第236話 水と氷のロンド
オルディス中に衝撃的な映像が流れる少し前。
王宮の城門前ではローンエンディアとティリス、二人の女性が一息つく暇がないほどの凄まじい戦いを繰り広げていた。
「ハアアァァッ!」
「ヤアアァァッ!」
拳と剣。
両者の攻撃が衝突するが、どちらにも軍配は上がらず、激しいぶつかり合いの末、両者とも互いの攻撃をはじきながらいったん距離を取る。
「おのれ……またしてもか……」
吐き捨てるようにそう言いながらローンエンディアは、歯ぎしりを鳴らす。
城門前でティリスと遭遇し、戦闘に発展して早くも数十分ほど経過していたが、まだ勝敗が付かず、先ほどのような膠着状態が続いている。
ローンエンディアもティリス一人にこれ以上時間を浪費するわけにはいかないと考え果敢に挑むが、ことごとく返されてしまい、現在に至っていた。
(この女……しぶとい。まさか亜人相手にここまで手こずるとは思ってもいなかったわ)
完全に予想外の展開にローンエンディアの顔からも焦りの色が窺えていた。
(女性の人魚は防御一辺倒でこちらへの有効打はほとんどないと聞いていましたが、そんなことありませんでしたね。あの女が使う妙な格闘術……そして、なにより厄介なのは……)
「《
その詠唱とともにティリスの上空に水で作られた道が描かれる。
ティリスはその道に人魚の体になりながら飛び込み、悠々と泳いでいく。
(また、あの妙な魔法……。あれのせいで簡単にこちらとの距離を詰めているばかりか、それを阻止しようと動いても……)
不満を漏らしながら空にできた水の道に冷気を飛ばして凍らそうとするが。
ザアアァァ。
どこに飛ばしても立ちはだかるように水の壁が現れ、そのすべてが防がれてしまう。
しかしローンエンディアを悩ませているのはそれだけではなかった。空に描かれた水の道は迷路のように入り組んでおり、そこに人魚特有の驚異的な遊泳速度が加わっているため、ティリスの姿を視認できずにいた。
そのせいで、彼女を視認することができるのは攻撃が飛んでくる直前だけだった。
(……くっ。余計な今後のことを考えて無駄な労力は使うまいと思っていましたが、そうも言っていられませんね)
手を抜いていてはティリスに勝つことはできないようやく認め、ローンエンディアは少しばかり本気を出すことにした。
「まずはその邪魔な道を打ち崩します。凍てつく剣よ、我が敵を打ち貫け――《アイス・ブリンガー》!」
ローンエンディアの周りにいくつもの氷の剣が出現し、それらすべては彼女の指示のもと空に浮かぶ海路に向かって解き放たれる。
ザアアァァ。
先ほどと同様、水の壁が立ちはだかるが、氷の剣はそこで止まることなく、逆に壁をぶち抜いていった。
そして氷の剣は、そのまま海路へと突き刺さり、そこを起点として道が氷結していく。
(いずれこの手は通用しないと思っていましたが、遂に来てしまいましたか……)
敵に近づく移動手段が潰されてしまったというのに、思いのほかティリスは落ち着いていた。
「……ならば、最後の奇襲に打って出るとしましょうか」
そう宣言すると、空に浮かぶ海路に新たな道が生み出される。氷による浸食が及ぶよりも早くその道は形成されると、その途中で道が三つ又に分かれ、それらすべてがローンエンディアのもとへと繋がっていた。
「……っ! こんなあからさまな手に引っかかると思っているとは……心外ですね」
と、口に言ってみたもののこれがブラフではないと確信しきれずにいた。
追い詰められての悪あがきでやっている場合もあるため、このあからさまな道を無視することができなかった。
「……くっ」
悩んだ末、攻撃の芽を摘むという理由で三つ又に分かれた道を冷気で纏った剣を振るいながら氷漬けにする。
「本当に……素直な人ですね」
「なっ!?」
その言葉とともに、ティリスが奇襲を仕掛けてきた。
ローンエンディアは驚きの声を上げるが、奇襲をされたことに驚いたのではなかった。問題は奇襲をかけた場所だった。
ティリスが出てきたのは、三つ又の道とはまったく関係のない上空の海路から現れ、どうやらずっとそこに潜んでいたようだ。
まんまと裏の裏をかかれ、ローンエンディアは迎撃の態勢につくことができなかった。
「《剛海・破砕海光拳》」
「ぐううぅぅっ!」
反射的に鎧に身を包んだ腕を前に出し、防ごうとするが、今までにないティリスの重い拳にローンエンディアの体が持ち堪えられずにいた。
「ハアアァッ!」
「――ガハッ!?」
最終的にティリスの拳を受け止めることなどできず、防御に取った腕を押しのけ、ローンエンディアのみぞおちに落ちていった。
彼女は悲痛な叫びを上げ、地面に叩きつけられた。
「《水縛陣》」
攻撃を当ててもティリスは過信などせず、さらに追い打ちをかけるようにローンエンディアを拘束する。
「こ、これで……私が止まるとでも? 私の能力はあなたたちと相性が悪いのですよ」
ローンエンディアの言う通り、水の拘束など彼女にかかれば凍らせたのちに、それを破壊さえすればすぐに解放されてしまう。
