第104話 フェリスティー大森林の洗礼

 グリゼルとの戦闘から、次の日の朝。

朝日が樹々の間から差し込み、森の中から小鳥のさえずる音が鳴り響く。


その音に導かれるように一人、また一人と、目を覚ます。

紫音は、目一杯腕を伸ばしながら頭を覚醒させる。肩を回したり、体全体を動かしたりしながら自分の体調を確認する。

昨日の戦いで溜まった疲労も朝起きるとウソのようになくなり、すっかり体も全快していた。


その後、起きた面々で朝食の支度をしていたが、まだ一人だけ目覚めていない者がいた。

紫音は小さくため息をつきながらいつものように起こしに行く。


「おい、フィリア。そろそろ起きろ」


「ん、うぅ……」


体を揺さぶりながら起こしてみるが、小さく声を漏らすだけで起きる様子がない。

さらに強く揺さぶりかけてみると、顔をしかめながらようやく目を開けた。


「ふあぁー、なによ紫音。せっかく気持ちよく寝ていたのに……」


「もうみんな、起きて支度しているんだからお前も起きろ」


「……じゃあ、朝食ができたらまた起こしてね」


と言いながらフィリアは二度寝しようと、再び横になろうとする。


「お前はなにバカなことを言ってんだよ」


しかしそれも、紫音の手によってあっさりと阻止されてしまった。


「他国の王族まで手伝ってくれているのにお前がのんきに寝ていたら示しがつかないだろ」


「いいわよ別に。私はみんなの反面教師っていうことで……おやすみなさい」


「ったく、どこで覚えたんだよそんな言葉。いいからほら! お前にしかできない仕事があるんだから頼むよ」


「……?」


フィリアにしかできないこと。

そう言われ、悪い気がしなかったフィリアはしぶしぶ起きることにした。


……そして、


「ねえ……これが私にしかできない仕事……なのかしら?」


「ああ、そうだよ。お前にしかできない仕事だ。本当に助かったよ」


「……あのね、なんで私が火を付けなきゃいけないのよ! こんなの魔法でもなんでも他の方法があるでしょう!」


フィリアにしかできない仕事とは、どうやら薪に火を付けるだけの仕事だったようだ。

当然のことながら、こんなことをさせるために起こされたフィリアは紫音に文句を言っていた。

しかし紫音は、まるでフィリアの声が聞こえていないかのように聞き流していた。


「だいたいなんで私が……。昨日の戦いで疲れているっていうのに……」


「お前と一緒に戦っていた俺だって働いているんだぞ。……それに、ハクやアディ、ライムだって手伝ってくれているんだから文句言わない」


「……でも」


「ほら、早く火を付けないと朝ごはんがいつまでたっても食べられなくなるぞ」


「ふんっ!」


怒ったようには鼻を鳴らし、フィリアは仕方なく紫音の言う通り火を付ける仕事へと入る。


「はあ……こんな滑稽な姿、同族になんかは絶対に見られたくない……はっ!」


フィリアは何かを思い出したように顔を上げ、すぐさま周囲を見渡し、ある人物を探す。

そして、その人物は思いの外、すぐに見つかった。


「……プッ!」


その人物――グリゼルはフィリアのそんな姿を目にして小さく笑い声を漏らしていた。


「ちょっと伯父様! なに笑っているのよ! これは仕方なくやっていることですからね! 紫音がどうしてもって言うから!」


「はいはい、分かっているよ。……それにしても同族のこんな姿を見れるなんてホント国を出てよかった」


「キイイィー!」


トドメの一言を言われ、怒りを覚えたフィリアは地面を叩き付け、やり場のない怒りをぶつけていた。


そんな朝の日常の一コマがあったが、それ以外は何事もなく進んでいく。

朝食を食べ終え、片付けも終えたところでようやく城へ戻る準備が整った。


「よし、みんなそろそろ行くぞ!」


「は、はい、わかりました」


「いま、行きます。お兄ちゃん」


出発する準備が整ったところでいざ前へ踏み出そうとした瞬間、


「シ、シシシオンさんっ!」


「わっ! ど、どうしたティナ!」


突然、血相を変えたメルティナが、紫音に抱き着いてきた。


「か、囲まれて……います……そ、それもたくさん……」


「……えっ?」


メルティナの言葉を聞き、周囲を警戒する紫音。

すると、先ほどまで聞こえていた小鳥がさえずる音が消え去り、代わりに獰猛な獣のような唸り声が森の奥の方から聞こえてくる。


「どうやらメルティナの言っておることは本当のことのようじゃな。周囲に索敵魔法を飛ばしてみたが、どうやら森中の魔物が集まってきておるようじゃぞ」


「な、なんだよそれ! なんで森中の魔物が集まってきているんだよ!」


まさか出発の段階で全魔物と相手にするとは思いもよらなかったため紫音は責めるようにフリードリヒ王子に視線を向ける。


「ま、待て! 私としてもこんなのは予想外だ。いつもなら我々が城へ帰る道中に攻めてくるはずなんだ。それも全魔物ではなく、複数のチームを作りながら襲ってくるはずなんだが……」


