処刑
モンテロの処刑が執行される日。
広場には、大勢の観衆が集まっていた。
罪状は、国賊支援による内乱幇助罪。
ゾロに与する者はどうなるか、その見せしめとしてモンテロは処刑台に晒されていたのである。
そのため、今日の昼の処刑は数日前から盛んに広報されていた。
「鞭打ち、ねえ……」
フランチェスカも観衆に混じって処刑台を見上げる。
「あんなに太った身体に鞭をあてて、効果はあるのかしら」
「鞭は皮膚の痛覚にうったえる罰。脂肪はあまり関係がないのだ」
ベルナルド候が説明し、フランチェスカは縛られているモンテロの姿を再び見上げる。
「ふうん。モンテロ伯爵にはお世話にもなっていたからお気の毒ですわ」
「鞭打ちは本人が受ける痛みもさることながら、見た目も凄惨ですからな。政府と裏で繋がっていたモンテロ伯爵ではったが、最後はみせしめに利用される結末となってしまったようだ」
「……ところで、ロリタはどうしていますの?」
「具合が悪いと言って仕事を休んでいるようですが、あれはこんな見世物など見る娘ではないゆえ、おそらくここには来ぬでしょう」
……やっぱりね、とフランチェスカは視線を流してつぶやく。
処刑の口実が嘘であることは、自分がよく知っている。
そしてゾロが――この状況に黙っているような性格ではないこともだ。
「ところで、そちらこそアントニオ殿はどうなされたのかな?」
ベルナルド候が周囲を見渡して訊く。
フランチェスカは「ああ……」と少し間を置いて、
「アントニオには、いざという時のために準備して貰っていますわ」
「いざという時?」
「ええ。ゾロがここにやってきたときのためにね」
「まさか、彼を捕まえようというのでは……」
片眉を上げるベルナルド候に、フランチェスカは髪をかきあげながら、
「むしろ逆ですわ。わたしはゾロと総督のどちらに肩入れをするつもりもありませんけれど、友達を助ける程度の義侠は持っているというだけです」
「ふむ……?」
フランチェスカたちが会話をしている間にも、処刑の準備は着々と進んでいる。
丸太を抱くようにして縛り付けられたモンテロは、上着を強引に上へとたくし上げられ、たるんだ背中をあらわにした。
執行人がモンテロの名前と罪状を大声で読み上げる。
喧騒の中、執行人は読み上げを終えると、鞭を構えた。
「では――!」
最初の一撃が放たれようとし、モンテロが猿ぐつわを噛み締めたしたとき。
観衆の後方から、どっと喝采があがった。
「やつだ! ゾロが出たぞ!」
黒い衣装に身を包んだゾロは、観衆を掻き分けながら一直線に処刑台へと疾走する。
見事な剣技で警備をいなし、台上へと立ったゾロは、モンテロが縛りつけられていた縄を切って戒めを解いた。
「はっきりと言っておくが、私とモンテロ伯爵との間に繋がりなどはない! これは政府がたくらんだ我々へのちゃちな脅しだ! こんなことをしても私は不当な圧力には決して屈しはしない! そして今日のように、そうした被害をこうむる者を私の剣は決して看過などはしないだろう!」
ゾロの演説に、広場の観衆は沸き立つ。
「――逆賊め。この処刑台はお前の為に用意したものだ。今日こそ決着をつけてやる」
剣を抜きながら台に上がったのは、ガスパロ准尉だった。
ゾロも剣をしならせ、
「面白い。准尉には少しお灸をすえてやらねばと思っていたところさ」
連日ガスパロ准尉に口説かれて迷惑していたロリタは、やれ好機を得たとばかりに准尉に対峙する。
ゾロに銃を向ける衛兵もいたが、准尉や観衆に当たったらどうする、と上司からたしなめられていた。
ゾロに向かうガスパロ准尉の太刀筋は、決して鈍くなどなかった。
それどころか、相当な鍛錬を積み直したのだろうと思われるその剣は、流石は准尉という階級についた人間だと、思わず見直してしまうものがあった。
今の彼なら、フランチェスカすら危ういかも知れない。
「真面目なところもあるじゃないか。そういうところを少しは女性に対して向けてみたらどうかな?」
「だまれ! こけにしやがって!」
ガスパロの渾身の一撃を剣で受け流し、ゾロは身を翻して広場へと降りる。
