第172話 呪怨事件

 遡ること約3ヶ月前。

 それはなんの前触れもなく発生した事件だった。


「海底に住む魔物たちが突然凶暴化し、理性を失くしたように暴れまわるようになったわ。被害は次第に拡散していき、もう無視できない状況にまで陥っていたわ」


「このままではオルディスだけでなく、海底の生態系まで崩壊する恐れがあるということで急遽、調査団を編成し、原因の究明にあたることにした」


 セレネに代わって、エリオットが事件の概要について説明していく。


「だが、原因として挙げられている凶暴化した魔物は思いのほか手強く、捕獲もできないばかりか、手掛かりも見つからないまま数日が経過した頃、私たちは奇跡的に魔物の捕獲に成功することができた」


「あんときは大変だったな。別で動いていたオレたちにまで、応援要請を寄こしてきたくらいだからな」


「そうだったな……。そして捕獲した魔物は生物学者である姉に調べてもらうこととなった」


「姉って……お前ら兄弟が多いんだな」


「ほかはどうか知りませんけど、ウチでは普通のことですよ。……王族の血を少しでも多く残すためとかで、兄と姉は多いみたいなんです」


 ポツリと言った紫音の問いに対してリーシアが答える。


「話を戻すが、その姉に調べてもらった結果、魔物が呪いに侵されているということが分かったんだ」


「呪い……。だから理性を失くしたような行動をとっていたのね。でもそうなると、けっこう厄介な問題になりそうね」


 紫音の横にいたフィリアが納得するように頷きながらつぶやく。


「そんなにヤバいものなのか?」


「そもそも呪いっていうのは魔法系統の中でも珍しい部類で扱える者もそれほど多くないのよ。オマケに対抗手段も限られているから相手にするのはけっこう折れるのよね」


 フィリアの言い様からして、原因が呪いだと判明しても、そう簡単に解決できるような問題ではないようだ。


「それだけでなく、この呪いは他者に感染していく代物でもあるということが分かった。感染といっても触れただけでは発症しない。例えばだが、呪いに侵されたものの血肉を体内に取り込む。この場合でも呪いに侵されてしまう」


「これの恐ろしいところは際限なく、拡散していくことよ。始まりは小さな魔物だとしてもそこから段階を踏んで大きな魔物に食べられ、連鎖的にその被害が広がっていく。おそらく今回はそのケースが海底内で起こっているんだわ」


「私たちがこの事件を『呪怨事件』と名付け、事件解決のためにはリーシアの力が必要だということが分かった」


「……え? なんでそこでわたしが出てくるんですか?」


 まったく身に覚えのないことを言われ、思わずリーシアは驚いた声を上げる。


「リーシアの聖楽魔法の中には浄化の能力を持つ歌がある。しかもその歌は、人魚族の中でもリーシアしか持っていないんだ」


「解決手段が見つかったけど、タイミングが悪いことにそれが判明したのがリーシアの家出事件が発生したすぐ後のことで、それでお父様から連れ戻すよう言われたわけなのよ」


 エリオットたちがリーシアを連れ戻しに来るようになった経緯は理解です。

 どうやらオルディスでは、呪怨事件が深刻な問題と化しているようだ。


「しかし本当にリーシアがそんな魔法を持っているのか? というより、本当にリーシアにしか浄化はできないのか?」


 先ほどの話を聞いた紫音は疑うような言い回しでエリオットたちに問いかける。


「どちらも本当のことだ。浄化には呪いを打ち消す効果もあるが、その他には他者の精神を鎮める効果も備わっている。昔、兄弟げんかが起こった際には、毎回、リーシアがその歌を唄い、ケンカを終わらせたことが何度もあるからな」


「リーシアにしか使えないっていうのも本当よ。浄化の歌は元々希少な歌でここ数百年、一度も顕現されなかったわ。だから、リーシアがその歌を唄ったときは家族全員で驚いたものよ」


 どうやらいまの話はすべて真実のようだ。

 つまりリーシアは、オルディスを騒がせている呪怨事件を解決へと導く鍵とも言える。


 いきなりこんな大役を与えられ、リーシアは大丈夫なのかと、ふと心配になった紫音はチラリと横目でリーシアの様子を窺うと、


「……っ」


 なにやら俯いた状態でわなわなと体を震わせていた。


「リ、リーシア……?」


 紫音が声を掛けようとしたその時、突然リーシアは顔を上げ、エリオットたちに声を上げながら言った。


「わたし、知りませんでした!」


「……え?」


「そんな事件が起きていることなんてぜんぜん知りませんでした! なんでわたしだけいつものけ者するんですか! いっつもわたしだけなにも知らないまま過ごして、挙句の果てにそんな大事なときに家出までして、バカみたいじゃないですか!」


 いままで溜まっていた鬱憤なのか、リーシアは自分の胸の内に溜め込んでいた言葉の数々をエリオットたちに向けて叫んだ。


「……エリオット兄さんたちがわたしを捜しに来たのもわたしの歌目当てなんですよね。……わたしを心配して捜しに来たってわけじゃないなら帰ってください! いまの話を聞いたらなおさら帰りたくなくなりました!」


