第2話 「…そんな条件…本当に?」

 〇桐生院 貴司


「…そんな条件…本当に?」


 目の前で、森崎さくらちゃんが目を丸くした。


「本当だよ。」


「……」


「日本で住む場所を探してるんでしょう?三食寝床付き。文句ないでしょ。」


「……」


 この時の私には…どうしても、目の前の森崎さくらちゃんを連れて帰りたい理由があった。

 それは…


 結婚回避。



 かねてから許嫁だった東海林しょうじ 容子ようことの結婚話が、急速に進み始めた。

 申し訳ないが、彼女と結婚するつもりはない。

 それでなくても…継ぎたくもない会社を継いだ。


 スプリングコーポレーション。

 父の急逝でやむを得なく。



「…貴司。あなたの言ったアメリカ土産は、コレですか。」


 さくらちゃんを連れて家に帰ると、母は厳しい顔でそう言った。


 そうですよね。

 そうなりますよね。

 予測はしておりました。

 気に入らない事でしょう。



「母さん、そんな失礼な言い方ないでしょう。」


 私は笑顔で。


「森崎さくらさん。結婚前提で付き合う事にしたから。」


 そう言った。


「…森崎さんの前で言いたくはないですが、あなたには婚約者がいるでしょう?」


 早速来ましたね。


「母さん、何度も言いますが…私は婚約した覚えはないですよ?」


「あなたは仕事が面白いのかもしれませんが、桐生院がどうなってもいいと思ってるの?」


 仕事が面白い?

 とんでもない。

 面白くなんかありませんよ。

 私は…


 生きている事自体、全く面白くないんです。



「あのっ!!」


 突然、さくらちゃんが大声を出して…とても久しぶりに、ビックリした。

 何かに驚いて肩が上がるなんて、どれぶりぐらいだろう。



「あ…あ、すみません…」


 さくらちゃんは少しだけ声を小さくして。


「あの、あたし…分からないなりに、一生懸命頑張ります。」


 母さんに向かって言った。


「…何を頑張るおつもり?」


「何を…」


 ああ…さくらちゃん、ごめん。

 私とした事が、その先の指示を忘れていたね。

 でも、何となくだけど…君だったら、何とかしてくれるかなって思ってしまったんだよ。



「まだ、高校生ぐらいじゃないの?」


「…16歳です。」


「学校は?」


「通信教育で、高校卒業課程は修了しました。」


 え?そうなの?

 意外と頭はいいのかな?


