第3話 「もう、自由だ。好きにすればいい。」

 〇桐生院貴司


「もう、自由だ。好きにすればいい。」


「貴司さん…」


「二度と俺に顔を見せるな。」



 私は…出産という大仕事をやってのけたさくらに…酷い事を言ってしまった。

 それは…簡単に言えば…


 嫉妬だ。



「もう無理!!ダメ!!」


 何時間も…さくらは苦しんだ。

 見ているこっちが辛いぐらい…。



「頑張れ!!さくら!!」


 手を握って、そう言うしか出来ない私は…

 ただ、ただ…無力だった。



 その時…



「嫌だ!!助けて!!なっちゃん!!」


 …なっちゃん…


 その名前は…何度もさくらの口から発せられた。

 初めて聞く名前だった。

 母はずっと…女友達の名前だと思っていたようだが…

 聞いた瞬間から、子供の父親だと気付いた。



 さくらは、私の手を握って。

 どこか遠くにいる…別れた男に助けを求めている。

 そう思うと、心の奥底が冷え切った。


 そして…

 そんなに想い続ける相手から、どうして逃げてしまったのか。

 あんなにキラキラと輝いて歌っていたさくらが、どうして…ここで悶絶しているのか。

 …私は、無性に腹が立った。



 そして…産まれた子供が女の子だったのも…私にとっては、とても残念だった。

 その結果…酷い事を言って…さくらは、そのまま姿を消した。


 …指輪を置いて。



「…あんな体で…いったいどこへ…」


 母はさくらを心配して泣いた。


「…あの子は…どこでも生きて行けるたくましさがありますよ…」


 私は…自分に言い聞かせるように言った。


 出来れば…

 出来れば、アメリカに渡って…歌って欲しい。

 そして、愛する人の元へ…戻って欲しい。



「…可愛らしいこと…」


 母が、腕に抱いた赤ん坊を見てつぶやいた。


「名前を…つけなきゃね…」


 さくらと名前を考えたが…今となっては、それも思い出せない。


「…お母さんに任せますよ。」


 私がそう言うと、母は少しだけ空を見上げて。


「…知花ちはな知花ちはなにしましょう。」


 そう言った。


「…知花ちはな…いい名前ですね…」


 母の腕に抱かれた知花は…何も知らず…ただ、眠っていた…。





 それからの私はと言うと…

 親戚中から責められた。

 黙って結婚して、子供を作っていた事。

 そして、周りから言いくるめられる形で、さくらがいなくなった翌年、許嫁であった容子と結婚する事になった。


 …仕方ない。

 もう、幸せは味わった。



 さくらとの夫婦生活と違ったのは、容子とはセックスが出来た事だ。

 知花の存在を疎んじていた容子は、早くに子供を欲しがった。

 だが…すぐには出来なかった。


 何となく、容子との子供を欲しくないと思ってたいた私は…一人、病院に出向いた。

 パイプカットを希望したが…その前に検査をしてみないかと勧められた。

 その結果…


 無精子症と診断された。


 パイプカットの必要も、ない。

 一気に気楽になった。

 容子は美しい女だが、気性が荒くて好きになれなかった。

 好きにはなれなかったが…セックスの相手としては満点だった。


 容子との間に子供は出来ない。

 これが何年続いたら…離婚出来るものだろうか…などとも考えた。


 が…

 予想外の出来事が起きた。


 容子が…妊娠した。



 私は再び病院で検査を受けた。

 相変わらず、私に精子はいなかった。

 とすると…



「…赤ちゃん。こっちも、赤ちゃん。」


 産まれたのは、まさかの双子。

 その双子を前に、笑顔の知花。

 私に…生きている幸せを味あわせてくれた、さくらの娘…知花。


 私は知花を抱き上げて。


「…知花、妹と弟だよ。」


 一緒に、双子を覗き込んだ。


 容子に似て、二人ともとても整った顔をしている。



「おとうしゃん、あかちゃん、かあいいね。」


 知花は無邪気にそう言った。


「…可愛いか?」


「うん‼︎かあいい‼︎ちはな、あかちゃん、かあいいかあいいしゅる‼︎」



 そう言った知花は…まるで天使のようだった。


 容子は産後ずっと調子が悪く、双子の面倒は主に母が見ていた。

 よく泣く双子に、母は少し疲れていたが…

 そんな時は、知花がわけの分からない歌を歌って聴かせると…なぜか泣き止んだ。


 さくらは歌えなかったが…

 知花は、可愛い声で歌ってくれた。

 日本語とも、何とも言えないような…優しい歌を。



「とうしゃん、あかちゃん、わらってゆよ~。ちはな、もっとうたってあげゆね~。」


「…そうか。いい子だな…知花。」



 私は…

 血の繋がりがない双子に…あまり愛情が湧かなかった。

 知花とも血の繋がりはないが…知花はさくらの子だ。

 だがそれを表に出してはならない。

 知花も双子も同じように愛しているよう…

 …いや、どちらにも…距離を置いていた方がいいのかもしれない。


 ただ、知花が双子に歌ってやったり、頭を撫でる姿が可愛くて…

 その姿をずっと見ていたいと思い、知花のそばに居た結果…

