第157話 恋に落ちた人魚

 メルティナを救出し、リーシアから避難させた紫音は、再びメルティナの持病が発症しないように海岸沿いにリーシアを移動させる。

 その後、紫音とフィリアはリーシアから話を聞くことにした。


「それで、リーシアさん……」


「リーシアさんだなんて、そんな他人行儀な呼び方しないでください。いずれ夫婦になるんですからせめて呼び捨てでお願いします」


「あぁ……リーシア」


「はいっ!」


 このままでは話がまったく前に進まなそうなので、ひとまず呼び捨てにすることで手を打つことにした。


「リーシアはなんでこんなところに? この近くに人魚の国があるだなんて聞いたことがないんだが……」


「そうね……。私も何年も前からここに住みついていたけど一度も見たことがないわ」


「あの……」


 まったく見当がつかず、二人が頭を悩ませていると、リーシアが申し訳なさそうな顔をしながら手を挙げていた。


「そもそもここはどこなんですか?」


「……え? リーシア、それどういう意味だ?」


「実はわたし、アビス海流に飛び込んでからの記憶がまったくないんです」


「オイ、アビス海流っていったいなんのことだ?」


 記憶がないというリーシアの発言に驚きつつ、紫音は突然飛び込んできた聞き慣れない単語に首を傾げた。

 話の途中ではあるが、疑問を解消するため小声でフィリアに質問する。


「アビス海流っていうのは、海の中で時折出現する大きな海流のことよ。とても大きな海流で一度その中に入り込んだが最期、途中で抜け出すことができず、どこか遠くの海へ放り出されるって話よ」


「ハアッ!? なんだそのふざけた海流は? ということは、リーシアはその海流に巻き込まれたっていうのか?」


「話を聞く限りそうみたいね……。まあ、私も実際に見たことがなくてさっきのも伝え聞いただけの話なんだけどね」


 真偽はどうあれ、紫音の疑問も晴れたため改めてリーシアのほうに顔を向け、中断された話を続ける。


「それで、リーシアはなんでアビス海流なんてものに巻き込まれたんだ。なにかの事故とかか?」


「いえ、違いますよ。わたし、本当は家出してきたんです」


「家出……?」


「はい……。宮殿の中だけの生活にずっと飽き飽きしていて、いままで何度も家出にチャレンジしていたんです。それでこの前ついに、偶然発生したアビス海流に飛び込んで追ってを振り切ることができたんです」


(これは……マズいな)


 簡単に説明された話だけでも厄介ごとのニオイが否応にも漂ってくる。

 十中八九、リーシアは貴族もしくは王族だということは確認せずとも話から察することができる。

 それに加えて家出してきたとすれば、近い将来、彼女を向かうに来ることは間違いないだろう。


(このままリーシアを保護するとなれば家族問題に巻き込まれる可能性は大。……かと言って、無下に扱うのも後々面倒になるだろうしな……)


 どう転んでも紫音たちに不利益を生むことになるリーシアの存在に紫音は頭を悩ませていた。


「……ところで、なんで家出なんかしたんだ? 宮殿の中ばかりの生活と言っても外に出る機会なんてどうにかなるだろう?」


「たしかにそうかもしれませんね。……それでもわたしには叶えたいもう一つの願いがあったから家出を実行したんです」


「……願い?」


「それは……わたしの運命の人を見つけることです。そしてこうして、わたしはシオンさまという運命の人を無事に見つけることができました」


「さっきから気になっていたけど、どうして俺なんだ? 出会ったばかりの俺にいったいどこに惚れたのかまったく理解できないんだけど……」


「なに言っているんですか! 人魚族の少女と人種の男の人との出会い、これはわたしの愛読書でもある『人魚伝説』とまったく同じ展開なんですよ!」


 などと力説しているが、そもそも紫音はリーシアが言っている人魚伝説を知らないためあまりピンと来ていなかった。


「……なんだ、その『人魚伝説』っていうのは……」


(人魚伝説とは、古い伝承をもとに綴られた本の名前のことです。これまで多くの本が出版されていて、人魚族はもちろんのこと、地上でも出回っているほど有名な作品です)


(そ、そうか……。ティナありがとうな……)


 突然送られてきたメルティナからの念話に驚きながらも紫音は後ろを振り向きながらお礼をする。

 離れた場所で相変わらず気分が悪そうな顔をしているが、どうやら念話するくらいの元気は取り戻したようだ。


「その……『人魚伝説』っていう本を俺は知らないけど……そんなに展開が似ているのか?」


「よ、読んだことないんですか!? それならぜひ読んでみてください! ちょうどわたし、持ってきているので!」


 そう言いながらリーシアは、彼女とともに一緒に釣り上げられた大きなリュックから一冊の本を取り出した。


「これが……ね。……仮に話の展開が同じだったとしても本当に俺でいいのか? 言っちゃなんだが、出会い方なんて絶対に本とは違う流れだろうし、そもそも俺より容姿がいい奴なんてたくさんいるだろう?」