しかし、ティリスの狙いは別にあるようだった。
「あなたの能力は確かに厄介よ……。でも、その能力もこれに依存しているのではないかしら?」
そう言うと、ティリスは見せびらかすようにローンエンディアの剣を掲げる。
「い、いつの間にデュランダルを……。……っ!? そうか、さっきの攻撃のときね」
ローンエンディアの武器であるデュランダルが、水の球の中に閉じ込められていた。
「思わず武器を手放してしまったのが運の尽きね。剣を奪われてしまっては、もう騎士と呼ぶことはできないわね」
ローンエンディアが持つ強力な氷の能力が本人によるものなのか、それともデュランダルによるものなのか、まだはっきりとは判明していない。
しかし、少なくとも聖武器と呼ばれているデュランダルを奪いさえすれば、こちらに分があるのではないかとティリスはそう考えていた。
「……ハア。舐められたものですね」
「……投降する気はないのね?」
「ええ、まったく……。だって、その程度で私が止まるわけありませんもの」
「負け惜しみを……。あなたの剣はこちらの手の中にあるわ。いかに強大な武器といえど、手元になければ意味をなさないわ」
「まったく……。その程度の認識で聖杯騎士である私を倒した気でいるなど……本当に愉快な話です」
剣を取り上げられてもまったく音を上げないローンエンディア。
ティリスはその彼女の余裕に満ちた顔に嫌な予感を覚えていた。
「聖杯騎士は皆、教会より聖武器を賜るときにその体のどこかに聖痕が刻まれるようになっている」
「聖……痕……?」
「お前の読み通り、確かに私の能力の大半はデュランダルが持つ能力に依存している。……だがな、聖痕さえあればたとえ剣を失ったとしても剣が砕けぬ限り、私の能力が衰えることはない!」
そう言い終えた瞬間、ローンエンディアを中心に寒風が吹き荒れる。
「――くっ!?」
凍えてしまうほどの冷気が舞い上がり、あまりの寒さにティリスは苦悶の顔を見せる。
「剣を失ったぐらいで聖杯騎士の名が折れることはない! それを今からお前に見せてやりましょう」
(……っ? ――なにか来るっ!)
突然、足元から妙な魔力反応を感知し、ティリスはすぐさま後ろに飛びながらその場所から離れる。
……すると、
「――くっ!」
「ほう……。勘がいいようですね」
ティリスが離れたそのすぐ後、先端に鋭利な刃物を有した氷の柱が地面からせり上がってきた。
あとほんの少し反応が遅れていれば、先ほどの攻撃で終わっていたかもしれない。そう思いティリスはほっと安堵する。
「では、これならどうですか?」
すると今度は、氷の魔法を前方に集中させると、徐々に大きな氷塊が生み出されていく。
「氷塊――《アイス・インパクト》!」
生み出された氷塊を押し出し、ティリスに向かって撃ち放った。
そして、ティリスの何倍もの大きさを誇る氷塊が彼女に襲い掛かる。
「《海皇の鱗盾》」
しかしティリスも甘んじてその攻撃を受けるつもりはなかった。
襲い掛かる氷塊に対抗するようにティリスは体が隠れるほどの大きな盾を出現させ、防御に徹する。
「くっ!」
とてつもなく巨大な氷塊はその存在自体が大きな力を有している。
たった一人でその氷塊を受け止めきれるわけなどないのだが、それでもティリスは足を地につきながら踏ん張り、前方方向にすべての力を向ける。
(お、重い――! こ、このままでは力負けしてしまう。……ならば)
この状況が続けば、いずれこちらの体力が尽きてしまう。
それを避けるために別の方法でこの氷塊を対処することにした。
「ハアアァァッ!」
自分の身を守っている盾に角度をつけ、気合いの込めた声を上げながら氷塊を横に逸らしていく。
放たれた氷塊は、そのまま盾の軌道に沿って進み、ティリスから離れていった。
「ハア……ハア……」
直撃は避けたものの、横に逸らすだけで予想以上に体力を消耗してしまった。
肩で息をしているティリスに、ローンエンディアは休む暇など与えず、続けて攻撃を繰り出す。
「今度の攻撃を痛いですよ。――《コールド・レイン》」
すると上空に鋭利な先端を持ち、棒状に伸びた氷がいくつも現れる。
そして、それらすべてのつららが雨のように一斉に降り注ぎ、回避不能の攻撃と化す。
(……この不利な環境に続けざまに来る攻撃。どうやら向こうは私に攻撃を仕掛ける隙すら与えるつもりはないようですね。……あまり使いたくはありませんでしたが、アレをやるしかなさそうです)
なにか奥の手を隠していた様子のティリス。
周囲に寒風が吹く劣悪な環境の中でも彼女の目はまだ死んでいなかった。
(そのためにはまず……この氷の雨を突き進むとしましょう)
ティリスは、降り注がれるつららの雨に怯むことなく、一気に駆け進んでいく。
「――っ! ハァッ!」
走りながら落ちてくるつららに対しては両拳を振るい、最小限のダメージに抑えながらローンエンディアとの距離を詰める。
「近づけさせるか!」
(――来るっ!)
