第155話 未開発エリア
唐突だが、紫音たちが住む亜人国家アルカディアにはまだ手付かずの未開発エリアが何ヵ所もある。
どこの国にも属していない無法地帯であった魔境の森を占有し、アルカディアを建国したまではいいが、一つ問題があった。
それは面積があまりにも広大だったことだ。
国土だけで言えば王都にも匹敵しているが、それだけ広い土地となると、建国してわずか数年ばかりのアルカディアでは、とてもじゃないがそのすべてに手を加えることなど到底無理な話。
しかし国を防衛するにあたって最低限の調査を行い、地形や生態系などについては把握している。
面積が広すぎるせいで開拓が進まないというなんとも贅沢な悩みを抱えているが、他にもアルカディアには誇るべき点がもう一つある。
実はアルカディアは、隣接する国々など一つもないため領土争いに発展する心配は限りなく低い。
一番近い国でも馬車で数日はかかるだけでなく、アルカディアの外は広大な平地が広がっているため、たとえそのような敵がいたとしても進軍している間にこちらから遠距離攻撃を仕掛けることもできる。
広大な平地に囲まれているアルカディアだが、一方だけ平地が広がっていない場所がある。
アルカディアから東にずっと行った先。
そこには海があった。
これは調査を行った際に初めて知った事実だったが、残念ながらそこは断崖絶壁が広がっており、海面までかなりの高さがある。
そのため海水浴をして楽しんだり、水産業に手を出すことなどできなかった。
しかし近くに海があることを知った紫音は、どうにかできないものかと打開策を模索していた。
そして今日も紫音は、一人でその断崖絶壁の海へと赴いていた。
「相変わらずだな……。崖は高いし、海は荒れている。やっぱりこんな場所で水産業なんて無理なのかな……」
それでもせめての悪あがきとでもいうように紫音は、以前からドワーフたちに頼み込んで作ってもらったものを取り出す。
「改めてみると、よくここまで注文通りに作ってくれたものだな……」
ドワーフたちの手際の良さに紫音は感心していた。
紫音がドワーフたちに依頼していたものは釣り竿だった。しかもただの釣り竿ではない。
通常よりも頑丈で長く、垂らしてある釣り糸も必要以上に長かった。
紫音はその釣り竿を断崖絶壁に広がっている海に向かって振り下ろした後、その場に腰を下ろす。
「さて……これでなにか釣れたらいいんだけどな……」
見ての通り紫音の悪あがきというのは、海に降りられないならこの場で魚でも釣り上げてしまおうというなんとも浅はかなものだった。
果たして、こんな荒れ狂う海で釣りをしたとして本当に釣れるか定かではないが、紫音にはこれ以外、いい案が思い浮かばなかった。
せめてここでなにか釣れてくれれば、活路を見出すことができるのだが、現実はそううまくは行かない。
断崖絶壁の前で腰を下ろしてから一時間も経過したが、結果としては散々のものだった。
たまに竿にあたりが来ても本当に食べられるのか疑わしい見た目をした魚ばかり釣り上げてしまっていた。
「……やっぱりこの海域もマナの影響を受けたせいでこんな風になったのかねえ……ん?」
少しばかり落胆していると、ふと何者かの気配を感じた。
「……これは……フィリアにティナか?」
「なんで、わかったのよ? せっかく驚かせてやろうと思っていたのに……」
「す、すいませんシオンさん……。お邪魔するつもりはなかったのですが……」
紫音の呼びかけに応じるように、茂みの中からフィリアとメルティナが顔を出してきた。
フィリアは、紫音に気付かれたことに心底驚いている様子で、怪訝な顔をしていた。
「紫音、いったいなにをしたのよ?」
「最近ヨシツグから、気配感知の気功術を教わったから時々練習がてらに試していたんだよ。そうしたら偶然お前らの気配を感じたから分かったんだよ」
「へえ、妙なこと教えるものねヨシツグったら。……でもそれって、メルティナと同じことができるってわけよね?」
「た、たしかにそうですね……」
「そうでもないよ。感知と言ってもいまの俺じゃあ、10メートルぐらいが限界だ。ティナと比べるものおこがましいレベルだよ」
「なんだ、思ったより小さいのね」
残念そうな顔をしながらフィリアは、紫音の隣に座り込んだ。
メルティナもフィリアに倣うように、空いていたもう片方の紫音の隣に座り込む。
「そういえば、フィリアたちはなんでここに?」
「最近紫音が、一人でこそこそとなにかやっていたから気になって付けてきたのよ」
「付けてきたって……まさかお前、またティナに探させたな!」
「いいじゃないべつに?」
「よくないだろ! 前回もそうだったが、ティナをいいように使いすぎだ。仮にもお姫様なんだぞ!」
「なによ! 私なんかこの国の王なのよ。少しくらいいいじゃない!」
「あ、あの……私はべつに気にしていないので……」
このままではケンカに発展しそうだったので、慌ててメルティナは二人の間に割って入り、取り繕っていた。
「それに……フィリアさんから聞いて私も気になったので、フィリアさんを叱らないでください!」
「……まあ、同意の上ってわけならこれ以上なにも言わないけど……」
「まったく、紫音はメルティナに甘いわね」
「……そうか?」
「絶対にそうよ。……それに」
そこでいったん話を止めると、フィリアはある一点を見ながら話を再開した。
「あなたたちさっきから妙に距離が近いわよね。その様子から見てメルティナのほうからしてるのかしら?」
「っ!?」
異様に距離が近い二人を見てフィリアがツッコミを入れると、メルティナは図星を突かれたようにビクンと体を震わせていた。
「そういえば最近、こういう場面よく見かけるのよね? やたら紫音にボディタッチをしたりとか……なにかあったでしょう?」
