第4話『銀世界と装い』
「白いな」
「あぁ、真っ白だ」
一面の白銀の世界に二人はいた。ここは南極大陸。キマリとソマリの二人旅は、今回、オーロラを見ることが目的だった。そのために冷たい海を渡り、何度も何度も死ぬ思いをして、ここまでやってきたのだった。今の地球にはもちろん、どこにだって生命活動をしている命は、一つだって無いが、ここにはより一層の静寂を感じた。何千万年もの間、降り積もった雪が、厚い氷の層となり、大地に敷き詰められているが、氷層は、今は人間がいた頃に比べ、その半分以下の面積しかない。温暖化の影響だった。本当は北極に行く予定だったが、そっちではもうほとんどの氷が、観測出来ないほどに、海と一体化している。人間がいなくなって、1000年の時が経っても、一度溶けてしまった氷は、甦ることはなかった。
「オーロラを見たらヴィンソン・マシフにも上ろう」
キマリは水筒の中に雪を入れた。
「それはいいな。白と海の青しかない世界も見てみたい」
見てみたいの、「い」のところでソマリは手で掬っていた雪を空へ舞い上げる。白くキラキラと光を返す雪華の結晶が宙を舞った。
「シロクマという哺乳類を知っているか?」
唐突にキマリが言った。ソマリは直ぐに、メモリーからシロクマの画像を検索し、額のヘッドライトの部分から、ホログラムを小さく投影した。シロクマはソマリの手の上で四つん這いになり、威嚇をする格好で、クルクルと回っている。
「これだな。全身が毛で覆われた大型の肉食獣だろ? それがどうした?」
「シロクマの毛は白いように見えるが実は透明なんだ。透明だから周りの景色と同化して白く見える。つまり陸に上がればその体毛は、その土地の色に合わせて変化する。保護色というやつだな。体が保護色で出来ている動物は、他にもたくさんいる。森では爬虫綱有鱗目のカメレオンが有名だな。変色竜とも呼ばれ、目玉が左右別個に動かすことが出来て、蛙のように長い舌で、獲物を捕らえる奴だ。海で言えば、軟体動物の蛸。色素胞と呼ばれる器官があって、色素を集めたり、広げたりして体の色を変える。『海の忍者』とも呼ばれているらしいぞ。さらに、それらの色素が層のように存在しているため、まるで色を混ぜるように、さまざまな色を出すことが可能なんだ。身を隠すための術だ」
キマリは悠長に、それでいて得意げに、自慢げに言葉を並べた。気分が高揚しているのか『忍者』のところで胸の前で印を結んでいたくらいだ。やたらと結んだ印の種類が多くて、ソマリは驚きと呆れの綯い交ぜになった。
「だから、それが一体なんなんだ?」
キマリはいつも、勿体つけたような話し方をする。遠まわしに答えに誘導していく、キマリのそういう所を、ソマリは時々煩わしく思うことがある。だが、直せと言って直るモノでもないだろう。それがキマリの魅力の一つだと、ソマリは思っている。面白くすることを知っているのだ。羨ましくもある。だからこそ、煩わしい。つまりは嫉妬しているんだ。ソマリはそう結論づけたが、そうとは言っても、簡単には割り切れないところがある。自分自身の厄介な感情に、ソマリはいつも自問自答して辟易している。キマリは話を続け、やっと本題に入った。
「そんな奴らがいる中で、一方、人間って奴は個性を大事にする。ファッションがその最たる例だ。他人と違う服装をして、自分なりの、個体別の性格を表す。他人とどれだけ違っているかを、マネキンのような体型を維持したモデルに着せ替えて、コンテストしたりもする。この差は実に面白いと思わないか?」
言われてみればそうだ。服はそんな人間の人権という考えの表れのように思える。
「確かに自然界の生き物は、自分の姿を景色に溶け込ませることで、狩りをしたり、また敵に見つかりにくくして、身を隠す。生きるための術を、体現しているわけだな」
ソマリが顎に手を当てると、キマリは指を華麗にスナップした。固く高い金属音が響く。
「そうだ。なのに人間って奴は目立つこと、というより他人との区別を何より重んじる。そんなことをしては、逆に生き辛くなると分かっていてもだ。自然界の中で最も強く、最も優れた者として、人間は服を着ている」
そう言ってキマリは、くるりと廻って見せた。愛らしくも感じないが、お前も一緒にどうだ? なんて顔を、キマリはする。呆れたが、嫌々でも、ソマリもそれに付き合い、くるりと一周だけ廻った。虚しくなる拍手が美しい静寂の世界に響いた。ソマリは首を振って気を取り直し、キマリが立てた議論に乗っかることにした。
