第222話 海皇の血を継ぐ者たち

「申し訳ありません父上。現在、国内では未曽有の混乱に陥り、父上からの放送があったとはいえ、依然として指揮系統が回らない状況だったため到着するのが遅れてしまいました!」


「……構わん。大事になる前に駆けつけてくれたのだ。そのことで𠮟責するつもりなど毛頭ない。……それよりも」


 そう言いながら、ブルクハルトはなにかを探すようにきょろきょろと辺りを見渡す。


「……一人足りないようだが、セレネはどこにいる?」


 現在、行方不明状態にあるエリオットはともかくなぜかその中にセレネの姿はなかった。

 ブルクハルトの問いに、申し訳なさそうな顔をしながらガゼットが答える。


「途中までは一緒にいたんですが、どうしても外せない用事があるとかで行く先も告げずにどこかへと行ってしまいました……」


「な、なにをやっているんだ! あのバカ娘はっ!」


「――っ!?」


 戦場に響き渡るその怒号に、周囲にいた者たちは皆一様に体を震わせていた。


「この非常事態にいったいどういうつもりだ!」


「ち、父上、落ち着いてください。セレネのヤツ、自分が行けない代わりに対呪術用の首輪を付けた魔物をありったけ寄こしてきたので、これで代理の戦力になるかと思います」


 見れば、ガゼットたちの後ろには、首輪を嵌めた大勢の魔物たちがひしめき合っていた。


「はあ、まあよい……。この状況では呼び戻す時間すら惜しいことだし、説教はこれが終わった後だ……」


 ブルクハルトはため息をつきながらも一度冷静になり、再び戦場のほうへと顔を向ける。


(……少し強引だが、これでセレネが不在の理由を父上に納得させることができたな。……あとは)


 額に流れた冷や汗を拭い、ガゼットはアウラムへと目を向ける。


(このアウラム兄さんが本物にしろ、偽物にしろ、なるべく目を離さようにしないとな。セレネのほうもなにか掴んで行ったようだし、向こうのことはセレネに任せて、オレもオレにできることをするとしようか)


 秘密裏に動いているセレネのことを信じて待ち、ガゼットもアウラムが妙なマネをしないように見張ることにする。


「なあ、親父。いま戦況はどんな感じだ?」


「見ての通り、混戦中だラムダ。それもオルディスとアトランタでもない別の勢力も介入している状況だ」


 混濁した戦況を見つつ、ブルクハルトはアウラムたちが来るまでの経緯を大まかに説明する。

 ひとしきり説明を終えた後、まず口を開いたのは、ラムダからだった。


「ハアッ!? なんだよ、そりゃあ! イ、イヤ、一応アトランタの連中と戦ってくれているからあまり言いたかねえが、あいつらいったいなんのつもりなんだ?」


 説明を聞いたとはいえ、なんの関係もない一海賊と、ドラゴンがアトランタと敵対している理由についてなにも分からず、ラムダは頭を抱えながら混乱していた。


「ラムダ、理解できていないところ悪いけど、今は切り替えなさい」


「だがよ、姉貴。あいつらを味方と捉えていいのかよ」


「それはまだ……分からない状況ね。かくいう私も、彼らの意図が分からない状況よ」


「あ、兄貴はどう思う……?」


 不安そうな顔をしながらアウラムにも同じ質問を投げかける。


「……あ、ああ、私もなんとも言えないが、海賊のほうは少なくとも信用できるんじゃないか。バームドレーク海賊団と言えば、いくつもの海にその名前が知られているうえに、義に厚い海賊団だ。おそらくアトランタの横暴を見かねて来たんじゃないか?」


「バームドレーク海賊団ならオレも遠征先で度々聞いているが……まあ、あの海賊団ならそこまで心配する必要はないか。……だが、あのドラゴンはいったい」


「……っ? あれって、もしかして……」


 皆がドラゴンの存在に首を傾げている中、リーシアはあることに気付く。


「リーシア、どうしたの? もしかして、心当たりでも?」


「マリア―ナ姉さん……。その、あのドラゴンって――」


「そ、そんなことよりも! あの連中に任せてばかりじゃなくて、オレたちもそろそろ動きましょうよ!」


 なにか言おうとするリーシアの口を塞ぎながらガゼットが話に割り込んできた。


(危ない危ない……。海賊団はともかく、あのドラゴンはアルカディアの連中だな。危うくアウラム兄さんたちにバレるところだった。父上もアウラム兄さんたちもあのドラゴンの正体に気付いていないようだし、下手に情報を入手される前に早く話題を移さなんとな)