「馬鹿なことを言うな、リーシア。お前のことを心配して捜しに来たに決まっているだろ!」


「お前の力が必要っていうのは建前に決まってんだろう。勘違いすんじゃねえよ」


「……で、でも……」


「少しは落ち着きなさい、リーシア」


「フィ、フィリアさん……」


 するとフィリアが話に入ってきて、リーシアを説得するように言う。


「一時の感情に流されて、せっかくのチャンスを棒に振るつもり? せっかく向こうがまたここに戻ってこれる提案をしてくれたのに、このままじゃあなた、力尽くで連れ戻されて二度と私たちに会えなくなるのよ」


「力尽くで……ですか?」


「そうよ。向こうはリーシアの考えたうえで譲歩してあの提案に乗ってくれたのよ。それなのにあなたが拒否していたら向こうも実力行使に出るしかないでしょう。……それでもいいの?」


「……っ!? よ、よくないです……」


 フィリアの説得が通用したのか、リーシアは冷静さを取り戻し、大人しくなった。

 リーシアの様子を見て安心した紫音は、一つ気になることを思い出し、質問する。


「リーシアの国でなにが起きているのか、その鍵がリーシアの能力にあるということも理解したけど……でもなんで、俺らの力が必要になるんだ?」


 話を聞いていると、リーシアさえいれば事件は解決するように聞こえる。

 それなのにいまさら部外者である紫音たちがいったいなんの役に立つのか、皆目見当がつかずにいた。


「確かにリーシアの能力が解決の糸口になるけど、一人の力じゃできる範囲も限られてくる。……でも、一人じゃなければその範囲はもっと広がるはずでしょう?」


 そう言いながらセレネは、紫音をじっと見ながら問いかける。


「……まさか、俺の力も呪いに対抗できるっていうのか?」


「そうよ。現にさっきの戦いで証明してくれたじゃない」


「……え? なんのことだ?」


「あの戦いで私が放った魔物は、呪い状態にある魔物だったのよ。私はそれを特殊な装置で制御下に置いていたけど、あなた魔物を使役させていたじゃない」


「ああ、あの一時的に契約した魔物のことか……」


 そこで紫音は、ほんの少し前の出来事を思い出していた。

 あのときは切羽詰まっていたので、倒した魔物を仮契約して従わせていたので、呪いに侵されていたことなどまったく知らなかった。


「普通、呪いに侵された者は理性を失くしたようなものだから言うことなど聞くはずもないのに、あなたの指示には従っていた。おそらくあなたと契約したことで制御下に置かれたせいで言うことを聞くようになったのか、もしかしたら契約すること自体が呪いを打ち消す効果を持っているのかもしれないわね」


「……いろいろと言ってくれたみたいだけど、俺自身、自分の能力を把握していないんだよ。だから本当にそんな効果があるかどうか断言できないんだけど、それでもいいのか?」


「まあ私自身、憶測で言っただけだから確証なんてないんだけどね……。それでも、魔物を一撃で打ちのめしたその力は充分に役立てるとは思っているわよ」


「それなら役に立てるかな……」


「それで、どうかしら? 今の話を聞いたうえで協力してくれるかしら? もちろん、あなたたちの要求が通るように私も精一杯やるつもりよ。……ここにいる兄妹含めてね」


「なっ!? セレネが勝手にした約束だろ! 私まで巻き込むな!」


「オレは別にいいぜ。オモシロそうだしよ」


「渋っている兄はあとで説得しておくから安心して。……それで、どうする?」


 答えを振られた紫音は、一度フィリアたちの顔に目を向け、その反応を見てから答えを出す。


「短い時間とはいえ、リーシアはこの国の住民の一人だ。故郷が大変なことになっているなら助けてやらないとな。改めてその依頼、受けさせてもらいます」


 そう言いながら紫音は、エリオットたちを縛っていたバインドを解いた。


「い、いいのか、こんなことをして? 約束など反故にして、リーシアを連れ去っていくとは考えないのか」


「俺たちは事件を解決するまで協力関係にあるんだろ? こんな縛ったままの状態にして協力関係なんて言えるわけないだろう」


「……っ!?」


 紫音の予想外の行動に、エリオットは驚きを隠せずにいた。


「それじゃあ、改めてよろしく。俺はの名前は紫音だ。事件が終わるまでよろしく頼むな」


「私はアルカディアの女王フィリアよ。よろしくね」


「……わ、私は海底国家オルディスの王子エリオットだ」


「同じくガレットだ。よろしくな」


「私は王女のセレネといいます。今後ともよろしくお願いいたします」


 お互いに自己紹介を交わした後、フィリアの提案により、エリオットたちを迎賓館へと招待することとなった。


「こっちの準備もあることだし、申し訳ないけど数日ほど滞在してもらえるかしら?」


「ああ、こちらは構わない。他の部隊にも今回の件についてはうまく話しておく」


「そうしてもらえると助かるわ」


「……そうだ。それとここに来る途中、他のチームと別れて捜索に出ていたのだが……」


「ああ、それならもうこっちで捕獲済みだが?」


「なっ!? い、いつの間に……」


 どうやら他のチームもアルカディアに敗北してしまったようだ。


「なるべく危害は加えないよう言ってあるから多分大丈夫だ。あとで迎賓館に連れていくよう言っておくからそこで合流するといいよ」


「……ハア。それでは少しの間、厄介になるとしよう」


 エリオットはあきらめたようにため息をつき、紫音たちとともに森から出ることにした。

 未だ未解決の事件のことを考えながら。

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