第156話 海底からの来訪者

 ――人魚族。

 それは、海に生きる唯一の亜人種。

 海の支配者という異名もあり、人魚族の怒りを買ったことで国が一つ滅んだなど、人魚族にまつわる多くの逸話が世界各地に残っている。


 そして紫音たちは、多くの逸話を残した人魚と出会った。

 ……なんとも奇妙な出会い方をして。


「なあ、フィリア……これって……」


「ええ、間違いないわね……。まさかこんな場所で会えるなんて……」


 その場にいた一同は皆、驚愕の表情をあらわにしながら目の前の人魚を見ていた。


「……それにしてもこいつ……全然動かないようだけど……生きているよな?」


 釣り上げられた人魚の少女は、先ほどからまったく動かず、傍から見れば死んでいるように見える。

 ひとまず、いつまでもこの状態ではいけないと思い、紫音は人魚の少女を引き寄せ、意識を確認するため抱きかかえた。


「オイ、お前! 大丈夫か?」


 耳元で何度も意識を確認するようにそう叫んでいると、


「うぅ……ん……」


 小さく可愛らしい声が人魚の少女の口から漏れる。

 その後、意識が戻ったのか、ゆっくりと少女の目が開き、紫音と目が合った。


「…………」


(……きれいだ)


 少女と目が合った瞬間、紫音はそのような感想を抱いた。

 海を思わせるような瑠璃色の澄んだ瞳。水色の艶やかな長い髪。

 純真無垢な可愛らしい顔に、思わず心を奪われそうになる。


「あ、あの……大丈夫ですか? 俺の声、聞こえていますか?」


「ア、アナタは……」


「……実は釣りをしていたら誤ってあなたを釣り上げてしまった者ですが、ケガはないですか?」


 まだはっきりと目を覚ましていないのか、紫音の問いかけに答えることもなく、少女はじっと紫音を見つめていた。

 少女の行動になんだか照れくさくなった紫音が少女から顔を逸らそうとすると、


「っ!?」


「なっ!?」


 少女は、紫音の顔に手を当て、逸らそうとしていた顔を元に戻していた。


「あ、あの……なにか?」


「…………人」


「……ん?」


 なにか言っているようだが、あまりにも小さな声だったので聞き取ることができなかった。

 紫音は、少女に顔を寄せながら再度聞き取る。


「運命の……人……」


「…………ハ?」


「やっと出会えましたわ……わたしの……運命の人」


「あ、あの……いったいなにを……?」


「アナタさま、結婚を前提にいますぐわたしと夫婦の契りを結んでくれませんか? ……子どもは3人……多ければ多いほどいいですね。そして幸せな家庭を築いたのち、死がふたりを分かつそのときまでずっと一緒にいましょうね」


「…………」


 突然の申し出に加えてなんとも重い発言の数々に紫音はもちろんのこと、その話を聞いていたフィリアとメルティナまでもが唖然としていた。


 そして、予想外すぎる出来事に直面した紫音はというと、


「……キャッチアンド…………」


「……ふえ?」


「リリースッ!」


「――っ!? きゃあああああぁぁ!」


「っ!?」


 混乱のあまり、釣り上げた魚を海へと返すように、その人魚を思いっきり海へと放り投げてしまった。


「はあ……はあ……びっくりした……」


「いやいや、ビックリしたのはこっちのほうよ。……それよりも紫音、今すぐあの人魚を引き上げなさい。今ならまだ間に合うはずよ」


「え……なんで?」


「もし今ので、人魚族から怒りを買ってしまって報復でもされたらどうするのよ。すぐそこにアルカディアがあるのよ!」


「……あ、そうか!」


 そこで紫音は、先ほどメルティナから聞いた人魚族の怒りを買ったことで戦争にまで発展した話を思い出す。

 慌てて紫音は、放置していた釣り竿を持ち上げる。


「ぐえっ!?」


 すると下のほうで小さなうめき声が聞こえてきた。どうやら海に落とされる前だったようで、ほっと安堵した。


「さっきは本当にごめん!」


 再び人魚を引き上げると、紫音は真っ先に人魚に謝罪の言葉を述べた。

 先ほどの無礼な行いに怒っているだろうなと紫音は胸中で思っていたが、顔を上げるとなぜか人魚は喜んでいた。


「いいえ、お気になさらないでください。とても刺激的で、心臓がもう張り裂けそうになるくらいドキドキしているんです。……きっとこれが恋なんですね」


「ああそれ……絶対に間違っていると思うんで、勘違いしないでください」


 などとツッコミを入れながら紫音は、目の前にいる人魚を見て首を傾げた。


(これがあの……人魚族?)


