第182話 聖杯騎士

 海底国家オルディスから一日ほど船で進んだ先にはある一つの国があった。


 その国の名はアトランタ。

 別名、海運都市と呼ばれている大国である。


 広大な海に面した国であるため、陸路に限らず海路も通して貿易が行われている。いわばアトランタは、様々な国との取引がある流通拠点とも言える。

 以前紫音たちが訪れたエーデルバルムとは比べ物にならないほどの商品が流れている。


 そして、ここアトランタは流通の拠点としての役割だけでなく、アストレイヤ教会の支部がある国でもある。

 創造神アストレイヤを信仰する教会であり、人種こそ全種族の中で最上位の種族と定め、それ以外の種族は人種の糧となる存在という教えを説く組織である。


 そして、王宮近くに建てられているアストレイヤ教会支部内の一室。

 巨大な円状のテーブルに複数の椅子が備え付けられているだけという物寂しい部屋には、なにかを話している男たちの姿があった。


「オイッ! いつまでこの僕を待たせるつもりだ!」


 ウェーブがかったブラウン色の髪をなびかせて、男は目の前にいる初老の男に不満を言い放った。


「落ち着いてください殿下。遠方からお越しいただいているため、予定よりも到着が少々遅れているのです。今しばらくお待ちください」


 初老の男は、申し訳ない顔をしながらブラウン髪の男に頭を下げる。


 実は教会内で話をしているこの男たちは、アトランタでも有名な人物でもあった。

 ブラウン髪の男は、アトランタの国王の実子――パトリック。

 現在、病に臥せって公務が取り組めない父親に代わって国王代理を務めている。


 そしてパトリックの真向かいにいる祭服に身を包んだ初老の男の名はグラハム。

 アストレイヤ教会の総本山からアトランタ支部へと派遣された司祭である。


「殿下、どうか冷静に。そう怒鳴られては品性が疑われますわよ」


 さらにこの場には、パトリックとグラハムのほかにもう一人、同席者がいた。


 目元に仮面を付け、顔を隠している謎の女性。

 足元が隠れるほど長いドレスに身を包み、頭にはつばの広い帽子。その帽子からは海のように青く長い髪が垂れている。


「コーラルよ、僕は忙しい公務の合間を縫ってわざわざ出向いてやっているんだ。だというのに、肝心の客人が遅刻だという。これが怒鳴らずにいられるか」


「殿下のおっしゃることはもっともです。……ですが、ここは教会とのつながり断ち切らないためにもどうか寛大なお心を」


 と、コーラルと呼ばれた女性は、懇願するようにパトリックに言った

 しかし、注意するコーラルの声に耳を傾けず、パトリックは引き続き不満を漏らしていた。


「いいか! 今日の顔合わせはそちらが提案してきたことであって、僕は時間通りに教会にまで足を運んだんだ! それなのに、肝心のお相手様は遅刻しているって話だ! 舐められているとしか思えない!


「殿下! それは誤解です!」


「フンッ! 不愉快だ! 即刻帰らせてもらう!」


 機嫌を悪くしたパトリックは、椅子から離れ、その足で部屋から出ようとすると、


「やあやあ、待たせたな諸君! 移動中、些細な問題に遭遇してしまって少々遅れてしまったスマン!」


「こちらにも落ち度があったことは認めるが……まあ、この私の美貌に免じて水に流そうではないか」


 ドン、という大きな音を立てながら扉が開かれ、二人の騎士が現れる。


 一人は、なんとも豪胆な青年。

 凛々しい顔立ちに、その顔からは想像できないほどの声量で部屋にいた者たちの動きを止める。

 もう一人は、これまたなんとも目を奪われるほどの絶世の美女。

 おそらく百人が彼女の姿を見れば、百人が彼女に心を奪われる。それほどの美しい顔立ちをしている。


 二人は、盛大な登場をした後、何事もなかったかのように空いている席に座る。

 その光景を呆然と見ていたパトリックは、はっと我に返り、二人に意見した。


「オイ! 君たち! 遅れてきたというのになんだその態度は! きちんと謝罪をしろ!」


「これは失敬! 確か……パトリック殿下だったかな? 先ほども言ったが、航路の途中に問題が生じたため遅れてしまったのだ。許してくれ」


「約束通り来てやったのよ。そう目くじら立てないで早く用件を済ませましょう」


「なっ!?」


「これこれ、二人とも。パトリック殿下の前だ。きちんとなにがあったのか説明しなさい」


 反省の色のない二人を見かねたグラハムは、諫めるような言い方で二人に経緯の内容を促す。


「簡単なことだ。本国からアトランタまでの航路の途中、海賊どもに出くわしてな。一戦交えただけのことだ」


「まったく、教会の船とも知らず馬鹿な連中だわ。本当なら害悪でしかない海賊どもなど、殲滅するところでしたが、約束の時間も押していたので船を沈めるだけにとどめておきました」


「……なるほど、そうでしたか。海賊と遭遇してしまっては、目を背けることもできませんし、そのせいで遅れてしまうのも無理はありませんね


 そう言うとグラハムは、そこで言葉を止め、パトリックのほうへ顔を向けてから話を続ける。


「いかがでしょうか、殿下? 遅れた経緯が判明し、避けようのない問題に直面してしまったということが分かったのです。これで遅刻の件は水に流してはもらえないでしょうか?」