 この中に内通者がいる以上、余計な情報を得られて対策されてしまうと、面倒なことになりそうと考え、急いで話題を変えることにした。


「……それもそうだな。両国の問題にこれ以上、他の者たちに任せるわけにもいかない。お前たち、すぐに持ち場について戦況を立て直せ!」


 そしてブルクハルトは、策を巡らせながら各々に指示を出していく。


「まずリーシアは、海中にいる魔物の浄化を急げ、奴らのせいでウチの騎士たちの動きが制限されている状況だ。奴らさえ無力化すればこちらが有利に運べるだろう」


「え! ちょ、ちょっとお父様! もしかして、わたし一人で行かなきゃダメですか?」


「さすがに戦場に立ったこともない奴を一人で行かせるわけないだろ。お前にはアウラムを付ける。リーシアのこと任せたぞ」


 リーシアの護衛として、アウラムが抜擢されたが、当のアウラムはブルクハルトの指示に納得がいっていない様子で別の提案を口にする。


「父上、その配役、ガゼットに任せたほうがいいかと……」


「……理由を言ってみろ」


「私たちが今いるこの場所は言わば最終防衛ラインです。ここを超えられてしまえば、すぐ後ろにあるオルディスに奴らが上陸してしまいます。ですので、この場所には強者を配置すべきかと」


「その大役が自分にあると?」


「ハイ、父上はこの場所に残って戦闘だけでなく指揮も行うことでしょうが、さすがの父上でもすべてを守り切ることはできないはずです。そのため、私もここに残ったほうが突破されずに済むかと進言します」


「なるほど……理にかなっているな。ならばここは、ガゼットに――」


(マ、マズイ……)


 このままでは、アウラムを見張るという役目を果たせなくなると考え、すぐさまガゼットは上書きするように別の提案を出す。


「ち、父上! あまり戦場に立った経験が少ないオレよりもマリア―ナ姉さまが変えたほうがいいと思います。リーシアの護衛が目的なら結界や防御術に長けているマリア―ナ姉さまのほうがオレよりも適しているはずです」


 アウラムとガゼットがともに指示を受け入れようとせず、事が思うように進む中、ブルクハルトはため息をつきながら再び指示を出す。


「これ以上、ここで時間を使うわけにもいかない……。マリア―ナ、悪いがリーシアの護衛を頼めるか」


「かしこまりました。お父様」


「アウラムは俺とともにこの場所を死守する。ラムダとガゼットは、海上にいる騎士たちをまとめ、アトランタ軍の侵攻を止めてこい」


「任せてください親父」


「ハイ、了解しました」


「さあ、人間どもに我ら人魚の力を見せてやれ!」


 ブルクハルトの掛け声のもと、アウラムたちはそれぞれの持ち場につき、自分に課せられた役目を遂行しに、海を駆けていった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 アウラムたち王族の参戦によって、戦況はさらに変化していく。


「パトリック様! 海中に放たれた魔物の呪いが敵に解呪されました。その数数十体にも及びます」


「続けて報告します! 戦場に散らばり、統制を失っていた人魚たちが突然、まとまり出し、反撃している状況です。船への被害数は十隻ほどになります」


 絶えず聞こえてくる悲報に、パトリックは苛立ちを覚えていた。

 戦いが始まってからというもの、送られてくる報告は悪いものばかりで現状なに一つとして成果と呼べるものをあげられていなかった。


 こういう状況が続いてしまうと、情けなくもこの戦いを始めてしまったことに少々後悔を感じ始めていた。


「クソッ! なぜこうもうまくいかない!」


 行き場のない怒りを、甲板を踏みつけることでなんとか抑えつけていた。

 そしてその光景を間近で見ていたコーラルはというと、よくない流れに頭を悩ませていた。


(マズイ状況ね……。わずかに地の利があるとはいえ、これほどまで追いつめられるとは予想だにしなかったわ。これでは、計画を次の段階に進めないじゃない)


 計画に支障が出ている現状に嘆きながらも、コーラルは説明を求めるために、密かにある人物に連絡を取る。


『これはいったいどういうつもりなの? ……グラファ』


 通信先は、現在進行形でアウラムに扮しているグラファだった。

 グラファはコーラルからの通信に盛大なため息を吐き、すぐに弁解する。


『待て……。この状況はオレにも想定外のことだ。だいたいそっちも、なぜ海賊どもの動向を予知できなかった』


『この海に海賊がどれだけいるか分かって聞いているの! その中のたった一つの海賊団の動きをどうやってみろと言うのよ! そっちこそ、あのドラゴンはいったいなに? ……まさかあなたの仲間じゃないでしょうね?』


『同族だからって、言いがかりをつけるのはやめろ。……ただ、アイツもオレと同じ竜人族だろうが、仲間ではないことだけは言える。まあ、国のどこかで見たような姿をしているようだが……』


