうで、語気を強めて言った。


「……」


『…もう、一人にはしておけません。知花は…』


「……」


『…私は…知花をさくらのようにはさせたくない…』


「…お母さん…」


『麗と誓を頼みますよ。』


「待ってください。」


『もう、時間だから。』


「私も行きます。」


 私のその言葉に、しばらく外を眺めていた深田が私を見た。

 そして…スケジュール帳を開いて…首を横に振った。

 それでも私は…


「麗と誓も連れて…後から行きます。だから…」


『貴司…』


「だから…知花を…宜しくお願いします。」



 電話を切ると、私はすぐに上着を手にした。


「しゃ…社長、行くって、どこへ…」


「アメリカだ。」


「むっ無理です!!今日これからのスケジュールと…」


「どうにかしてくれ。あ、辻さん。」


 社長室を出てすぐ、辻さんに会った。


「辻さん、すいません。どうしても今からアメリカに行かなくてはならないんです。」


 辻さんはキョトンとした顔で私を見て。


「仕事ですか?」


 ゆっくりと、そう言った。


「私用です。」


「スケジュールは、確かいっぱいでしたね。」


 私の隣にいる深田にそう言うと、深田はうんうんと困った風に大袈裟に頷いた。


「……分かりました。」


「辻さん~!!」


 叫んだのは深田だった。


「深田君、社長はずっと会社のために働き詰だったんですよ。体調が悪くなられても仕方ない。」


「……え?」


「人間ドックに入ってもらいましょう。一週間。」


「…ありがとう、辻さん。」


「えっ…えっ?辻さん、人間ドックって…」


「いってらっしゃいませ。」


「行って来ます。」


「ええっ、社長!?」


「深田、頼むぞ。」


 エレベーターのドアが閉まる寸前。

 辻さんは笑顔で…深田は泣きそうな顔だったが…小さく『いってらっしゃいませ』と言ってくれた。



 私は急いで家に帰り…

 春休みで家に居る双子に。


「支度をしろ。アメリカに行くぞ。」


 そう言った。


 すでに知花の妊娠を知っていた二人は。


「えっ…姉さんの所に?」


 誓は…嬉しそうな顔をして。


「…飛行機…苦手だなー…」


 麗は、そう言いながらも、かなりオシャレをした。


 行く気満々でいたものの…

 チケットが取れなかった。

 なぜなら、今は春休み。

 一人なら空きがあると言われ、私に行けと双子は言ったが…

 三人で行かなければ意味がないと思った。


 翌日の夕方の便を、何とか押さえられて一旦帰宅したが…

 母から何の連絡もないのが、私達を苛立たせた。



「おばあちゃま、着いたのかな。」


「……」


「……」


 三人で店屋物を食べながら、こんな時は時間が経たない事をもどかしく感じた。



 …知花。

 すまなかった。




 私を、許して欲しい。



 〇朝霧光史


「…まだかな。」


「…落ち着けよ。」


「おまえこそ…」


「僕…お腹痛くなって来た…」


「もうっ、あんた達邪魔っ!!」


 聖子に一喝されて、俺達は分娩室の前から追い払われた。


「皆さん…本当に、どうもありがとうございます…」


 聖子の隣には、知花のお祖母さん。

 着物姿の、上品な人だ。



 お祖母さんは、昨日到着して。

 初めての出産に急に気弱になっていた知花の手を握って。


「しっかりなさい。」


 と、一言。

 その言葉に…知花は泣きながら頷いた。



「俺、何か飲み物買って来る。」


 内心、ずっとドキドキが止まらない。

 わたるが生まれた日の事を思い出して…本当なら、この場には居たくない気もした。


「あ、光史。俺も行く。」


 俺が小銭をジャラジャラいわせながら歩き始めると、センがついて来た。


「こういう時、男って無力だな。」


 センは天を仰いで言った。


「でも、帰国したら結婚するんだろ?センはすぐこういう目に遭わなきゃいけなくなるな。」



 センには…渡米前に彼女が出来た。


 織が二階堂の人と結婚して…うちひしがれていた矢先。

 どういった出会いなのかは謎だが…柔道の選手と出会って、現在は婚約中。



「…正直、織がこんな思いをして産んだのかなって思うと…ちょっと辛い。」


「…でも、結果幸せになってる。そこはよしとしようぜ。」


「……そうだよな。」


 センの肩を抱いて、階段を下りる。



「光史は彼女作らないのか?」


 コーヒーショップの前で、センが言った。


「今はバンドが楽しくて、そんな気は起きないな。」


「陸はバーで知り合った女の子と付き合ってるっぽかったけど。」


「バーで知り合った女?そりゃ付き合わないな。日替わりだ。」


「…全く…」



 二人で人数分のコーヒーや紅茶を買って、階段を上がってると…


「産まれた!!」


 まこが万歳をしながら、階段の上から俺達を見た。


「マジか!!」


 俺とセンは階段を駆け上がって…


「あちっ…」


「あちちち…」


 カップの隙間から、コーヒーが漏れて指が熱かったけど。


「うう産まれたって?」


 みんなが群がってる部屋の前にたどり着いた。


「……」


 双子は…保育器に入っていた。


「…あれ、どうして?」


 センが聖子に問いかけると。


