英雄の条件

 まるでゾロなど最初からいないようだった。

 街を歩いても、行われている人形劇は、カサノバの情事を面白おかしく仕立てたものばかりである。


 もはや、ゾロは求められていないのかも知れない。


 もしくは、民衆が政府を恐れてしまっているのだろうか……。

 どちらにしろ憂鬱だと感じながら、ベルナルド候は目的地へと着いた。


 訪れたのは、ドゥカーレ宮。

 目の前にいるのは、束ねたブロンドと恵まれた身体を持つカンディアーニ総督。

 あいかわらず雑多な品物が揃えられている執務室で、ベルナルド候はカンディアーニと対峙する。


「話があるということだったが、一体どんな御用かな」


 ベルナルド侯爵は立ったまま憮然として言う。


「まずはご足労感謝致します。ベルナルド候」


 カンディアーニは口の端を吊り上げる。

 その独特な空気の軽さは、フランチェスカのような雰囲気を感じさせた。


「話というのは他でもありません。ヴェネツィアの獅子のことについて、少しお話でもお聞きになられてはみませんか?」


 これを聞いて、ベルナルド候の顔色が変わる。


「……仮面舞踏会の日に、その獅子を披露するそうですな」

「ええ。それに先駆けて、ベルナルド侯爵のお目に入れておきたいものがありましてね」


 言いながら、カンディアーニは鉄の箱を机の上に出した。


「その箱はなんだ?」


 ベルナルド候が訊くと、


「……生物の身体は一体どうやって作られているか、侯爵はご存知かな?」


 カンディアーニは箱を両手で弄びながら言う。

 ベルナルド候は軽く溜息をついた。


「問答もいいが、今日は話を聞かせてもらうだけにしよう」

「ではそのように」


 カンディアーニは椅子の背にもたれ掛かると、


「――我々の身体は、結局のところたった四つの文字で出来ているのです。鳥は翼を持ち、獅子はたてがみと牙を持っているが、それらも結局は文字で作られた個々の文章に過ぎない。そして――この箱には、それら生き物全ての情報が記録されているのですよ」

「ロゴス……の話にしては奇妙だ」

「ノアです、ベルナルド候」


 カンディアーニは箱を片手で回す。


「行商はこの箱をただの玩具としてしか捉えていなかった。おかげでこれ本来の価値からみれば、格安で買うことが出来ましたよ。私はすぐにこの箱を試し、そして、生み出されたものこそ……聖マルコの有翼の獅子です」

「……その獅子は、鼠のように小さいのか?」


 ベルナルド候が訊ねる。

 カンディアーニは鼻を鳴らした。


「この箱は生物の子供の元を作るのですよ。後は動物の腹を借りて生ませ、こちらで育て上げるのです」

「むう」


 ベルナルド候は眉根を寄せる。

 総督の話が、あまりにも突飛すぎるからだ。

 にわかには信じがたい。

 ……すると、総督の執務机の影から、一匹の動物が姿を見せた。

 それは無邪気な獅子の子供で……


「……まさか」


 ――その背中には、小さな翼が生えていた。


「総督。お前は……現代のヘラクレイトスになるというのか」


 ベルナルド侯爵は戦慄する。

 カンディアーニは幼い獅子を抱き上げて、撫でつけた。


「世界の根源は闘争にある、とは言いませんが、火から生まれる者の話は多い。それと――お話はもう一つあるのです、ベルナルド候」

「……これ以上の話があるとは思いませぬがな」


 ベルナルド候は参りきった声で言う。

 カンディアーニは獅子を床に下ろし、


「ともに休暇を、と言っていた件ですが、もうそれをする必要もないようです」

「それはどういうことだ?」

「いえ……予定では銃を持って狩りにでもと思っていたのですが、狙っていた獲物のしっぽを幸運にも先日掴むことが出来たのですよ。……ところでベルナルド候。あなたは舞踏会に上等な毛皮の衣装をおあつらえになられたとのことで」

「む……」

「よろしければ、舞踏会の当日、獲物の皮を剥いであなたに贈呈させていただきたい。その大物さにはさぞや驚かれることとと思われますが、あまり取り乱しすぎることのなきよう。これが、私からの親睦の証ですよ……これは実に上等な、活きの良い狐の毛皮になるのでね」


 にやりと笑うカンディアーニ。

 ベルナルド候は、ピクリと白い眉を揺らしたのだった……。


    ◆


「――どうか、ゾロを助けてはくれないだろうか」


 次にベルナルド候が悩ましげな声をあげたのは、フランチェスカの屋敷に訪れてからのことだった。


「言っておきますけれど、」


 フランチェスカは迷惑そうな顔を隠さずに、お気に入りのソファーに座ったまま、


「確かに、総督がゾロの尻尾を掴んでいてもおかしくはないでしょうね。けれど、だからといって今度はわたしにゾロまで助けろだなんて、流石に無茶もいいところじゃないかしら?」

