第161話 問題と解決

 ディアナの研究所から出ると、外はすっかり夜の景色へと変わっていた。

 陽が落ち、月明かりが地上を照らす中、紫音は帰り道をとぼとぼと歩いていた。


 あの後、リリィベルからまともな話を聞くことができず、結局のところポーション製造の件は保留ということでお開きとなった。

 リリィベルから有益な情報をいくつか聞き出すことができたが、それは新たな問題の出現でもあった。


 ひとまず、これらのことをまとめて全員に周知しておくべきだと紫音は帰路につく中でそう決心した。


「ただいまー」


 気分が晴れないまま屋敷のドアを開けると、そこにはまるで紫音の帰りを予見していたかのようにユリファが出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、シオン様」


「ああ、いつもご苦労様」


 すっかりこの状況に順応していた紫音は、ユリファに労いの言葉をかける。


「皆様はもう夕食を召し上がっておりますが、シオン様はどうなさいますか?」


「なんだ、もうそんな時間になっていたのか。それなら悪いけど俺の分も頼む」


「かしこまりました。すぐに準備いたします」


 ユリファが紫音の夕食の準備に取り掛かろうとするのを見送り、紫音はフィリアたちがいる食堂へと向かった。


「……あっ、紫音お帰りなさい。ずいぶん遅かったじゃない」


「まあディアナのところでいろいろとあったからな……」


「いろいろとね……? いったいなにをしていたのやら」


「詮索してやるなよ。あのねーちゃんも出るところは出てるし、きっとマスターも我慢できなくなっていろいろとヤッちまっていたんだろ」


「なんだ、ローゼリッテとグリゼルいたのか? というよりなにもやってねえから憶測で物を言うんじゃねえよ」


 食堂には、フィリアたちの他にローゼリッテとグリゼルの姿があった。

 二人の戯言を軽くいなしながら紫音は席に着く。


「二人は今日の巡回、休みなのか?」


「ええ。今日はアタシもこいつもそろって休みよ。……それよりシオン、またオモシロいものを拾ってきたみたいじゃない」


「リーシアのことか? じゃあ、もうそこら辺の事情はフィリアからでも聞いたのか?」


「ええ、そうよ。人魚族なんて初めて見たけどトカゲっ娘から言われるまでぜんぜん気付かなかったわ。見た目的には人種と変わらないもの」


 ローゼリッテの言葉に紫音は思わずリーシアに視線を移す。

 下から先はテーブルに隠れてまったく見えないが、どうやらその中は紫音と同じ人間の体に変身させているらしい。


「そうだ! もし人魚の国に行くようだったらアタシも連れていきなさい!」


「なに言ってんだお前? お呼ばれされるわけないだろ。リーシアはいま絶賛家出中なんだから、たとえ家族が連れ戻しに来たとしてもよくてお礼を言われて『ハイ、さようなら』で終わりだろ」


