第212話 脱出不可能の密室

「それは……本当のことなんですね?」


 耳を疑うようなあまりの事実を確認するために、紫音は改めて問いかけた。


「ああ、間違いない。エメラルダがこの部屋に軟禁されたときに数回ほど面会のために訪れたことがあるから確かなはずだ」


「そう……ですか……」


 エリオットの口から事実確認をしたあと、紫音は少し考え込むような仕草をとる。


(この部屋に飛ばされたのは偶然なのか……それとも意図的に送ったのか? いずれにしても情報が少なすぎるな)


 この場所に転移させた張本人であるグラファの意図が読めないまま紫音が頭を悩ませていると、


「ちょっと待って? ここがまだオルディスの中ってことは、このまま待っていればだれかが見つけてくれるんじゃない? アタシたちが急に行方不明にでもなったら絶対に捜索になるだろうし……」


 わずかな希望を抱きながらローゼリッテはみんなにそう告げた。

 しかしその希望もエリオットの一言によって儚く散ることとなる。


「いいや、それは難しいだろう」


「……っ。どういう意味よ」


「そもそもこの部屋を知る者がごく僅かだからだ。この部屋を知っているのは私たち王族の者と一部の者のみだ。仮に捜索となったとしても候補にすら挙がらないはずだ」


「だ、だとしても……知っている人がだれもいないってわけじゃないなら望みくらい……」


「この部屋は元々、貴族や王族の者が罪を犯した場合に入れられる場所だ。そしてエメラルダが脱走し、この部屋を改装した後、実に8年ほど使われることはなかった。だから知っていたとしても存在自体忘れている可能性もある」


「ウ、ウソ……でしょ……」


 助けが来る可能性がほぼ皆無だと知り、ローゼリッテは失意のあまり四つん這いになりながら項垂れていた。


「……それにこの部屋は私たちにとって忌まわしき場所であり、忘れたい過去でもあるから覚えている者などおそらくいないだろうな」


「……ハア、エリオットさんの言いたいことはよく分かりました。つまり外部からの救援には期待できないってことですね」


「で、紫音? これからどうするつもり?」


「どうするもなにも、俺たちに残された手段はこれだけだろう?」


 そう言った後、紫音とフィリアは顔を合わせながら示し合わせたかのように同時に言う。


「「この部屋をぶっ壊して脱出する!」」


 なんとも物騒な発言にエリオットは唖然としていた。


「シ、シオンさんにフィリアさん……ずいぶんと危ない提案をしますね」


「当然だろう、ティナ。ここが罪人を閉じ込める場所だって言うなら中から開ける手段なんて用意されてないはずだろう?」


「だったら、私らでこじ開けるまでよ」


 二人とも、先ほどのエリオットの話からそう判断したようだ。

 力任せな方法ではあるが、この場においてこれ以外の方法がない以上、この方法が正しいと思えてしまう。


「さっきあの吸血鬼は、この扉を壊せなかったみたいだけど……私なら」


 フィリアは、先ほどローゼリッテが破壊しようとしていた扉の前に立ち、拳を大きく振りかざし、渾身の一撃を放った。


 ――ドオオオオンッ!


