第9章 呪怨事件編
第175話 緊急事態発生
凶暴な魔物が生息するアルカディア近郊の海域を抜けた紫音たち一行。
あれから一時間ほどが経過していたが、未だに馬車は渦の中を走っていた。
「……そういえば、この渦ってどこまで続いているのかしら? 見たところ、終わりが全然見えないんだけど……」
各々が馬車の中で自由に時間を潰している中、暇を持て余していたフィリアが、尋ねるように言った。
「アタシとしては、オルディス……だっけ? そこまで続いていたらうれしいんだけどな……」
「残念だが、そこまでは続いていない。これはあの危険海域を抜けるための手段として作らせておいたものだからな。……時間的にそろそろだな」
エリオットがそう宣言して少しした後、
「……おっ! 本当に終わったな」
窓の外を見ると、渦の中から脱出したらしく再び紫音たちの目に海の景色が見えてきた。
「ねえ、まだ着かないの? アタシ、タイクツなんだけど……」
出発してまだ半日も経っていないというのに、ローゼリッテは気の抜けた口調でそのようなことを口走っていた。
「お前な……そんなすぐに着くわけないだろう。ローゼリッテはもう少し我慢っていうのを覚えろ」
「うへぇ……」
「申し訳ないが、到着まで数日はかかる予定だ。もし、嫌だというならここで途中下車して、泳いで帰るんだな」
「……っ! そ、それは、遠慮したい提案ね……」
エリオットからの脅迫にも似た提案に、ローゼリッテは冷や汗を流しながら丁重にお断りする。
「しかし、数日もかかるのか……。その間に人魚の国に寄ったりしねえのか?」
「ああ。宿を取るために近くの国に寄る予定だ。一応言っておくが、入国する際は決して目立つ行動などせずにおとなしくしていろ」
紫音たちに忠告するように言いながら続ける。
「基本的に人魚族以外の種族が人魚の国に立ち寄ることはないが、今回は特例としてこれから立ち寄る国々に宿の手配と君たちのことは説明しておいた。だから、君たちが問題さえ起こさない限り、向こうからなにかしてくることはないだろう」
「なによそれ。まるで私たちがなにか問題を起こす前提に聞こえるわね」
「こっちだって、人魚族とは友好な関係を築いていきたいと考えているから問題を起こすわけがないだろう?」
「ならばいいんだがな……。私たち人魚族は他種族……特に人種を危険視しているから念のために言っておいただけだ」
そこでエリオットは気になる言葉を言ってきた。
「人種を危険視しているって……もしかして、異種族狩りのせいか?」
「それもあるが、一番の原因は領海内の漁業権問題になるな」
「漁業権……?」
「君たちも漁業権についてはある程度のことは知っているよな?」
「ええ、もちろん知ってるわ。ウチの紫音もその制度のせいで、頭を悩ませていた時期があったからね」
漁業権とは、人種が海から海産物を獲るために必要な権利のこと。
この権利を得るためには高額な料金がかかるため、結果的に海産物の物価も高くなり、庶民には絶対に手が届かないほどの値段になってしまう。
「知っているとは思うが、人種が漁業を行う際、それにより海中の生態系に影響を及ぼすという理由で高額の使用料が必要となる。しかし、そのあまりにも高額な金額に人種からの反感を買い、あるとき人種が領海を奪おうと攻めてきたことがあったんだ」
「……確かに……そんなこともあったよな」
「……ああ、そういえば昔人魚の国に行ったことがあるって言ってたな」
「オレが放浪の旅に出ていたときにたまたま立ち寄った人魚の国でその事件が起きたんだ。……まあそのときは、偶然居合わせたオレが全滅させてやったけど、当時は各地で似たような事件があったみたいだぜ」
人種たちが犯したその罪が原因で、今でも人種への警戒心が根強く残っているという。
「そういう事情があるならこっちも配慮しなくちゃな」
「そうしてもらえると、助かる」
(人魚族と人種との間には因縁みたいに深い溝があるみたいだな。これじゃあ向こうの心を開かせるのも難しいかもしれないな)
人魚族と人種にまつわる過去の話を耳にして、紫音は友好など夢のまた夢になりそうだなという気持ちになった。
「……そうだわ。あなたたちに渡しておきたいものがあったんだった」
重い話を聞き、少し暗い雰囲気になり始めたとき、セレネが話題を変えようと口を開く。
「これのことよ」
そう言ってセレネは、親指程度ある魔石にチェーンを通したペンダントを人数分手渡していく。
「……これは?」