 カプリで歌っている姿や…プレシズで飛び跳ねて歌ってた姿からは、失礼だけど頭の良さは想像できなかったよ。



「とにかく、さくらちゃんには今日からここで暮らしてもらうから。」


 とりあえず強行突破に出よう。

 そう思って、アクビを押し殺しながら。


「疲れたので休みます。おやすみなさい。」


 さくらちゃんと母さんに、お辞儀をした。



 生きている事が面白くない。


 その理由は…

 私は、どんなに誰かを愛しても、その人と…繋がる事が出来ない。

 つまり、セックスが出来ない。

 何とも思っていない女性となら出来るのに…


 さくらちゃんには…一目惚れ…一聴き惚れした。


 天真爛漫。

 そんな言葉がピッタリだと思った。


 こんなに可愛い子を妻に出来たら…私は…

 そう夢を見かけて…


 偶然、空港で…彼女と会った。


 彼氏と別れた…と。

 想い人のいる彼女を妻にできるかもしれない。

 とっさに…私の頭の中で計画が始まった。



「うちで結婚前提として一緒に暮らすのはどうかな。」


「…結婚前提?」


「あくまでも、芝居だよ。だからセックスもしない。」


「……」


「疑ってる?」


「だって…桐生院さん、男の人なのに…」


「そう。男だけど…残念ながら、私はセックスが出来ない人間なんだ。」


「…え?」


「不能なんだよ。だから安心して。」



 さくらちゃんは、話しに乗った。

 住む場所が欲しいがために。

 私にとっては、さくらちゃんと彼との別れは好都合だった。



「貴司!!ちょっと降りて来て!!」


 一目惚れの相手を放置して、もう眠りたいんですけど…などと思うのが間違いだった。

 そう思いながら、母のただならぬ声に下に降りると…


「森崎さん…妊娠してるんじゃないの?」


「…え?」


「客間に敷布団、二枚重ねて敷いてちょうだい。」


「…はい…」



 …好都合だ。

 さくらちゃん。

 私は、何としても君を…妻にしてみせるよ。


 だから、跡継ぎを…産んでおくれ。





 生きている事自体面白くなかった私にも…穏やかで、そうかと思えば賑やかな幸せが舞い込んできた。



「お母さん!!あたしも手伝う!!…手伝います…」


「…お母さんと呼ばないで下さいな。」


「えー、だって、おばさんって呼ぶのおかしいし…」


「…どうしてですか。おばさんでいいです。」


「でも、せっかく同じ家にいるんだから、その間だけでも。」


「……好きになさい。」



 ふっ…。


 さくらちゃんは本当に…不思議な子だ。

 母が翻弄される姿なんて、初めて見る。



「…さくらさん、それはいったい…」


「テーマは、タワーリングインフェルノ。どうかな。」


「……」


 タワーリングインフェルノ…ふっ…ふふふ…あははははは。


『そびえ立つ地獄』って。

 活けられたサルビアも、まさかそんな名前が付けられたとは思っていないだろう。



 とにかく…さくらちゃんはよく笑い、真剣なのに可笑しくて笑わせられる。

 …この子を…本気で妻にしたい。

 そう思い始めた。

 彼女に想い人がいる…今も。



 さくらちゃんは時々、寂しそうに空を見上げる。

 そして、何かを言いたそうに…口を小さく開く。

 だけど…言えなくて閉じる。


 いつも明るい彼女のそんな様子を見るたび…無理矢理のように連れて帰ってしまった事を…間違いだったのではと後悔もする。

 それでも今は…

 私は自分の欲を満たしたい。



 庭師のチョウさん…と、さくらちゃんにあだ名をつけられた長井ながいさん。

 二人が庭で掃き掃除をしている所に、私は近寄った。

 花束を持って。


 今日は、さくらちゃんの誕生日。

 この間からずっと…空を見上げては泣きそうな顔になるのは。

 きっと…今日、この日に。

 何か特別な何かが予定されていたからじゃないかと思う。


 バサッ


 上を向いたままのさくらちゃんの頭に、軽く花束を押し付けた。


「……」


 驚いた顔のさくらちゃんが、振り返る。


「さくらちゃんにチューリップはどうかなとは思ったけど…」


 私は、ゆっくりと花束を差し出した。


「去年、バラの花束もらってたのを見て…違うなって思ったんだ。」


 ピンク色のチューリップ。

 本当に…さくらちゃんのようだ。


 さくらちゃんがそれを受け取って。


「誕生日、おめでとう。」


 さくらちゃんの目を見て言うと。


「…え…知ってたの…?」


 ふふ…いつも丸い目だけど、いつもに増して丸いな。


「一年前の今日、君に一目惚れした。」


「……」


「森崎さくらさん。」


「…はい…」


「順番がおかしいかもしれないけど、私の妻になって下さい。そして、ゆっくりでいいので…私を知って下さい。」


 生まれて初めて…こんな感情を抱いた。

 この子を妻にしたい。


 …抱けなくても。

 いつか…そんな日が来るなら…

 この子を、そばに置いておきたい。




 かくして…私とさくらは結婚した。

 結婚と言っても、婚姻届を書いて出しただけのもの。

 式も挙げていなければ、親戚にも会社にも報告していない。