「えっ!? シオンさまは引き止めてくださらないのですか! わたし絶対に戻らないですからね!」


「なんだ、聞いていたのかよ」


 先ほどまで食事に夢中だった様子なので、てっきり聞いていないものだと思っていた。


「なによそれ? あそこはひんやりしててにっくき太陽も届かない海底の国だからリゾート地として最適だったのに、行くつもりはないですって?」


「お前……そんな理由で付いてくるつもりだったのか?」


 なんとも打算的な考えに紫音はなんだか頭が痛くなってきた。


「でも、嬢ちゃんの言う通りあそこは人魚の国はいいところだぜ。メシはうまいし、美人も多いからな」


「グリゼルは行ったことがあるのか?」


「ああ、放浪の旅をしていたときに一度な。人魚の嬢ちゃんがいた国かどうかは知らないがな」


「この前のヤマトといい、エルヴバルムといい、今回の人魚の国といい、ホント世界一周でもしたかってくらい、いろいろな国を回っているな」


「当時は自由な時間が余るほどあったからな。ほとんどの国は回ったはずだぜ」


 行動範囲が凄まじく広いグリゼルに、紫音は改めて驚かされた。


「まあ、リーシアの国の件は後回しにして、紫音はどうなのかしら?」


「……え?」


「ディアナがなんの理由もなく紫音を呼び出すわけもないし、なにかしらの成果があったんでしょう?」


「さすが、鋭いな。……お察しの通りなんだが、いい話と悪い話の両方あるんだが……聞きたい?」


「やっぱりなにかあったのね? もったいぶらずに話しなさい」


 フィリアから催促され、紫音が話そうとすると、タイミングを見計らったようにユリファが食堂に入ってきた。

 カートを引きながら入室し、その上には紫音の分の夕食が乗せられていた。


「話は食べながらでもいいか? まだ食べていなかったからな」


「いいわよ。こっちもまだ途中だったし」


 そして紫音は、食事をしながら先ほどディアナの研究所であったことについて順を追って話し始めた。


 紫音の口から聞かされた話は、内容が事細かにまとめられていたため、少々長い話となってしまったがその間、フィリアたちはときどき相槌を打ちながら聞いていた。


 紫音の話が終わりを迎え、夕食を食べ終えた後の休憩時間。

 フィリアは少し思い悩みながら考え事をしていた。


 そしてユリファから出された食後の紅茶を口に入れ、一度味わった後、フィリアの口が開いた。


「状況はよくわかったわ。……本当に教会内部にそんな組織がいるとするならばたしかに厄介なことになりそうね」


「フィリアもそう思うか?」


「……でも、大丈夫じゃないかしら?」


「え?」


 教会の執行者の存在を伝えともフィリアは特に焦った様子を見せず平然としていた。


「聞けば、その執行者とやらが出没するのはどこも小さな村とかなんでしょう? メルティナのエルヴバルムやリーシアの国には教会の奴らは来なかったんでしょう?」


「私、部屋にこもってばかりでしたが、そんな話は初めて聞きました」


「わたしも聞いたことないわね。そもそも人種には海底に来る手段すらないもの。絶対にムリね」


 メルティナやリーシアも執行者の存在には心当たりがない様子だ。


「おそらく狙われているのはそういう小規模なところばかりなのよ。その点、アルカディアは規模だけ見ればそこらの大国となんら遜色ないほど発展した国よ。手を出せないんじゃないかしら? もしかしたら連中、ここに亜人種の国があることすら知らないのかもしれないわ」


「……っ」


 フィリアの話に紫音も思わず「なるほど」と納得してしまった。


「でもまあ、そういう存在がいることぐらいはみんなに知らせたほうがいいかもしれないわね。知ってる知らないとじゃ、天と地ほどの差があるからね」


「いまはそれでいいか。あとで族長会議でも開いて今回の件を共有するとするか」


「教会の件はそれでいいとして、ポーションはどうするつもり? 紫音の話を聞いた限りだれでもいいってわけじゃないんでしょう?」


「そうだな……。できれば手先が器用で生産職に就いている奴を異動させるっていう手もあるが、いまはどこも人員を他に移すほど余裕がないからな」


 条件に合うだけでなく、手が空いている者などいまのアルカディアには誰一人としていなかった。

 そのためリリィベルを仲間に引き入れていればどれだけよかったものかと、紫音は胸中で後悔していた。


「あ、あの……シオンさん」


「ティナ、どうかしたか?」


「じ、実はあの……もしかしたらなんですけど……その件は大丈夫かと思います」


「どういうことだティナ?」


「ここから先はわたくしからお話いたします」


 対人会話にまだ難があるメルティナに代わってユリファのほうから説明されることとなる。


「実はディアナ様のところで研究のお手伝いをしたいと申しているエルフの民が何人かおりまして、フィリア様たちのお許しがあれば、すぐにでも呼び出すことが可能です」


「ディアナの手伝い……? なんでまたそんなことに……」


「先日のエルヴバルムの件で、ディアナ様が製作したゲートポートに同胞がいたく興味を示したらしく、それでディアナ様に教えを乞いたいという希望者がいらっしゃるようでして……」