フリードリヒにとってもこの状況は不測の事態だったらしく、額に冷や汗を流していた。


「だったら、いったい……」


周囲を取り囲んでいる魔物たちにまだ動きはないもののいつ襲い掛かってきてもおかしくない状況に陥っている。

この場をどうするか、紫音が頭を悩ませていると、


「あーあ、こりゃあ、あれかな?」


なにやらグリゼルには心当たりがあるようで、ぽつりとそのような言葉を漏らしていた。


「もしかしてグリゼル、なにか知っているのか?」


「いやね、たぶんだけど……こいつらの目的は……マスターだよ」


と紫音を指差しながらいきなり訳の分からないことを言い出してきた。


「……え? どういう意味?」


「まあ、簡単に言えばマスターが俺を倒したからこいつらは集まってきたわけだ」


「……ん?」


いまいち理解できていない紫音に、グリゼルは詳しく説明してくれた。


グリゼルの話によると、フェリスティー大森林には古くからある決まりごとがあった。それは、一番強い者だけが魔物たちを支配するボスになることができるという決まりである。

魔物たちもその決まりごとを忠実に守っており、昨日まではグリゼルがボスという立場にいた。


しかし、紫音たちに倒され、新たに紫音がボスになったため次のボスの座を奪うためにこうして集まってきたとのこと。


「それでこんなに……。まさかボスになるだけでこれほどの魔物に狙われることになるとはな……」


「うーん、たぶんそれだけじゃないかもな」


「それってどういう意味だ?」


「おそらくだが、新しいボスが人間だからこんなに集まってきたんじゃないか?」


「……それってつまり、舐められているのか……俺?」


「そういうことだな」


(……マジかよ)


人間という理由だけで会ったこともない魔物に舐められてしまい、紫音は少しだけショックを受けていた。


「で、でも待て。俺はグリゼルを負かすほどの実力があるのに、なんで舐められなくちゃいけないんだよ!」


「まあ、これも推測だが、戦いを視ていた魔物が他の奴らに伝えるときにどこかで誤った情報を流されたせいじゃないか?」


「……はあ、こっちにとっては迷惑でしかないな」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


紫音とグリゼルとの会話に突如フィリアが割って入ってきた。


「あのとき、私も一緒に戦っていたのになんで紫音がボスになっているのよ!」


「ああ、そういえば……」


「確かに一緒に戦ってはいたが、俺にトドメを刺したのはマスターだろ。それでマスターがボスになったんじゃないのか?」


グリゼルの言う通り、戦闘にはフィリアも参加していたが、最終的にグリゼルにトドメの一撃を入れたのは紫音。

それがきっかけでグリゼルを戦闘不能にしたため、魔物たちが紫音をボスと認定してしまったのだろう。


「な、なによそれ! 最悪じゃないもう!」


よほど悔しかったのだろうか、怒りをあらわにしながら地団駄を踏んでいた。

ひとまず紫音は、フィリアのことを放置し、この状況をどうするか考えていた。


「さて、どうするかのう。この数では強行突破してもすぐに取り囲まれるのがオチじゃな」


「しかし、このままではいつまでたっても城に戻ることはできませんね」


「ユリファくんの言う通りだ。私1人ならなんとか脱出する手立てもあるが、それでは根本的な解決にはならないか」


「ど、どうしましょうかシオンさん」


「お兄ちゃん……」


「兄貴……」


現状の解決策が見つからないまま、ただ時間が過ぎていく。

やがて、なにかを思いついた紫音がハッと目を見開いてみんなに視線を向ける。


「この手で行くか……。まあ、俺にとっても好都合だしな」


小さな声でそう言い漏らしながら紫音は、フリードリヒに声を掛ける。


「どうした? なにか妙案でも思いついたのか?」


「まあ、そんなところです。フリードリヒ王子、確かさっき自分1人ならこの場から脱出できるって言いましたよね」


「ああ、言ったが……」


「では、フリードリヒ王子はすぐに脱出してください。俺の見立てではたぶん、明日の襲撃に間に合うかどうか微妙なところなので王子だけでも早く戻ってください」


「し、しかしそれでは……」


「安心してください。こいつらの相手は俺がしますから」


「……? き、君はなにを言っているんだ……?」


フリードリヒの質問に紫音は答えることなく、森の方に体を向け、大声で叫ぶ。


「おい! お前ら! 俺を倒してボスになりたいんだろ! だったら俺と勝負しろ!」


「お、お兄ちゃん……?」


「あ、あにき?」


「……ほう」


突然の紫音の発言に全員が戸惑う中、紫音は構うことなく続けて言う。


「俺は逃げも隠れもしない。真正面から向かって来いよ。ただし、俺が勝ったらお前ら全員、俺と主従契約を結んで使い魔になれ! ボスの座を賭けて戦うんだからこれくらいの代償あって当然だろ」


