第223話 アトランタの逆襲
アトランタ側の船が、監視の目を潜り抜けて遂にオルディスへと上陸した。
そのような成果を映像越しで見ていたパトリックは、人目もはばからず、高笑いを決めていた。
「アハハハハ! 見ろよ、コーラル! あの人魚どもの驚くさまを。ついにやってやったぞ!」
「おめでとうございます、パトリック様。大枚をはたいたかいがありましたね」
「フフフ、まったくだ……。幻影の呪符を施して船を隠す作戦はうまくいったが、さすがに丸々一隻となると、やはり高くついたな……。それもわが国だけでなく、教会の船にも使う羽目になったせいで、予想以上の出費だ」
「……ですが、そのおかげでオルディスへの上陸が果たせたのです。誰も成しえなかった快挙をパトリック様は成し遂げたのですよ。大いに喜んでください」
そもそもオルディスは、海の底の深海にある王国。
地上の人間には、その場所すらたどり着けないほか、王国内を覆っている強固な結界のせいで外部からの侵入は不可能とも呼ばれ、難攻不落の海底王国だった。
しかしアトランタは、いくつもの策を講じた結果、オルディスの地に足を踏み入れるという偉業を果たしてしまった。
「フフフ、そうだな……。金のことはひとまず無視してもいいだろう。どうせ、人魚どもを捕まえれば大金が向こうから転がり込んで来るんだからな」
「ええ……。あとは教会の者たちに任せるとしましょう」
オルディスに上陸しているはずのアストレイヤ教会の働きに期待しながらパトリックたちはさらなる吉報を待つことにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一方、オルディスの地に足を踏み入れたアトランタ軍並びにアストレイヤ教会は、オルディスからの洗礼を受けていた。
「おやおや……。私たちのためにこんなにもお出迎えが来るとは……不思議と悪い気はしませんね」
「貴様らはアトランタの者か! このような事態を引き起こしてただで済むと思うな!」
侵入したアトランタ軍は現在、上陸してすぐにオルディスの騎士並びに住民たちに囲まれてしまっていた。
しかし、このような切迫した状況だというのに聖杯騎士のローンエンディアは、動じた様子を見せず冷静なままでいた。
「この程度の者たちならまだ私の出番はないな……。あなたたち、我ら協会の力をあの亜人たちに見せつけてやりなさい」
「ハイッ!」
ローンエンディアの指示のもと、後ろにいた教会の紋章を身に付けた騎士やプリーストたちが一斉にオルディスの人魚に立ち向かっていき、それに続くようにアトランタの兵士たちも雄叫びを上げる。
戦いは接戦になるかと思いきや、あまりにも人数差が大きかった。
なんの前触れもなく、上陸を許してしまったせいか、オルディス側も兵を回すことができず、近隣にいた騎士や住民たちをかき集めて向かわせたが、それでもアトランタ側の数のほうが多い。
多勢に無勢とはまさにこのこと。
オルディス側も反撃をするものの人数差のせいで、対処しきれない部分がある。この戦況にローンエンディアもこのまま終わるかと思ったが、
「ぐわああっ!?」
「……あら?」
ローンエンディアの足元には、アトランタの兵士の一人が倒れ込んでいた。
「へえ、これは……」
人数差で押し込めるかと思ったが、どうやら思い違いをしていたようだ。
そして一つ誤算だったのは、住民たちの強さである。先ほど、アトランタの兵士を倒したのはオルディスの騎士ではなく、ただの住民の一人だった。
「ハアァッ!」
いまもなんの武装もしていないただの女性が武器を手に取ったアトランタの兵士の相手をしている。
剣を振りかざすアトランタの兵士にも怯まず、瞬時に出した水の障壁で攻撃を防ぎ、即座にがら空きとなった体に拳を叩き込んだ。
「ガハッ!」
拳を受けたその兵士は、拳の衝撃に負け、後ろへと吹き飛ばされていく。
そして、ローンエンディアの足元には無残にもやられていった兵士の姿がまた一つ増えてしまった。
(思いのほかやるようですね。……それにあの拳……鎧をへこますほどの威力があるとはね。見たことのない武術のようだけど、まさか全員がこれを……なんてことはないですよね)
一瞬、最悪な予想を頭に描いてしまったが、すぐにその考えを取り払い、さらに観察していると、
(……あら? よく見るとこの鎧……濡れているわ。これは……水? ここは深海でもないうえに、辺りには水辺もないのよ。……そういえば奴ら、自分で水を生み出していたわよね。もしかしてこれが、奴らの強さの秘訣なのかしら?)
