第5話「砂漠にて砂塵と共に」

 乾いた風と砂。空までもが、水気を失ったような、広大な砂漠に二人はいた。太陽光線に照らされた砂丘の、風紋が見事だった。今の地球で、砂漠は珍しくない。地球上の35%の地表が、すでに砂漠化しているのだ。

「ここは人間が生きている時から、生き物が生きるには、過酷な環境だったみたいだな」

 キマリは、両の手で砂をこんもりと掬って言った。キラキラと粒子の細かい砂粒が、指の隙間から、砂金のように零れる。

「水もないし、お前の好きなゴリラだの、ペリカンには辛すぎる。5分と、もたんよ。主には高温に耐えられる、サソリのような虫や、サボテンのような植物くらいだな」

 日向ぼっこをしているのか、ソマリは仰向けに寝転びながら、ぼんやりと言った。

「いや、意外にも砂漠に生きていた動物は多い。まぁ今のような文字通り砂だけの世界じゃ、誰も生きてはいけないだろうがな」


 二人は、とぼとぼと歩き、砂丘の上へと昇った。茫漠と、どこまでも続く砂の世界は、何の目印もなく、方角が分からなければ、どこに進んでいいのか分からなくなるだろう。

「こんなに広大なものを、人間は知恵を使って再利用する手立ては無かったのかな」

 ソマリが、砂を弄びながら言った。

「我々の技術力があれば、整形することも出来ないことはないが、行程がいちいち面倒だろうな。人間でも砂を利用していたことはあるらしいぞ」

 先を行くキマリが、振り返って言う。

「どんな方法で?」

 立ち止まって聞くと、キマリが、

「尻を拭くんだ。排泄物を出した後。砂には殺菌作用があるらしいからな。トイレットペーパーの代わりに砂を使ったらしい」

 尻に手を当てて言った。ソマリの口が、アホみたいに呆ける。

「正気の沙汰ではないな」

 キマリの蓄えた雑学は、大抵、意味を持たないが、だからこそ人間と言う矛盾と無駄の塊のような、人間性を想起させてくれるかのようだった。

「左手で尻を拭く宗教もあるらしいぞ」

 キマリは、左手をグーパーグーパーする。

「左手を何だと思っているんだ」

 ソマリは、自分の左手を見て、へばりついた汚物を想像したのか、顔をしかめた。

「砂漠にまつわる話で良い話があるぞ。一人の日本人の老爺が言ったそうなんだが、『砂漠が緑化出来ないのに、あろうことか火星に住もうなんてな。だったらサハラ砂漠を人が住めるようにしてみろってな。どっかの星の資源を使って、どうのこうの言うより自分達の星の資源でやれって。随分いろんなものがあるよ、あそこには。ようするに新しい女が良いってことだろ』ってな」

 キマリの話す、老爺の台詞のところだけ、音声が切り替わった。その声は、オーケストラの指揮者のような、威厳のある声だった。それに随分と怒りっぽく根が深そうだ。

「ずいぶんエネルギッシュな老爺だな。なんでまたお前はそんな小話なんか知っているんだ? 私の中にも同じだけメモリーされているはずなんだが」

 二人が、マザーベースで地球の記憶を盗み見た時、二人はその膨大なデータの、全てを、ちっぽけなCPUには収められなかったので、分担して記憶した。そこから、二人のAIは既に、二人の個性を造っている。その数多ある情報の中で、自分の必要不必要を見極め、話し、共有する。その時に、互いの視点の取り具合に、いつも驚かせられる。違う、ということは、一人、ということだが、だからこそ矛盾に対して、議論を深められ、解決の糸口を探す。キマリは言った。

「こういう話が好きなんだよ。文句をぶつくさ言いながら良い仕事をする奴っているじゃないか。そういう奴は現状に不満があるんだ。抗っている」

「建設的な愚痴ならば、聞いていてもあまり不快に思わない。ただ散漫に、現状を嘆くだけの奴は、好かんな」

 マザーベースの仲間たちにも、そういう者は多かった。怠惰に、変化のない日々を送り、やりたいことの一つも見つけず、ただ命令信号に導かれるままの一生。何のために。二人はそれを知っていた。

「愚痴を言っている奴もわかっているんだがな、言っても栓のない、何にもならないことを。ま、だから愚痴るんだが。要は問題を共有したいんだよ。わかって欲しい理解してほしいことの表れ。それに悪口があると、妙な結束力が生まれるもんだ。仲間意識って言うのかな? それがあるから一緒の組織でやっていける」

