第106話 エルヴバルム防衛戦線

 この日のフェリスティー大森林からは魔物たちの悲鳴が頻繁に響き渡っていた。

 太陽はすっかりと沈みかけており、真っ赤に染めあがる夕暮れ時の空模様になっている。


「……」


 次々と挑んでくる魔物たちを相手にしていた紫音は、先ほどからある光景が気になって戦いに集中できていなかった。


(やっぱりあの銀髪……。ライムの存在に気付いていたのかな?)


 それはエーデルバルムに張り巡らされた分裂ライムのうち、騎士団長ランドルフに取りつけたライムから送られてきた光景だった。

 ランドルフと接触していた銀髪の男ルーファスは、ライムの存在に気付いているかのように凝視していた。


 しかしその後、なんの動きも見せずにライムを放置したまま。紫音は戦闘中にもかかわらず、目を細め、怪訝な表情を浮かべていた。


(ただの偶然か……?。それとも取るに足らない存在だからあえて見逃した? いずれにしろ、エーデルバルムの動向には注意したほうがいいみたいだな)


 結局紫音は、エーデルバルムの動きに変化はないか、監視を強化するだけでルーファスについては頭の片隅に入れるだけで考えるのをやめてしまった。


「それよりも今は……早いとこ片付けないとな」


「キシャアアアアアアッ!」


 紫音の考えがまとまった矢先、カマキリ型の魔物が、その鋭いカマで紫音を真っ二つにしようと振り下ろした。


「――っ!? 危なっ!」


 少し反応は遅れたが、難なく躱した後、敵に隙ができたところで即座に魔物の後ろに回った。


「オラッ!」


 ガラ空きになっている背中に力を込めた右拳を放つ。


「キシャアアッ!」


 悲鳴を上げながら魔物はその場に倒れた。

 今の攻撃が致命傷となったのか、ピクリとも動かなくなっていた。


「よし! こいつも終わりだな……」


 ここで一息つきたい紫音だが、魔物たちがそれを許すはずもなく、次の挑戦者が紫音の前に現れる。

 紫音はため息をつきながらこれまで倒してきた挑戦者たちで積み重ねられた山に顔を向け、再びため息をつく。


「……ティナ。あとだいたい何体くらいだ?」


「えっ!? あ、はい! た、たぶんですが……残り五百か……六百体くらいだと……思います」


「えっ? まだそんなにいるのか?」


「で、でも、最初のときよりはだいぶ減っていますので……が、がんばってください!」


 露骨に落ち込んだ様子を見せる紫音に、メルティナは慌ててフォローを入れるが、まだまだ先の長いゴールに少々うんざりしていた。


「こりゃあ、今日中に戻るのは難しそうだな……」


「なにやってんのよ紫音。早く終わらせなさいよね」


 優しい言葉をかけてくれるメルティナとは対照的に、のんきに欠伸をしながらフィリアは紫音を急かすような言葉を投げかけていた。


「お前な……こっちは大変な思いをしているっていうのに……」


「そんなの知らないわよ。あんたが勝手に始めたことでしょう。チマチマ一体ずつ相手にしていないで10体でも20体でも一気に相手にしてやったらどうなの? そうすれば少しは時間も短縮できるでしょう?」


「……まあ、それしか方法はないよな。フィリアの案に乗るのは癪だが……」


「ねえ、紫音? いまなんか失礼なこと言わなかった?」


 遠くでなにか言っているフィリアを無視して紫音は魔物たちに向けて大声を出した。


「よし、今から対戦形式を変えるぞ! 次からは何十体でもいいからまとめてかかってこい! 全員相手してやる!」


「ギャアアアアアッ!」


 舐めた口を叩く紫音の発言に激怒した魔物たちは、獣のような声を上げながら続々と魔物たちが紫音の前に出てきた。


「さて、とっとと片付けるか? ……明日の決戦に間に合えばいいがな。」


 小さな声をそう呟きながら、再び紫音は戦いの場へと一歩踏み出した。

 紫音と魔物たちのボスの座を賭けた戦いはまだまだ続きそうだ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――同時刻。

