第232話 変わりゆく戦況
カルマーラ海域を舞台として、オルディスとアトランタの両国との戦争が始まり、すでに数時間が経過していた。
序盤は地の利を活かしてオルディス側に軍配が上がっていたが、戦場に突如として現れた魔物、そして人魚たちの裏をかき、国への侵攻を許してしまい、徐々に劣勢状態に陥っていた。
しかし、その戦場に現れたバームドレーク海賊団とアルカディアという第三の勢力がオルディスに加勢したことにより、戦況がさらに激化した。
そしてついに、アルカディアのディアナとグリゼル、この両名がアトランタ軍の主力と戦闘を行い、抑え込んでいることでアトランタ側の旗色が徐々に悪くなり始めていた。
「……戦況が変わりつつあるな。アウラム! 各部隊からの状況報告は今どうなっている?」
総指揮官として戦場の後方から全体を見渡していたブルクハルトは、この状況を見てなにかを感じ取っていた。
「…………」
「アウラム! どうした!」
こちらからの返事に応答がなく、ブルクハルトは声を上げながら再び問いかけた。
「ハ、ハイッ!」
そこでようやく、アウラムからの返事が聞こえてきた。
(……危ない危ない。想定外の出来事の連続で一瞬意識が飛んでしまった)
アウラムに扮してなり替わっていたグラファは、急いで頭を切り替える。
「各部隊からは現在、大きな報告はありません。……ですが、敵の船の破壊を妨害していた魔物たちの数が減少したことにより、現在も着実に船を沈め、無力化させているとのことです」
「……これもリーシアのおかげか。最初、呪い状態の魔物が出現したときはどうなるかとひやひやさせられたが、リーシアのおかげでそれも杞憂に終わったな。この調子なら魔物のほうも無力化できるかもしれないな」
呪いを受け、敵に操られた状態でオルディスを脅かしていたが、それももうじき終わりを迎える。
リーシアの解呪の歌によって、呪いが浄化され、敵の支配下に置かれていた魔物たちが次々と解放されているからだ。
一度も戦場に出たことのないリーシアを前に出すことに心配していたが、これほどの功績を上げ、ブルクハルトは誇らしげな顔を見せていた。
「そ、そうですね……」
それとは対照的に、グラファの顔から焦りの色が見え始めていた。
(なにかが……狂い始めている……。リーシアの歌にあんな力があったことは潜入していたから事前に分かっていた……が、計画の途中にあの女が国を出て行方不明になったから計画に支障は出ないと思った矢先に突然帰ってきやがった。……そうだ。これもあいつらのせいか)
歯車が狂い、計画自体にも大きな影響を受けている中、その原因を追究した結果、すべての原因は一つの国が引き起こしているのではないかと、いまさらながら気付かされた。
(……アルカディア。あの国の連中がリーシアを連れ帰ってきた時点ですべてが始まったんだ。聞いたこともない国だと思って油断したが、もしそうだとしたらすべてのつじつまが合う。海龍神の浄化に始まり、オレの正体がバレたこと。全部、奴らと関わったせいで起きているんじゃないか?)
