第7話 知花の結婚から一年が経った。

 〇桐生院貴司


 知花の結婚から一年が経った。

 それまでの間…私は長年気になっていたが知らん顔をしていた…アレに手を着けた。


 アレ…

 さくらの消息を調べる事。



 まずは探偵事務所に依頼してみたが…分かったのは、さくらがあの後すぐに渡米したという事だけだった。

 それなら…と、仕事で渡米した時に、カプリに出向いてみたが…

 ある日突然『日本に帰る』と辞めて以来、『シェリー』は姿を見せていない。と。


 そうか…あの後、私と一緒に帰国して…それ以降はカプリには現れていないのか…。


 さくらの彼氏を知ってる人がいないものか、カプリの人間に聞いたが…

 プレゼントをもらったり、毎日彼女の歌を聴きに来ていたファンは知っているが、そこまでのプライベートな事を知っていたオーナーやスタッフは、もう仕事を辞めて近くにはいないと言われた。


 ただ…


『そう言えば、プレシズに出演する事が決まった時、シェリーが彼のために一曲歌って…観客席の…ほら、そこで抱き合って…すごく感動したわ』


 そう言って客席を指差した女性店員がいた。


『シェリーが彼のために一曲歌って…』



 …私には…歌ってくれなかった。


 精神的に色々まいっていたのだとは思う。

 だから、さくらが歌えなかった事は仕方がない。

 そう頭では理解できるのだが…

 どこの誰かも分からない、その男に…少し嫉妬した。

 そして…とても羨ましく思った。



 アメリカでも探偵を雇って色々と調べてもらっていたが…


『ミスター。申し訳ないけど、シェリーの事は調べられない』


 なぜか…どの探偵も、口を揃えてリタイアした。

 なぜ調べられないのかと聞くと…


『シェリーは危険な組織に関わっているらしい。家族が大事なら、シェリーの事は忘れて…今後一切調べたり口にしたりしない事だ』


 …まさか…だった。


 だが、思い当たらない事もなかった。

 突然時計を直してみたり…火薬を集めて花火を作ってみたり…

 普通の女性には出来そうにない事をやってのけていた。


 さくらへの想いは…尽きる事はないとしても。

 私は家族を守らなくてはならない。

 母と、麗と誓…そして、千里君の妻となった知花。



 家族を守るために…

 今まで見てみぬフリをしていたさくらへの想いを…

 私は、ついに終わらせる覚悟を決めた。



 * * *



「いらっしゃい、お父さん。」


 ドアを開けた知花は、満面の笑み。


 その眩しさに…私は久しぶりに安らぎを感じた。


 会社では口うるさい役員達の愚痴にウンザリし、家に帰れば麗と誓に歩み寄りたいと思うクセ…なかなか行動に移せなくて足踏みをしている自分に苛立つ。

 最近、少し食欲が落ちた気がする。

 ストレスかもしれないし、忙しいせいかもしれないし、さくらへの想いを終わらせようと決めた事での喪失感からかもしれないが…


 いずれにせよ、死ぬほどのものではない。



「早く言ってくれたら、食事でも作ってたのに。」


「ああ、それは失敗したな。」



 今日は、近くまで来たから…と、ほんの数分前に連絡した。

 知花は冬休みに入っているし、アルバイトを始めたとは聞いていたが、朝から晩までではないだろうと踏んで。



「アルバイトは楽しいか?」


 確か、千里君の所属している事務所でのアルバイトだと聞いた。


「うん。聖子と一緒だし、お姉さん達の話を聞くのも楽しい。」


「お姉さん達?」


「あ、同じ部屋で働いてる人達。オシャレな人が多くて、色んな話を聞いてるの。」


「そうか。」


 確実に…知花は外の世界に出てしまったんだな…と思った。

 それが正解で、知花のためになる事とは言え…

 少し寂しい気がした。



「ああ、そうだ。これを持って来た。」


 私は手にしていた荷物をソファーに置いた。


「え?何?」


 知花は紐で結んでいた持ち手を外し、カバーから覗いた着物の箱に反応して。


「あ。」


 すぐに顔を上げて、私を見た。


「あった方がいいだろう?」


「嬉しい…ありがとう、お父さん…」


 一番上にあった着物を手に、嬉しそうな顔の知花。


 知花の誕生日に、母が帯を贈った。

 だが…着物はうちに置いたままだ。

 いつか取りに帰ればいいと思っていたが、どうも知花は『嫁に出た』=『むやみやたらに実家に帰ってはいけない』とでも思っているのか…なかなか一人で桐生院には戻らない。

 下手すると、私が千里君を呼び出している分、彼の方がうちに出向く事の方が多い。



「一応訪問着も入れてあるが、幸作さんが知花の振り袖姿を見たいと仰ってたから、正月にはそれを着て行くといい。」


「いいの?この着物…すごくお気に入りなの…嬉しい。」


 知花がそう言って手にしているのは、去年の誕生日に私が贈ったものだ。

 麗には、黒と紫に古典柄の物。

 知花には、黒から深紅へのグラデーション。

 そして…桜の花。


 麗は私には直接何も言わないが、母に。


「…父さんて、あたしに似合わない着物を選ぶのは超一流よね。」


 と、こぼしていたらしい。


 …麗には、気に入ってもらえなかったようだ。

 一応、吟味したつもりではあるが…。


 そう言えば、春の茶会で麗が着ていたのは、もう随分前に買った少し子供っぽい着物だった。



「…きれいにしているな。」


 あまりジロジロ見るのはやめようと思いつつ、娘がどんな生活をしているのかは気になる。

 玄関の靴箱の上の花器には、クリスマスローズが眠るように置いてあった。


「あまり物がないから。はい、どうぞ。」


「ああ…ありがとう。」


