第4話 それからも…

 〇桐生院貴司


 それからも…

 容子はことある毎に知花ちはなを責めた。

 年に数回しか会う機会はないのに、その数回に全てを賭けているかの如く。

 私はそのたびに容子を嫌いになり、ついに寝室も別にした。


 ちかしは…年に数回しか会わない知花にも、とても懐いていて。


「お姉ちゃん、僕と麗が産まれた年に植えた桜が、あんなに大きくなったんだよ?」


 知花の手を引いて、庭の桜を眺めたりした。

 そんな光景を見ると、どこの馬の骨か分からない男の血が流れていても…素直に育っている誓は可愛いと思えた。


 知花も誓を可愛がっていて。


「誓といるとホッとする。」


 そう言って…広縁で二人でお茶を飲んだりもしていた。

 だが…


「誓、お母さんが呼んでる。」


「あ、うらら。一緒にお茶飲む?」


「……」


「麗、返事ぐらいしなよ。」


「誓、お母さんが呼んでるってば。」


「…分かったよ…」



 麗は、完全に容子の味方だった。

 一人広縁に残された知花は、庭を見渡して…

 小さく…ハミングを始めた。

 その声は…

 さくらがカプリで歌っていた声とは違って、とても寂しそうだった。


 まだ子供なのに。

 寂しさしか知らない知花。


 容子に何を言った所で…知花への接し方は変わらなかった。

 むしろ、知花を庇う事で、それはますます冷たくなっていった。

 私と母は、無意識に…知花を突き放した形になった。


 だが…知花が12歳になった頃。


「…病院に行ってきます…」


 容子が真っ青な顔で言った。


「…どうした?」


「最近…体調が悪くて…」


「どういう風に?」


「どう例えたらいいのか…とにかく…辛いの…」


「運転出来ないだろう?車を出すから、乗って行きなさい。」


「…ありがとう…」


 私も…容子に冷たいばかりではなかった。

 体調が悪いと言われたら、一応心配はする。

 この時も、ただ季節の変わり目で体調を崩したのだろうぐらいしか思わなかったが…



「…原因がよく分からないのですが…とにかく入院してください。」


 行き着けの病院で、いきなりそう言われ。

 容子は、即入院となった。


 激しい眩暈と、嘔吐。

 そして、容子は見る見る衰弱していって…


「…麗…」


 ベッドのそばに、いつも麗に付き添わせ。


「麗だけは…お母さんの味方よね…?」


 9歳の麗に、そう何度も繰り返した。



 それから容子は、ほぼ寝たきりの状態になった。

 言葉も上手く発する事が出来ない。

 色んな医者に診てもらったが…誰もハッキリとした診断を下さなかった。


 自宅療養となった容子に付き添うのは、いつも麗。

 時々母が様子を見に行くと、狂ったように物を投げつけた。


 私は容子が眠った頃に仕事から帰っていたから…

 最後の数ヶ月は寝顔しか見ていない。



 弱って行く容子に付き添ったままの麗が不憫だ、と、母が麗を心配して。

 容子を大学病院に入院させる事にした。

 そこで…



「…毒?」


「ええ…何か毒性の強い物を体内に吸収したためと思われます。」


 今まで行った病院のカルテを集めて、大学病院の医師に渡したところ…そういう結果が出たと言われた。


「毒…」


 何も思い当たらなかったが、容子は月に数回…花を自分で仕入れたいと、自ら出かける事があった。

 それは市場だったり山だったり…


「以前…山に花を探しに行って、毒性の強い物に触れて皮膚を傷めた事がありました。」


「奥様は、よくそういう事を?」


「はい。活ける花を自分で探したいと…」


 私は…容子がそう言って家を空ける時は、男に会いに行っているのだと思っていた。

 だが、皮膚を傷めて帰って来た時…本当に山に行っていたのか…と、疑っていた事を少し反省もした。


「もう少し詳しく検査してみないと分かりませんが、何しろ免疫力がかなり落ちてまして…危険な状態です。」



 医師の言う通り…容子の容態は、入院したというのに驚愕の速さで急変していった。

 数日後には何も喋れなくなり…


「お母さん…死んじゃうの?」


 私の隣で、麗が小さくつぶやいた。

 誓は容子のベッドのそばで、メソメソと泣いている。



 それから間もなくして、容子は息を引き取った。

 呆気ないぐらいだった。



 結局病院側も毒については探り当てる事が出来なかったようで…

 解剖させて欲しいと言われたが、母が拒んだ。


 知花を寮から呼び戻して、容子の葬儀を行った。

 本人の希望で密葬に…と母が言った時は、私でさえそんな事を聞いていないのに?と思ったが…

 母は、私よりは容子と過ごした時間が多いだろうから…と、母の言う通りにした。


 そして…


「若奥様、お辛かったんですね…」


「死にたい…と、よく口にされてましたから…」


 お手伝いの中岡さんと、庭師の長井さんが口を揃えて言った時は…耳を疑った。


「…容子がそんな事を?」


「はい。」


「どうして…死にたいなんて…」


 私の言葉に、二人は顔を見合わせて。


「自分はとても罪な事ばかりをして来たから…と…」


 言いにくそうに…そう言った。


「……」


 容子は…麗以外の人間には、とてもきつかった。

 知花びいきの人間には、とにかく…冷たく当たった。

 中岡さんも、長井さんも、容子には酷い言葉しかかけられていないと思う。


 そんな二人に…

 容子がそんな弱音を漏らすだろうか…?