紫音の言葉が理解できるくらいの知能がこの森の魔物にはあるようで、みな戸惑いように横にいる魔物と話をしている様子だった。

そこに追い打ちをかけるように紫音がある言葉を投げかける。


「この森にいる魔物たちは全員、腰抜けなのか! 俺に負けて従者になるのが怖くてみんな襲い掛かってこないのか!」


「なんだとー! 上等じゃねえか!」


魔物たちを侮辱するその言葉に一体の魔物が声を出しながら紫音の前に姿を現す。


浅黒い肌、筋骨隆々な身体。獣のような鋭い顔つきに頭には二本の大きな角を生やしている。


「ほう、ありゃあオーガだな。さっそく1人目の挑戦者のようだぜマスター」


(どうやらこっちの提案に乗ってくれたようだな……)


今のところ作戦通りに事が運び、紫音は胸中で安堵した。

そして次の行動に出る。


「グリゼル、お前の能力で城までの道を作れるか?」


「ん? 俺の能力は一定の範囲にしか効果がないから途中までなら作れるが」


「それでいい。……フリードリヒ王子、今から城までの道を作りますからそれを使って先に脱出してください!」


道作りをグリゼルに任せ、紫音はフリードリヒに声を上げて指示を送る。


「了解した。……ティナとユリファくんも一緒に脱出しよう。私の力なら2人くらい増えてもどうにかなる」


フリードリヒとしても二人をここに残しても不安しかなかったため提案してみるが、メルティナは紫音たちを見ながら首を横に振る。


「お兄さま、申し訳ありません。わ、私はシオンさんたちと一緒に残ります」


「馬鹿なこと言うんじゃない! ここは危険なんだ! いつティナに危害が及んでもおかしくない状況なんだぞ!」


「だ、大丈夫……です。……わ、私はシオンさんならなんとかしてくれるって信じていますから」


固い意志を持ったその言葉にフリードリヒはこれ以上、なにも言うことができずにいた。


「王子、恐れながら姫さまはこの私が責任をもって守り通しますのでどうかこの場は姫様の望みを叶えてやってはもらえないでしょうか?」


「……ユリファくん。分かった。私は先に行くとしよう。必ず無事に戻ってくるんだぞ」


「は、はい! お兄さま……」


「オイ! ソルドレッドのせがれ!」


フリードリヒたちの話し合いが終わったのを見計らったようにグリゼルの呼ぶ声が聞こえてくる。


「道は作ってやった。途中までしかできていないが、このまままっすぐ行けば城に戻れる。早く行け」


「ありがとうございます、緑樹竜様。シオンさん、後は任せます!」


「ああ、任せろ!」


紫音にすべてを任せたフリードリヒは、この場から脱出するため、ある魔法を使用する。


「精霊魔法――『シムルグ・エア』ッ!」


使用回数がある貴重な精霊魔法をフリードリヒは唱えた。

詠唱後、フリードリヒの体を包み込むように風が巻き起こり、次に翼の形を風が背中に現れ、周囲の草木が激しく揺れる。


「では、先に戻っている!」


そう言い終えた瞬間、ビュンという音を立て、城の方角に樹々を吹き飛ばすほどの暴風が吹き荒れる。

一瞬でフリードリヒの姿が消えてしまったが、どうやら無事脱出できたようだ。


「これで一安心だな。……あとは」


「余所見してんじゃねえよ! 人間風情がっ!」


紫音の身長の二倍はある高さからの拳が振り下ろされる。


「っ!」


その拳を軽々と躱し、紫音はオーガの顔までジャンプする。


「フンッ!」


「ぶへぇっ!?」


紫音の拳がオーガの顔面に炸裂する。

オーガの体は、そのまま紫音が殴った方向へと吹っ飛ばされ、樹の幹に激突した。


その光景を見ていた魔物たちは唖然とした表情で吹っ飛ばされていったオーガの方に顔を向ける。

紫音に殴り飛ばされたオーガは、ぐったりと力を失くしたように横になり、あっけなく失神してしまったようだ。


「さて次の相手はどいつだ?」


「っ!?」


紫音対フェリスティー大森林に棲む魔物たちによる対決がいま始まった。

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