「……っ?」


 凄まじい衝撃音が部屋中に響き、手ごたえありと確信したフィリアだったが、


「あ、あれ……?」


 扉はまったく破壊されていないばかりか、ひび一つすら付いていなかった。


「アララ? 私なら壊せるみたいなこと言ってたけど、アナタも所詮はこの程度のようね」


「なんですってっ!」


 さっきまで落ち込んでいたのが一変、フィリアの失態を目にしてすっかり息を吹き返したローゼリッテは小馬鹿にするような言葉まで口にしていた。


「……よくこんな部屋で脱走ができたもんだな」


 驚異的な身体能力を保有する吸血鬼族と竜人族の力でも壊せない扉だというのに、ここから脱走を成し遂げたエメラルダに紫音は不覚にも感心した。


「いや、この部屋がこのようになったのはエメラルダが脱走し、改装した後のことだ」


「……えっ、そうなんですか?」


「脱走という失態を犯し、同じ失敗を繰り返さないために父上たちが海鉱石を使用してより堅牢な部屋に補強したらしいんだ」


「海鉱石って……確か神殿の石像に使われていた鉱石のことですよね」


「その通りだ。あの扉だけでなく、壁や床、天井などの至るところに海鉱石が使われている」


 紫音はその話を聞き、改めて海底神殿で石像と戦ったときのことを思い出していた。

 ちょっとやそっとでは破壊するはできず、紫音だけでなく、フィリアとローゼリッテまでもが石像を相手に苦戦していた。


 その石像に使われていた海鉱石がこの部屋にも使われていると聞き、紫音はため息をつきながら苦い顔をした。


「エリオットさん、もしかしてそのときに魔法の仕掛けとかも入れたんですか?」


「……なんのことだ?」


「さっきティナが、この部屋にはいくつもの術式が組み込まれているうえに結界が展開されていると言っていたんです」


「いや、そのような術式も結界も追加した覚えなどないが?」


「……え?」


「で、でも……私の眼ではたしかに魔力の流れが視えているんですが……」


「ティナの眼を疑っているわけじゃないよ。……でもそうなると、あとから何者かの手によって設置されたとしか考えられないな」


 もしも紫音の予想が正しければ、その人物はグラファか、または共犯者の可能性が高い。


「その可能性もまったく否定できないな。なにしろこの部屋は、あの日以来だれも訪れていないうえに離宮自体、巧妙に隠されているからな。好き勝手されても気付かないはずだ」


「まったく、どこのだれか知らないけど余計なことをしてくれたものね。……あ、そうだ! 紫音、今度はあんたがやりなさい」


 一向に扉を壊せないでいたフィリアがなにを思ったのか突然紫音に振ってきた。


「え……? なんで俺が……」


「これが海鉱石でできているなら、紫音の力で壊せるでしょ? あんた神殿のときにその刀で真っ二つにしていたんだからこれくらい楽勝よね?」


 どうやらフィリアは、石像との戦闘の際に、紫音が海鉱石でできた腕を斬り落としていたのを見ていたようで、それを根拠に頼んでいるようだ。


「一応あれ、まだ未完成のうえに一回使うだけで疲れるからあんまりやりたくないんだけどな……」


「私たちが助かるためなんだからやりなさい。王様命令よ」


「こういうときにばっかり、王様の権力を振りかざしやがって……」


 やれやれとため息をつきながら紫音は、腰に下げていた妖刀の鏡花を鞘から抜く。

 扉の前に立ち、精神統一をするためにすっと目を閉じる。


(連戦続きでまだ本調子じゃないけど、一発くらいなら……)


 いま自分の中に残っている魔力と氣をかき集め、それらを融合し、より強大な力へと昇華させる。

 そして、鏡花へとその力を纏わせ、渾身の一振りを放つ。


「《斬氣・炎王牙》!」


 鏡花から放たれた斬撃が海鉱石の扉に襲いかかる。

 再び室内に凄まじい音が鳴り響き、紫音は固唾を飲んで結果を見守る。


「……ウソ……だろ」


 しかし、紫音の斬撃を前にしてもその扉には傷一つ付けることすらできていなかった。

 いくら本調子でないとはいえ、一度は海鉱石に打ち勝ったことがあったのに、この結果とは。不満足な結果に紫音が意気消沈していると、力を使った代償として急激な疲労感に襲われ、膝をついた。


「な、なんでよ……。あのときはちゃんと斬れていたのに……」


「た、たぶんですが……この部屋一帯に展開している結界のせいかと思います」


紫音でも壊せなかった扉の謎について、メルティナが指をさしながら指摘する。


「どういうことだ?」


「さっき至るところに術式が設置されていて結界のように覆われていると言いましたが、その扉にもありました。……おそらくですが、強度を高めるような術式が扉に施されているのかもしれません」


「でもそんな術式も紫音なら、それごと破壊できるんじゃないの? 前に紫音、そんなことしていたでしょ」


 フィリアが言っているのは、たぶんエルヴバルムで結界を破壊したときのことを言っているのだろう。

 あのときもエルヴバルムへの侵入を結界によって阻害されていたが、それも紫音の手によって簡単に壊されたことがあった。


「あれはエルフの手によって設置された結界だからだろ。ああいうのは破壊できるみたいだが……今回できなかったということは……この術式には人間の手も加えられているとしか考えられないんだよな」