人垣は自然と二人の戦う場所を作り、二人の剣のやり取りは続く。
観衆は声を上げて決闘に熱狂する。
やはり、ゾロの方が一枚上手だった。
隙をついてゾロはガスパロの手を取り、彼の剣を地面の隙間へと突き刺した。
「な……!」
不意の出来事に対応できないガスパロ。
ゾロは剣をガスパロに突きつけ、一歩ずつゆっくりと迫ってゆく。
ガスパロは剣を手放し、両腕をあげてじりじりと後退する。
「伯爵の処刑は終わりだ。これ以上は市民も見過ごしはしないだろう」
「く……」
――そろそろゾロが、相手にZの字を刻んで終わる。
フランチェスカを含め、観衆全員が油断したときだった。
一人の男が、ゾロへと近づいていく。
その男の後姿を漫然と目で追ったベルナルド侯爵は、ふと気づいて目を見開いた。
「いかん、後ろだ!」
ベルナルド候の叫び声を聞いて、ゾロはやっと自らの背後に迫った人影に気づく。
急いで身を反らした。
……が、少し遅かった。
ゾロは右腕に、鞭の一撃を受けてしまった。
「――うあ……!」
あまりの激痛にゾロは剣を手放し、地面に膝をつく。
「……今日で最後だ、狐」
鞭の一撃を与えたのは、カンディアーニ総督だった。
ゾロは、苦痛にうめく。
「うん……?」
カンディアーニはゾロを訝しげな瞳で見つめる。
ゾロは地面を掴み、脂汗をかきながら必死に悲鳴を噛み殺している。
「……なるほど。貴様は――」
腕から血を滴らせて呻くゾロを見て、カンディアーニは笑った。
「総督! なぜ邪魔を……!」
ガスパロが憤然と声を上げると、
「生憎と私には騎士の心得がない。何か邪魔をしたのなら謝ろう」
カンディアーニは笑みを浮かべて言うと、続けて、
「……しかし、私の邪魔をすることは許さん」
ガスパロがこれ以上逆らえるはずもなかった。
「カンディアーニ……お前はなんということを――!」
人垣の中から姿を現し、傷ついたゾロを見てベルナルド候が言う。
「何をおっしゃるベルナルド候、彼は逆賊ではありませんか。なおかつ現行犯である彼に罰を与えて、一体なんの咎めがあるというのです? もしや、あなたもこのゾロとやらの肩を持つのではないでしょう」
「ぐ……」
ベルナルド侯爵としてはゾロの肩を持ちたいところだが、体面上そんなことは言えない。
しょうがなく押し黙るベルナルド候。
だが……ベルナルド候は、ゾロがロリタであることには気づいていない。
この場でゾロの正体を知っていたのはフランチェスカと……
そして、カンディアーニ総督のみだった。
囲むように陣取られた人垣から出てきたのは、マスケット銃を構えた衛兵たち。
こうなっては、ゾロはもう逃げられない。
「く……卑怯な……!」
ゾロが言うと、
「卑怯はどっちだ狐。私に言いたいことがあるのなら正々堂々と我がドゥカーレ宮殿にくればいい話ではないか。それを貴様はほうぼうで政府の邪魔をし、国民を扇動しまわってきた。挙句、真っ当な裁判による裁きの邪魔にまで入り、自らが傷ついたとなれば私を罵るとは……さて、これは一体どちらが卑怯者かな?」
カンディアーニが言うのを聴き、観衆はざわめき始める。
風向きは、カンディアーニの方へとなびきかけていた。
「……慈悲を与えよう。お前がそのマスクを自分で脱ぎ、お前の黒幕の正体を自ら証言するのなら、それに免じてお前の命は保障してやる」
言って、カンディアーニはベルナルド候を見た。
ベルナルド候には、その意図が掴めない。
だが……その意図は、ロリタからすれば明らかだった。
自分の正体に気づいたカンディアーニは、ゾロとベルナルド候の繋がりを示したがっている。
そして総督は、ゾロをダシにしてベルナルド候も葬り去ろうと考えているのだ。
「黒幕など……いない。これは俺が独断で動いている」
「信じられんな」
カンディアーニは蛇のような冷徹な瞳をもって続ける。
「それでは、まずは貴様のマスクを剥がすことにしよう。そして事実を言うまで、この鞭でお前を打ちつけるだけだ」
「な……」
ゾロは絶句する。
そんなことになれば、ベルナルド候が黙っているはずがない。