 どこか既視感のあるドラゴンだったが、それを思い出している暇はない。

 グラファは頭を切り替えて今後のことについて話すことにする。


『……それで、これからどうするつもりだ?』


『はっきり言って、この場の状況は絶望的ね。……でもそれも、そろそろ終わるはずよ』


 含みのある言い方に、グラファは少しだけ安堵する。


『オレの知らないところでなにか企てているようだな』


『企てというほどではないわ。ただ少し、時間がかかるだけのことよ。それもあと少しのようだけどね』


『こっちもなんとか、標的の傍にいることができている状況だ。そっちの合図さえあれば、すぐに始められるぞ』


『そう……。でもそのときは、もう少し先になりそうね。今始めても盛り上がりにかけそうだし、さらに混戦して佳境といったところで始めたほうがいいわね。それまでは、引き続き待機していてちょうだい』


『……そりゃあちょうどいい。こっちも妙な動きをしている奴がいるみてえだし、もう少し戦況を見ておきたかったからな』


『……っ? まあいいわ。それはそっちで、対処してちょうだい』


 そう言い終えると、コーラルは通信を切り、パトリックのほうへ目を向ける。


(計画に支障は出ているけど、まだ修正できる状況ね……。次は……このバカのご機嫌取りをしないとね)


 やれやれと肩をすくめながら苛立っているパトリックに声をかける。


「パトリック様、少々熱くなっておりますよ。冷静になられてはいかがですか?」


「この状況で、どう冷静になれと?」


「そんなパトリック様に朗報です。……例の件ですが、もう少しで完遂するとのことです」


 コーラルの報告に先ほどとは打って変わって、顔から笑みがこぼれ落ちる。


「そ、そうか! ……それならまだ僕に勝機はあるな。見ていろよ、人魚どもめ……。僕に歯向かうとどうなるか思い知らせてやる」


 すっかり上機嫌になったパトリックに、コーラルは呆れるように目を落とした。


(これで少しは事態も好転しそうね……。でもまだ油断できないわ。……現状、一番の障害となっているのは……リーシア)


 いまもなお、魔物にかけられた呪いを浄化し続けているリーシアに、忌々しく感じていた。


(まさかあの子に浄化の能力ちからがあるなんて、まったく知らなかったわ。国を出る前はそんな能力なかったはずだけど、私が姿を消した後に目覚めたのかしら? まったく……相変わらず私の予想を裏切ってくれるわね)


 浄化の能力を持つリーシアを恨めしく思う反面、リーシアの成長ぶりにうれしく思う自分がいた。


(いけないいけない……。こんなことで揺らいでどうする。私の野望はまだ成就すらしていないのよ)


 揺らぎ出している自身の心をすぐさま正し、精神を戦いへと切り替える。


「リーシア……。もし戦場であなたと出会ってしまったなら、容赦なく潰してあげるわ」


 誰にも聞こえないほど小さな声で、コーラルはそう宣言した。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 そのころ、コーラルに目を付けられていたリーシアは、海中で魔物と相対していた。


「リーシア! 後ろからも来ているわよ」


「ハ、ハイ! 聖歌――『ブレッシング・ブリーズ』!」


 リーシアの口から奏でられる歌声に襲いかかっていた魔物たちも次第に暴走を止め、終いには呪いから解放され、次々と気を失っていく。


「ふう……。ようやく終わった……」


「まだ終わりじゃないわよリーシア」


「ええ……。マリア―ナ姉さん、これで何体目だと思っているんですか?」


「まあこれで、百は超えたかしら?」


「それくらいやったら十分でしょう! もう疲れました……」


「なに言っているのよ。まだまだ戦いは終わっていないのよ。付かれている場合じゃないわよ」


 マリア―ナに活を入れられ、しぶしぶといった顔をしながらリーシアは体にムチを入れる。


「もう、早く終わってくれないかな……。シオンさまを早く探さないといけないのに……」


 未だ行方不明になっている紫音たちの身を案じていると、


「――っ!?」


「な、なんですかいまの悲鳴は?」


 かすかだが、遠くのほうで悲鳴のようなものが聞こえてきた。


「確か、あの方角はオルディスがあるほうよ!」


「そ、そんな……。いったいなにが――っ!?」


 ただ事ではなさそうな悲鳴を耳にし、気になってオルディスの方角に顔を向けた瞬間、リーシアはあまりにも驚愕の光景に目を疑った。


「バ、バカな……。なぜあそこに……あそこに奴らの船がある!」


 リーシアたちの視線の先には、浮上したオルディスに今まさに上陸しようとしているアトランタ軍の船があった。


 それも一隻だけではない。

 百を優に超えるほどの大量の船がオルディス側の監視の目を潜り抜けて集まっていた。


(すぐにお父様にこのことを……? いいえ、その時間すら惜しいわ。それならここは――)


 事の深刻さに気付いたマリア―ナは、女王ティリスが指揮している対策本部へと通信を入れる。


『本部応答せよ! こちらマリア―ナ! すぐさま緊急警戒態勢へと移行せよ! 敵がすぐ目の前に迫っています!』


 通信越しから聞こえるマリア―ナの叫び声が響く中、アトランタの逆襲が遂に始まってしまった。

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