「あ、病気とかじゃないからね?小さいからよ。」


「大丈夫。すぐに大きくなって、あそこから出られますよ。」


 聖子の隣でお祖母さんがそう言って。

 俺達は全員がホッと溜息をついた。



「おめでとう。」


「やったな。」


「お疲れさん。」


「すっげ可愛かったぜ。」


 知花の病室で、みんなで知花の頭を撫でる。


「…本当…みんな、ありがとう…」


 知花はずっと泣いてる。


「泣くなよ。大仕事をやり遂げたんだ。笑え。」


 そう言って乱暴に知花の涙を拭う陸も、実は涙目なんだけど。

 それよりも…


「良かったよ…本当に…良かった…」


 無事生まれて…ホッとしたのか。

 聖子の号泣具合は…



「じゃ、俺ら帰るわ。明日も来るから。」


「しっかり休めよ。」


 そう言って、知花に手を振る。

 そうして、俺達男四人は聖子とお祖母さんを残して…



「飲むぞ!!」


「知花にかんぱーい!!」


 カプリという、カニの美味い店で。

 深夜まで盛り上がった。




 〇桐生院貴司


 全力疾走をしたのは、いつが最後だっただろう。

 麗と誓の運動会か?

 いや、あの時も…全力ではなかったかもしれない。


 父が亡くなった時?

 いや…あれはもっと全力じゃなかった。


 私は、全力という事を知らないのだと思う。

 生きる事に希望を持っていなかった私は…何に対しても…全力ではなかった。

 自分が辛くなる前に伏線を張り、自身を守る。

 どうせ、人生なんてこんな物だ、と。



「三階だ。」


 そんな私が、全力疾走をした。

 正直、早くも二階で足がもつれそうだった。

 タクシーを降りた瞬間から駆け出して、背後から『お父さん待って!!』と叫ぶ誓に、ついて来い。早く。とつぶやいて。


 階段を駆け上がり、三階の廊下で…


「あ、おじさま。」


 聖子ちゃんに、バッタリ出くわした。


「は…は…はっ…あ…あああああ、聖子ちゃん…はっ…ち…知花は?」


 私に追い付いた麗と誓は…息も乱れていない。

 その若さが羨ましく思えた。


「大丈夫ですよ。おばあ様が来られたら安心したみたいで、無事双子を出産しました。」


「…双子…」


 隣で、麗と誓が顔を見合わせる。


「……」


 私は息を飲んで、知花のいる病室に急いだ。


「…知花…」


 病室の入り口で声をかけると、約九ヶ月ぶりの知花は…


「…お父さん…誓に麗も…?」


 目を丸くして、起き上った。


「ああ…ああ、起きなくていい…」


「でも…」


「…一人にして…すまなかった…」


 知花の手を握ると…自然と涙が浮かんだ。

 今までの…怒りやもどかしさが…全て消え去った気がした。


「お父さん…どうして…そんな、泣かないで…」


「私さえしっかりしていれば…おまえに…辛い想いなど…」


 知らない地で…出産だなんて…

 どんなに心細かっただろう…


 それまでの事も…そうだ。

 どうして、容子とも上手くやれるように出来なかったんだ。

 赤毛がどうした、と…なぜ守ってやれなかったんだ。

 私達に…頼りたくても頼れない状況にしてしまってた私は…

 本当に…なんてバカなんだ…



「…許して欲しい…」


「…何言ってるの…それは…あたしの方よ…」


 私と知花が手を握り合って泣いていると…


「おや、来たのかい。」


 母が…満面の笑みで病室に入って来た。


「…可愛い男の子と女の子ですよ。」


 母は私と知花が手を取り合って泣いているのを見て、優しく笑った。


「…誓と麗みたいよ?」


 知花も、笑顔で二人に言った。


「見に行くかい?」


「違う部屋に居るの?」


「まだ少し小さいからね。保育器に入ってるんですよ。」


 二人が、母に続いた。


「…父さんも…見て来て。」


 知花が、私を見上げて言った。


「…ああ。そうしよう。」


 遅れて三人の後を追う。



 少し歩いた所に、その部屋はあった。

 三人はガラスに額がつくほど、必死で中を見ている。


「…ちっちゃい…」


「誓と麗も、あんな感じでしたよ。」


「ほんと?あたしもあんなにちっちゃかったの?」


「ええ。」


「…本当だ。誓と麗の時みたいだな。」


 私が二人の後に立ってそう言うと、二人は私を見上げて。


「覚えてるの?」


 同時に言った。


「…覚えてるさ。」


 …そうだ。

 覚えている。


 私は…私の子供でもない二人を…じっと、こうして見つめた。

 …それは少し、屈辱的でもあった。



 だが、今は…こうして、私の前に立つ二人を…

 家族として、愛そうと思う私がいる。



「名前は?」


 誓が母に問いかけると。


「それがねえ…私達で考えてくれって言うんですよ…」


「えーっ?僕達が?」


「姓名判断とか、ないの?こっち。」


 困った風な言い方をしながらも、三人はどこか嬉しそうだ。

 私は二人の頭を撫でながら。


「まずはホテルを取らなきゃいけないな。そして、みんなでじっくり考えよう。」


 そう言った。



 桐生院家の…再スタート。

 その、最初のミッションが…


 名付け。



 …楽しもう。


 みんなで。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る