第190話 憤怒の海龍神

 紫音の正体が異世界人だと知った海龍神は、突然狂ったように怒り出し、抑えつけていた呪いが一気に溢れ出す。

 我を失った海龍神は、本能のままに暴れまわっていた。


 その光景に紫音たちは危機感を覚え、回れ右をして全速力で来た道を駆け抜けていくのであった。


「ちょっ!? なんなのよ、もう! 紫音! あなた、いったいなにをしでかしたのよ!?」


「いや、俺のせいじゃないだろ!? 勇者とか言っているし、絶対に人違いしているだろ」


「冗談じゃないわよ! 勇者はとっくの昔にいなくなったっていうのに、暴走して襲いかかってくるなんてバカじゃないの!」


「シオン……マズイわ……」


「……どうした? ローゼリッテ?」


「さっき久しぶりに動いたせいか、足が疲れてもう走れないわ……。……というわけで、おんぶしてアタシの代わりに走ってくれない?」


「……却下だ! こんな非常時になにバカなこと言っているんだよ! ……というか、お前飛べるんだから走る必要ないだろ」


「――ハッ!? そうだったわ……なんという盲点」


 すぐさま羽を広げ、ローゼリッテは空へと飛び立ちながら逃走する。

 なんともくだらない話をローゼリッテとしてしまい、無駄な時間を浪費してしまった紫音は、頭を切り替え、この状況をどうするか考えることにする。


「紫音、どうする? 結界が破壊されたとはいえ、鎖のおかげでとりあえずは近づいてくる心配はなさそうだけど、遠距離攻撃でもされたら私たちは一巻の終わりよ。ここは一本道だし、下は湖。奴のテリトリーに自ら入ることになるわ」


「……それはマズイな。ここから湖までけっこうな高さがあるから一度落ちたら上がってくるだけで一苦労しそうだ」


「じゃあ、どうするのよ!」


「それを考えているんだろ! ひとまずこの部屋から出て対策を――」


 安全圏へと避難してから対策を講じようとするものの、海龍神はそれすらも許さなかった。


「……逃がすか! 勇者ァァァッ!」


 怒りの咆哮とともに、海龍神は周囲の水を意のままに操り、大津波を発生させた。

 その津波は、無情にも紫音たちのもとまで迫り来ようとしていた。


「ふえっ!? ど、どどうしましょう、シオンさん! あんなに大きな津波、かわしきれません!」


「エリオットさん、『人魚の魔法マギア・セイレーヌ』でどうにかなりませんか?」


「無理だ。あの波はもはや海龍神様の支配下に置かれている。高位の存在の手によってコントロールされている場合は『人魚の魔法』を使ったとしてもあの波を支配することはできないんだ!」


「そ、それなら、イチかバチか私が竜化して、全員を運ぶしかなさそうね……」


「……いや、それはまだ早い。ほかに方法があるからそれを試してみてからでも遅くはない」


「し、紫音……?」


 なにかこの状況を打破する手を思いついたのか、紫音はおもむろに指に嵌めた指輪に手を添える。


「頼むぞ、お前ら! 『召喚サモン』!」


 指輪を嵌めた手を後ろのほうへと伸ばしながら声を上げて詠唱した。

 瞬間、湖の水面に複数の魔法陣が出現し、その中からシードレイクのたちが次々と召喚されていく。


「あ、あれって……」


「ああ、神殿の外に待機させていたシードレイクたちだ。一方通行での召喚だから使いどころに迷うところだが、いまはそんなことも言ってられない非常事態だ。あいつらになんとかしてもらおう」