「簡単に言うとそれは、水中でも自由に息をすることができる魔道具よ」
「へえ、これがあれば溺れずに済むってわけね」
「そういうこと。それには、『ライフオーラ』の術式を組み込まれていて魔力を注入した後に水中に入れば自動的に発動する代物よ」
ある意味この魔道具は、今の紫音たちにとって生命線そのもの。
紫音たちはありがたく受け取り、さっそく首に掛けることにした。
「すまないが、魔力ではなく気で代用することは可能だろうか? 生憎、魔法とは縁のない生活を送っていたためうまく扱えるか分からないからな」
魔法のことについてよく理解していないヨシツグが質問を口にしながらセレネに問いかける。
「……その、『気』というのがどういうものか分からないから安易に試すのは危険ね。他の人が代わりに魔力を注ぐこともできるから今はそうしてちょうだい」
「ヨシツグ、俺が代わりに魔力を注入するからちょっと貸してくれ」
紫音はヨシツグに了承を得てから首に掛けてあるペンダントに手を触れる。
「なあ、セレネさん。これって、魔石に直接注入すればいいのか?」
「ええ、そうよ。それには術式の他にも魔力を貯めておくパーツも組み込んでいるからそのまま魔力を注入して。満タンにしておけば、半日は効果が持続する計算よ」
「ほう、こんな小さな石っころで半日も水の中を自由に動けるとはな」
満タンにしておいた魔石を指で掴みながらヨシツグは感心するように眺めていた。
「魔力の貯蔵量があと少しになったら赤く点滅する仕様にしておいたからそれを合図に魔力を注入しておいたほうがいいわよ」
「……ちなみにこれって、変身した場合どうなるの?」
「それは知っておきたいものだな。オレたち竜人族は変身が可能だしな」
ドラゴンへの変身能力を持つフィリアとグリゼルの質問にセレネは、
「残念だけど、それは無理ね」
小さなため息をつきながら即答した。
「さすがにそこまでのことを考えて作ったものじゃないからね。それにその魔道具の効果は身に付けているときだけに発動するものだから、変身でもしたらペンダントが壊れて魔石があなたたちから離れた途端、息ができなくなってしまうわ」
「……となると、水中での竜化はやめたほうがよさそうだな」
「そういう事態にならないことを祈るしかないわね」
「オレはこの姿でも十分強いから別にいいけどな」
フィリアとは対照的にまったく気にしていない様子のグリゼル。
少しばかり不安を抱えながらも紫音は自分の魔石に魔力を込めるのであった。
――あれからさらに数時間。
もう地上は夜の時間帯なのか、馬車の窓から見える景色が薄暗くなり始めていた。
ここまでの道中、魔物に遭遇することもなくスムーズに進んでいる。
どうやらこの馬車を引いているインペル・シーホースは、海に棲む魔物の中でも上位種に入る種族のようで、魔物のほうから逃げていくとの話だ。
その後も馬車に揺られていると、目的地に近づいてきたのか、再びエリオットが紫音たちに話しかけてきた。
「みなさん、そろそろ起きてください。今日泊まる街に近づいてきましたよ」
ほとんどの者が暇を持て余しすぎて眠りこけていたが、エリオットの一言で全員目を覚ましていく。
「ふわぁ……ようやく馬車の中から解放されるのね。今日はふかふかのベッドで休めそうね」
「アレ? でも人魚って海の中に住んでいるんでしょう? そんな海水まみれの場所で本当に休めるの?」
「それなら心配ない。人魚の国は大小様々あるが、そのすべては外敵から守るために結界が施されている」
「その中は海水もなくて、私たち人魚は基本的に人間の姿で過ごしているのよ」
エリオットの説明に捕捉するようにリーシアは言った。
「それなら心配いらないわね」
「……どうした? なにかあったのか?」
最初の目的地に近づいていく中、通信が入ったのか、エリオットは耳を押さえながら応答する。
「――なに!? それは本当か! ――そうか、了解した」
通話を終えたエリオットは、一つ大きなため息をついた後、紫音たちに顔を向ける。
「なにか、あったんですか?」
「今しがた先行していた護衛チームから連絡があった。今日私たちが泊まる予定だったルーセントという国が魔物に襲われているとのことだ」
「魔物に……? でも、結界があるから大丈夫なんでしょう?」
「そのはずなのだが、少しばかり胸騒ぎがする。とにかく急ぐとしよう」
馬車を走らせること数分。
報告にあったルーセントの街が見えてきた。
「なんだよ、あれ?」
「デカいわね……」