もはや誰かのせいにしなくてはならないほど、グラファは追い詰められつつある。
(……それにあいつらもだ。海賊、竜人族に魔女。……まさかあいつらまで、アルカディアと関わっているんじゃないだろうな)
次の疑いの矛先は戦場における第三勢力の存在に向けられた。
(……いいや、それはないか。アルカディアとオルディスとの交流はわずか数日ほどのはず。そんな浅い関係で戦争に手を貸すはずもない)
ほとんど初対面に近い関係の上に、オルディスに加勢する理由すらない。アルカディアにとってはまったく利益にならないことだと思い、すぐにその妄想を取り払う。
(……だが、できる手は打っておくべきだな)
だからといって、このまま黙っていることもできず、グラファは周囲に気取られないように、ある人物に念話を送る。
『……っ! オレだ、グラファだ』
『……いったいなんの用よ、グラファ』
念話の先から不機嫌そうな声色で応えるコーラルの声が聞こえてきた。
グラファは、不測の事態が続いている中、協力関係にあるコーラルに念話をかけていた。
『こちらからの指示があるまで不用意に連絡はしないと、事前に言っていたはずですけど?』
『この状況でそういうわけにもいかないだろ。……で、どうする? 計画を早めてこのまま実行するか?』
『落ち着きなさい。状況が変わったと言ってもこちらの優位はまだ保たれている状態よ』
『その状況もいつ崩れるか分からないだろう。ここで王を暗殺すれば、オルディスの士気も下がるとは思わないか?』
『……残念だけど、この計画に失敗は許されないうえに、チャンスは一度きりしかないのよ。まだそのときではないわ。機が熟すのをもう少し待ってくれないかしら?』
『……いいだろう。作戦の立案者は元々お前だし、もう少しだけ待ってやるよ』
長い会話の後、結局グラファのほうが折れ、コーラルの言う通り、作戦の決行を遅らせることとなった。
『……でもグラファの心配するのは当然ね。……いいわ。現状あなたは下手に動くことができないようだから、代わりに私があなたの不安を払拭してあげるわ』
グラファの提案を却下した代わりとして、コーラルはそのようなことを口にしてきた。
『……確かお前のほうもバカ王子に付きっきりだったはずじゃないのか?』
『少しの間離れるくらい目をつむってくれるはずよ』
そう言い終えると、コーラルとの念話が終わった。
(……あいつが動いてくれるならまあ……よしとするか。それにオルディスのほうもアトランタの侵攻を受けて、そろそろ占領している頃合いだ。……これでこいつらの士気も落ちるはず……ん?)
すると、コーラルと入れ替わるように、別のところからの通信が入ってきた。
(……こ、これは、オルディスの対策本部からの直接の通信?)
侵攻を受けているはずのオルディスからの通信が入り、身構えながらもその通信に応答する。
「――――なにっ!?」
オルディスからの思いもよらない報告に思わず声を上げてしまった。
「……アウラム、どこからの報告だ?」
周囲にいた者たちはその声に気付き、一斉にグラファに注目する。
そして彼らの代表という形で、ブルクハルトが訊いてきた。
「……オルディスからの連絡……でした」
もはやシラを切ることなど不可能だと観念し、正直に話すことにした。
「先ほどまでアトランタからの攻撃を受けていましたが、突如として正体不明の魔物たちがオルディス中に出現し、アトランタの兵士たちに攻撃を加えているそうです」
「魔物……だと? 奴らの支配下にいる魔物とは違うのか?」
「い、いいえ。その魔物たちはみな、呪いを受けた様子もないということなので、その可能性はないと思います」
「……そうか」
またしても余計な邪魔が入り、グラファの不安は募るばかりだった。
グラファが密かに頭を抱えている中、ブルクハルトはなにやら考え込んでいる様子だった。
「よし、決めたぞ!」
「お、お父様……?」
「今が好機だ! 私も前線に出る!」
「――っ!?」
これまで全体の指揮を務めていたブルクハルトが突然戦場に出ると聞き、グラファはもちろん、周囲にいた者たちも驚きの顔を見せていた。
「待ってくれよ親父!」
驚きの発言にたまらずガゼットが訳を聞き出す。
「親父はまだ出る必要ないだろう。敵の戦力もまだ削れてもいねえ状況で親父になにかあったら……」
「……戦況が変わりつつ今が好機なんだ。そんないらん心配をしているならお前も一緒に来い!」
「……え?」
「アウラム! 今後の総指揮はお前に任せる。後のことは頼んだぞ!」
(な、なに言ってやがんだ、この親父は!)
ブルクハルトの暗殺を目論んでいるグラファにとって、この展開は非常にまずい。
このままでは、ブルクハルトと離れることになり、さらにはオルディスの総指揮官としてこの場を離れることができなくもなる。
(それだけはなんとしてでも阻止しなくては!)