「……人間? 急になんでそいつが出てくるのよ。グラファって奴は竜人族なんでしょ?」


「でもこうは考えられないか? グラファの裏にはアトランタの連中が手を引いていて、この術式もそいつらが寄こしたんじゃないかって」


 現在、オルディスとアトランタは戦争にまで発展するようなにらみ合いの状況が続いている。グラファがスパイとしてオルディスに送られていたのなら、いまの説明も充分に納得できる。


「……あまり信じたくはないことだが、今の状況を鑑みるにその可能性も捨てきれないな」


「でもそれって、最悪な状況になるわよね……」


 紫音の推測から各々が悪い予感を胸に抱いていると、


「ねえ、そんなことより早くここから出る手段を考えたほうが建設的じゃない?」


 ただ一人、ローゼリッテだけはこの部屋から脱出する方法を考えることに集中していた。

 まずはこの部屋から出なくてはなにも始まらない、ローゼリッテの言葉からそう思い、再び脱出の方向へと話し合うことにした。


「そうは言っても、外からも中からも出られないとなると、どうすればいいのかしら?」


「この部屋に外に出る仕掛けとかあったりしないの?」


「ローゼリッテ、ここは閉じ込めるために作られた部屋なんだぞ。そんなものがあってたまるか」


「ちょ、ちょっと、言ってみただけよ……」


「まあ、それはそれとして……。なあ、みんな。気付いているか?」


 突然紫音は、声を潜めながらみんなに問いかける。


「なによ急に……」


「さっきからチラチラと視界の端にある奴だよ。みんなの気付いているはずだろ」


「……も、もしかして、あれのことですか?」


 そういう紫音たちの視線の先には、かなり大きめの四角い物体が部屋の隅に置かれていた。

 しかもその物体には、ご丁寧に外から見えないように布で覆われており、怪しいとしか言えないものだった。


「アタシずっと気付いていたけど、なんかヤバそうなものだと思って言わないでいたのよね」


「まさか紫音の口から指摘されるとは思わなかったわ……」


「一応言っておくが、あれは最初から置いていたものではないぞ」


 エリオットからそう言われ、ますます怪しさの度合いが増す。


「いっそのこと、あの布を引っぺがそうと思っているんだけど……どうかな?」


「ハアッ! やめなさいよ、そんなバカなマネ。絶対にワナよ!」


「ティナ、あそこからなにか視えるか?」


「い、いいえ……。あそこには特になにも……」


 紫音はその答えを聞くと、体を四角い物体のほうへ向ける。


「気になるし、行ってみるわ」


「わ、分かったわ。で、でも……中身を確かめるだけよ。絶対にそれ以上のことをするんじゃないわよ!」


 余計なことをしないようにと、フィリアに念を押されながら紫音は正体を確かめに行った。

 そして、例の物体の前にまで着くと、それに覆われていた布に手をかけ、一気に引き剥がす。


「…………え?」


 その物体はただの大きな水槽だった。

 水槽いっぱいに水が入れられており、その中にはなにかがさらに入っている。


 それは人だった。

 それもつい最近、紫音たちが見たことどころか、会ったことのある人物だった。


 しかし、それはありえないことだ。

 なぜならこの人物は、ここにいるはずのない人物。紫音たちにとってもっとも警戒すべき人物だからだ。


 なにも言えず、紫音が固まっているのを見て、後ろで様子を窺っていたフィリアたちも水槽の中身を確かめに来る。

 そしてフィリアたちも紫音と同様に絶句する中、エリオットは目を見開きながらその人物の名前を言った。


「……ア……アウラム……兄さん?」


 水槽に入っていたのは、エリオットの兄であるアウラムだった。

 つい先ほど会って話したばかりだが、よく見ると、少し様子がおかしい。


 ところどころに痛ましい傷跡が刻まれており、両手には手錠のようなもので拘束されている。

 このことより、導き出される答えはただ一つだけ。


 紫音たちの目の前にいるアウラムこそ本物だということだ。

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