 と、キマリ。

「旅に出て本当に良かった。そんな柵もここにはない。文化的な生活は出来ないが、余りある程に世界は美しい」

 ソマリは、雄大な自然に向け、両腕を広げた。窮屈で、鉄とパイプばかりの味気のない母星より、この水の星は何より美しい。美しいとは何か、という名残は、今もこうして残っている。

「よし。なら、今度は私のお気に入りを披露しよう」

 ソマリは、広げていた腕を降ろし、キマリに向き直った。そして、一人の男のホログラムを映し出した。

「なんだ。ハンベルク=ヨシムラか。コイツの演説は私もメモリーしているぞ」

「それでも尚、彼の言っていることには、私たちでは絶対に解き明かせない、愛があると私は考えるよ」

 ソマリは、ホログラムを再生した。

「黄色信号で止まるところから、博愛精神は始まる。この世で、最も大切なことは、想像力だ。相手の立場になって、思いやることで、その人が何を考え、何を背負い、どんな問題を抱えているのか。人と人が交わることでしか生きていけない、この世界で、人間を知ること。それ以上に、重要で、楽しく、難解で、当たり前であり、優しさを知る術はない。誰もが、痛みを抱えて生きている。個性に怯え、孤独に耐えた者。善意を装った悪に騙され、堕ちていった者。自分の正義を信じて、悪に無理やり膝をつかせた者。命を尊び、食肉を避け、自分の主義を通そうとする者。たくさんの人々の考えがあって、この星は回っている。その考えの違いは、誤解を生み、恐怖に縛られ、時に過ちを犯す。全ての物に、等しく分け与えられた命を、蔑ろにしていい理由は、どこにも存在しない。何があってもだ。その中で、至らない者に唾を吐きかければ、その罪はいずれ自分へと帰って来る。苛まれることが罰だ。正義は悪を裁くためにあるのではない。人が完全なる存在に近づくために、日々、研究し、苦悩し、ある者はせせら笑い、ある者は悶え、ある者は平然と他人の芝生を土足で荒す。君は幸せか。家族は、友人はどうだ。朝、仕事へ向かう際に、庭先で隣人に挨拶が出来るか。歴史を学んでいるのならば、私たちはその方法をすでに知っている。君の食べたニンジンが、どこの土で育ったのか。固くて噛み切れなかった、牛の筋肉の調理法だって、誰かから教わったものではないか。世界が繋がった今、誰にでも知ることが出来る。失くすことはいつでも出来る。でも、それが無くなってしまった時、それを知ることの出来なかった者の顔を、思い浮かべられるか。居なくなってからでは、遅いのだ。後悔は先には立ってくれない。誇りを持って生きろなんて、大層なことは言わない。今自分のすべきをことを、考え続けろ。私はそれが出来る君たちであることを、いつまでも信じていたい」

 ソマリは、そこでホログラムを停止させた。

「コイツもこの後、すぐに死んでしまったらしいな」

「馬鹿な奴だ。そんな当たり前なことを、人の前で堂々と言ったら、絡み取られる」

 そんなことを言っていても、ハンベルクの演説のメモリーを、消すと言う選択肢は、二人には生まれない。

 彼の怒りが、この世界の終末を防げなかったこと。結局は、人の悪意と天の災いが勝ったこと。人間一人のちっぽけな思想と、築き上げてきた言葉という、人間が生み出した、最も愚かで、最も尊いものの力。マザーにもその記憶は今も残っているが、そういうものを忘れてはならないと胸に刻んでいる者が、たった二人でもいなければならないと思ったからだ。

 人間の言う『世界』という名の、距離は、測るに知れない。宇宙の端から端まで、旅して見たとしても、きっとほんの一ミリも近づくことはないだろう。それでも、知るということは、何にも代えがたいチャンスに変わる。変わる、変えられるチャンスだ。共に歩んでいくしか、折り合いの取れない世界に、二人は思いを馳せ、自分の辿ってきた足跡と、これから先の行く先を見つめる。


 突風が作り出した砂紋が、春の波のように、急流の川のようにさんざめく。ふと二人の前に、砂嵐が見えた。

「ソマリ! 見ろ砂嵐だ!」

「凄いな、先が天まで昇っている」

「行くぞ! 私は一度あれに呑まれてみたかったんだ!」

「ウソだろ、馬鹿言ってるんじゃない!口の中がじゃりじゃりになるぞ!」

「構うものか、それ走れ!」

「私は遠くで観ているからな!」

 走り出したキマリを、暗鬱した表情で嫌そうにソマリが追う。砂と戯れたら明日はどこへ行こうか。

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