「そんなことありません! 出会い方に関しては元より妥協するつもりだったし、容姿に関してだってシオンさまを一目見た瞬間、わたしの体からビリビリって電気が走ったんですよ! これはもう運命の出会いじゃないですか!」


 恋愛事に疎い紫音にはまったく理解できない話だが、リーシアが熱弁している以上、諦めてはくれないようだ。


「それでシオンさま……」


「……今度はなんだ?」


「もしよろしければ、しばらくの間、シオンさまのところに置いてはくれないでしょうか?」


(やっぱりそういう展開になったか……)


「ご存じの通り、わたしは家出中の身なのでどこかに身を寄せる場所なんてありません。ですから、シオンさまのところで厄介になってもう少し自由な日々を過ごしたいんです」


 これは紫音にとって、なんとも難しいお願いだ。

 ここで承諾してリーシアをアルカディアに迎え入れたとして、その後のリスクが大きすぎる。

 今回の一件で、人魚族側から拉致監禁、誘拐などとあらぬ誤解をされた場合、宣戦布告と捉えられて国家間の戦争にまで発展する恐れがある。


 考えすぎかもしれないが、現に人魚族の怒りを買ったことが引き金となり、戦争になった事例もあるため可能性はゼロではない。

 それもあってか、紫音はすぐに返事をすることができず、隣にいるフィリアに判断を委ねることにする。


「それでそれで、いずれはシオンさまと正式に夫婦となり、お父さまやお母さまたちに紹介したいとも考えているんです!」


「……へえ、いいわねそれ。ぜひ、ウチに来なさい」


「えっ!?」


「いいんですか? ええとたしか……フィリア……ちゃんでしたっけ?」


「ちゃん付けはあまりよろしくないわね。私こう見えても、すぐ近くにあるアルカディアって国の国王をやっているのよ。ちなみに竜人族でもあるから私のほうが年上なのよ。せめてさんか、様付けで呼んで欲しいわね」


「し、失礼しました! わたし、竜人族なんて初めて見ました。それに王様直々に国にお呼ばれされるなんて感激です!」


 紫音をよそに話はどんどんと進んでいき、もはやリーシアのアルカディア入りは決定事項のような雰囲気になっている。

 慌てて紫音は、フィリアを捕まえてコソコソと耳打ちをする。


「オイ、フィリア! 本当にいいのかよ? さっきまで帰すつもりでいたくせにどうしたんだよ。もしあいつを迎え入れて人魚族から報復でもされたらどうするんだよ」


「大丈夫よ。初めは私もそう考えたんだけど、よくよく考えたら人魚族は竜人族ほど排他的な考えを持っている種族じゃないし、事情を説明すればきっと理解してくれるはずよ」


「そうだといいんだが……」


「それに、人魚族に恩を売っておいて損はないはずよ。うまくすればエルヴバルムみたいに友好的な関係が築けて紫音が欲しがっている魚だって安価で手に入るはずよ」


「うっ……。そ、それは……」


 紫音がいま一番欲しがっているものを引き合いに出されては断ることなどできるはずがない。


(……確かに後ろ向きな考えをするよりもフィリアみたいに楽観的に考えていたほうが気は楽かもしれないか)


 そう自分に言い聞かせ、フィリアの意見に同意することにした。


「……まあ、あの娘に迫られて焦っている紫音の姿を見ていると、すがすがしい気分になるっていうのが本音なんだけどね」


「まさかお前……自分のストレス発散のためにリーシアを迎え入れるつもりか?」


「あら、なんのことかしら? そんなことよりも早く戻るわよ」


 なんとも雑なかわし方をしながらフィリアはメルティナを連れて先へと行ってしまった。

 紫音は今後のことについて若干の不安を感じながら小さくため息をついた。


「リーシア。これからアルカディアに行くから俺の後に付いてきて」


「あっ、ちょっと待ってください!」


「……どうした?」


「わたし、この姿なので地上を移動することが難しくて……だから……」


 確かに下半身が魚では、移動に時間がかかるだろう。

 先ほどは、ずいぶんと器用に動いていたようだが、そこはあえて触れないでおく。


「どうすればいい? おんぶでもするか?」


「できれば……その……お姫さま抱っこでお願いします」


 わずかに紅潮した頬に顔を当て、照れた表情をしながらお願いしてきた。


「ハア……分かりましたお姫様……」


 紫音はため息をつきながらリーシアのお願いを聞き届け、お姫様抱っこをする。


「えへへ……」


 リーシアは満足そうな笑みを浮かべ、紫音の首に手を回しながら抱き着いてきた。

 それに対して特に抵抗することもなく紫音はされるがままの状態でフィリアたちの後を追っていくのであった。

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