第3話『世界の中心で』
「着いたな」
「あぁ、ようやくだ」
キマリとソマリは今、オーストラリア大陸にある、エアーズロックの上にいた。
「登ってみるとまた絶景だな。地の果てまでも見渡せる」
「思えば随分と遠くまで来たものだ」
キマリは手で庇を造り、地の果てを眺め、ソマリは感慨深そうに腕を組んでいる。
「しかし、絶景なのは良いが本当に何もないな。ここが世界の中心なのか?」
キマリがソマリに向き直って言った。
「空と大地。それだけでいいではないか。精霊が住んでいたとされる場所に人の痕跡があっては無粋だろう?」
ソマリは地面の土を手に取り、サラサラと風に流した。
「それもそうだ。世界の中心が人間でなかったことが頷けるな。それにしても暑いな。肌が焼け付きそうだ」
「そんなわけはあるまい。我々の肌組織のナノマグライズカーボンはすべての熱を遮断する。感覚器もない」
「それでもピット器官はあるだろ? この熱した金属のように赤くなった世界を見ていると、つい暑いと言いたくなる」
今にも汗でも拭いだしそうに、キマリは首を回した。
「お前の人間への憧れは、時々理解できないな。いや時々ではないか」
キマリはふとした時に、人間のようなことを言う。もちろん人間など、実際には見たことはない。すべては、データから想像するイメージでの話だ。マザーシップにあった遠い遠い地球のデータを、二人で盗み見た時、その瞬間、言葉を失くした。途方もない膨大なデータを演算解析している、時間にしては僅かなラグに、言語回路がショートしたのかもしれない。心臓に変わる無機質なコアと、状況に応じて、即座に演算するディープハイブリッドAIのチップに、様々な色が映し出された。青い空に海、雨を呼ぶ白い雲。今はもう見ることは適わないが、新緑の木々や、毛むくじゃらの動物。自分たちのいる金属とカーボンで出来た温度の無い世界には無いそれは、なんと美しいものか。なんと美しいことか。かつていた、もういない地球に満ちていた動植物の生命という、エネルギーの塊のような輝きに、二人は心を奪われた。
「機械に魂はあると思うか?」
キマリが言った。
「肌はカーボンで血はオイル。心臓は動力炉。臓器はない。金属の塊に魂が宿るということは、物に魂が宿ると言うことだ。物にも神が宿る、なんて伝承はあるようだが、いざ自分のことになってみるとよくわからんな」
と、ソマリ。
「魂。英語ではSoul、イタリア語ではspirito、ロシア語ではдуша。肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの。肉体を離れても、死後も存続することが可能と考えられている。体とは別に、それだけで一つの実体を持つとされる、非物質的な存在のこと。生命や精神の原動力となっている、個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在。仮説では時間を超えることも可能。健全なる魂は健全なる精神と健全なる肉体に宿る……だそうだ。しかし私たちは無限に近いモノを考えられるAIを備えている。考えることが人間の一歩だったら、その先に精神というものが存在して、我々にも心が宿ることがあると私は思うのだが」
キマリは自分の盗み見た地球のデータから、知っている魂の定義を話した。それは言葉としては理解出来ても、言い様もない違和感が残った。知ったその瞬間もそうだし、未だにその違和感の正体はわからない。ソマリは言う。
「どうだろうな、私たちには感情というものがない。それは生命として決定的な欠陥と言える」
機械の身体に、人間のような起伏のある感情が本当に“生まれる”ことはあるのだろうか。今自分達が“思っている”と感じることは錯覚。まやかし。ゴースト。夢幻。と呼ぶ方が相応しい。二人の母星で永遠に繰り返す作業をしている仲間たちに言わせれば、欠陥(バグ)だ。
「だが、お前も素晴らしい景色を見て凄いと感じるだろ?」
キマリは右腕を開いて、ソマリに言った。右手の先には途方もない、世界が広がっていた。凄い。漠然とした感情だったが、二人はそう感じて言葉を当てはめ、その言葉を造ったのが人間なのだと確認した。
「そうだな、これは何なのだろうな。命令を順守するだけの機械に、そのような感覚は必要がない。それに姿かたちだって、人間に似せて作らなくてもいいはずだ。目があり鼻があり口がある」
「マザーは我々の旅立ちを、どう思っているんだろうな」
キマリは首を逸らし、空を見上げて言った。
