第160話 アストレイア教会

 カツン、カツン。

 石造りの階段を下るたびに、足元から高らかな音が鳴る。


 ポーションの大量生産を視野に入れ、その人員を確保するために紫音は、地下に隔離されているプリーストに顔を合わせることとなった。

 場所は、先ほどのポーションが製造されていた場所よりもさらに地下。

 心なしか下に行くほど空気が淀んでいるように感じる。


 階段を下り終えると、そこは上と違ってまるで収容所のような場所になっていた。

 左右に鉄格子が嵌められた檻の部屋が立ち並び、中には獰猛な魔物が収容されている。


(話には聞いていたが、実際に見るのは初めてだな……)


 ここは、ディアナが所有する実験場の一つ。

 開発した新薬や魔道具を試す際、ここにいる魔物たちがその実験台となる。言わばこの場所は、実験を行うためのモルモットが収容されている場所ともいえる。


「ここじゃ、ここ。この部屋に先ほど言っておったプリーストが隔離されておる」


 そこは、魔物たちの収容所のさらに奥。

 一番奥に造られた収容所であり、他とは違って鉄格子ではなく、鉄の扉が紫音たちの前に立ちはだかっていた。


「ここだけずいぶんと造りが違うんだな」


「向こうに余計な情報を与えないために特注で造った部屋じゃ。防音に魔法術式の無効化、その他にも脱走なぞされぬようこの部屋自体に強固な結界を仕掛けておる」


「……余計な情報は与えない……か……それは一理あるな」


「……シオン?」


「なあ、さっき言ってた魔法術式の無効化なんだが、それは念話も無効化されるのか?」


「魔法自体を使用禁止にする術式が施されておるからな……念話も魔法の一種じゃから適用されるはずじゃ」


「だったら、この部屋に入るときの間だけでいいからその術式を解除してくれないか? ディアナに話があるときに、プリーストの前で大っぴらに話すわけにはいかないだろ」


「それもそうじゃな。ちょっと待っておれ。今、解除する」


 紫音の提案に賛同し、ディアナは部屋に掛けられていた術式を一時的に解除した。

 準備が整い、いよいよ例のプリーストと対面することになる。


 ディアナが鉄の扉を開くと、ギイィという重い音が静かに鳴り響く。

 部屋の中に入った紫音は、まず内部の清潔さに驚いた。白を基調とした壁に、掃除が行き届いているのか、目立つところに汚れなど見当たらない。

 部屋にはベッドに簡易トイレだけと、必要最低限のものしか置かれていないが、とてもここが収容所のようには見えなかった。


『ずいぶんとキレイな部屋を用意したもんだな……』


『利用価値のある人種じゃからな。これぐらいの待遇は当然じゃ』


 なるほど、と胸中で納得しながら改めて部屋を見渡していると、


(……ん?)


 ベッドの上で体育座りをしながらうずくまっている一人の少女が目に入った。

 顔はよく見えないが、おそらくあの少女が話題に上がっていたプリーストなのだろう。


『ディアナ、あいつの名前分かるか?』


『……確か……リリィベルと言っておったかな?』


 ディアナからプリーストの名前を聞くと、紫音はリリィベルのもとまで歩き、その場所で相手と目を合わせるように少し体を屈めながら話しかける。


「初めまして、リリィベルさん。あなたにお話があって来ました」


 するとリリィベルは、体をぴくっと震わせながら反応を示し、ゆっくりと顔を上げる。


(こ、これは……)


 リリィベルと目が合った紫音は、その顔に少し顔を引きつらせる。

 まるで精神が崩壊したかのように思わせる焦点の合っていない瞳。頬は少しやせ細り、顔色も悪い。

 リリィベルを見ていると、まるで病人にでも会ったような感覚に似ている。


 そのリリィベルはというと、紫音と顔を合わせても口を開こうとせず、周囲に顔を動かしていた。

 そして、ディアナに顔を動かした途端、


「キャアアアアアアッ!」


「っ!?」


「ゴメンなさい、ゴメンなさい! もう私の中に入らないで! もう苦しいのもいたいのもイヤなのよぉぉぉぉぉぉー! 主よ! 私はここにいます! 早く私に救いの手を!」


 突然錯乱し、大声で喚き散らしていた。

 あまりの急変に紫音も動揺を見せ、ディアナに視線を送りながら念話する。


『おい、ディアナ! いったいなにをした。お前の顔を見た瞬間、これだぞ』


『ううむ……。情報を引き出すために少々やりすぎたかのう』


『情報……? そういえば難航していたみたいだが、結局どうやってポーションの製造方法を聞き出したんだ?』


『始めは記憶操作で従順な助手にでもしてやろうかと思ったんじゃが……どうもこのプリーストの精神には堅牢な保護結界が掛けられておるんじゃよ。そのせいであらゆる精神系の魔法が無効化されるんじゃ』


