第219話 開戦の幕開け

 アトランタが大軍を率いて出航したという報告を聞いてから一日が経過した。


 朝日が昇り、陽の光が海面を照らす中、カルマーラ海域のある場所では、一人の男が海上から姿を見せていた。

 その男――ブルクハルトは獣のような顔立ちをした巨大な魔物を従え、真っすぐと睨みつけるように地平線を眺めている。


 彼がいま立っている場所は、自分が守るべきオルディスを背負うような位置に立っており、その傍らそして海中には、国力の半分にも及び人魚族の騎士団が配備されていた。


 この布陣を前にして、アトランタの連中がどのような対処をするのか、胸を躍らせていると、海の先からなにかが近づいてくるのが見えた。

 初めはただの点のように見えたが、時間が経つにつれて、その数も徐々に増えていき、それがアトランタの船だということに気付くまでそう時間はかからなかった。


 海の端から端まで埋め尽くすような膨大な船の数に騎士たちが圧倒される中、ブルクハルトは毅然とした態度でいながらその様子を目に焼き付けていた。


 しばらくすると、大量の船がブルクハルトの前で進行を止め、人魚たちを威圧するように佇んでいた。

 アトランタ側からなんの反応もなかったため、ブルクハルトはこちらから仕掛けることにした。


「私は海底国家オルディスの王ブルクハルトである。この海域は協定により、許可なき者が通ることは禁じられている! これは明らかに協定に違反しているばかりか、侵略行為にも捉えることができる! 釈明があるならば前に出てきて話してもらおうか?」


 声を上げて発したブルクハルトの言葉に対して、誰も応じることなく、膠着状態が続いた。

 すると、突然空中に画面のようなものが浮かび上がった。怪訝そうな目を向けつつ警戒する中、その画面に誰かの姿が映し出されていく。


「……初めまして、オルディスの王よ。こうして相対するのは初めてかな?」


 画面上に映し出されたのは、アトランタの王子――パトリックの姿だった。

 このような状況だというのに、パトリックは非を認める様子を示さず、気味の悪いくらい普通にブルクハルトに話しかけていた。


「……なんだお前は? お前みたいなガキには興味はない。こうしてオルディスの王が来ているのだ。そちらも、それに釣り合うくらいの人間を寄こせと言っているのだ」


「ガ、ガキ……だと……。この……僕を……」


 ガキ扱いされたのが腹に立ったのか、パトリックは声を震わせながら怒りの色を現していた。


「僕はアトランタの王だ! 貴様の今の発言は王に対する不敬罪に値するぞ!」


「……お前が? いつから代替わりなんかしたんだ? 前の王はまだ元気そうに見えたが?」


「父上は今、病に罹り、まともに動けない状況にいる。だからこそ、僕が父上の代わりを務め、王の座に就いているんだ。理解したなら、もう二度と舐めた口を利かないことだな」


(こんなガキが国王代理だと……? こんな奴に代理を任命した王も王だが、他の奴らは疑問に思わないのか?)


 なんとも不可思議な光景に、拭い切れないほどの疑問がいまもなお浮かんでいた。


「お父様、これは少々妙では? 呪怨事件の最中にアトランタの王が病に伏せるなんて偶然にしては出来過ぎています」


 ブルクハルトとともに地上に出ていたマリア―ナは、この事態にウラがあるのではないかという憶測を抱いていた。


「……お前の言う通りその可能性は高いかもしれないな」


「やはりお父様もそう思いますか……」


「だが、それを証明するものなど何一つないのも事実だ。それを言ったところであの男のことだ。知らん顔をされるだけだろうな」


 怪しさを匂わせているパトリックを警戒しつつ、ブルクハルトは引き続き言葉を交わすことにする。


「これは失礼した。お前がアトランタの国王代理だということは分かった。……しかし、それがこの海域に進入していい理由にはならないと思うが? いったいどういう了見でここへ来た」


「……数ヶ月前のことだ。突如として、近隣の海域から凶暴化した魔物が出現し始め、牙を剥いてきた。そのせいで、我が国に甚大な被害をもたらすこととなった。この件を調査した結果、発生源はオルディスであることが分かった。よって、これをオルディスからの侵略行為とみなし、ここに宣戦布告を言い渡す!」


 パトリックから投げられた言葉に、ブルクハルトは少々納得できないという顔を見せていた。


「宣戦布告とはずいぶんと穏やかじゃねえな。普通こういうときは賠償責任がいいところじゃないのか? それに、被害を受けたと言っていたが、こっちにもそれなりに負傷者が出ているんだぞ。これについてはどう説明するつもりだ?」


「フン……。大方、自分たちも被害者だと証明するためにやった偽装工作だろ? こっちは、自国だけでなく、他国にまで被害が及んでいるんだぞ。釈明の余地はないと思うが?」