 エルヴバルム王宮では、明日の決戦に向けて人々が右往左往し、慌ただしい雰囲気を出していた。


 そんな中、王宮の間で座していたソルドレッド国王は、唸り声を上げながらあることに頭を悩ませていた。


「くそ! どうする! この少ない戦力……いくら精霊魔法という奥の手があるとしても、エーデルバルムに太刀打ちできるのか! それに明日奴らがどう動いてくるのか見当もつかぬし……そしてなによりティナが心配だー!」


「あなた、途中から論点がずれていますわよ」


「うっ、しかしだな……ティナはまだ試練を受けたことがないのだぞ。今頃、この私のことを想って泣いているに違いない」


「はあ……フリードやユリファさん、それにアルカディアの方たちもいらっしゃるのですから大丈夫ですよ」


「だ、だが……」


 ソルドレッドは、最愛の娘のことを想うあまり目の前に差し掛かっている問題に集中できなくなっていた。

 クローディアは頭に手を当てながら夫に落胆していると、王宮の間の扉が突然開かれる。


「失礼いたします!ソルドレッド国王ならびにクローディア王女に急ぎお耳に入れたいことがございます!」


「……国王は今、それどころではないため代わりに私が聞きましょう」


「ハッ! 先ほどフリードリヒ王子がご帰還いたしまして、お二人にあってお話ししたいことがあるとのことですが、お通ししてもよろしいでしょうか?」


「なに!? フリードが帰ってきただと! ティナも一緒なのか!」


「ヒイィッ!?」


 鬼のような恐ろしい顔を見せられ、兵士は思わず悲鳴を上げていた。

 恐怖で体が震えている兵士は、おそるおそるその質問に答えた。


「い、いいえ……。ご帰還したのはフリードリヒ王子だけ……です……」


「な、なんだと……! すぐに通せ!」


「はいぃっ!」


 ソルドレッド国王の怒鳴り声に兵士はビクついた声で返事をしながら脱兎のごとく部屋を出た。


 それから数分の時間が流れたのち、王宮の間にフリードリヒが姿を現した。

 ソルドレッドの前に片膝をつき、静かにフリードリヒの口が開いた。


「父上、母上。フリードリヒ・エルフィンシュベルト、ただいま帰還いたしました」


「挨拶はいい。……それよりティナが一緒ではないのはどういうことだ?」


「そのことを含めまして、まずは昨日のことについてお伝えしたことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


「そ、そんな――」


「いいでしょう。お話ししてください」


 ソルドレッドの言葉を遮り、クローディアが話を続けるよう促した。国王は、しぶしぶといった顔をしながらフリードリヒの話を聞くことにした。


「はい。まず、試練の結果についてですが……」


 その後、フリードリヒの口からこれまでの経緯について聞かされる。

 紫音たちが、見事グリゼルを倒したこと。そのグリゼルが紫音たちアルカディア側についたこと。そして現在、紫音たちがボスの争奪戦に巻き込まれ、身動きできない状況にいることなど順を追って説明した。