「……まあ、いいだろう。ただし、次の公務まで時間が迫っているんだから、手短に済ませてくれよ」


 パトリックは、椅子にふんぞり返りながら本題へと先に進むことにした。

 それを聞いてグラハムは、軽くうなずいた後、全員の顔を見ながら話を進めた。


「現在進行中であるオルディス征服計画についてだが、先日パトリック殿下の要請により協会本部より聖杯騎士二名を派遣いたしました。こちら序列第三位のローンエンディア卿と序列第七位のオーロット卿になります」


「ご紹介にあずかりましたローンエンディアと申します。以後お見知りおきを」


「うむ、依頼とはいえ、これからは共に人魚どもと戦ういわば戦友だ。短い間だと思うが、これからよろしく頼んだぞ!」


 ローンエンディアとオーロットは、パトリックのほうへ顔を向けながら挨拶を交わした。


 聖杯騎士――それは、教会内の一組織に属する騎士の名前であり、その実力はAランク冒険者と匹敵するか、それ以上の実力を持ち合わせている。

 普段は教会の守護を任務として与えられているが、裏では亜人の絶滅に向けて幾多の虐殺行為も任務として請け負っている。


 今回は、人魚族の大国であるオルディスを征服するために聖杯騎士の二人が本部より派遣されたのであった。


「では、さっそくだが、進捗状況について一度精査させていただく。今回は顔合わせということで聖杯騎士の二人には先に合流してもらったが、現在本部から神官含め従騎士たちがアトランタに向かっている途中です。あと数日もすれば到着とのことです」


「そうか……。こちらのほうも滞りなく計画は進んでいる。オルディス周辺の海域に生息している魔物のほとんどはコーラルの呪術に侵され、支配下に置かれている。決行日当日には何千もの魔物の軍隊を率いることも可能となるだろう」


「ほう、では彼女が報告に合った呪術師だな。報告を聞いた際には、にわかには信じなれないが、本当にそのようなことは可能なのか?」


 オーロットは、呪術に関して疎いためか、コーラルに疑いの眼差しを向けている。


「ええ、もちろんです。呪術には様々な方法を用いて対象に呪いを付与するのですが、今回私が用いたのは寄生型の呪法なります」


 そう言うと、コーラルは一つの小瓶を取り出し、テーブルの上に置く。


「うっ! な、なんですか、その醜悪な物体は……」


 あまりの醜さにローンエンディアは口元を抑えながら目を背ける。

 小瓶の中には、黒く禍々しいかつ、うねうねと蠢く生物が入っていた。


「私が開発しました呪術を生物に宿したもの、私はこれを呪印生物と呼んでおります。少々成長した姿ですがが、今回使用したのはこれよりももっと小さいものになります」


 指でどれほど小さくしたものなのか表した後、コーラルは説明の続きを始める。


「これを海に解き放ち、小魚や幼体の魔物が食せば、それだけで呪いに侵されることになります。またこの生物は一欠けらでも残っていれば無限に再生することが可能なため宿主が死んだとしてもまた新たな寄生先で呪いを付与することができます」


「なるほど……。それが本当なら食物連鎖に則り、徐々に大型の魔物に寄生することも可能ということか」


「ええ、少々時間はかかりましたが、オルディス周辺に生息する魔物たちのほとんどは私の制御下にあります。指示さえいただければいつでも襲撃することは可能です」


「へえ、なかなかの所業ですけど、本当にそのすべてを制御できるのですか? 数にして数千……いえ数万という大規模な数になりますが、それでも制御できると? なにかの間違いでその魔物たちが私たちに襲いかかってこないか心配になるのですけど?」


「その心配はない。彼女の実力は私が保証する。彼女は私の手足としてこれまで数々の功績を挙げてきた優秀な人材だ」


 責められるコーラルを見かねて、パトリックはフォローする言葉を口にしながらコーラルを庇う。


「そう、それならいいのです」


「両者とも計画通りに進んでいるようですね。……それでパトリック殿下、成功した暁には例の件をお忘れなく」


「ああ、寄付金の件だろ。協力の際に契約書を交わしただろう。今さら念押しするまでもないだろう」


「これは失礼しました。……ですが、この契約書は殿下と結んだものです。現国王が目覚めた際でも効力が発揮するかどうか心配になりまして……」


「父上のことなら心配するな。回復する見込みもなく、病に臥せっている状態だ。少なくともこの件が終わるまでは目を覚まさないはずだ」


 実の父親のことなど、心配していないといった口調でグラハムの心配事を否定する。

 グラハムはパトリックの言葉を聞いて安心したのか、ほっと胸をなでおろしていた。


「どうせ、オルディスが僕のものになれば自然と大金が手に入る。人魚は市場に出回らないせいか、高く売れるからな」


 早くもオルディスを手に入れたつもりでいるパトリックは、下卑た笑みを浮かべながら笑っていた。


「では、今回の顔合わせはここまでとしておきましょう。聖杯騎士の皆様も決行日当日は何卒よろしくお願いいたします」


「ええ、お任せください。聞けば人魚族というのは美しい顔をした者が多いと聞きます。なんとも腹立たしい話です。早くその顔を絶望の顔へと変えさせてやりたいです」


「相変わらずローンエンディア殿の話は理解できませんな。俺は俺の正義を貫くまでです。亜人などというアストレイヤ様を不快にさせる輩など俺の槍で滅ぼして差し上げましょう」


 そう言い残して、聖杯騎士の二人は、部屋から出て行った。

 今回の顔合わせもこれでお開きとなり、アトランタ王宮側とアストレイヤ教会側は各々、決行日に向けて準備を進めていくのであった。

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