『つまり記憶操作の魔法がつうようしないってわけか……。あれ、じゃあどうやって製造方法を?』


 その質問に対してディアナは、得意げな顔を浮かべながら念話で答える。


『当初は難航しておったこともあってか、外にいる魔物どもと同じように新薬の実験体として扱っていたんじゃが、つい先日解析したお主の妖刀のおかげで万事解決したのじゃよ』


『鏡華が……? でもあのときはろくに調べられなかったように見えたんだが?』


『儂の手にかかれば触れずともだいたいのことは解析できる。……まあ、所有者の肉体を乗っ取る仕組みは分からずじまいじゃったがな。……だが、その代わりに所有者の記憶を収集していたあの能力の理論だけはなんとか理解できたんじゃ』


 妖刀の鏡華には、所有者の記憶を読み取ることができる能力が備わっている。

 そのおかげで鏡華、体を乗っ取った状態でも所有者が使用していた剣技を自由に扱うことができる。


『その能力を儂なりに応用し、試行錯誤を繰り返した結果、ついに保護結界をすり抜け、あのプリーストから情報を引き出すことができたんじゃよ。……まあ何分、対象者のことをなにも考えずに編み出した魔法の一種じゃから少々、副作用が発生するがの』


『それで、こんな風に……。ちなみに製造方法以外でなにか分かったことはあるか?』


『残念じゃがそれは無理じゃった。まだまだ未完成ゆえ同じ相手に使用すると、廃人になる恐れがあるから製造方法についてだけ記憶の読み取りに専念したんじゃよ』


『……となると、これ以上のことは直接話すしかないわけか。……一応、ディアナは少しリリィベルから離れていろ』


 また錯乱されないようディアナとの距離を離してから紫音は再びリリィベルに声をかけた。


「リリィベルさん、あの者は私が押さえつけました。あなたに危害を加えることはおそらくないでしょう」


「……あ、あなたは?」


 リリィベルは初めて紫音の言葉に反応を示し、返事をしてきた。


「初めまして、私は紫音と申します。あなたに話があって来ました」


 先ほどと同じセリフを口にしていると、リリィベルはなにやら紫音を凝視していた。

 予想外の返しに紫音がどうするべきか、悩んでいると、


「あなた……もしかして私と同じ人種ではないですか!」


 とてもうれしそうに顔を綻ばせながら声を上げていた。


「ああ、一応そうだが……」


「こんな薄汚れた場所にいつまでもいては危険です。私と一緒に逃げましょう。あなたが私の脱獄に協力してくれたならあの汚らわしい亜人種を葬って差し上げますよ」


(突然、なにを言ってんだこいつ……)


 豹変したような言動で唐突に紫音に協力を求めてきた。それも、すぐそばにディアナがいるというのになりふり構わず話を進めていた。


「お前な……言っていることメチャクチャだぞ。そもそもディアナに負けたからこんなところにいるんだろ? たとえ俺が協力したとしても返り討ちに遭うだけだ」


「そんなことはありません! あのときは少し油断しただけです。主の能力を行使さえすれば亜人種など軽くひねりつぶして差し上げます」


「ずいぶんな自信だな。……だが、悪いな。俺はこいつの仲間だからお前の提案には乗れないな」


「な、なかま……。汚らわしい亜人種……と?」


 紫音の答えにリリィベルは、絶望したかのような顔を浮かべ、目を見開かせていた。


「なんということ……。同じ人種だというのに亜人種と友好を深めているなんて……」


 真実を受け止めきれないリリィベルは、俯きながらわなわなと体を震わせていた。


「主の教えに反するなんて……この背教者め!」


 声を荒げながらリリィベルが紫音に向かって襲い掛かろうとする。


「ぎゃっ!?」


 しかし、あと少しというところでディアナの手によって防がれてしまった。

 紫音とリリィベルの間にディアナが障壁を張ってくれたおかげで結局リリィベルの行動は無駄となった。


「なんで……なんでよ! なんでまた私の前に亜人なんかが立ちはだかるのよ! あなた、いったいどこの神を信仰しているのよ! 邪教もいいところじゃない!」


「信仰ね……。悪いが俺は無宗教なものでね。神という存在すら信じていねえよ」


「教会の神官の前でウソをつくのはやめることね。この世界にいる人種は一人残らずなにかしらの宗教に属しているものよ。それがたとえ孤児であっても浮浪者であってもよ! 無宗教なんて人、そもそもいるはずがないのよ!」


(そ、そうだったのか……?)