ティリスの進行ルートに再び妙な魔力反応を感知する。
それを察知した瞬間、咄嗟に横に飛びながら躱していくと、案の定、先ほどの氷柱がせり上がってきた。
「こ、この……ちょこまかと……」
「そんな単調な攻撃、私には通用しません!」
「――くっ!」
次々と繰り出されるローンエンディアからの攻撃をティリスは何度も躱していく。
そしてついに、拳が届く範囲にまで両者との距離が近づく。
「《皇技・天海覇王拳》!」
先ほど見せた攻撃とは比べ物にならないほどの拳が打ち放たれる。
「人魚風情に……負けるわけにはいかないのよ!」
そう声を上げると、ティリスの前に突如として氷の壁が立ちはだかる。
「ハアアァァッ!」
それでも構わず、ティリス拳を放ち、氷の壁と激突する。
一瞬、氷の壁に防がれるものの、それは本当に一瞬だけだった。すぐにその壁はティリスの拳によって打ち砕かれ、
「――なっ!?」
その壁の向こうにいたローンエンディアにそのままの勢いで拳が直撃した。
「ガアアァァッ!」
痛烈な一撃がローンエンディアを襲うと同時に、放たれた拳の衝撃によって彼女の体は後方に吹き飛ばされた。
「あ……あぁ……」
拳から感じる確かな手ごたえを感じ、ティリスは今一度拳を握りしめる。
「ハア……ハア……。こ、これで終わり……ですか? 私はまだ……」
「今のでも……駄目……でしたか」
氷の壁が間に入ったとはいえ、先ほどの攻撃は今までにない凄まじい威力を誇っていたはず。
しかしそれでも、ローンエンディアは倒れることはなく、立ち上がろうとしていた。
「……この程度で思い上がらないでください。まだ勝敗は決して――っ!?」
再び体を起こそうとした瞬間、ローンエンディアの体に異変が起きる。
(な、なんだ……? 体に痺れが……? 毒……いいや、麻痺の類か?)
体のあちこちから襲う痺れによって、ローンエンディアの身体機能が低下しつつあった。
(まさか、あの人魚の仕業……? いや、それはない……はず。そのような素振りはまったくなかったはずだが……ん? あ、あれは……)
怪訝に思いつつティリスを注視していると、彼女の手になにか光り輝くものがあることに気付く。
「……あ、あれは……針?」
ティリスの手に握られていたのは、細長く伸びた銀色の針。それも一本だけでなく、同じ形状のものが複数あった。
さらに驚くべきことに、その針にはなにかが塗られているのか、液体のようなものが針の先端に付着していた。
「驚いたわ……。ただの針かと思ったけど……よく見たらあれは暗器ね」
そこでようやく、ローンエンディアの視線に気づいたティリスは残念そうな顔をしながら口を開いた。
「ああ、バレてしまいましたか。久しぶりに使うものですから、隠すのを忘れてしまいましたわ」
「仮にも一国の女王が暗器を使うとはね……。似つかわしくないものを使いますね」
「そう言われても仕方ありませんね。なにしろ私、少々特殊な出自を持っている女王なので」
そう言いながらティリスは、手に持っていた針を相手に見せながら不敵な笑みを浮かべた。
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