もう少し、考える時間が欲しいところだが、これ以上戦いを長引かせて増援が来られるのは都合が悪い。
そう考え、ローンエンディアは一気に片を付けることにする。
「総員! 一時後退!」
「ロ、ローンエンディア様!?」
「聞こえなかったの? 下がりなさい……」
「ハッ!」
ローンエンディアの眼光に負け、後退に反対していた者たちはしぶしぶといった様子で戦線から離脱していく。
「ハア……ハア……観念したようだな……ニンゲンどもが」
疲弊している様子だが、オルディス側はアトランタの撤退を見て、自分たちにも勝機はあると感じていた。
しかし、それはただの幻想。
その幻想を打ち砕くため、ローンエンディアは前に出た。
「悪いけど、お遊びはここまでです。瞬きもしない間に終わらせるとしましょう」
「な、なにを言って……」
「この任務に教皇様が、私を任命した理由がよく分かりました。私の力をもってすれば、この者たちなど恐れるに足りません」
挑発をするような言葉をローンエンディアが発していると、いくつもの雪の結晶の形をしたものが人魚たちの周囲に舞っていた。
「な、なんだ……これは……」
人魚たちは突然現れた不可思議なものに困惑していると、
「万物よ、凍てつきなさい――《ダイヤモンド・ダスト》!」
ローンエンディアの口から発せられた詠唱を起点として、突如雪の結晶が光り出す。
「――っ!?」
人魚たちは、悲鳴を上げる暇すら与えられないまま宣言通り、勝負は一瞬で終わってしまった。
雪の結晶から放たれた光が収まると、そこに残っていたのは凍結した人魚たちの姿だった。
人魚たちは一瞬にして氷漬けとなり、動けない状態のままその場に立っていた。
「さすがです! ローンエンディア様!」
「この程度、騒ぐほどではありません。……それよりも」
見事勝利を収め、ここは喜ぶべきところなのだが、ローンエンディアはそれとは別のことを考えていた。
「先ほどからオーロット卿の姿が見えませんが、彼はどこに?」
ローンエンディアの言うように、この場に同じ聖杯騎士であるオーロットの姿が見えなかった。
先ほどの戦闘でも参加していなかったようなので、ローンエンディアはずっと気になっていた。
「そ、それが……」
すると、一人のアストレイヤ教会の騎士が言いづらそうにしながら言葉を濁している。
「あなた、正直に話しなさい」
「ハ、ハイ……実は……」
ローンエンディアの威圧に負け、その騎士は白状して話し始める。
「オーロット卿なら、この国に上陸する前に寄るところがあると言って部隊から離脱していきました」
「ほう……」
「わ、私は止めたのですよ……。しかし……」
「弁解はその辺で結構です。大方、オーロット卿に口止めでもされていたのでしょう。それで、彼は一人で?」
「いいえ、上級騎士とハイプリーストを連れて行ってしまいました」
「どうりで彼らの姿も見えないと思っていたらそのせいでしたか。……よりにもよってこちらの重要な戦力を」
アストレイヤ教会の中の上級騎士やハイプリーストはどれも実力者でないと、その称号を得ることはできない。
教会内の序列で言えば、どれも聖杯騎士のすぐ下に位置する。
聖杯騎士が一騎当千の実力者ならば、上級騎士やハイプリーストは、一人で百人を相手にできるほどの実力者ぞろいである。
「オーロット卿はどこに行ったのですか?」
「この戦いに水を差す連中に鉄槌を下しに行くとしか……」
(おそらく、海賊のことでしょうね。……まったく、あの人は本当にもう、勢いだけで行動するんですから。まあ、相手は大海賊が相手ですからしょうがないですね。それに上級騎士やハイプリーストが不在と言っても、まだ戦力としては有り余っているからよしとしましょう……)
悪名高い海賊団を相手にするならと、オーロットに関しては放っておくことにした。
「オーロット卿については、このまま放置します。そして私たちはこれから、さらなる進軍を仕掛けます。これより先は、小隊に分けてオルディスの各エリアを回りなさい。人魚を見かけたらすぐさま各個撃破に移ってください!」
「ハイ!」
「……それと、ここの人魚はたとえ武装していなくとも相当な実力者ばかりです。決して油断しないように」
「では、我々の中から何名かローンエンディアとともに……」
ローンエンディアの護衛として、またともに戦う者たちを選出しようとするが、それをローンエンディアは断る。
「いいえ、けっこうです。私は単身で任務を遂行します」
「し、しかし……」
「私は聖杯騎士の称号を冠する者です。みなさんの手を煩わせるようなマネはできません」
「しょ、承知いたしました」
引き連れた部下たちに指示を送る中、アトランタから隊長格の兵士がローンエンディアに駆け寄ってくる。
「ローンエンディア殿よ。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「あなたはアトランタの……。いいですけど、手短にお願いします」
「はい。実はパトリック殿下から此度の作戦に向けて、献上品を渡すようにとの言伝を預かっております」
「献上品……?」
