第173話 それぞれの出発前夜

 リーシアの故郷であるオルディスに向かうことが決まってからというもの慌ただしい日々が続いた。


 あの後すぐに、緊急の族長会議が開かれ、人魚の件についての説明や紫音たちの今後の動きについて事細かく説明することとなった。

 他の族長たちを納得させた後は、紫音たちが留守にしている間の流れについて指示を出し、

 オルディスに同行する者たちの選別もその会議の中で決められた。


 アルカディアですべきことを終えるまで数日が経過してしまったが、これで後はリーシアたちとともにオルディスに向かうだけとなった。


 そして、その出発前夜。

 アルカディアにある一軒の酒場で、一人の男が大声で叫んでいた。


「ウオオオオオォォッ! お嬢ぉぉっ! なぜだぁぁぁっ!」


 ジンガはなみなみと注がれた酒を一気に飲み干しながら、今度は洪水のような涙を流しながら叫んでいた。


「し、師匠……もうその辺にしたらどうですか?」


「ウルセェ! これが飲まずにやってられるかってんだ!」


「ジンガさん……お酒くさいです……」


「子どもにこう言われたらお終いじゃな。まあ、叫びたくなる気持ちも分からんでもないが、お主の都合に儂らを巻き込まんでくれんかのう。まだ、研究の途中だったというのに……」


 ディアナは、無理やりジンガの酒の相手に付き合わされたことを嘆き、大きなため息をついた。

 そして、ディアナと同じく巻き添えを喰らってしまったリースとレインも同じ気持ちだった。


「これが飲まずにいられるか! このオレがまた選別から外れて留守番なんてするハメになったんだぞ! しかもこれで二度目だ!」


 前回のエルヴバルムに引き続き、ジンガは今回もフィリアと同行できずにいたため、悔しさのあまりヤケ酒をしていた。


「まあまあ師匠、次がありますよ」


「ウルセェ! 前回、お嬢の旅のお供に出ていたオマエらになんか言われたくねえよ。……ディアナ、テメエもだぞ」


「まあ確かに、明日は儂の分身体をフィリアのところに寄こすことになるからお供といえばそうじゃな」


「オマエだけじゃねえ。あの小僧もそうだ。……クソ、弟子の分際で毎回お嬢と一緒にいやがって……そこはオレのポジションだぞ……」


 フィリアがアルカディアを離れるときに、まるで金魚の糞のように付いてくる紫音の存在にジンガは嫉妬していた。


「弟子に嫉妬か? まったく、器の小さい奴じゃのう……」


「ウオオオオオォォッ! お嬢ォォォッ! 次こそは、この忠臣にジンガがあなたをお守りいたします!」


 ジンガの悲痛の叫びが酒場中に響き渡った。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 場面は変わり、エリオットたち人魚族が寝泊まりをしている迎賓館。

 その一室には、リーシアの姿があった。


「ハア……もう明日か……」


 ベッドの上に横になり、ぼんやりと天井を見つめながらつぶやく。


「なに、リーシア? もう決まったことなのに、まだ駄々をこねているの?」


「むぅー、たしかにあのときは納得しましたけど、やっぱりイヤなものはイヤなんです」


 同室のセレネに対して、リーシアは不機嫌そうに文句を垂れ流していた。

 リーシアがなぜこんなにも不機嫌になっているのかというと、オルディスに帰ること以外にもワケがあった。


 実はエリオットたちを迎賓館に寝泊まりすることが決まった後、リーシアもこの場所に移り住むことになったせいで不機嫌になっていた。

 家族と一緒にいたほうがいいという紫音の配慮から決まったことなのだが、リーシアは紫音と一つ屋根の下のほうが断然いいので断固拒否した。


 しかし結局は、紫音に根負けしてしまい、泣く泣くフィリアの屋敷からこの迎賓館に移り住むことになった。


「あぁ、いつもならシオンさまのところに夜這いに行っている時間なのに、お兄ちゃんたちが来たせいで、わたしは不幸になりましたよ」


「……リーシア。それ、ここに来てから毎回言ってるわね。いい加減、機嫌直したらどうなの?」


「そんなのムリですよ。わたしの運命の人と引き離されたんですよ。未来の旦那様と四六時中、一緒にいられないなんて不幸以外、なんて言えばいいんですか」


「ああ、はいはい。色恋沙汰とか興味ないから、もうそれ以上言わなくてもいいわ」


(まさか家出した先で本当に運命の人と巡り会うなんてね……。どんな確率よ……)