このまずい状況を変えるためにグラファは苦渋の提案を出すことにする。
「お、お待ちくださいお父様。……お父様が戦場に出るわけにはいきませんので代わりに私とガゼットが行きましょう」
(こ、これなら……いくらかは自由に動けるはず。ガゼットの目などいつでも逸らすことができる。その隙にこいつの暗殺をすればいい)
ブルクハルトの代わりに自分を代わりに出すという代案を提示するが、ブルクハルトは静かに首を振る。
「このことはすでにアトランタの耳に入っているはずだ。ならば奴らはこの事態に動揺するだろうな。そこに私も出てさらに戦況をかく乱すれば勝機も見えてくるはず」
「……し、しかし」
「お前にとってもこれはいい機会だ。上に立つ者として私の代わりを務めてみろ」
そう言いながらブルクハルトは、静止する言葉にも耳を傾けず、すべての指揮をグラファに任せて戦場に出て行ってしまった。
そして残されたグラファとはいうと、半ば押し付けられたような形で総指揮官を務めることになり、さらに悩みの種が増えてしまった。
(ここはコーラルに連絡するか……? いいや、ついさっきあんなことを言った手前、またすぐに念話をかけるわけにはいかないよな。くそっ! ……まあいい。一時離れることになるが、こっちにはまだ奥の手がある。それさえ使えば、離れたところでも……)
コーラルからの合図があるまで、ひとまず総指揮官としてブルクハルトの代わりを務めることにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一方、グラファからの通信を受け、自らも動くことに決めたコーラルは、グラスを片手に持ち、酔いしれている様子のパトリックに進言する。
「パトリック様、少々よろしいでしょうか?」
「それよりも今の状況はどうなっている? いつ頃終わりそうなんだ?」
自分が始めた戦争だというのに、興味が失せているばかりか、飽きているようにも見える。
「パ、パトリック様……あまりそういった態度は表に出さないほうがいいかと」
「なにを言っている。教会にも協力を要請してこれほどの戦力を戦争に投入したんだ。あとは勝利の報告を待つだけだろ?」
「……恐れながらそれはもう少しかかるかと」
「……それはどういうことだ?」
まだ報告を聞いていなかったのか、パトリックは少しだけ前に乗り出し、コーラルの話に耳を傾ける。
その後、コーラルから聞かされた報告を耳にすると、わなわなと体を震わせ、顔を真っ赤にさせながら怒号を上げた。
「お前らはいったいなにをやっているんだ! ここまでお膳立てしてやっているというのに、なんだその体たらくは! このクズがっ!」
罵声の言葉を浴びせ、手に持っていたグラスをコーラルに投げつける。
――ガシャン。
グラスはコーラルの頭に直撃し、砕けながら床にグラスの破片が散らばっていく。
ローブを着ていたおかげで直接的なダメージはないものの、ぶつけられた痛みで思わず顔をゆがめた。
「も、申し訳ございません……。ですが、こちらが優位に立っているのは事実です」
「フン! それがいつまで持つか分からないだろうが。……まったく役立たずどもが。教会の手を借りてもこの事態になるとは……まったく期待外れだ」
「……そ、そこで一つ提案があります」
話の流れからここしかないと思い、コーラルはここで当初の目的を果たそうと動く。
「しばしパトリック様のそばを離れて前線に出ることをお許しできないでしょうか?」
「……なに? お前には魔物どもを動かす役目と僕の護衛という大事な役目があるだろうが。それを放っていくつもりか?」
「ハ、ハイ……。現状、この場にいても魔物に指示を出すことはできますが、細かい指示は近くにいないと難しい状況です。ですので、私を戦場に行かせてはいただけないでしょうか?」
そう言いながらコーラルは懇願するように深く頭を下げた。
「……ふっ。いいだろう。その代わり、必ず成果を上げてみせろ。あまり僕を失望させてくれるなよ」
「か、かしこまりました。……開いている者たちに周辺の警備を強化させておきますので、私が不在でも問題ないかと思います。それでは、しばらくの間、失礼いたします」
後のことを他の者たちに任せ、コーラルはすぐにその場から離れた。
「……っ?」
魔物の背に乗り、戦場に向かおうとする中、ふと頬からなにかが伝ってくる感覚に襲われる。
そこに手を触れ、確認してみると、少量ではあるが赤い血が手についていた。
どうやら先ほどのグラスで、知らずうちに頬を切っていたようだ。
(この程度の傷……今まで受けてきた傷に比べればどうってことないわ。私の悲願が成就するまでは……たとえどんな屈辱を受けたとしても我慢できるわ。……たとえ、どんな壁が私の前に立ちはだかったとしてもね)
もはや執念に近い固い意志を持ちながらコーラルは戦場の中を駆け巡っていく。
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