平成最後の……。
ありま氷炎
平成最後に。
「ちょっと待った!そこの人!」
街外れの廃墟――元はホテルであったその建物の屋上で、まさに身を投げようとしていた男が動きを止める。
男は40から50代。ねずみ色のスーツを身に着けたサラリーマンで、かなりガタイのいい男だった。角刈りの髪型にぎょろりと大きな目玉。とてもじゃないが自殺するようなタチに見えない。
男はひとまず身を投げるのをやめ、声の主を探すようにきょろきょろと周りを見渡す。
「死ぬ気?死ぬなんてだめよ。絶対にだめだから!」
大声を上げながら、そんな男の目の前に突然現れる女性。通常であれば彼女が不意に現れると、多くの場合、悲鳴をあげる。だが男の反応は全く別のものだった。
「お、お前、もしかして平?」
「へ?な、なんで私の苗字、知ってるの?」
男の反応に驚いたのは彼女の方で、半透明の体であたふたと動き回る。
半透明の存在――彼女は正真正銘の幽霊であり、幽霊歴27年だ。
平成3年、このホテルがまだ営業している繁盛期に、屋上から飛び降り自殺した。
そんな幽霊な彼女は、ゆっくり男に近づき、自分の名字を当てた男の顔を凝視する。目の前の少し疲れた中年のおじさんの顔と、過去の記憶を合致させ、彼女はある名前を思い出した。
「ま、まさか成田なの?」
「ピンポン♪」
明るい口調で死語とも言える返事をして、成田は笑った。
「なんか、変な感じだな」
空に浮かぶのは金色の三日月。
街灯もなく、闇に目が慣れても、物の輪郭が捉えられるくらいで、視界はかなり質の悪いモノクロ画像のよう。
ただ幽霊である平は白く発光しており、その女性にしては凹凸の少ない体の線がくっきりと浮かび上がっている。
彼女の格好は自殺当時のもの。
ボディコンスーツに、髪型は当時流行っていたワンレンロング――前髪、横髪、後ろ髪が同じ長さのロングのストレートヘアだ。
本人が死ぬほど、いやすでに死んでいるのだから、その言い方は間違っているが、平は、自身の格好が大嫌いだった。
生暖かい成田の視線をひしひしと感じて、その視線から逃れるように、彼から距離を取る。
「じっとみないでくれる。私だって、なんでこんな格好で自殺したのか。27年立つけど、本当に後悔しているのよ」
「あ、当時、流行っていたもんな。あ、もしかしてジュリアナ東京のお立ち台とかで踊ってたとか?」
成田は当時のテレビの映像を思い出し、そんな軽口を打つ。すると、それは大当たりで、平の動きが固まった。
「え?まじか?うわ―。驚き桃の木山椒の木だな」
「悪い?悪かったわね!」
彼の驚きがあまりに大仰だったため、平は苛立ちまぎれに返した。
「悪くはないよ。ただ意外すぎて」
「そう。意外よね。意外!私だって、こんな格好を自分がするなんて思ってもいなかったわよ!こんなに頑張ったのに、あいつは私を捨てて!」
平が自殺した理由は男に振られたからだった。
短大を卒業して、職場で出会った先輩。
初めて彼氏ができて彼女は完全に舞い上がり、彼の言うままになんでもした。
そうして似合わない、柄でもないボディコンスーツまで着て、東京ジュリアナという平成3年にオープンしたディスコで踊った。踊りなんてわからなかったけど、見様見真似。お立ち台まで乗るようになったのに、彼はあっさり別の子に乗り換えた。
平ではなく別の子の手をとり、消えていく彼。
彼女はそのまま、宿泊予定だったホテルの屋上にあがり、身を投げた。
「悪かったな」
平が取り乱したことで、成田は素直に謝る。
「いや別に。こっちこそごめん。もう27年も経つのに、思い出すとだめね」
もうあれから27年。
けれども、平の心は癒えることはない。
だからこそ、こうして彼女は自殺したホテルの場所にとらわれ、地縛霊としてこの地をはなれられないかもしれない。
「私のことは置いといて、成田はどうしたの?自殺ってタイプじゃないんだけど?」
成田は腕を組み、屋上出入口の壁に寄りかかり、宙に少し浮いている平に目だけ向ける。
「間違って落ちそうになったとか?」
「俺は、死ぬつもりだったよ。確かに俺は自殺するような奴じゃない。だけど、俺は死ぬ気だった。俺、病気なんだ。癌。大腸癌のステージ3。手術したら助かるかもしれないけど、今更がんばるのもつらいしなあ。仕事休んだら、もう復帰できないだろうし。だから死のうと思って」
「は?」
この27年、平が自殺したせいか、ホテルで自殺未遂が相次いだ。それは閉鎖された今でも変わらず、平は何百人もの自殺を止めてきた。
自殺願望者の思いはいろいろだ。
地価高騰のおける不動産バブルがはじけ多額の借金を抱えた人、記録的冷夏による米不足の影響で倒産に陥った弁当屋の人、Jリーグというサッカーのプロリーグが開催され、奥さんが選手と浮気して、自殺を考えた旦那さん。
そのほか、カルトな宗教――オウム真理教というのがあって、それがサリンという毒ガス事件を起こして、死傷者が出た。その責任を感じた信者だった人が自殺をしようとしたり。
