第237話 ティリスの反撃

 その昔、人魚族の間で美麗の女傭兵の存在がそこかしこで噂されていた。


 彼女を一目見れば誰もが振り返るほどの美貌を有していたが、彼女の魅力はそれだけではない。

 女性の人魚にも関わらず彼女は、数多の武器を駆使して大型の魔物や凶悪な犯罪者を打ち滅ぼしてきたという武勇伝を持っていた。

 そんな噂を聞きつけ、彼女に挑戦する者もいたが、そのすべてが返り討ちにあったという話もある。


 しかし、それほどの実力を持っていた女傭兵の噂はある日を境にパッタリ消え去ってしまった。

 それ以降、彼女の偉業を聞く日はなくなり、その代わりに行方不明または死亡説が巷で噂されるようになった。


 結局、真相は闇へと消え、いつの日か美麗の女傭兵の存在など忘れ去られてしまった。

 ただ一つ分かっていることと言えば、彼女の行方が分からなくなる前、最後に彼女が訪れた場所がオルディスだということだけである。


(……ずいぶんと懐かしいことを思い出してしまったわ。この武器を手に取ったせいかしら?)


 ローンエンディアへ反撃が成功し、少しだけ余裕ができたせいだろうか、まだ戦闘中だというのに在りし日の自分の姿が脳裏に浮かんでいた。


(女王の座に就いて子どももできたから、私の過去については一生墓場まで秘密にしていくつもりだったのに、そうも言ってられない状況になってしまったわね。)


 武器を取ってしまったことは彼女自身、不本意のことだったようだが、不思議と誇らしげな顔を見せていた。


(……でも、それでこの国を守れるなら過去にだって縋ってやるわ)


「……うぅ。……あぁ……」


 覚悟を決め、昔の自分に戻ることにしたティリス。

 そんな中、ティリスの手によって麻痺状態に陥ってしまったローンエンディアは、苦悶の表情を浮かべていた。


「こ、このていどで……わ、わたしが止まるわけ……」


 満足に話すことすらできないほど全身に痺れが走り、顔色も血の気が引いたように青ざめていた。

 しかしローンエンディアは、この状況を打破するために動き出した。彼女は、麻痺でうまく動かせない体に鞭を打ち、手を胸元に当てながら詠唱する。


「きゅ……《キュアル》……」


 すると、彼女を中心に淡い光が明かりのように灯った。


「……っ!?」


「…………ハア……ハア……」


 光が止むと、ローンエンディアは肩で息をしていたが、その顔はどこか晴れ晴れとした表情を見せている。


「……か、完治している?」


 彼女の顔色を見て、ティリスは怪訝そうな顔をしながらそう言った。


「……これでも私は……教会所属の騎士ですよ。本職の神官には及びませんが、教会に属する者はみな、神聖魔法が使えるんです」


「それで自分にかかった麻痺を浄化したというわけですか……」


「まさか王族がこんな姑息な真似をするとは思わなくてまんまと引っかかってしまいましたが、もう私に同じ手は通用しませんよ」


「……心外ですね。私もこれだけで終わるとは思ってはいませんよ!」


 また反撃の手を残しているローンエンディアは、相手に休む暇すら与えず前に出る。


(……こ、これは……あの移動術。証拠にもなく、また同じ手を……)


 どんな手で攻めてくるのか、ローンエンディア自身、ほんの少しだけ期待していたが、先ほどの戦闘でも見せた空中に海路を生み出す魔法。

 それを通って接近してくるようだが、同じ手に何度も引っかかるほどローンエンディアは甘くはなかった。


(……またさっきと同じように進行ルートを潰すまで……ん? 妙だ……。先ほどとは違い、遅くなっている……?)


 まったく同じ技かと思いきや、ティリスの遊泳速度が先ほどと比べ、遅くなっているように見えた。

 ついさっきまでは、目で追いきれないほどの速さで空中に浮かんだ海路を泳いでいたが、いまはティリスの姿を捕らえることができるほど速度が落ちていた。


(こ、これなら……進行ルートを潰すまでもない。勢いづいているこの女を完膚なきまでに叩き潰すには真正面から挑んでそのうえで倒すしかない!)


 迎撃の手段を変え、真っ向から立ち向かうことにする。

 ローンエンディアは周囲に冷気を纏わせながら、それらを両手に集約させる。


「――っ! ハアアァァッ!」


 両者との距離が近づいてきた頃合いを見て、両手に纏った冷気を一気に前方に向けてはなった。


「《ヘイルストーム》」


 凍てつくほどの寒さを含んだ突風がローンエンディアから放たれる。

 同時に突風はティリスにも襲い掛かり、直撃した瞬間海路は凍り付き、ティリスまでもが巻き込まれてしまった。


「……あっけないものね」


 これまで氷漬けにしようとも、何度も避けられてしまったが、この至近距離では分かっていても躱せるはずがない。

 これで終わったと、ローンエンディアは確信していた。


 ……しかし、


「……っ?」


 戦いも終わり、この場から離れようとしたところ、ある違和感を覚えた。


「……こ、これは」


 しかしその違和感はすぐに判明した。

 目の前にある氷漬けとなったティリスの彫像に再び視線を向けると、そこにはあるべきものがなかった。


(あの女の姿がない……?)


