邂逅

 賭場の面子は執務室に集められ、カンディアーニ総督と対面していた。


「――お前達は違法な賭博などしていない。連行はこちらの早合点だったと主張するのかな」

「ええ、その通りですわ」


 フランチェスカが言い、カンディアーニは事務机で難しそうに眉を寄せる。


「しかし、実際にゲームが行われていた形跡を見た者もいる。それに、そこの娘が不貞な様子を見せていたことも報告にあがっているのだが」

「さあて。服を脱いでいたのは、きっと暑かったんじゃありません? あの子ってああ見えて、ちょっとガサツなところがありますから」


 フランチェスカが総督と渡り合うのは良かったものの、あんまりな言われようにロリタは思わずむっとする。

 そこへ、一人の禿頭の老人が現れた。


「これは、ベルナルド候ではありませんか」


 カンディアーニが声を上げる。

 十人委員会の一人であるベルナルド候は、カンディアーニ総督の事務机に近づくとひっそり総督に耳打ちをした。


 十人委員会。

 それは、元々は国民の反乱を抑えるために置かれた機関であり、もちろん都市の風紀の改善も活動方針に組み込まれている。つまり、市民の賭博や淫行なども彼らの管轄のうちだ。

 耳打ちが終わり、総督は面々と向かい合う。

 誰もが裁きを覚悟した瞬間、


「どうやらこちらの間違いだったようだ。よろしければ、これ以上は不問にするということでこの一件に関するこちらの不手際をお許し願いたい」


 縄を解いてやれ、という総督の指示を受け、賭博の面子や役人たちは戸惑いつつも言われた通りにする。


「ご苦労だった」


 総督は誰の顔も見ずに言い、連行された者たちは次々に部屋から出て行く。

 最後に出た者と入れ替わりに入ってきたのは、フランチェスカの執事アントニオだった。

 アントニオは部屋に残った顔ぶれを確認すると、扉を閉める。


 ――部屋に残った人物は、総督とフランチェスカ、ベルナルド候とロリタ、そしてガスパロ准尉とアントニオだ。


「とんだ茶番をさせられたものだな」


 カンディアーニが書類を机に放り出しながら言う。


「それも仕方がなかろう。あの者たちは宗教裁判所の役人なのだ。彼らを咎めて損をこうむるのは我らのほう、賭博如何についてはともかく、わざわざ法王庁を刺激して祖国への睨みを強めることもありませぬ」


 ベルナルド候がしわがれた声で言う。

 相変わらず、人好きのするふくよかな体つきと長く白い眉が印象的だった。


「私は茶番を続ける気はないよ、ベルナルド候」


 カンディアーニが言い、ベルナルド候は垂れ下がる眉をピクリとさせる。


「……それはどういうことでしょうかな」


 ベルナルド候が訊くと、カンディアーニは机にほお杖をつき、


「……あなたはこの娘を助けたかっただけなのだろうということです、ベルナルド候。確か、名前はロリタと言ったかな。私も、その娘のことはよく知っているよ」


 すると、話を聞いていたガスパロ准尉が不思議そうに、


「この女がどうしたというのです? 確かに美しい娘ですが――」

「キミはもっと本を読むといい、ガスパロ准尉」


 カンディアーニは不敵に笑い、


「この娘は国立図書館の司書だ。我がドゥカーレ宮の正面の施設に勤める娘だというのに、キミが知らなかったことのほうが私には驚きだ」


 普段は怒りっぽい准尉だが、総督の揶揄に少しも反応せず、


「なるほど……これからは通いつめることにしようと思います」


 と、ロリタをまじまじと見つめながら言う。

 ロリタが身をよじって視線を避けていると、ガスパロはふと気がついて、


「――ところで、この娘とベルナルド候とはどんな関係が?」


 カンディアーニは部屋にいる人物を一度睥睨すると、


「彼らはお互いに家族を持たぬ身。ずいぶん前から、二人はほとんど親子のような関係で結ばれている。その自分の娘とも言える者が荒くれ者の賭場で頭に血を昇らせていようものなら、誰だって助けてやろうと思うだろう。ましてや、そこの風俗を知っていればな」

「……これは参りましたな」


 ベルナルド候は感服したように頭を垂れ、


「あそこの賭場は教会の動向を掴む一つの情報源。そこに紛れたこちらの手の者が、この度のことをわたしに報せに参ったのです。お手を煩わせることになったとはいえ、どうか、子もなきこの老人の心をお察し頂きたい」