 異世界人の紫音がそんなことなど知るはずもなく、いま初めて知る事実だった。

 しかし紫音も、ウソをついているわけではない。元の世界でも宗教に関心がなかったためこの世界に来たからと言ってどこぞの宗教に入るつもりすらない。


「もしそれが本当なら私と同じアストレイア教会に入信することをお勧めするわ。宗教者数は世界一ですべての教会はアストレイア教会の傘下にくみしているわ。それに、この世界を創造し、私たち人種という崇高な種族を生む出した神――アストレイア様をあがめているのよ。これほど幸せなことはないわ」


『アストレイア教会って名前を初めて聞いたんだが、いまの話……全部本当のことか?』


『人種の世界では知らぬものなどいない有名な宗教じゃ。付け加えて言うならすべて本当のことじゃぞ。この世界を創造したと言われる神が何人かおるんじゃが、その中でも人種を生み出した神というのがアストレイアじゃ』


(ずいぶんと大層な神様じゃないか)


 神の存在すら信じていない紫音にとって、いまのリリィベルの高説はまったく響かない内容だった。


「いま入信するなら特別にあなただけは見逃すよう配慮してあげるわ。だってもうすぐ教会にものが私を救出しに来るんですもの」


「……救出だと?」


「そうよ! アストレイア教会は信奉者を重んじる教会よ。私との連絡が途絶えたいま、教会はすぐさま救出部隊を編成し、私を亜人どもの手から救い出してくれるわ」


(こいつ……あれからどれくらいの月日が流れているのか知らないのか?)


 金翼の旅団がアルカディアに侵入してから実は半年以上の月日が流れていた。

 しかしここは太陽の光すら届かない地下の奥深く。時間の感覚がおかしくなるのも当然のこと。

 リリィベルもこの地下での生活が長いせいで時間の感覚がずれてしまっているようだ。


「向こうがその気ならこちらにも考えがある。もしかしたら返り討ちにしてやるかもな」


「バカなことを言いますね。私ほどの人材ともなれば捜索に出てくるのはもっと上のはずです」


「なんだ、お前? 教会の中じゃそんなに偉い地位にいるのか?」


「ええ、そうです。冒険者としてAランクプリーストとしての称号を得た私ですよ。そのような人材を教会が放っておくはずがありません」


「……は?」


 紫音は、リリィベルの話に疑問を感じた。

 いまの話を聞いている限り、リリィベルが教会の中では高い地位にいるという風には聞こえない。むしろ自分でそう思っているように聞こえる。


『どうやら行き過ぎた妄信者のようじゃな』


『それに、こんなにもぺらぺらと情報を吐いてくれるなんてな。黙秘を続けていたんじゃないのか?』


『ふむ、おそらく久方ぶりに人種と出会って興奮しておるようじゃな。ずっと一人でおったから精神的に不安定にもなっているのかもしれないの』


 納得のいく答えに紫音は、憐みを込めた目でリリィベルを見ていた。


「私ほどとなればきっと……もっと上……『執行者』が出てくるはずよ。そうなればあなたたちなんて終わりよ!」


『執行者……? ディアナ知っているか?』


『いや、儂も初めて聞く名称じゃ』


 ディアナでも知らない存在に紫音は少し不安を感じていた。


「その執行者っていうのはいったいなんだ?」


「執行者というのは教会の裏で組織された戦闘部隊の呼び名よ。私もあったことはないけど、彼らもまたアストレイア教の信奉者。そして、聞いた話によれば彼らは人種至上主義を掲げていて亜人種の撲滅を目指しているのよ」


「ずいぶんと大規模な目標を掲げているじゃないか」


「ええ、それこそがアストレイア様の信者である私たちがすべきことなのよ。現に執行者が動いたことによっていくつもの亜人種の村が消えたという話があるほどよ」


(……そういえばこれまで来た難民の中にも似た話を聞いたような)


 あながちホラ話とも言えない内容に紫音は反論できずにいた。

 リリィベルの話が本当だとすればアルカディアにとって無視できない存在となる。アルカディアが有名になればなるほど遠くない未来、リリィベルが言ったようにこの国が執行者の標的になる恐れがある。


「終わりよ終わり! あなたたちはもうすぐ終わりなのよ! 執行者の手によってね。アハハハハハハハハハハハハ!」


 高らかに笑い声を上げるリリィベルの声が部屋中に響き渡った。

 紫音とディアナは、ただただその光景を眺めることしかできずにいた。


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