 メルティナから聞いた話によれば、人魚族は清廉で気品のある種族だという。

 しかし、紫音の前にいる人魚族からは気品の欠片も感じられない。


「なあ、ティナ……この人魚――って、あれ?」


 メルティナに話を聞こうと思って振り向くが、そこには誰もいなかった。

 少し視野を広げてみると、海岸から離れた位置にある木の影からこちらを窺っているメルティナの姿が見えた。


(ああ、そういえばそうだったな)


 どうやらメルティナの対人恐怖症が発症してしまったようだ。

 最近では、周りに顔見知りが増えたせいで紫音もすっかり忘れてしまっていた。


「それで……ええと君は……?」


「はい、アナタさま。わたしの名前はリーシアと申します。気軽にシアって呼んでください」


「……あ、ああ、リーシアさんね。俺の名前は紫音だ。こっちはフィリアで、あそこに隠れているのはメルティナだ。よろしくな」


 若干、紫音に対しての呼び方に疑問を感じながらも自分を含めフィリアたちのことをリーシアに紹介する。


「イヤですわ、シオンさま。できればリーシアではなく、シアって呼んでください。家族からはそう呼ばれているので」


「悪いけど、前に女性の名前関連でちょっとした厄介ごとに巻き込まれたことがあって不用意に呼びたくないんだよ」


 そう言いながら紫音は、その厄介ごとを起こしてしまった原因であるメルティナに目を向ける。

 リーシアも紫音の目を追うように目線を動かし、メルティナを視界にとらえると、


「っ!?」


 尾ひれを地面に叩き付け、ジャンプしながら器用に移動し始める。

 紫音とフィリアを素通りし、リーシアは一直線にメルティナのもとへ向かった。


「ねえ、あなた! いったいシオンさまとはどういうご関係なの! 恋人……それともま、まさか、一線超えて夫婦とか言わないわよね!」


「あ、あの……その……」


「ねえ、どうなの!?」


(あ、ヤバいな……あれ)


 初対面のリーシアに詰め寄られたせいで、メルティナの顔がもう限界だと訴えかけていた。


「黙ってないで早く答えたらどうなの?」


「わ、私とシオンさんは……うっ、オエエェェッ!」


「きゃあ! えっ!? なに? 急にどうしたのよ!」


 とうとう我慢の限界に達したメルティナは、地面に向かって盛大に嘔吐してしまった。


「ああ、リーシアさん? 悪いけどそいつから離れてくれないか?」


「……シオンさま?」


「そいつ、極度の人見知りで初対面相手だとうまく話せなくなるんだよ。それが極限状態にまで達するとこんな風に吐いてしまうこともあるからなるべく距離を置いてくれ」


「そうだったんですね……」


 事情をしたリーシアは、申し訳なさそうに顔を伏せていた。


(積極的なところもあるけど、根はいい子なのかな?)


 リーシアの初めて見る一面に少し好印象を感じていると、


「メルティナさんでしたね」


「……うぇ?」


「ゴメンなさい! 私、少し無神経だったわ。あなたの事情も考えないであんな風に迫ってしまって……本当にゴメンなさい!」


「あ、あの……それはいいですから……は、はなれて――うええぇぇっ!」


「だ、大丈夫ですか!」


 不運にもメルティナは、本日二度目の嘔吐を盛大に催す羽目になってしまった。


(あの人魚……もしかしてバカなのか?)


 人の話をまったく理解していないリーシアに思わず紫音はそのようなことを考えてしまっていた。


「ねえ、紫音。あの娘、このまま帰ってくれるかしら? どうも紫音に気があるみたいだけど……」


「それな……。……ハア、どうするかな?」


 エルヴバルムとの交易も軌道に乗り始めた今、面倒ごとには巻き込まれたくないと紫音は考えていた。

 しかし、面倒ごとの原因となりうる人魚族のリーシアと出会ってしまい、紫音は大きくため息をついた。


「……とりあえず、ティナを助けることにするか」


 リーシアから詳しい話を聞くために紫音は、すぐさま行動に起こすのであった。

  

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