 すっかり紫音に心を奪われているリーシアの姿に、セレネはほとほと呆れ返っていた。


 そんなとき、ドアからコンコンというノックの音が聞こえてくる。

 セレネがドアを開けると、エリオットとガゼットが部屋の前に立っていた。


 二人を部屋に招き入れると、エリオットは明日のことについて語り始めた。


「先ほど、帰国のことについて王宮に連絡を取ったのだが、どうやら父上は大層お怒りとの話だ」


「まっ、勝手に部外者を事件解決のために引き入れちまったんだからしょうがないわな」


「でも、友好の件まで話さなくてもいいのに、兄さんってホント生真面目よね」


「……ともかくだ。呪怨事件の捜査に加える件についてはなんとか了承を得ることはできた。まあ、監視付きで他の捜査員とは別で動くことにはなるがな」


「つまりは、監視は付けてやるからあとはそっちで好きにやりなさいってことね」


「なんですかそれ! シオンさまたちはすっごい人たちなのに、扱いがひどすぎませんか!」


 紫音たちの待遇のひどさにリーシアは不満を抱いていた。


「リーシアの言い分も理解できる。かくいう私もアルカディアに滞在して数日になるが、この国の評価については改めようと思うが、お前たちのほうはどうだ?」


 エリオットは、実際にアルカディアを見たうえでの感想をセレネたちに求めるように言う。


「オレはこの国、けっこう気に入っているぜ。メシはうまいし、オレでも苦戦しそうな魔物がゴロゴロいやがる。しかもそいつらは、あのシオンってガキが使役しているって話だ。あれらが一丸となって攻め込まれた日には、小さな国程度なら一日で壊滅だろうな」


「まだまだ発展途上の国とは言え、この国に技術力には光るものを感じるわ。私でさえ見たことのない魔道具もあって、技術者から見れば喉から手が出るほどの代物ばかりだわ」


「これでわかりましたか? シオンさまたちの国はすごいんですから」


 アルカディアの評価が上がったことに対して、リーシアはまるで自分のことのように誇らしげだった。


「ただ、それだけでは父上たちは認めてはくれないだろうな。事件を解決へと導いたなら別だろうけどな」


「すべては彼ら次第ってことね」


 知らず知らずのうちにエリオットたちは紫音たちの活躍に胸中で期待をしていた。

 もちろんリーシアもそうなるように祈り、そっと目を閉じた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――同時刻。


 夜も更け月明かりが暗闇を照らす中、紫音はリーシアと偶然の出会った海岸に来ていた。

 特になにかするわけでもなく、海の地平線を眺めながらその場に佇んでいた。


 そして、数分ほど時間が経過した後、紫音は静かにため息を吐きながらそっと後ろを振り返る。


「なんのようだ……ヨシツグ」


「私の存在に気付くとは、だいぶ気の使い方を修得したようだな」


 気配を遮断しながら木の後ろに隠れていたヨシツグが姿を現す。


「私がシオン殿に会いに来た理由など、シオン殿が一番理解しているのではないか?」


「あぁ……もしかして、あのとき見せた技のことか?」


 紫音は先日のエリオットたちとの戦闘で見せたある流派のことを思い出していた。


「技……だと。そもそもシオン殿は、あの型を一体どこで知った。あれは『蒼破水明流』といって、今では扱える者もわずかだという希少な流派だ。東方の国にも行ったことのないシオン殿が扱えるわけがない」


 鬼気迫る顔で紫音に詰め寄りながら、流派について問いただしてくる。

 ヨシツグの気迫に圧倒された紫音は、思わず一歩後ろに下がる。


 誤魔化しが効く相手でもないので、紫音は素直に話すことにした。


「その妖刀が見せる夢の中で覚えた……だと……」


 簡潔に説明したはいいが、ヨシツグが怪訝な顔を浮かべているところを見ると、どうやら信じてはいないようだ。


「ウソみたいな話だけど、本当のことだよ。こいつの中には、過去の所有者の記憶や戦闘の記録が詰まっているんだ。それで鏡華が創った精神世界であいつに稽古つけてもらっているんだよ」


「それで、『蒼破水明流』を修得したというのか?」


「修得って言っても、俺の力じゃまだまだ未完成であのときは鏡華に力を借りてようやくできたんだよ」


 紫音の必死の説得の甲斐あってヨシツグの顔から怪訝さは消え去っていった。


「ふむ……噓をついているようには見えぬし、ひとまずは信じるとしよう」


「あ、ありがとう……」


「ちなみに、妖刀に稽古を付けてもらっているとの話だが、『神鬼一刀流』も教えてもらったのか?」


「……えっ、いいや。それはヨシツグから教えてもらうことになっているし、鏡華にもそのことを伝えて『神鬼一刀流』だけは使わないよう釘を刺しているから教えてもらっていないけど?」