「……ゾロが死んでしまえば、もうカンディアーニに逆らえる者はいなくなってしまうだろう。唯一、今の状況を変えられるとすれば――」


 ベルナルド候は、神妙に目をつむる。

 フランチェスカは、ぷいと顔を背ける。

 そして、なにも答えない。


「……お邪魔いたしました、フランチェスカ殿」


 沈黙のあとに立ち上がり、ベルナルド候は肩を落として部屋を辞する。


「おや、もうお帰りですか?」


 侯爵と入れ替わりに入ってきたのはアントニオだ。

 ベルナルド侯はアントニオに目礼だけをし、しずしずと去っていった。

 アントニオはいぶかしみつつ、フランチェスカに近寄る。


「馬は譲ってはもらえないそうです。が……モンテロ伯の処刑の日にゾロが乗った馬なら、私が管理しております」

「そう……」


 フランチェスカが小さな声で答える。

 そして立ち上がると、紺色のストールを肩に羽織った。


「気分転換ですわ、アントニオ」 

「どちらへ?」

「気ままにね」


 アントニオはうなづき、外へと随伴する。

 お金はたくさんあったので、思うままに買い物をした。

 物を探してはしゃぐフランチェスカの様子は、いつも通りだ。

 だが……いつもと変わらない、ということこそ可笑しなことなのだ。

 フランチェスカが、こうやって無理をして明るく振舞うことは、珍しかった。


「……宮殿での舞踏会は、いかがされますか?」


 帽子の感想については答えず、アントニオが聞く。

 フランチェスカは帽子を脱ぐと、


「……どのみち、わたしは呼ばれていませんわ」


 と、帽子を眺めた。


「ゾロについては――いかがお思いでしょうか」


 アントニオは、両手に品物を下げつつ言う。


「わたしは一人の観客にしか過ぎないから、なにをどう思ったとしてもしょうがないことですわ。強いて言えば……今度の劇は、見たくはありませんわね」


 フランチェスカは帽子屋を後にしながら答える。


「……私は、ベルナルド候がフランチェスカ様にご期待なさる気持ちについて、わからなくもありません」


 フランチェスカは立ち止まり、振り向いてベルナルドを見る。

 執事はなにもかもお見通しだったようである。

 フランチェスカは深く溜息を吐く。


「変な期待をされても困りますわ。わたしはそもそも、舞台に立つ資格すらない人間なのだから」

「どうしてそう思うのですか?」


 フランチェスカは立ち止まり、視線を横に流す。


「……一番怖いのは、なにも知らない自分が飛び込んだせいですべてがめちゃくちゃになってしまうことよ。素っ頓狂な役者が引き起こす混乱は、悲劇にも喜劇にもならない本当の惨劇なのではないかしら。わたしは道化は演じるけれど、はた迷惑な馬鹿になるのはごめんこうむりますわ」

「皆が踊り方を知っているわけではありません。誰もが不安を抱きながら、それでも自分の行動を考えているのではないですか?」


 アントニオが諭す。

 フランチェスカは視線を落とし、


「なにかを信じるということは、なにも知らないままでいることと同じですわ。信仰か無知、そのどちらかがあって人は動けるの。疑り深いわたしには、人を信じることも、なにも知らないでいることも出来ません。だからわたしはいざというときに何もできないの。だから人と深くは関わらないようにしているのよ。関わらなければ……逃げずにすみますから」


 そのときだった。

 ゾロが出たぞ、という声がして、フランチェスカは思わず振り向く。


「あら……」


 そこにあったのは、ゾロの真似をして遊んでいる子供たちの姿だった。

 明日に迫った仮面舞踏会用の衣装なのか、三人の子供はそれぞれ、ゾロとカサノバ、そして総督の格好をしていた。


「今日がお前の最後だ、ゾロ!」


 総督が叫ぶ。

 するとカサノバは逃げ出し、ゾロは「望むところだ!」と受けて立つ。

 チャンバラが始まり……総督の剣はゾロを何度も切る。

 だが。


「ちょっと! 卑怯だよっ」


 切られたゾロは、相変わらず元気に総督と戦い続ける。

 総督役の子供から苦情がきても、ゾロ役の子供は楽しそうに笑うままだった。

 それを見ながら、アレハンドロは優しい笑みを作る。


「お嬢様。……なぜ、ゾロは死なないのでしょうか?」

「死なない? おかしなことをいうのね。ゾロは死ぬのよ」


 フランチェスカは冷たく答える。

 しかしアントニオは笑みを絶やさず、


「アントニオはおかしいことなど申しておりません。それに、あなたは確かにその理由を知っているはずではないでしょうか?」


 フランチェスカは、騒がしく遊ぶ子供たちを眺める。


「……死なないのは、ごっこ遊びをしてるあいだだけですわ。そしてロリタは、ゾロなんてやっていたから死ぬことになったのよ」

「なぜ、ロリタ様はゾロになったのでしょう?」

「知りませんわ。わたしには理解しかねることです」

「では……あの子供たちは、どうしてゾロのごっこ遊びなんかをしているのでしょうか」

「それは……」


 答えようとして、フランチェスカは視線を地面に逃がす。


「フランチェスカ様は、信仰と無知によって人は動く、と申し上げられました。しかし、それ以外にも人を動かすものはあるのだと私は思います」

「それはなに?」


 子供たちは、もう何処かへ消えていた。

 彼らの姿を探すように、フランチェスカは遠くを見つめた。


「さて――彼らにとって、ゾロとは一体どんな相手なのでしょうか。そしてご自身が何者であるかを知れば、おのずと行動も決まるはずです」


 フランチェスカは、小さく笑った。


「――ずいぶん回りくどいのねアントニオ。ようやく、あなたの言いたいことがわかりましたわ」


 楽しげにいうフランチェスカ。

 彼女の笑顔には、すっかり以前の元気が戻っていた。


「僭越ながら申し上げますと……お嬢様の頭が回っていなかっただけかと」

「面白かったわ、感謝いたします。それでは――準備をしなければね」


 フランチェスカとアントニオは、動き出した。

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