 シードレイクにすべてを託し、紫音は声を上げてシードレイクたちに指示する。


「シードレイク! 《オーシャン・シーロア》であの波を破壊しろ!」


「キシャアアアァァッ!」


 紫音の指示を聞き、シードレイクたちは動き出す。

 横一列に並んだシードレイクたちは、大口を開け、耳がつんざくほどの咆哮を上げる。

 その咆哮は、音による衝撃波となり、大津波へと立ち向かう。


「……へえ、やるじゃない。あの大津波相手に互角以上の勝負をしているわね」


 複数のシードレイクたちによる攻撃は、大津波にも負けない働きをしており、拮抗状態のまま現状を維持していた。


「あいつらは人魚族にも恐れられる魔物だからな。これくらいしてもらわないと困る」


 海龍神の相手をシードレイクたちに任せ、紫音たちはようやく扉の前にまで戻ることができた。

 さっそく、この場所から一時離脱しようと扉に手を伸ばすが、


「……あ、あれ?」


「なにしているのよ、紫音! ……え、うそ……」


 先ほどはすんなりと開けることができた扉だというのに、今度は押しても引いてもまったく動かなかった。

 完全にこの部屋に閉じ込められてしまい、もはや打つ手は一つしか残されていなかった。


「ウソでしょう……。ここまで来たのに戻れないなんて……」


「……どうやら、ここから出たければあいつをなんとかしないといけないようだな」


「ま、まさか……海龍神様を相手にするつもりか? さすがにこの国の守護神に手を出されると、無視できないのだが……」


「いまは非常事態なんですよ! 少しは加減するんでいまだけは見逃してください」


「……ね、ねえシオン? まさかまた戦うとか言うんじゃないわよね? さすがにこれ以上の連戦はエンリョしたいんだけど……」


「お前は、さっきから文句が多すぎる! いつも仕事サボって自堕落な毎日を過ごしているんだから、こういうときぐらい真面目に働け!」


「うえぇ~」


 文句を言うローゼリッテをしかりつけ、紫音はどのようにして海龍神と立ち向かうか、再び考えた。


「やっぱり、紫音になんとかしてもらうしかなさそうね。この中であのドラゴンと唯一対抗できるのは紫音だけなんだから」


「分かってるよ……。ハア、仕方ない。望みはかなり薄そうだけど、あの手で行くしか方法はないようだな」


「なにか手があるのか、シオンくん?」


「……ええ。可能性は限りなく低いですけど、ここに来た当初の目的通り、海龍神にかけられた呪いを浄化するために契約を結ぶしか方法はなさそうです」


「シ、シオンさん……? 契約なんてムリですよ。あんなに理性を失っていたら近づくだけで返り討ちに遭っちゃいますよ」


「もしかして、シードレイクのときみたいに『強制契約オーバーライド』で無理やりするつもり?」


「直接近づく必要はあるが、可能性があるとしたらそれしかない……」


 この状況下でも、わずかな活路を見出した紫音。

 しかし、この方法にはいくつか問題点があった。


「……ただ、『強制契約オーバーライド』は普通の主従契約と違って条件がそろってないと発動することができないんだ」


「……条件?」


「そうだ……。一つ目はさっきも言ったが、相手に直接触れなきゃ契約を結ぶことはできないということだ。海龍神相手じゃ苦労しそうだが、そこはみんなと協力してなんとかするとして……問題は二つ目のほうだ」


 重要なことなので、最後のほうだけ力強く協調しながら最後の条件について話し始める。


「二つ目は、俺との力の差があると契約相手に認識させる必要がある。シードレイクのときは戦いの中で圧倒的な力を見せつけて撃退したからこの条件を満たすことができたんだが……」


「ちょっと待って……。それって結局は、あのドラゴンを倒さないといけないじゃない! いくら勝機があると言っても、紫音の能力の範囲外からの攻撃をしてくる相手に勝つなんてあまりにも無謀だわ」