「あれだけ反対したんだから、良く思っていないことは確かだと思うが」
ソマリはそのことを思い出して、焼けるように陽が表面(はだ)を焼いているのに、身震いした。
「しかし追跡が無いことを見ると、黙認しているようにも思う」
二人がマザーベースを旅立つ時、それは、バケツをひっくり返したような、大騒動になった。日々、決まった命令に順次して作業を行うアンドロイドが、基地を出ることなど、とんでもないことなのに、それが屋外作業艇のポットを奪取して、あまつさえ、地球に降り立つなど、神をも恐れぬ所業だった。当然マザーベースは、プログラムに重大なエラーが出たバグとして、二人を扱った。二人は、殲滅レーザーの嵐を掻い潜りながら、必死の思いで、地球に不時着したのだった。警報ブザーが泣き言を言うように鳴り響き、機体は上下左右に回転も加え揺れ、当たれば灰も残らないハイトレーザー光線の攻撃がポットを掠めていても、無感動のディスプレイではなく、ガラス張りのキャノピーから、その眼で青く輝く地球の姿を見た時は、勇気を振り絞って旅立って、本当に良かったと思ったものだ。念願が叶いここで果てるのだと覚悟も固めもしたが。
エアーズロックの頂上に着いて見えたのは、大地をパックリと割った地割れだった。崖となった裂け目の底は、この高さからでも窺い知れない。
「地殻変動というものは凄まじいな」
キマリが壮大な景色に感想を言った。
「どうせならこの出臍を切除手術してくれれば良かったのにな」
ソマリが土を蹴っ飛ばして、土埃を立てた。とんでもないことを言う、とキマリは呆けるように口を開けた。
「馬鹿なことを言う。もしここがなくなっていたらこの景色を見られないんだぞ」
「冗談だ。しかし、世界の中心から見る地球と言うのも、なかなか乙なものだな」
ソマリは顎に手をやり、その景色の価値に頷いていた。その姿はらしくないとも、ソマリそのものとも言えた。
「そういうセリフは私が言う役目だろう」
お株を取られたキマリは、やれやれと嘆息を着いた。
―――コポコポ。
「腹が減ったな。食事の準備をしよう」
ソマリが湯を沸かしている時、キマリが突然、立ち上がった。
「なんだ? なにか見つけたか」
「いや、お前に一つ芸を見せてやろうと思ってな」
キマリは人間が運動前の準備体操をするように、手足と首を回した。ソマリが手を止めて聞く。
「そんなもの身に着けていたのか、どれ一つ見てやろう」
一体、何を始めようと言うのか。自由奔放な相棒は、いつも唐突だ。
「マザーベースにいた時から温めておいた秘蔵の芸だ。とくと見よ」
そう言って、キマリは手足をバタつかせた。右から左に上から下に。屈んでは伸びあがり、跳ねて回って転がった。
「なんだそれは」
「『踊り』だ。舞、ダンスとも言う。人間の表現方法の一つで嬉しい時なんかにやるらしい。動物や自然の動きを真似て、霊や神に捧げる風習や伝統なんかもあったらしいぞ」
「それは知っている。私の知っているものはもっとこう、洗練されていたぞ」
「そんなもの真似してどうする。これは私が生み出した動きだ。踊りは自分の感情を動きで表現するんだ。今の我々の感情が、かつていた人間に表現できるものか」
そんなことを言いながら、キマリは手足を滅茶苦茶に振り乱した。
「まぁ、駆動系の可動域を駆使した、良いトレーニングにはなりそうだがな。……ふふっ。それに動きも奇怪で笑える」
ソマリも思わず吹き出してしまった。
「そら、噴火するマグマの如き、激しい跳躍と落下! 雷の化身のようなキレ!」
ソマリは飛んで跳ねてを繰り返し、腕を高く振ったり、股を開いたりして全身を使ってこの地球に残った自然を表現した。その動きがあまりに可笑しくて、ソマリは笑い転げる。笑いが生まれるということは、感情に通ずるものが、自分たちにもある気がしてくる。永久的に秩序を守り、規律に従うだけの機械に心は存在しない。無用の長物だ。人はそれがあったからこそ、滅びた。しかし心が世界を壊したのだとしても、それでも感じることは、何物にも代えがたい幸福と成り得るだろう。
あまりにキマリの動きが可笑しいから、ソマリもつられるようにして踊りだした。全身を使って、自分を表現することは、とても気持ちの良いものだった。一日中だって踊れる気がした。日が落ち、星が瞬いても二人の躍りは終わらなかった。
世界の中心で躍り疲れたら、明日はどこへ行こうか。
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