「最後にメルティナですが、『アルカディアの方たちを見届けるためここに残る』という妹の意を汲んでユリファにすべてを託し、私一人森を脱出いたしました」


「そんな理由でティナを残していったというのか!」


 メルティナが紫音たちのところに残った理由がそんなに気に入らないのか、イライラした様子を見せながら玉座の肘掛けに拳を叩き付けた。

 しかし、その話を聞かされて激怒しているソルドレッドとは反対にクローディアは恐ろしいくらい冷静だった。


「そうですか……。一人でないのなら問題ありませんね。ユリファさんとアルカディアの方たちと一緒なら心配ないでしょう」


「ク、クローディア!? 何を言っている!」


「少しは落ち着いて考えてみてください。メルティナが王宮を離れているというならこちらとしては逆に好都合です」


「どういう意味だ……?」


「あのがここを離れているなら少なくとも明日の襲撃に巻き込まれる心配はありません。あの娘は優しいですから二度もあんな目に遭うなんてあまりにも酷ではありませんか」


 前回の襲撃の際に地獄のような日々を送ったメルティナへの配慮を込めてクローディアは言った。

 それを言われてはなにも言い返せず、ソルドレッドは口を噤んだ。


「もちろん、明日は奴らを国内にまで侵入させるつもりはありませんが、念のためです。……それよりも今注目すべきなのはアルカディアという脅威です」


「……た、確かに……まさか緑樹竜がやられるとは……予想だにしていなかった。フリード、お前の目から見て奴らの強さはどうだ?」


「あまりにも……強大すぎる強さでした。フィリアという竜人族の少女も強かったですが、一番恐ろしいのはあのシオンという人間です……」


 紫音の戦闘を思い出し、フリードリヒはその恐ろしい強さに思わず身震いした。


「私自身、前回の襲撃の際には人間と戦ったことはありますが、それとはまるで次元が違います。緑樹竜様の巨体を拳一つで地面に叩きつけるほどの力、まるで別の種族に変身したかのように姿を変えるという見たことのない戦い方をしておりました。また、彼が使役している使い魔も規格外の強さを見せ、その中には精霊の姿もおりました」


「なに!? 精霊だと……。まさか精霊までも使役しているというのか、あの人間は……」


「それで、あなた? これほどの強さを見せられては、彼らの実力を認めなくてはいけません。彼らとの関係はどうするおつもりですか?」


「……うっ!」


 これでエルヴバルムは、アルカディアと友好を結ぶことは無駄なことではないと証明されてしまった。

 予想していた展開とまるで逆方向に進んでいるこの状況にソルドレッドは、頭を抱えた。


「……くっ、い、いや……今はそんなこと後回しだ! 明日に差し迫った決戦に向けて対策を取るべきだ!」


 ひとまずアルカディアの問題を先送りにして別の議題へとすり替えた。


「……まあ、いいでしょう。早急に決める案件でもありませんし」


「父上、母上。明日はどういった作戦で奴らに迎え撃つおつもりなのでしょうか?」


「明日の我々の動きとしては、待ち伏せからの奇襲をかけるつもりです」


 クローディアが言うには、結界に辿り着くまではこちらから手出しはしないという。

 結界は、エルヴバルム全体に展開しているため当日は四方八方に偵察隊を配備し、エーデルバルムがどこから攻めてくるのか確認した後、全員がその場所に集合する。


 森の中でのエルフの機動力は最速。たとえ、反対側にいたとしても十分もしないうちに着くことができる。

 エーデルバルムにはエルフの結界を解くまでは自由にさせ、侵入したところで一気に奇襲をかけるつもりでいた。


 少ない戦力の中、エーデルバルムに対抗するにはこういった作戦しか方法はなかった。

 決戦に備え、武器庫から精霊の加護を付与された武具一式に加え、森中にわなを張り巡らせることで少しでも敵の戦力を削ぐなどして戦力差を埋めようとしていた。


「それでしたら、先ほどシオンから得た新たな情報を踏まえて作戦を練り直した方がいいかと……」


「情報……ですか? この状況で言うことですから重要な情報なんでしょうね?」


「はい。決行時間や作戦内容など多くの情報を彼から提供されました」


 それはエルヴバルムとしては喉から手が出るほど欲しがっていた情報だった。これがあれば、エーデルバルムに先手を打つことができる。


「あの人間の情報収集能力は我が国に欲しいほどですね。……どう思いますか、あなた?」


「……っ! そうだな……。この件に関してはあの人間に感謝しなくてはならないな。……これから緊急会議を開く! 各部門の責任者をすべて招集しろ!」


 ソルドレッドは、王宮の間に控えていた兵士たちに声を上げて指示した。

 それを聞いた兵士たちは慌ただしく、足音を立てながら動き出す。


「エーデルバルムめ……明日は目にもの見せてやる」


 ふつふつと胸の内に怒りを溜め込みつつ、ソルドレッドは明日の決戦に向けて心を躍らせていた。

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