また日本四大証券会社のうちのひとつ、山一証券が倒産し、それまで大金持ちだった人が、一文なしになって自殺しようとしたり。
アメリカで飛行機4機をハイジャックしてビルにぶつけるというテロがあって、恋人をなくした人の自殺を止めたり。
願望者が一番多かったのは、平成に起こった多くの地震、津波により災害で、家族を亡くした人の後追いだった。
話を聞きながら、何度も泣いたことがあったが、平は死ぬのはよくないと止めてきた。
自身が軽く自殺しているのだから、まったく説得力に欠けるが、彼女は説得をし続けた。
こうして彼女は 過去にいろいろな自殺願望者の話を聞いてきたが、こんなに明るくさっぱり語る人がいなくて、平は戸惑ったまま、成田を見るしかなかった。
そんな彼女から視線を外し、成田は空を仰いだ。
「俺は平成の間に死ぬ。そう決めてるんだ。平成最後の死者になるつもりだ。何がアベノミクスだ。やっとこれからってところで、なんで病気になるんだ。仕事のために、全部犠牲にしてきた。だが、病気になったらそれで終わりじゃないか」
成田はそう吐露するが、平にはさっぱりその考えが理解できなかった。
「平にはわかんないか。本当お前の人生、無駄だったよな。まあ、幽霊になって若いままでいられるからいいのか」
「どういう意味?無駄なんて、本当頭にくるわね。あなただって、死んだら一緒。一緒なんだから」
「死ねば一緒か。確かに」
成田は酒でも入っているのか、バカみたいに笑い出す。
「これ以上、馬鹿なことは続けたくない。無駄だからな。俺は死ぬ。飛び降りは途中で記憶がなくなるから痛くないんだろう」
「知らない。そんなの。そんな風に死ぬんだったら、絶対に私は止める。死ぬのはダメ。死んだら何もできないのよ!」
「でも、お前は楽しそうじゃないか。高校の時は、お前ずっとつまらなそうだった」
「あれは……」
ふと自身の根暗な学生時代を思い出し暗い気持ちになる。
だからこそ、短大を卒業して、できた彼氏との思い出は光り輝いていた。それは無駄ではなかった。自殺したことで自身を終わらせてしまった。生きていれば、ほかにも楽しいことがあったかもしれないのに。
「成田。死んでも楽しくないよ。私が自殺を止めるのは、死んでほしくないから。私みたいに後悔してほしくないの」
「後悔か。俺は多分しないな」
成田はそう言い、平に背を向けた。
「成田!」
「まあ、幽霊になったら遊ぼうぜ。いろいろ教えてくれよな。先輩」
「馬鹿!」
幽霊は物理的に物をつかんだりすることはできない。
だけど、生きているものの動きを止めることはできる。
「お、い!」
平は成田の中に入り、その体の動きを止めた。
「やめろ!」
「やめない!死ぬのをあきらめるまではやめない」
「嘘だろう。この、離れろ!」
傍から見ていたら気が狂ったような動きを成田はしていた。
自身の体をつかんだり、つねったり。
30分ほど繰り返していたが、とうとう成田は音(ね)を上げた。
「わかった。死なないから離れてくれ」
「本当?」
「ああ」
「約束だからね」
「ああ」
成田が頷き、平の半透明な体が彼から抜け出る。
「あ!」
そうして自由になった体で、成田は腕時計を確認して、へたりと座り込んだ。
「5月1日になっちまった」
「平成が終わったってこと?。平成の次の元号はなんていうの?」
「……令(れい)和(わ)」
「れいわ?」
「命令の令に、平和の和って書くんだ」
「ふうん。いい名だね」
「そうだな」
結局成田は平成のうちに死ぬという目標を達せず、平にもう自殺しないと約束させられ、廃墟のホテルを後にした。
彼は大腸癌の手術を受けることにして、職場にもその旨を提出。彼の予想とは反して、職場は全面的に彼をサポートした。手術後の化学療法が終わり次第、ゆっくりと職場復帰を望まれている。
誰かに期待されていることは彼にとっては気力につながり、術後も良好、化学療法も順調に進む。
治療の合間に彼は廃墟のホテルを訪れた。
それは平にお礼を言うことと、もう一つ。
彼は決めていることがあった。
「平。俺はしぶとく生きて、自然死するつもりだ。そしたらお前も成仏しろよな。来世では、お前を幸せにするから」
「な、何言っているのよ」
「高校の時、ちゃんと告白しておけばよかったよ」
「は?」
「んじゃ、またくる。先に成仏するんじゃないぞ。じゃな」
「成田!」
彼は平の言葉を待つこともなく、手を振るとさっさと建物を後にする。
成田は大腸癌の再発もなく、88歳で死去。
いわゆる孤独死であったが、その死に顔はとても穏やかなものだったという。
――平!迎えに来てやったぞ。一緒にあの世に。行こうぜ
――お疲れ様。おかげですっかり未練なんてないよ。
(おわり)
平成最後の……。 ありま氷炎 @arimahien
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