 どこを見てもティリスの姿が見当たらない。

 その瞬間、ローンエンディアに妙な胸騒ぎが襲ってくる。


 ――ザシュッ。


「――っ! あぁ……?」


 胸騒ぎを感じたそのすぐ後、突如として脇腹から激しい痛みが襲い掛かる。


「……お、お前は……」


 いまもなお、走る激痛に耐えながら振り返ると、氷漬けになっているはずのティリスが、背後からナイフを突き立てていた。

 ナイフは、ローンエンディアが着ている鎧の継ぎ目の部分に器用に侵入しながら刺していた。


「さっきまで……そこにいた……はず……では……」


「『人魚の魔法マギア・セイレーヌ』――《深海の写し水マリン・ミラー》。あなたが見ていたのはただの私の虚像ですよ」


「こ、この私が……あんな子供騙しに……」


「今のあなたなら騙されてくれると思っていましたよ」


 予想だにしていなかったローンエンディアに対して、ティリスはこうなることが分かり切っていた様子だった。


「私からの反撃を受けてあなたは私のことをただの捕獲対象ではなく、倒すべき相手だと認識を変えたはず。……まあ、当然ですよね? あなたにとって亜人種は取るに足らない存在。そんな存在にあなたは不意を突かれて傷を負っただけでなく、醜態まで晒してしまったのですもの。もはや私を完膚なきまでに倒さないとあなたの気も済まないでしょうね。……違うかしら?」


「――っ!?」


 長々と話していたティリスの推察は、概ね当たっていた。その証拠に、ローンエンディアはハッと気付かされたように体をビクつかせている。


「こ――っ!?」


 これ以上、ティリスのペースに乗せられてはいけない。そう思ったローンエンディアは、ティリスを引きはがそうとするが、体が思うように動かない。


 まるで体に重りでも仕込んでいるのかというくらい体が重く感じるだけでなく、どうしようもない倦怠感にも襲われていた。


「どうやら毒が回ってきたようですね……」


(ど、毒……っ! まさか、このナイフ……)


「……お察しの通り、このナイフにはベニクラゲという猛毒を持つクラゲから抽出した毒が塗り込まれています。少しでもこの毒に振れればすぐさま体に異変が来るでしょうね」


 そう言いながらティリスは、一度突き立てたナイフを横にひきながらローンエンディアの脇腹を引き裂く。


「くうぅぅっ!?」


「まだこれで終わりではありませんよ!」


 毒を受けて、思うように動けないローンエンディアにダメ押しをするように、追撃を加える。


「《蓮技れんぎ・激流乱舞》!」


 瞬間、ティリスから拳と蹴りの連撃が始まる。

 まるで舞のように繰り出されるティリスの猛攻がローンエンディアに襲い掛かる。


「――っ! ――っ! ――っ!」


 鎧を身に纏っていると言っても、そのすべてを受け止められるわけではない。

 ティリスの拳と蹴りは鎧越しではあるが、着実にローンエンディアにダメージを与え続けていた。


 休むことなく繰り出され、永遠に等しいほどの攻撃もついに終わりを迎えようとしていた。


「ハアアアアァァッ!」


 力を入れながら声を上げ、最後は強烈な蹴りの一撃がローンエンディアに直撃する。


「――っ!?」


 ティリスの最後の攻撃を喰らい、ローンエンディアの体は宙を舞った。


 ――ドサッ。

 空中に蹴飛ばされたローンエンディアの体はそのまま重力に従うように地面に叩きつけられた。


(よ、ようやく……終わった……。危うく……意識を失うところだった……)


 うつ伏せで倒れこんでいたローンエンディアは、まだ自分が無事でいることに少しだけ安堵した。


(ここで仕留めきれなかったのは不幸中の幸いだったわ。……でも残念だったわね。猛毒だろうと神聖魔法さえ使えば、すぐに完治するのよ。自分の詰めの甘さに後悔するといいわ)


「――っ?」


 すぐさま反撃に出るため、まずは自分にかけられた毒を浄化しようと魔法を詠唱するが、なぜか声が出ない。言葉を発しようとしても口が思うように動かずにいた。


(こ、声が……出ない? いったい……なぜ?)


 自分の身に降りかかった突然の異変に困惑していると、フフフと笑いかけながらティリスがその問いに答えた。


「どうやらそっちのほうも効いたようね」


「……あっ。……あぁ」


「あなたには毒とは別にもう一つ、麻痺効果のある薬物も打ち込んでおいたのよ。その様子だと、狙い通り声が出せないようね」


(い、いつの間に……。……こ、これは?)


 いつそのような攻撃をされたのか、まったく分からずにいると、首元にチクリとした小さな痛みが走る。

 恐る恐る首元に手を当ててみると、そこには小さな針が刺さっていた。


(さっき言っていた麻痺というのはこれが原因でしたか……。まさかナイフを突き刺すために近づいたときにすでに……)


 ナイフの印象が強すぎて他に意識がいっていなかったが、ティリスの本命はこちらにもあったようだ。


(……マ、マズい。これでは恰好の的になるではありませんか。無詠唱でも唱えることはできますが、それでは効果が表れるまで時間がかかりすぎる)


「卑怯などと言わないでください。私たちの国を守るためならどんな手でも私は使うので。……では、これで終わりです」


 ローンエンディアにトドメを刺すために、ティリスは数本のナイフを投げ放った。

 そのナイフたちは、一直線に宙を舞いながらローンエンディアに襲い掛かる。


(……くっ! もはや出し惜しみをしている場合ではない!)


 絶体絶命の危機を前に、ローンエンディアはいままで隠していた奥の手を切り出そうと決心した。

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