(このガキはただ自分の行動を正当化するためにああ言っているだけだ。なんの根拠もない。……ここで反論するのも一つの手だが、あのガキの言うことをすっかり信じ切っている奴らを前にしては、それも無駄に終わりそうだな)


 明らかに罪をオルディスに擦り付けようとしているというのに、アトランタの者たちはもちろんのこと、教会の人間までパトリックの言い分を否定する気は微塵も感じられなかった。

 完全に嵌められたこの状況下、ブルクハルトはもう戦いは避けられない静かに悟った。


「……なるほど、よく分かった。どうあってもこちらと一戦を交えたいというのならその宣戦布告を受けるとしよう」


「賢明な判断だ」


「……では、具体的な日程はまた後日決めるとして、このままお引き取り願おうか?」


「なにを言っているんだ? この状況を見て、分からないのか? 先延ばしなんて認めない。このまま始めようじゃないか?」


(……予想はしていた反応だが、まさか本当にこのままおっぱじめるとはな)


 手順などなにもかもすっ飛ばして、いきなり戦いを始めようとするパトリックの行動にブルクハルトはため息をつきながら呆れていた。


「お前らなんかに選択の余地などないんだよ! さあお前ら砲弾を詰めろ! 狙うはノコノコ僕たちの前に現れた人魚の王だ!」


 突然始まった、オルディスとアトランタの戦い。


 その開幕の合図として、アトランタ側は砲弾を用意し、標準をブルクハルトに定めようとしていた。


「お父様、来ましたね……」


「……ああ。意表を突いたと思っているんだろうが一手遅かったな。第十部隊から十四部隊、攻撃開始!」


 こうなることを想定していたブルクハルトは、待機していた部隊に号令をかけ、先制攻撃を仕掛ける。


「さあ、海の藻屑となるがいい。撃――っ!?」


 ドオオオォォン。


 射出の合図を送ろうとした瞬間、隊列を組んでいた船の一隻から爆発音が鳴り響く。


 それだけではない。

 ある船はなんの前触れ視なく船底に巨大な穴が空き制御を失い、ある船は突如として発生した渦潮に巻き込まれ、沈没していく。


「い、いったいなにが起きているんだ! 状況を説明しろ!」


 この予想だにしなかった事態に、パトリックはひどく慌てた様子を見せながら説明を求めていた。


「パトリック様、これは人魚たちの仕業かと思われます」


「……コ、コーラル?」


 非常事態が発生している中、コーラルがそう進言した。


「おそらく、事前に海中に人魚たちを潜めていたのでしょう。この状況を見る限り、海中を移動しながら船を次々と無力化していると思います」


「な、な……姑息なマネを……」


「このままでは、全滅される恐れがあります。これ以上被害が出る前にを実行すべきだと提案します」


「そ、そうだったな……。僕たちにはまだがある」


 この状況を打開する手を用意していたのを思い出し、パトリックは早急に動き出した。


「クラウス! 予定より少し早いが、出番だ! 行けるだろうな?」


 パトリックからの命を受け、後ろのほうで待機していたクラウスが前に出てきた。


「問題ありませんよ、パトリック様。元より、いつでも行けるようすでに準備は完了しております」


 クラウスはアーティファクト――『改変せし世界ルール・ディザスター』を携え、複数の魔導師を引き連れて船主のほうまで歩いていく。

 目的の位置の間で移動した後、アーティファクトを天高く掲げながら詠唱を行う。


「さあ、本当の開戦の合図と行きましょう。世界の理を超越し、我が手に世界を創り返る力を与え給え――《反転世界リバース・ワールド》」


 術者本人だけでなく、魔導師たちの力を媒介として、クラウスを中心に巨大な魔法陣が浮かび上がる。


 大規模な術式を発動していたことなど把握していないオルディス陣営は、引き続き船への攻撃を続けていた。


 ……すると、


「――っ!?」


「な、なんだ……?」


 それほど風も出ていないというのに海面が荒れ始め、波がうごめいている。

 オルディスの人魚たちが、海中で暴れ回っているせいで起こった現象だという可能性もあるが、それにしては規模が大きすぎる。

 アトランタ側だけでなく、オルディスにもその現象が発生している。


 これはなにかあると踏んだブルクハルトだったが、それ以上動けない状況に陥ることとなる。穏やかだった波が次第に高波へと変わり、海を荒らしていく。

 そのせいで、波に体を持っていかれそうになり、満足に動けなくなってしまった。


(……っ? なんだ……あれは……?)