 罪な事ばかり…

 それは…


 麗と誓の事だろうか。



「……」


 葬儀が終わって、家に戻ると。

 疲れて眠った麗と誓に、知花が布団をかけていた。


「…知花も疲れただろう。休みなさい。」


「うん…でも…」


「どうした?」


「…お継母さんのお骨、一人ぼっちになるの…可哀想かなって思って…」


「……」


 知花は…容子に冷たくしかされていないのに。


「…じゃあ、少し仏間でお茶でも飲んで話すか。」


「お父さんも?いいの?」


「学校の話を聞かせておくれ。」


 私の言葉に、知花は少し嬉しそうな顔をした。



 知花は…葬儀の最中、ずっと…泣きそうな、だけどそれを我慢して…

 泣きじゃくる麗と誓の肩を抱いていた。

 いつもはそれを嫌がるはずの麗も、今日ばかりは…知花の手を頼っていた。

 私は、そんな三人を見ていて…罪悪感を覚えた。


 容子に…もう少し優しくしてやれば良かった。

 そう…思った。



「寮では何をして過ごしてる?」


 私は…知花の何も知らないと思う。

 ただ、知花が自由に…ただ自由にしていられたら、と。


「…何をしてるかな…お姉さん達とテレビ見たり…」


「みんな優しいか?」


「うん…あたしが寮の入り口にお花を活けると、色々質問してくれたり…」


「質問?」


「どういうテーマなのかとか…」


「……」


 知花は…うちに帰って来る事は少ないのに、母や容子が活けていた様子を見ては、見よう見まねで花を活けていた。

 もっとも…容子には駄作だと罵られて…すぐに片付けさせられていたが。

 母は、知花の活けた物を、こっそりと二階に飾ったりしていた。



「好きな男の子は出来たか?」


 私の、何気ない一言に…知花は真っ赤になって。


「そっ…そんな人、いないよ…」


 両手で頬を押さえた。


 …分かり易い。と笑いそうになる反面…

 好きな男が出来るような年頃か…と、寂しくも思った。


 さくらが…私と結婚したのは17歳の時。

 あと四年もすれば…知花はそれに追い付いてしまう。



 …さくらがその後、好きな男の所へ戻れたかどうかなど…私に知る由もないが。

 せめて、知花は…と思う。


 知花は…好きな男と一緒にならせてやりたい。

 桐生院のくだらない仕来たりや柵を取り払って…

 知花には…


 幸せな結婚をさせてやりたい…。




 〇桐生院知花


 お継母さんが…死んだ。

 あたしにはすごく冷たくて…厳しい人だったけど…それでも『おかあさん』と呼べる存在の人で…

 たまにしか会えなかったけど…

 やっぱり、こんな別れは悲しい…。



 妹の麗と弟の誓は、継母さんの美しさをそのままもらって。

 本当に…すごく可愛い双子。

 あたしにとっては、もっと…もっと仲良くしたい存在なんだけど…

 …あたしを嫌ってた継母さんは、麗をあたしに近付けなかった。


 誓は…誰にでも懐いちゃう愛らしさがあって、それは…継母さんにも止められなかったみたいだけど…

 麗は…今も、あたしを『お姉ちゃん』とは呼んでくれない。



「お姉ちゃん、見て。僕、これ活けてみた。」


 通夜が終わって、うちの中は親戚や華道の関係者でごった返してて。

 あたしは、誓と麗と二階にいた。


「誓、すごい。」


 あたしが誓の活けた花を見て言うと。


「…ただ挿しただけじゃない。バカみたい。」


 麗が低い声で言った。


「……」


「……」


「……」


 誓は…寂しさを紛らわせるために花を活けて。

 麗は…寂しいから、悪態をつく…。



「何か果物でも持って来ようか。」


 あたしが立ち上がると。


「僕もついてく。」


 誓は立ち上がって。


「あたしは何も要らない。」


 麗は…そっぽを向いた。


「…行こ、お姉ちゃん。」


 誓に手を引かれて、あたしは部屋を出る。



 階段を下りた所で…


「…何か用が?」


 おばあちゃまと…お手伝いの中岡さん、庭師の長井さんの三人が、コソコソと話している所に出くわした。


「あ…何か果物でももらおうかなって…」


 あたしが遠慮がちに言うと。


「…麗は。」


 おばあちゃまは、あたしと誓を見て言った。


「何も要らないんだって。」


 誓は、あたしの手をギュッと握ったまま。


「…知花。」


「…はい…」


「後で持って上がるから、みんなの前には出ないように。」


「……分かりました。」


 あたしは誓の手を引くと、また二階に戻った。



「…お姉ちゃん、大丈夫?」


 誓が心配そうに顔を覗き込む。


「何が?大丈夫よ?」


 あたしは…心配をかけまいと笑う。


 …バカだった。

 こんな日に、あたしが…堂々とみんなの前に出ていいわけがない。

 おばあちゃまは…あたしを桐生院の恥と思ってる。

 本当は赤毛だし…目の色だって…茶色に少しブルーが入ってて…

 メガネをかけてないと、ハーフ?って聞かれちゃう。


 あたしは…この家に帰るたびに、自分が分からなくなる。

 違う自分に成りすまして…いい子にしてなきゃいけない。


 こんなあたしでも、いつか…

 いつか、あたしだけを大事に想ってくれる誰かと…



 出会えるのかな。

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