 フィリアの言う通り、紫音が亜人や魔物相手からの攻撃に強い耐性を持っていたとしても、今回は分が悪い。


 海龍神とシードレイクたちの戦いを見る限り、水を操ることにけた能力ちからを持っている。実際に変幻自在に水を操り、様々な形状に変化させながら攻撃している。

 直接的な攻撃や魔法に対しては耐性を持っているためほとんど効かないが、それ以外の攻撃なると、たとえ亜人や魔物の手によって放たれた攻撃だとしても適用されない。


「周囲の水の支配権を奪うことができない状況じゃ、一回喰らっただけでもやられるかもしれないのよ」


「なにも倒す必要はない。わずかでもいいから相手に力量差があると認識させればいいんだ。海龍神なんて呼ばれているほどの存在だ。まさか自分がやられるとは思ってもいないはず……。俺の予想じゃ、二、三発ほどの攻撃を与えれば少しは焦りを感じるはずだ。その隙を狙うしかない!」


 なんとも無謀な作戦であり、それでいてリスクも高い作戦。

 一同が口をつぐむ中、フィリアは真剣な表情をしながら紫音の顔を見た後、静かに口を開いた。


「いいわ、紫音の案に乗ってあげるわ」


「……フィリア」


「攻撃を当てる必要があるならやっぱり不意打ちが一番適切かと思います。私の弓で注意をそらしてみます」


「ハア……みんなやる気のようだし、やるしかないようね。……あとで特別手当をたんまりと請求してやるんだから」


 フィリアに続くようにメルティナとローゼリッテも紫音が出した作戦に参加する意思を示してくれた。


「……この状況では止めることもできなさそうだな」


「エリオットさん……?」


「ひとまず、シオンくんの作戦に賭けるとしよう。ここで死んでは元も子もないからな」


「ありがとうございます」


 監視役のエリオットからの許可も得たところで、紫音たちは海龍神と戦う覚悟を決めた。


「向こうもそろそろ限界そうだし、早いところ行きましょう」


 未だ海龍神の攻撃を抑え込んでいるシードレイクたちの姿を見ながらフィリアは急かすように言った。


「あのドラゴンのもとまでは、私が運んであげるから思いっきりやってやりなさい。……問題は」


「ああ、鎖のおかげでまだ自由に動けないみたいだが、いつまで持ってくれるか分からないし、なによりあの能力をどうにかする必要がある」


 海龍神の能力により、自由自在に水を操ることができるため近づくことすらできない状況である。


「わ、私の弓では、効果は薄そうですね……」


「無論、私も力になれそうにない」


「……短い時間ならたぶん無力化できると思うわよ」


 なにげなく口にしたローゼリッテの発言に紫音たちは驚きの表情を見せた。


「本当か! ローゼリッテ!」


「たぶんだけどね……。準備に時間はかかるけど、どうする?」


「乗るに決まっているだろう。ローゼリッテ、頼むぞ」


「キシャアアアァァ……」


「――っ!?」


 戦っていたシードレイクの叫び声を聞き、紫音はパッとシードレイクたちのほうに顔を向ける。

 海龍神の攻撃によって打ちのめされたシードレイクたちが水面に浮かんでいた。


「どうやら、ここが限界のようね」


「ああ、時間稼ぎありがとうな。……お前ら」


 シードレイクにお礼を言った後、紫音はみんなに指示を送る。


「ローゼリッテ! 準備にはどれくらい時間がかかる?」


「向こうは理性を失っているようだし、案外仕込みはすぐに終わると思うわ」


「よし。それなら終わり次第、俺に念話を送ってくれ。俺から合図を送るからそのときに海龍神の無力化を頼む」


 紫音の指示を聞いたローゼリッテは、無言のまま同意するように頷く。


「フィリアは俺を乗せて海龍神のもとまで連れて行ってくれ。ティナはローゼリッテの護衛を。エリオットさんは海龍神の攻撃をできるだけ捌いてください」


「ええ、わかったわ」


「は、はい。精一杯がんばります」


「了解した」


「それじゃあ、行きましょう!」


 紫音の掛け声とともに、各々自分に課せられた役割を果たすため動き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る