ロリタが逆の立場でも、鞭で打たれるベルナルド候を助けずにはいられないだろう。
だが、ベルナルド候がゾロをかばえば終わりだ。
ロリタは立ち上がって逃げようとするが、やはり衛兵の銃口にその行く手を阻まれる。
観衆もすっかりカンディアーニに圧倒され、成り行きを見守るのみとなっていた。
「……化けの皮がはがれる時がきたようだな。自分で剥がせぬというのなら、私が手伝ってやろう」
カンディアーニが鞭を鳴らし、重傷のゾロに歩み寄ったときだった。
何者かによる指笛が空へと鳴り響き、全員の意識がそちらに向かう。
「なんだ……?」
ガスパロたちが呆気に取られている暇もなく、
「うわあっ!」
「放れ駒だ! う、馬が暴れてるぞ!」
街道から、人の怒声と激しい馬のいななきが轟いてくる。
突然の暴れ馬たちの乱入に、広場はたちまち騒然とした。
逃げろ――という怒声とともに、観衆は無秩序にあちらこちらへと入り乱れる。
混乱の中、猛り狂った馬のうちの数頭がモンテロのいる処刑台へと一目散に駆け寄っていく。
飛び込んできた馬は、すべてモンテロが飼っていたものだった。
「きゃああ! このままでは、ゾロ様が馬に乗って逃げてしまいますわ!」
フランチェスカが実にわざとらしい悲鳴を上げると、呆気に取られていたゾロも最後の力を振り絞って動き出す。
広場中が、人と馬で入り乱れていた。
「……あいつの仕業か」
カンディアーニ総督はつぶやくと、ゾロを追うこともなく鞭を巻き取る。
衛兵はゾロの逃亡を阻止しようとするが、行く手を場の混乱に阻まれて上手くいかない。
ゾロはなんとか片腕で馬の背中へと這い上がり、やっとのことで手綱を握る。
馬が高くいななくのを押さえて、馬上からフランチェスカの姿を確認した。
そして逃げざまに、隣を勢い良く通り過ぎつつ、
「……感謝します」
――ロリタはフランチェスカに一言残し、混乱に乗じてようやく逃げ去った。
「……なるほど、こういうわけだったのですな」
ベルナルド候が、フランチェスカに近づいて安堵の溜息をつく。
「アントニオが上手くやってくれました。それに運も味方してくれたようですわ」
フランチェスカも少しだけ表情を緩めて答える。
「しかし……カンディアーニはゾロに黒幕がどうのと言っておりましたな。まさか、彼は誰かしらの意図の下に動いているのだろうか? それはないとは思っていたが……そう考えれば、彼がこちらに接触を持ってこないことについても合点がいく部分がある」
全てを知るフランチェスカは、とぼけて、
「さあ……少なくとも、難しい状況になったのは確かですわね」
「うむ。今日のことで、ゾロの立場が弱まってしまった感がある。ややもすれば、ゾロの方が市民から吊るし上げられてしまう事態にもなりかねん。総督の動向には特に目を見張っていかなければならんでしょう」
フランチェスカも頷いて、
「……流石に、市民に追われるゾロの姿は見たくはありませんわね」
うむ、とベルナルド候。
――広場は、以前として騒然としている。
「総督! はやくゾロを追わねば!」
ガスパロがカンディアーニに進言すると、
「……いや、それはいい」
思わぬカンディアーニの言葉に、ガスパロは呆気にとられる。
その内に衛兵が馬を抑え、広場の混乱も収束していく。
「総督……いったいどういうお考えですか!」
憤るガスパロにカンディアーニはクヌートを投げ渡し、
「まだやることが残っている。それで伯爵の処刑を続けろ」
「なっ……」
きつく結い合わされた縄と鉄線、そして皮で仕上げられた鞭。
その凶悪な鞭を手に、ガスパロはたまらず声を出す。
「し、しかし。本当にこの鞭を使ってしまっては伯爵は……」
「お前がやるんだ准尉。ぬかるなよ、鞭打ちは五回だ」
「しかし、それでは死んでしまいます!」
「構わん」
――食い下がるガスパロに、カンディアーニは冷たく言い放つ。
「政府に逆らう者は殺す。それを民衆にみせつけるのもいいだろう」
そして、刑は執行された。
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