 まあ、いつか…どうにかするつもりだ。

 結婚指輪をしたし…誰かが聞いてきたら、さりげなく言ってみようか。


 あれだけ仕来たりや常識にうるさい母が、それを黙認しているあたり…母もさくらを可愛いと思っているに違いない。



 私は…桐生院の父が愛人に産ませた子で、母の実子ではない。

 だが、愛人が男を産んだと知って…祖父母はたいそう喜んだらしい。

『貴司』という名前もどちらかが付けたと聞いた。


 私が桐生院にもらわれたのは、母が妹を産んで子宮を痛め、もう子供は産めないと言われた後だった。と、のちに聞いた。

 実の母の事は…もう思い出せない。


 小さな頃の思い出は、いつも一人だった事と、たまに来る桐生院の父がやたら高価なお土産をくれていた事ぐらいだ。


 桐生院に来てからは、厳しい母と幼い妹…

 血の繋がりのない、この二人と一緒にいる事が多かった。

 父は仕事人間でほとんどうちにはいなかったし…今思えば、この時父はまだ私の実の母と切れてなくて、あっちへ通っていたのかもしれない。



 桐生院の母は、厳しく優しい人だ。

 私の事も父の愛人の息子だと思うと憎いだろうに。

 厳しく接しているつもりでも、私を不憫に思ったのか…時折見せる優しさに、私は心底感謝した。

 そして、そんな母を…大事にしたいと思った。


 だが、母は何かとツイてない女性で。

 私が15歳の時、母の実子である妹が事故死した。

 青信号を渡っていただけなのに。

 左折してきた車に巻き込まれた。



 それから二年後。

 父の女癖の悪さは相変わらずで。

 私が17歳の時、父は何人目かの愛人の家で病死した。


 まだ若かったのに。

 頑張りすぎたらしい。


 まだ17歳だった私に、色んな事が降りかかった。

 父は後継者として私の名前を挙げていたからだ。

 経営の事も仕事の事も、何も教わっていない私を。


 とりあえず大学でそれらを勉強するから、と。

 大学卒業まで、社長就任は待ってもらった。

 それまでは、ずっと父の片腕としてやっていた、辻さんという人に任せた。



 どちらかと言うと、華道の方に重きを置きたかった。

 母を大事にしたかったから。

 娘と夫を亡くした母に、私という希望がいる事を知って欲しかった。


 だが…

 私は母から見たら愛人の息子で、他人だ。

 華の方は自分の代で終わらせてもいいぐらいの気持ちでいたらしい。

 それか…私に跡継ぎを作って欲しい、と。



 だから…

 好都合だった。


 さくらの妊娠が分かった時。

 私は、心の中でガッツポーズまでした。


 これで、男の子が生まれれば…


 私は、母に認めてもらえる。と。





「何か歌ってくれないかな。」


 母が不在の日。

 さくらに、そうお願いしてみた。


 だが…さくらは…


「…ごめんなさい…なんか…なんて言うか…」


「……」


「歌おうとすると、声が出なくなって…」


 とても寂しそうな顔で言った。



 …彼との別れが、そうさせたのか…

 さくらは本当に…歌おうとすると胸がつまるような感覚になるらしく、とても苦しそうな顔をした。



「…ごめんなさい…」


「いいんだ。それより、お腹に悪いから、あまり気にしないように。」


「…ありがとう…」


 さくらの歌が聴けないのは…とても残念だった。

 だが、さくらがいてくれると…母がとても元気で、それで私も元気になれた。

 生きている事が、面白くなって来た。



 さくらは時々私と母が驚くような事を平気でやった。

 時計を分解して直したり、トースターもそうだ。

 鳥の巣箱を作って、庭に鳥を集めたり…

 母の生徒さんが持って来ていたらしい花火の火薬をまとめて、見た事のない『ポン』と音のする花火を作ってみたり…


 本当に、ビックリ箱のような女性だ。


 そんなさくらを、母も好きになってくれているようだった。



「貴司、これなんかどうかしら。」


「女の子の色ですが。」


「ああ…そうね。じゃあ、どっちでもいいように…黄色がいいかしら?」


「私にとっては、黄色も女の子の色ですが。」


「じゃあ、どれならいいの。」


「…空色はどうでしょう。」


「空色は男の子の色じゃないの?」


「……」



 調子の良くないさくらの代わりに、母と二人で買い物に出かけた。

 何を買っていいか分からない私とは反対に、母は手際よく…そして楽しそうに色々な物を手にした。


 性別がどっちかなど…気にしてはいないが…

 私としては、男の子が生まれて欲しい。

 そうでなければ…

 母を失望させる気がする。



「ああ…これ見て貴司。可愛いこと。」


 そんな母を見て、私も満足だった。

 結局、色は…白い物ばかりになった。



 今まで生きて来た中で…一番、幸せと思える時間だった。

 母と、さくらと…

 三人で過ごす時間は、とても穏やかで、優しかった。


 ああ…生きているんだな。

 そう思えた。


 さくらと出会えた事を…



 心から感謝した。





 …感謝…したのに…。


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