「へえ……。まさか幸運にもあれが宣伝材料になったのね、いいことじゃない。……それで、当然この流れで言ったんだからポーション製作にも役立ってくれる人材なのよね?」


「それは問題ないかと。その者たちはみな、アイテムや魔道具作りに携わっている者たちなので」


「許可するわ。なるべく早く来させてちょうだい。専念させるために移住させるのも手ね。紫音、住居はまだ余っているのかしら?」


「報告書によれば、もう少しで新しい住宅が建てられるそうだから移住させるならそのタイミングで呼んだほうがいいかもな」


 思わぬところから舞い込んだ幸運に紫音とフィリアは大いに喜んだ。

 住居の確保や具体的な日時などもその場で決め、どんどんと話が進んでいく。これでなんとかポーションの制作については目途が立ちそうだ。


 ほっと紫音が一安心している中、ふとリーシアに視線を移すと、ぷくっと頬を膨らませ、分かりやすく不機嫌な顔をしていた。

 自分は蚊帳の外でまったく話に入り込めずにいたため、すっかりいじけていた。


「と、ところでリーシアはどうなんだ? 部屋とかも用意してもらったんだろ? 不便なことなんかはないか?」


 ちょうど話も一区切りついたところなので、リーシアの話題に変えることにした。


「不便なことなんてありません! ちなみにわたしの部屋はシオンさまの向かいの部屋なんでいつでも遊びに来てくださいね」


 紫音に話しかけられた途端、なんとも分かりやすく嬉々とした声で話している。


「じゃあ、特になにか欲しいってわけじゃないんだな」


「……そうですねしいて言えば、水場が欲しいことですかね」


「水場……?」


「ああ、そういえば言ってたわね」


 どうやらフィリアは、そこら辺の事情を理解している様子だった。


「どういうことだフィリア?」


「人魚族っていうのは日に何時間か、水にかっていないといけないらしいのよ」


「地上で生活できているのにか?」


「人間に変身する魔法だって一日中維持できるわけじゃないのよ。だいたい半日くらいで解けるんだっけ?」


「それくらいが目安ですね。それにこの魔法は連続して使えなくて、数時間ほど時間を置いてからじゃないと魔法が発動しないんですよ」


「人魚の姿のままじゃ満足に動けないし、それで水場が欲しいってわけか」


「そうなんですが……急に言っても用意できませんよね」


 リーシアの要望に応えたい紫音だったが、すぐにいい案は思いつかなかった。

 リーシアも海に生きる人魚族なので、ただの水場では満足しないはず。少なくともそれなりの広さと深さを兼ね備えた場所でなくてはならない。

 しかし、そんな都合のいい場所など……、


「あそこなんかはどうかしら?」


 紫音が悩んでいると、なにかいい案でもあるのか、フィリアが前に出てきた。


「なんかいい場所でもあるのか?」


「ほら、前に紫音がヨウショクギョウ? とか言うものを作ろうとして失敗に終わった場所よ。いまは子どもたちの水遊び場みたいになっているけど、あそこってけっこう広くて水も深かったはずよね?」


「……あっ!?」


 その話を聞いて、紫音はハッと思い出させられた。それと同時にイヤな記憶も思い出す。


 アルカディアの新たな特産物として、魚の養殖を始めてみたことがあった。絶対に成功すると思って広い養殖場を確保したはいいが、結局すべて失敗に終わってしまい、放置したままとなっていた。


(あのときは、けっこうへこんで何日か寝込んだんだよな……)


 当時のショックな出来事を思い出し、胸中で再びため息をついた。


「あそこなら十分に泳げるスペースもあるし、いいかもな」


「そんな場所があるんですか?」


「明日にでも見に行くか?」


「ハイ!」


 リーシアの元気のいい返事とともに今日のところはそこでお開きとなった。

 紫音は今後のことについて考えるため一度自室へと戻るのであった。


 こうして、リーシアとの出会いからリリィベルの一件まで、怒涛の一日は過ぎていくのであった。

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