 一緒に双子の面倒を見ているように思われたらしい。



「…あなたがこんなに子供が好きだなんて、思わなかったわ。」


 容子にそう言われた時、私は腹の中で笑っていた。

 子供は好きじゃないよ。と。



 産まれた頃は茶色だった知花の髪の毛が、この頃から…赤くなっていった。



「ねー、なんで知花ちゃんは髪の毛が赤いの?」


「……」


「変な色ー。」



 やがて…知花がそう言っていじめられるようになった。

 春のお茶会で同席した子供達の間で、知花は…好奇の目で見られていた。



「貴司…知花の髪の毛はいったい…」


 母が困ったような顔で言った。


「…突然変異でしょう。」


 実際、私の同級生にもいた。

 両親が生粋の日本人なのに、髪の毛が金髪に近い茶色い子が。



 私と母は…形はどうであれ、知花を愛して止まなかった。

 私達に幸せをくれた、さくらの娘。

 知花を守りたい。


 だが…

 その一心が、時には伝わらない場合もある事を…


 私は、随分後に、思い知らされる。





「春のお茶会、知花も出席させるんですか?」


 容子が面白くなさそうな顔で母に言った。


「…せっかく着物も買った事だし、行かせようと思うけど。」


「いくらカツラをつけても…目の色も何だか…知花は本当に貴司さんの子供なんですか?」


「容子、子供達の前ですよ。」


 双子のうららちかしが五歳になった。

 なかなか喋らなかった二人も、ようやく他人に対しても言葉を発するようになり、今年から春のお茶会に出席させる事にした。

 だが、容子は…知花もそれに出るのがイヤなようだ。



「春休みも知花は寮にいた方がいいんじゃありませんか?本人もカツラをつけなくていい方が楽でしょうし。」


 暮れに8歳になった知花は…少し離れたインターナショナルスクールの寮生になって、二年目。

 一昨年、母が何度も視察に行って。


「貴司、あの学校なら知花もいじめられないと思うんだけど…」


 と、提案して来た。



 私達は、知花をそばに置いて守る事より…

 知花が誰にも咎められず、自由でいられる生活を選んだ。


 最初は、電話をすると無言が増え…

 会いに行くと、何も言わずに涙を目いっぱいに溜めて…私が帰る時には下を向いて泣いていた。


 幼いながらに、容子から嫌われている事を察していた知花は…きっと、自分が要らない存在なんだと感じていたに違いない。


 あの時私が…母が…

 知花をどれだけ愛しているかを、ちゃんと伝えていれば…



「春のお茶会で知花に会うのを楽しみにしてる子がいるんだ。年に一度のお茶会ぐらい、出させてやろう。」


 私が新聞を広げてそう言うと。


「…誰が知花に会うのを楽しみに?」


 容子は低い声で問いかけた。


「ああ…七生ななおのお嬢さんよ。去年のお茶会で知花ととても仲良くして下さって…」


 母は、知花を気に入っている事を…容子に悟られまいとしている。

 私達が知花を可愛がれば可愛がるほど…容子は執拗に知花を毛嫌いし、麗と誓に知花と話をするななどと触れこむ。



「七生って…七生財閥の?」


「ああ。きれいなお嬢さんだ。」


「…なんで知花なんか…」


「……」


 別れたくて仕方がなかった。

 だが、私がこっそりとさくらと結婚し別れた事、知花を引き取って育てた事自体、華道の世界ではかなりのゴシップとなってしまい、母に迷惑をかけた。

 こういう家では、想いは無くても家のための結婚を強いられることは普通だ。

 母もそうだった。


 好きでもない父と結婚させられ、愛人を多く作られ…

 桐生院は終わってると噂され、胸を痛めた。



「ちか、おねぃちゃん、しゅき。」


 それまで無言で遊んでいた双子の…誓が、不意にそんな事を言った。

 言葉を口に出して喋り始めるのが遅かったからか…麗も誓も、まだ言葉が三歳児のようだ。


 誓の言葉に容子は眉をしかめたが、母は誓の頭を撫でて。


「お姉ちゃん、麗と誓が泣いてたら、いつもお歌を歌ってくれてたものね。」


 そう言った。


「うん!!うたってくぇてた!!」


 そう言って、万歳のポーズをする誓を…可愛い…とは思えた。

 それは、知花に懐いているからかもしれない。

 だが、麗は…


「……」


 誓を見て、容子を見て…黙った。



 麗はどこに出しても『お人形さんのようね』と可愛がられる容姿を持っている。

 だが…性格が暗い。

 人見知りも激しい上に、誓のような意思表示もしない。

 容子に抑えつけられているのだろうが。



「誓、おいで。」


 誓を膝に乗せて。


「今度、これに行ってみるか。」


 新聞に載っていた、鉄道の写真展を指差した。


「ポッポ?」


「そう。」


「いくー。」


「よし。」


「貴司さん、どうして誓だけ?」


「麗は女の子だから興味ないだろう?」


 容子に目を向けず答えると。


「…麗はお母さんとお洋服選びに行きましょうね。」


 容子は麗を抱きしめて、そう言った。

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