 そして顔を上げ、カンディアーニと見つめあいながら、


「加えて、わが娘があなたの娘の遊び場を荒らしてしまったことも謝りましょう。今後はこのようなことのなきよう、この娘には強く言い含めておきますゆえ」


 ベルナルド候の言葉に、ロリタは目を丸くする。


「フランチェスカが……総督の娘?」


 総督の笑い声が執務室に響いた。


「娘か」


 総督は楽しむように言いながら席を立ち、フランチェスカに歩み寄る。

 そしてフランチェスカの顎を引き上げると、


「娘というのは考えていなかった。それも面白いな、アントニオ」

「……ご冗談を」


 従順に応えるアントニオ。

 総督は薄く笑って、


「わかっているじゃないかアントニオ。わたしは猫を飼いはするが、それを娘にするほど酔狂者ではない。引き続き世話はお前に頼んでおくぞ」

「は……」


 アントニオは頭を下げ、フランチェスカは顔を振って総督の指から逃れた。

 総督は事務机まで戻り、小さく溜息をつく。


「それよりもベルナルド候。近いうちに休暇などはいかがかな」

「私が委員会の者である以上、休暇を命じられるいわれはありませんな」

「いや、変に邪推することはない。たまには共に気晴らしにでもと思いましてね」

「気晴らし?」

「ええ。機会があれば、そのうちに」


 カンディアーニは机に書類を広げ、視線を這わせながら言う。


「では……行こうか、ロリタ」


 ベルナルド候はロリタを伴い、部屋の出口へと歩き出す。

 ロリタはブルネットを翻すと、フランチェスカの隣を通りざまに、


「あなた……総督と繋がっていたのね」

「繋がっているわけではありませんわ。ただ、首輪はついていますけれど」


 フランチェスカは調子よく答える。


「……残念です」


 ロリタは落ち込んだ声で言い残すと、静かに去っていった。

 ベルナルド候とロリタが姿を消すと、フランチェスカは一息ついて、


「……相変わらず、変なものばっかり並んでる部屋ですわね。また増えたんじゃないかしら?」


 変わり物好きとして知られるカンディアーニの執務室には、そこら中に珍妙な品物が多く転がっていた。それらは美術品というよりは何かしらの道具であるらしく、大小さまざまな物品は見たこともないような機構の物が多い。

 それらオカルトじみた道具のほかにあるのは、軍国主義らしい彼にふさわしい多様な武器や拷問具の数々だ。


「少々やりすぎだ、フランチェスカ」


 カンディアーニ総督は机で事務に勤しみながら、さらに続ける。


「あんな場所での悪ふざけに一般の娘を巻き込むな。先程のも下手をすれば、お前や私の立場が危なかったところだ」

「あら、結果的には良かったんじゃないかしら? 委員会の反抗的な輩を少し牽制することができたのだし」

「その娘に余計なことをするなと言っている。それに、教会の様子をさぐる伝手を失ったのはこちらも同じだ。それだけじゃない、今日のことがそのまま進んでいれば、教会と委員会からどんな恨みをかったかわからん。お前は私の庇護の下にあるが、あまり調子に乗るな」


 仕事の片手間に言うカンディアーニだったが、フランチェスカは態度をわきまえるように口を結んで自粛する。

 フランチェスカは瞳を遊ばせ、しばらく逡巡した後、


「……あなたは、どうしてわたしを自由にしてくださるのですか」


 カンディアーニはフランチェスカを無視するかと思われたが、


「――時代の嵐はじきにヴェネツィアを飲み込む。私もゾロも舞台からは逃れられない。だがお前は、時代の外から世界を見つめることができる。それが、お前が世界に生まれた理由だろう」


 と、相変わらず作業に没頭しつついった。


「……よくわからないことを言うのね。そんなにわたしは愛されているのかしら?」


 フランチェスカが軽い調子を取り戻していうと、


「私はヴェネツィアを愛している」


 つっぱねて、カンディアーニはそれ以上言葉を作らなかった。


「賭場で起きたことは、私のところへも連絡は届いています」


 アントニオがフランチェスカに言うと、


「ま……わたしも頭に血が上ってしまっていましたわ」

 フランチェスカの反省の言葉をきいて、アントニオは恭しく頭を下げる。

 フランチェスカはうつむきがちに瞳を横に流すと、


「ロリタには――嫌われてしまったかもね」


 アントニオはフランチェスカの元気のない様子に気がついたが、なにも言わず……ただ沈黙を通した。

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