窓から覗くと、同じ種類の魔物が群れを成して国を襲っている光景が目に映った。
その魔物は、恐ろしく大きく、蛇のように細長い体をしていた。
「オイオイ、マジかよ……なんであれがここに……」
魔物の姿を見た瞬間、ガゼットは冷や汗を流しながら驚いていた。
「シオンさま、あれはシードレイクという海に生息する凶悪な魔物です。下位ではありますがドラゴンの亜種になります」
「あれが……ドラゴン? 確かに顔とかは似ているような……」
改めて観察すると、竜化したフィリアやグリゼルと似たような顔つきをしている。
「でも、羽も手足もないじゃない。あんなのただの蛇よ」
「いいえ、それでもあの魔物は人魚族にとって恐れる存在なんです。性格は凶暴で常に群れで行動するうえにあの巨体です。襲われでもしたらひとたまりもありません」
「それにシードレイクはここよりも深い海の底に生息する魔物だから、本来はこんな場所にいるはずがないんだ」
「そんなことはあとで考えればいいだろう。それよりもこれからどうするつもりだ? 倒すのか?」
今もなお、シードレイクの攻撃は続いており、結界へのダメージが蓄積されている。
「む、無理だ……」
「……え?」
「あれほどの数となると、大規模な軍隊でも率いた討伐隊でも編成しない限り、倒すのはかなり難しいんだ。以前シードレイク一体がオルディスに迷い込んできたことがあったんだが、そのときは百人ほどの討伐隊が編成されたほどだ」
「あ、あれ一体に百人も必要なのかよ」
それだけでシードレイクがいかに恐ろしい魔物なのか、十分に理解した。
しかしこのまま、黙って見ていていいものかと、紫音が悩んでいると、
「ねえ、紫音。オルディスに着いて呪怨事件の調査をする際、私たちにもこの馬車みたいな足が必要じゃない?」
「……こんなときにどうしたフィリア?」
なんの脈絡のない話に紫音は小首を傾げる。
「まさか泳ぎながらあちこち回るわけにもいかないし、ちょうどいい乗り物なんかがあったら便利じゃない?」
「…………あぁ、そういうことね」
フィリアの言いたいことを完全に理解した紫音は、エリオットにある提案を持ちかける。
「エリオットさん、先ほど目立つ行動するなと言ってましたけど、あれ破ってもいいですか?」
「っ!? な、なにをするつもりだ?」
「そっちが動かないなら、あれ俺たちが貰いますね」
「も、貰うだとっ!?」
「シードレイクを倒して俺の従魔にさせた後、海での移動手段として使わせてもらうって話ですよ」
「なっ!? そもそもお前たちに倒せるわけが――」
「俺の能力についてセレネさんから聞いていますよね? それに俺たちの実力についてもっと知りたいでしょう?」
「しかし君たちは部外者なわけで……」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょう。……それで、どうしますか?」
改めてエリオットに問いかけると、
「……すまないが、頼む。追い払うだけでもいいから戦ってはくれないだろうか?」
「よし、決まりだな。さっそく行ってくる」
「マスター、独り占めはよくないぜ。オレにも一枚噛ませろ」
「グリゼル……。別にいいが、この戦いはエリオットたちに俺の実力を示す戦いでもあるからあまりジャマはするなよ」
「それでもかまわないぜ。数は……十体はいるようだから半分半分といったところか」
「俺の話聞いていたか? 俺が8でお前は2だ」
「オレが4でマスター7だ」
「……分かった。お前は3体を相手しろ。これ以上は増やさないからな」
「交渉成立だな」
戦闘前の打ち合わせをしたところで、二人は馬車の中を出て外に出る。
瞬間、二人の首に掛けていたペンダントの効果が発動し、二人の体が白い光に覆われる。
「ほう、ちゃんと発動したみたいだな」
「それはそうと、グリゼルは水中戦とか大丈夫なのか? フィリアの奴はかなり苦戦していたみたいだが……」
「嬢ちゃんとオレを比べるんじゃねえよ。オレはどんな場所でも戦えるからな」
そう言いながらグリゼルは、背中から二枚の羽を広げる。
「これで水中でも多少は動けるぜ。……そういうマスターは大丈夫なのか? 『リンク・コネクト』とやらでドラゴンの姿にでもなるか?」
「いいや。それよりももっといいのがあるぜ」
もったいぶるような口調で紫音は、その魔法を唱えた。
「《リンク・コネクト》!」
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