 ヨシツグは紫音のその言葉を聞き、満足そうな顔をしながら腰に下げた刀に手を当てながら言う。


「シオン殿、妖刀は今持っているだろうな?」


「さっき見せたんだから当たり前だろ。肌身離さず持っているよう言ったのはヨシツグのほうだろう?」


 紫音は腰に下げていた鏡華を、証明するためにヨシツグの前に突き出そうとした瞬間、


「――防いでみせろ」


「……え? ――っ!?」


 キイィィン。


 金属同士がぶつかり合うような音が辺りにこだまする。


 理由は不明だが、突然ヨシツグが自身の刀を抜き、紫音に斬りかかってきた。

 咄嗟のことだったが、鏡華に稽古をつけてもらったおかげで反射的に反応し、防ぐことができた。


「なんのマネだ、ヨシツグ! ――っ!?」


 紫音の問いかけにヨシツグは一切答えず、代わりに目にも止まらない剣捌きをお見舞いしてくる。

 横、後ろ、上から、様々な方向から繰り出される斬撃に紫音は喰らいつきながら次々と防いでいく。


 それが数分ほど続いた頃、突然刀を振るう腕を止め、ヨシツグは少し嬉しそうな笑みを浮かべながら鞘に納めた。


「先ほどの話、まんざら噓ではないようだな。その刀捌きに身のこなし、剣の稽古すら付けていないはずなのに一通りの基礎ができている」


「……まさか、それを確かめるためにケンカを売ってきたのか?」


「喧嘩ではなく、試したと言ってほしいものだ」


「ハア……」


 突然斬りかかってきた理由を知り、緊張が解けたのか、紫音はその場に座り込んでしまった。


「お詫びといってはなんだが、これをやろう」


 そう言いながらヨシツグは、綴じられた紙の束を紫音の前に放り投げる。


「……なんだよこれ?」


 パラパラとめくってみると、『神鬼一刀流』の型についての説明と挿絵が記されていた。


「それは、『神鬼一刀流』の壱ノ型――飛炎についての説明を記載したものだ。それを参考にして覚えるといい」


「刀に関しては、気を使いこなしてから教えてくれる予定じゃなかったっけ?」


「シオン殿は呑み込みも早いし、私の剣捌きにも付いて来られるようなら、そろそろ頃合いだと思って用意しておいたんだよ」


「それなら、ありがたく使わせてもらうな」


「できるようになったら一度私に見せろ。そこで試験を行い、私を認めさせたら次の型を教える。型の修得ついてはこの流れで行くから肝に銘じておくように」


「段階を踏んで覚えさせるってわけか」


 すると、先ほどの説明に捕捉するようにヨシツグは話を続ける。


「ちなみにだが、試験の機会は一度きりで、もし不合格だった場合はそこで打ち切りとし、破門になるから気を付けることだ」


「……は、破門? なにそれ、初めて聞いたんだけど!?」


「これも教える際の掟なのでな。例外は認めぬ。そえと、破門となった場合は私からの修行も打ち切らせてもらうから、頭に入れておくように。……もちろん、『神鬼一刀流』とは金輪際を縁を切ると約束してもらう」


「はあっ!? 全部初耳なんですけど!?」


「壱ノ型を使いこなせるようになったらいつでも私のもとに来い。明日は私もシオン殿たちと同行することになるから、その旅先の中でも構わないぞ」


 そしてヨシツグは、笑い声を上げながら紫音に背を向け、森の中へと消えていった。

 残された紫音はというと、突然突き付けられた事実の数々にしばらくの間、呆然と立ち尽くしていた。


『これぞまさに背水の陣という奴じゃな。まあ心配するな。もし破門にでもされても引き続き我が稽古を付けてやるから玉砕覚悟で受けてみろ』


「お前な、他人事だと思って好き勝手言いやがって……。破門にでもされたら二度と『神鬼一刀流』が使えなくなるんだぞ!」


『そうなった場合は、我が他の流派を伝授してやろう』


「お前の教えは雑すぎてまるで参考にならないから却下だ」


『ならば、その体を我に明け渡せ。さすれば、お主の体に数多の流派を刻み込んで進ぜよう』


「お前に体を明け渡すぐらいなら、死にもの狂いで型を覚えたほうがマシだからそれも却下だ」


 鏡華からの甘い言葉に流されることもなく、紫音は真面目に肩を覚えようと、ヨシツグから渡された教本に再度目を通す。


(明日からオルディスに向かうっていうのに、またやることが増えてしまったな……)


 そして紫音は、気が重くなりつつも明日の出発に備えて自分も帰路につくことにしたのであった。

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