「人間もかつては何も身に纏わず、野山を駆け回っていたそうだが、神話によれば人間が知恵の実を食べることで、裸でいることを、恥ずかしく思うようになったそうだぞ。知恵を授かると言うことは、本能で生きる動物と一線を画すのかも知れない。だが、人間が初めて知った感情は、恥ずかしさの次には、知恵の実の味を知らないアダムが、イブに感じた嫉妬心だったのだろうな。その僅かな差、違いを認められたら、きっと争うことも、互いが互いの考えを、否定することにも繋がったのかも知れない」
人間が人のことをわかった、わかったような気になっても、それと同じように男女も、わかった気にしかなれない。しかし、その答えを導き出したものも、やはりいて、それに応じて、女心が分かる、男心が分かる、なんていう哲学が生まれた。分かる気になった時点で理解した、答えが出たと言う程に、摂理と言うのは甘くないのだが。
「栓のないことだが、始まりからボタンを掛け違っていたのなら、どんなに着飾るテクニックを磨こうが滑稽だな。人間が話す言葉も国によって音、響き、成り立ちが様々だ。言葉に関する神話もある。全ての地がまだ同じ言葉、同じ言語を用いていた頃、人間は煉瓦とアスファルトを用いて搭を建てた。搭の先が神の住む天にも届くように。あらゆる地に散り散りになって、消え去ることのないように。自分達の存在を高らかに歌うように。神はその搭を見て怒った。『お前たちは一つの民で同じ言葉を話している。それなら、我はお前たちの言葉を乱してやろう。お前たちが互いに相手の言葉を理解できなくなるように』そうして人は、もう二度と愚かなことをしないように、話す言語が一つでなくなった。その言語を私は見たかったな。原語から源語へ。考えた者もいたが、夢はついに潰えてしまった。自分達の言語を造り、そうして互いを理解できなくなった人間は、互いの考えの違いで争い、殺し、奪い合うようになる」
キマリの顔は悲しそうにも見えたが、同時に酷く冷たかった。ソマリは、わざと明るい声を出して言う。
「そう聞くと、神と言うのはロクでもない存在のようだが、人間の可能性というものを試しているような節があるな。欲をちらつかせ、試練を与えることで、本当に自分と近い存在に近づいてくるのを待っているかのように」
雪の上に座り、ソマリは胡坐をかいて頬杖をした。こんなに寒いのに湿っぽいのは嫌だ。キマリも、そんなソマリを見て、声色を明るく変えた。
「だが言葉の形が違えど、存在の意味は変わらない。リンゴは甘く赤いものだ」
キマリはソマリがやった様に、リンゴのホログラムを手に出すと、盛大に齧りついた。ホログラムは形を変え、リンゴには歯形がついたが、瑞々しい本物の果汁が、滴り、雪を濡らすことはなかった。
「お前はまたわかったようなことを言う。リンゴなど食ったこともないクセに」
ソマリが手で雪玉を造り、キマリの顔にぶつかるように投げた。キマリは頭を抑えるようにして、それを躱した。
「私がもしリンゴを食べれば、お前には嫉妬が生まれるのかな」
雪玉を何個も作ってぶつけていると、キマリが言った。
「個体差などいくらでもある。我々にとっては些末なことだ。だがデータにない未体験は、その先の演算式に優先順位として、差が出るかも知れない」
「今、不安が生まれたな」
ソマリはギョッとした顔をしたが、これは雪玉が一向に当たらない苛立ちが募っているからだと、自分の中で言い訳をした。最早、両者にらみ合って雪合戦をしていた。ソマリが目を光らせて言う。
「もしコーヒー以外のものを口に出来るならお前と争う覚悟はある」
望むところだ、と言わんばかりに、
「そうなれば戦争だな」
と、キマリは不敵に笑った。キマリとソマリは、静かに視線をぶつけ合わせた。……が、
「やめよう。見つけたら半分個だ」
ソマリの方からタイブレイクを言い出した。キマリもそれに頷く。・
「それが良い。分子単位で等分に出来るんだ。どっちが多いかで争うこともないだろう」
「アンドロイドに生まれて良かったな」
「違いない。リンゴの味はわからないけど」
手も届かず、味わうことも出来ないオーロラを見たら、明日はどこへ行こうか。
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