 必死に荒れる海に対抗する中でも状況を把握しようとしていると、海の底からなにかが浮上してくるのが見えた。


(……っ!? ま、まさか……あれは……)


 正体不明の物体が徐々に浮かび上がってくるうちに、ブルクハルトはその正体に気付くと、目を見開きながら驚きを通り越して唖然としていた。

 その物体とは、本来地上に出てくるはずのないものだった……。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 場所は変わり、オルディスとアトランタとの戦いが始まろうとしていた頃。

 カルマーラ海域から少し離れた場所では、海賊船の集団が速度を上げながら海上を走っていた。


「デューク殿よ。もう日が昇ってしまっているが、本当に間に合うのか?」


「バカ言うな! これでも精いっぱいなんだぞ! グリゼルのおかげで最短ルートを通ることはできたが、生憎と出航のときから凪の状態が続いているせいで、思うように進まないんだよ。魔法でなんとか動かしているが、この速度が限界だ」


 不運にも天候が味方してくれず、ディアナたちは未だにカルマーラ海域に到着できずにいた。


「まあ最悪、戦いが終わるまでに到着すればいいんだ。それに、もう少しで――」


「大船長っ! 北西方向に大量の船が! おそらく、アトランタの船かと思います!」


 船のマストにある見張り台にいた一人の船員が、大声を出しながら報告する。


「ようやく着いたな。グリゼル! いったん戻ってこい。その図体のデカさじゃ敵に補足されてしまう」


「……ああ、わかった。今戻る……」


 そう言いながらグリゼルは、デュークが乗っている船に戻ると、竜化を解きながら看板へと飛び降りる。


「ハア……周囲を警戒しながら移動しなくちゃならねえからすっかり疲れたぜ」


「お疲れさん。でも、休憩しているヒマはなさそうだぜ」


「そう見てえだな……」


 これから始まる戦いに二人の男が胸を躍らせていると、


「大船長っ! どうやら向こうさん、さっそくおっぱじめているみたいです!」


「なんだと! 戦況はどうなっている!」


「まだ始まったばかりのようです! アトランタ側の船が何隻か沈んでいるのが見えるので、どうやら人魚たちが先に仕掛けたみたいです!」


 その報告を聞いたデュークは、通信用の魔導具を手に取り、全員に通達する。


『劣勢じゃねえなら、好都合だ。このまま突撃して追い打ちをかけるぞ! 野郎ども! アトランタ……そして教会のヤツラにオレたちの力を見せつけてやろうぜ!』


『オオオオオォォォォォッ!』


 通信魔導具放たれたデュークの掛け声のもと、他の船員たちが雄叫びを上げながら覇気を飛ばす。


 これから戦場に乗り込もうとする中、ふとディアナの脳裏にまるで電流でも走ったかのように感覚に襲われる。


(――っ!? なんじゃこれは……なっ!?)


 その直後、ディアナは前方から凄まじい魔力が放出されているのを感じ取った。

 この異常を前にしてディアナはすぐさま、アトランタとオルディスが戦っている方角を指さしながらデュークに伝える。


「オイ、デューク! あの中から膨大な魔力反応を感じる。……それもただの魔法ではないの。極大級の強大な魔法が今まさにあの場で発動しておるぞ!」


「なに! きょ、極大級だと……」


 冷や汗を流しながらデュークが驚いていると、ディアナたちがいる海のほうでも変化が起き始めていた。


「――っ! こ、こいつは……」


 驚く最中、なにかを感じ取ったデュークは、海面をのぞき込む、波が荒れ狂っている様子を見るや否や、通信魔導具を握りしめながら慌てた様子で皆に指示を送る。


『総員に告ぐ! 今すぐ来た方向へ転進してこの場から少しでも離れろ!』


『大船長、いったいなにが起きたんだ?』


『説明しているヒマねえ! オレのカンだが、なにかヤベエことが起きようとしている』


 ただの直感だが、船員たちはデュークの言葉を信じてすぐさま進路を後方へと変え、その場から避難する。


 その直後、広範囲にわたって高波が発生し、海がさらに荒れ出す。

 皆、波に振り落とされないようしっかり船にしがみついていると、全員の目にあるものが飛び込んできた。


「…………あ、ありゃあ……なんだ?」


「……なんとも面妖な」


「オイオイ……マジかよ……」


「……こ、これは」


 ディアナたちの目に飛び込んできたのは、巨大な大陸だった。

 その大陸には、いくつもの建造物が立っていた。その中でもひと際大きな建物が見えるのだが、ディアナたちはその建物に見覚えがあった。


(まさか……じゃが、あれがここにあるはずがない。ここは地上なんじゃぞ! ……なぜここに)


 信じられない光景を目の当たりにして、ディアナは溜まらず声を上げる。


「なぜここに、オルディスがあるのじゃ!」


 アトランタとオルディスが戦っている戦場に、突如としてオルディスが出現した。

 海の奥深くの海底にあるオルディスが浮上してきたことに、ディアナたちはおろか、オルディスの人魚たちは驚きを隠せずにいた。

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