すると、アトランタの船からぞろぞろと何者かの足音が聞こえてくる。
「こちら、わが国で保有している亜人奴隷、おおよそ数百人になります」
見るとそこには、みすぼらしい服に首輪を付けた多種多様な亜人種が、アトランタの兵士によって連れてこられていた。
「どれも頑丈である上に腕に覚えのある奴隷ばかりですので、前衛にでも盾にでも使ってくださいとのことです」
「……本来であれば、教会の者が亜人の手を借りることなどあってはならないことですが、まあいいでしょう。これもクライアントの意向とあれば、遠慮なく使わせてもらいます」
「すでに契約権は、ローンエンディア殿に移譲しております。あなたの命令であるなら全員が従うようになっています」
不本意であるが、教会側は大勢の亜人奴隷を手に入れることとなった。
ローンエンディアはこの事実を受け止めながら再び部下たちに指示を出す。
「各隊は亜人を連れて、任務を遂行せよ。亜人はどのように扱っても構わないが、人魚は絶対に殺さず、生け捕りにしろ。それさえ守れば後は自由にして構わぬ」
「了解しました! ローンエンディア様!」
「アトランタのみなさんはどうしますか? 私たちとともに?」
「いいえ。私どもは別で動かせていただきます。教会の皆様も他国の人間がいるとやりにくいことでしょうから」
「そうですか……。お気遣い感謝します」
打ち合わせの済んだところで、ローンエンディアは全員に聞こえるように声を上げる。
「それではこれより、オルディスへ侵攻をかける! 皆、女神アストレイヤ様の名を掲げる者として、そしてアストレイヤ教会の者としての力を見せよ!」
「オオオォォ-!」
そして、アストレイヤ教会並びにアトランタ軍の侵攻が開始された。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
侵攻が開始されてから約1時間後。
オルディスのあちこちでは、激しい戦闘音が鳴り響いていた。
建物は半壊し、火災が発生している場所も多く見られる。
もはや元の景観が失われていく中、その国を悠然と歩くローンエンディアの姿があった。
彼女が歩いた跡には、いくつもの人魚が倒れ込んでおり、まるで彼女の戦いの軌跡を残しているようにも見える。
しかし、数えきれないほどの戦闘をしていたというのに、彼女からは戦闘の跡すら感じられないほど綺麗なままだった。
その後もローンエンディアは、戦闘を行いながらも目的地でもあるかのようにオルディスを歩いていく。
……そして、
「情報にあった場所はここのようですね。建物の景観も事前に与えられたものと一致しているようですし」
彼女は、目的地であるオルディスの王宮の前までに辿り着いた。
ローンエンディアの目的は、他の騎士たちとは違って、人魚の捕縛ではない。彼女はこの国の象徴とも呼べる王宮を堕とし、人魚たちの戦意を根っこの部分から削ぎ落すつもりでいた。
「これだけ大きければ壊すのに骨も折れそうですが、私にとっては造作もないことです」
ローンエンディアは自身に課した任務を遂行するために、王宮の破壊へと移行しようとする。
……しかしそこに、
「これ以上の狼藉は許しません」
怒りの感情を込めた言葉を発しながら王宮から一人の人魚が現れた。
「ほう、邪魔が入るのは想定していましたが、まさかたったの一人とは……。少々拍子抜けしてしまいますね」
「あなたを抑えることぐらい、私一人で充分ですので」
「ずいぶんな自信ですね。……一瞬、単なる虚言かと思いましたが、相当な実力があると見受けられる」
「見る目はあるようですね。……ですが、私の国に侵入した罪はどうあっても許しません」
「……私の国。なるほど、あなたがこの国の女王でしたか」
オルディスの女王ティリスは、戦闘態勢に入っているところから分かるように、ローンエンディアと一戦を交えようとしている。
「よろしいのですか? 国の女王ともあろうものがこのような前線に立っていても。国全体を指揮する者がいなくなってしまいますよ」
「それには及びません。なにせ、優秀な子に私の代わりを任せておいたので」
「ですが、その判断は間違っていたかもしれませんよ。あなたが敗れれば、この国の士気も地の底まで落ちるのですから」
「あなたのような狼藉者に負けるつもりはありません」
「果たしてその態度がいつまで続くことか。……いいでしょう。これほどの強者なら私も抜くとしましょう」
するとローンエンディアは、これまで閉じたままでいた鞘から剣を抜く。
「……っ?」
剣を抜いた瞬間、ローンエンディアの周囲には冷気が漂い、地面に霜が降りていた。
「私がこれを抜いたなら、もうあなたに勝ち目はありません」
「そのような脅し、私には通用しませんよ」
「脅しではありませんよ。神より与えられし聖剣――『氷聖剣デュランダル』! その力とくとご覧あれ!」
王宮を破壊しようとするローンエンディア、そしてそれを阻止しようとするティリス。
確たる目的を持った両者の譲らない戦いが王宮の前で始まった。
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