妙に鋭い言葉がフィリアの口から飛び交い、二人の額からは冷や汗が流れていた。
実際、エルヴバルムでの一件でメルティナと紫音との関係性が激変したのも事実のため、強く言い返すこともできずにいた。
「ま、まあ……それだけ仲良くなったってことだ。友好を結んでいる国同士の人間なんだからこれくらいいいだろう?」
「……ふーん、まあいいけど……」
誤魔化してみたもののやはり納得がいっていない様子だった。
気まずい雰囲気が流れる中、じっと紫音の顔を見たのち、フィリアが別の話題を振ってきた。
「……それで紫音は、なんでこんな場所で釣りなんかしているのよ? ……だいたいこんなところで釣れるの?」
「あ、ああ、釣れるよ。……あれがいまのところの成果だよ」
そう言いながら紫音は、少し離れたところに置いていた魚を見せる。
「なにあれ? 私、魚はあまり食べたことないけど……あんなのを食べるの?」
「私も見たことのない魚ばかりですね……。そもそもあれって、本当に魚ですか?」
やはり二人とも紫音と同じ反応を見せていた。
「フィリアたちもそう思うか? ……たしかにあんなの市場で見たことないもんな」
二人に改めて言われ、なんだか食べる気が本気でなくなってしまい、紫音は釣り上げた魚たちを、
「とりあえずリリースするか……」
断崖絶壁から魚たちを元いた海へと投げ返した。
すべての魚を返した後、紫音は再び釣り糸を海へ放り込む。
「あらら、捨てちゃうの?」
「どの道、食べる勇気もなかったからこれでいいんだよ」
「それにしても、急にどうしたの? 釣りなんか始めちゃって」
「人間、生活に余裕が生まれると贅沢がしたくなるものだろう? 俺の場合はこれだ。急に海の幸が食べたくなったんだよ」
「う、海の幸ですか? ……つまりシオンさんは魚が食べたいってことですか?」
「まあ、魚に限らず魚介類全般かな?」
一応アルカディアには、川があるためそこから川魚くらいは獲れるのだが、海と比べてしまっては物足りずいた。
「前に魚介類を求めて市場を巡ってみたことがあるんだけど……どこもバカ高い値段で売られていたんだよ。あんなの絶対に買えるわけないだろう」
「それはご愁傷様だったわね……」
おおよそ、一般庶民には到底手が出せないような値段が付けられており、紫音もなくなく断念した経験がある。
「……たく、なんであんな値段が付けられているんだ?」
「おそらくですが……漁業権のせいでそのような値段が付けられているのではないでしょうか?」
「漁業権……?」
「以前読んだ本でしたんですが、この世界の海はすべて人魚族によって管理されているようなんです」
「人魚族っていうと……あれか……?」
パッと紫音の脳裏に、上半身は人間で下半身が魚の姿をした生き物が浮かんでいた。
「海は人魚族の領域なので、海にあるものを人魚族の許可なく獲ってはいけないっていう暗黙のルールがあるんです」
「そんなルールがあるのかよ」
「大昔には海の管理を巡って戦争にまで発展したそうですが、海での戦いとなると、人間たちに勝ち目はないですから決着はすぐについたそうです」
確かに海中で呼吸ができない人間や亜人では人魚族に適うはずもない。
「それから人間たちは、漁業をするために人魚族から権利を買い取るようになったのですが、その値段があまりにも高額でどうやら商品にもそのしわ寄せがいっているようなんです」
「それであんな値段で売られていたのか……」
理由は分かったが、それでも納得まではしなかった。
人魚族の勝手な取り決めのせいで紫音は魚介類に手を出すことができないため苛立ちを覚え始めていた。
「つまり俺がいまこうして、こんな場所で釣りをしているのも人魚族のせいなんだな」
「ずいぶんと曲解した考えね……。それはちょっと筋違いじゃない?」
「そうですよ。戦争の原因だって人間たちが魚を乱獲していたせいで人魚族の怒りを買ったことで始まったんですよ。本来の人魚族は海の守護者であり、清廉で気品ある種族なんです」
「へえ、それは一度会ってみたいものだな……」
メルティナの話を聞き、人魚に対して自分勝手な印象を付けてしまったことに反省する反面、どんな種族なのか俄然興味が湧いてきた。
「でも、海に生きる人魚族もさすがにこんな荒れ狂う海域にいるはずもないし、俺たちには縁のない種族――っ?」
「どうしたの紫音?」
「もしかして……なにか来ましたか?」
突如紫音の釣り竿が揺れ始め、次第にその揺れが激しくなっていた。
「き、来た!」
「へえ、そう……」
「いや、少しは興味持てよな!」
「だって、どうせさっきみたいな気味の悪い魚が出てくるんでしょう?」
痛いところを突かれてしまい、釣り竿に加えていた力が若干弱まる。
「そんなこと言うなら、まともそうな魚を釣り上げても分けてやらねえからな!」
「へえ、期待していないで待っているわよ」
「ちょっと二人ともケンカしている場合ではないですよ」
「そうだったな……。これで……どうだっ!」
そう言いながら紫音は、思いっきり竿を引き上げ、糸を巻き上げる。
垂らした糸がどんどんと紫音のもとに戻ってくると同時に、竿にかかった獲物が姿を見せる。
「…………え?」
「っ!?」
「う、うそ……」
「な、なんだ……これ?」
一同が驚きの顔を浮かべる中、紫音たちの前に現れたのは、白く透き通った肌をしたなんとも可愛らしい姿をした女の子だった。
しかしそれだけで紫音たちが驚いたわけではない。
なんと、その女の子は先ほど話題に挙がっていた人魚だったのだ。
魚を釣り上げようとしていた紫音は、なんという奇跡か人魚を釣り上げてしまった。
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