 知花が入れてくれたコーヒーを飲みながら、ゆっくりとリビングを見渡す。

 本当に…物がないな。

 リビングには、ソファーセットと大きなテレビ。

 そして、対面キッチンのすぐ手前に小さなテーブルとイスがあるだけ。


 部屋の隅に観葉植物。

 窓辺には、薄いピンクのサイネリアとシクラメン。



「千里君は音楽を聴かないのか?」


 オーディオ機器がない事に気付いて問いかけると。


「家ではあまり仕事の事は考えたくないみたい。」


 知花は首をすくめて言った。


「なるほど…」


 私も家では仕事の事は忘れたい。

 のんびりと花を活けたり、新聞を眺めたり…そんな何でもない時間が大切だと思う。



「千里君は優しいか?」


 私としては…何の気なしに出た質問だったが。

 知花は、えっ?と小さく声を出した後…なぜか真っ赤になった。


「……」


 私がコーヒーカップを手にしたまま首を傾げると。


「あ…えっと…うん…ああ見えて…すごく優しい人…です…」


 知花はたくさん瞬きをしながら、頬を押さえた。


 …こんなに真っ赤になるほど、千里君に大事にされている事を分かっているんだな。

 そう思うと、千里君には多大なる感謝をしたいと思った。

 私の知っている、いつも誰かの顔色を見て遠慮がちに口を開いていた知花は…

 こんなにも、明るい笑顔を見せるようになった。


 …千里君…

 とても寂しい気もするが…

 本当に、ありがとう。


 私はこの時、心からそう思った。



 * * *



 年が明けた。


「明けましておめでとうございます。」


 千里君と知花が、元日の午後…やって来た。

 千里君の休日が今日しかないとかで、神家からのはしご。


 知花は、一昨日マンションに持って行った着物に、先日の誕生日に母が贈った帯をしていた。

 それを見た母は、嬉しいのに…その嬉しさを隠したまま。


 …こういう所が、私達親子は…

 血も繋がっていないのに、そっくりだ。

 …お母さん、少しはニッコリして下さい。

 心の中で、そうつぶやいた。



「…賑やかだ事。」


 夕食の準備を始めていた母と知花が、広縁から聞こえる声に振り返って言った。

 普段は聞く事のない、賑やかな声。

 誓は時々大声を張り上げるが…麗に関してはそれがない。


「麗も楽しそう。」


 知花が笑いながら言った。

 ここからは見えないが、広縁では千里君が双子を相手に何かをしてくれているのだろう。

 疲れているだろうに、優しい男だ。



「知花、帯紐を結ぶ時は、ここを一度押さえてから…」


「あ…そうすれば楽にできるのね?ありがとう…」


 食事の準備をしながらも…母と知花は遠慮がちにそんな会話をしている。

 インターナショナルスクールの寮生だった頃は、年に数回しか会う機会がなく…こちらに帰っても、週に三度は遅く帰らせていた。

 母と知花は、常にギクシャクしている。

 仕方のない事だが…もう少し二人が歩み寄るためには、どうすればいいのか…


 元々人と深くかかわるのが苦手な私が、そんな事を考えた所で…どうにもなるはずがなかった。

 家族というものは、考えてどうにかするのではなく…同じ空間にいる事で得る何かで、そう動いてくれるものだ…と勝手に思っていたのかもしれない。


 私と母のように。



「お父さん、神さんがね。」


「ああ?誓、おまえバラす気か?」


「えーっ、あんなに楽しい事、内緒なの?」


「ちょっとこっち来い。」


「…何?」


「……」


「……えーっ!!そんなのなしだよーっ!!」


「えっ、何々?あたしにも教えて?」


「こっち来い。」


「何?」


「……」


「……えーっ!?ホントに!?」


「ダメだよ!!ねえ、麗!!」


「あたしは有りだと思うけどー。」


「だよな。麗は俺の味方だな。」


「うん。」


「もー!!麗!!僕と双子なのに!!」



 リビングに戻って来た三人は…何やら盛り上がっていて。

 それを見た知花は…とても幸せそうだ。

 母は…騒がしい三人に眉をしかめたが…


「これ、二人とも。千里さんはお疲れなんだから、少し休ませてあげなさい。」


 かろうじて『二人』と言った。



「えー、神さん、僕トランプしたーい。」


「あたしもー。」


「後でな。」


「じゃ、ご飯食べたらね。」



 そう誓と約束した千里君だったが…



「…寝ちゃった。」


 食事中、少しだけビールで乾杯した。

 千里君は年末の多忙なスケジュールもあってか、二杯目でウトウトし始めて。


「あ、ありがとう…おばあちゃま。」


 母が渡した毛布を、知花が千里君にかける。


「あーあ、寝ちゃったー。」


「これ、二人とも静かになさい。」


 寝てしまった千里君に、双子は大ブーイングだが…


「そう言えば、先月の本にTOYSのポスターがついててさ。」


 誓が、テーブルを片付ける知花を手伝いながら言った。


「神さん、ちょっと笑顔だったから、クラスのみんなが珍しいって言ってて、僕ニヤニヤしちゃった。」


「あ、あたしも思った。誓も思ってたんだ?」


「うん。だって、神さん、うちではずっと笑ってるから、珍しいかな?って。」


「そうよね?得した気分。」


「どんなポスター?」


「え?お姉ちゃん、神さんが載ってる本買わないの?」


「う…うん…」


「これ、誓。『お姉ちゃん』じゃなくて『お姉さん』て呼びなさい。」


「あ、はーい…」


 私は、そんな光景を…一人でビールを飲みながら眺めていた。


 …今までにない安らぎ。



 …さくらがいなくても。

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