第100話 試練の終結

 九尾の狐と炎の紋様が紫音たちの足元に浮かび上がり、今度は周囲に広がった火の玉が激しく燃え上がる。


 瞬間、紋様から光が溢れ出し、紫音たちを包み込む。

 その光にグリゼルは、反射的に目を覆った。


「ん……。んん……?」


 数秒ほど目を閉じていた後、おそるおそる目を開けてみるとそこには、


「な、なんだ……ここは?」


 先ほどまでいた森の中から一変、見たことのない空間が広がっていた。

 石畳の地面に四方を囲むように点在している鳥居。それぞれの鳥居の両脇には、狐の像が正面を向き合うように並んでいる。


 突如発生した事態に驚きの顔を隠せずにいたが、少しすると落ち着きを取り戻し、しきりに首を振りながら状況の把握に専念していた。


(これは……転移? いや、現実にはないこの光景から察するにおそらく結界魔法の類か?)


 そうして周囲を確認していると、また一つあることに気付いた。


「あの人間がいない? ……ということは俺だけがこの空間に閉じ込められたことになるが、いったいなんの意味が?」


 ひとまず今の状況を分析し、次はこの空間から脱出する方法を見つけることにした。

 しかし、いくら周囲を見渡しても目に映るのは石畳に鳥居、そして狐の像ばかり。それ以外はなにもない空間だった。


「チッ! しょうがねえ。片っ端から破壊していけばいつかは出られるだろう」


 なんとも短絡的な思考だが、結界魔法に疎いグリゼルにはこの方法が一番の得策だと考えていた。

 さっそく実行に移すためまずはいかにも怪しそうな鳥居と狐の像から壊すことに決める。

 目標物まで少し距離があるので飛んでいこうと考え、羽を広げたとき、


「っ!?」


 突然、鳥居の入り口部分から先ほどもグリゼルの足元に現れた紋様と同じものが浮かび上がったと思ったらその中から何かが出てきた。


「……ほう。こいつはなかなか面白れぇ展開じゃねえか」


 鳥居の中からグリゼルと瓜二つの竜がそれぞれの鳥居から現れた。

 ドシ、ドシという思い足音を立てながら気付けば自分と同じ姿をした竜に囲まれてしまった。


(こんなものが出てきたということは……こいつは結界魔法じゃねえな。おそらく幻影魔法の一種だな。そうなると、ここも幻影魔法で作り出された空間ってことになるな)


 この空間の正体が判明し、本来なら喜ぶところだが、今の状況では素直に喜ぶことはできないだろう。

 グリゼルの四方には同じ姿の幻が、すでに戦闘態勢に入っていた。もし、これらが一斉に襲ってきたとしたらいくらグリゼルでもただでは済まないだろう。


 しかしそれは、幻影魔法について無知なものが考える思考。

 幻影魔法に少しは知識のあるグリゼルはまったく違ったことを考えていた。


(幻影魔法はただ幻を見せるだけの魔法だ。物理的な攻撃力を一切持たず、精神的に相手を痛めつける魔法だったはず。向こうの狙いはおそらく、疲弊した俺に今度は精神的ダメージを与えて追い詰めるってところか?)


 紫音たちの狙いを予測し、ハッと鼻を鳴らし笑いながら言う。


「なかなかいい手だが、俺には通用しねえよ」


 称賛の言葉を口にするが、グリゼルは自分にその手は通用しないと断言していた。


 大抵の幻影魔法は術者の力量にもよるが、幻だと認識してしまうとほとんどのものが効力を失くしてしまう。また、この魔法は精神的に相手に干渉するため精神面が強い人にはあまり効果がない場合がある。

 長年の放浪の旅で肉体的にも精神的にも鍛え上げているグリゼルには幻影魔法など効果がないと考えていた。


 そうなると、ここでグリゼルがとる行動はただ一つ。


「こんなあからさまな幻影になんか構っていられるか。早いとこ脱出する方法を見つけねえとな」


 生み出された幻を相手にせず、脱出する方法を模索する行動に出たグリゼル。そのためにも先ほど破壊できずにいた鳥居と狐の像を壊してしまおうと再度羽を広げる。

 バサッという羽音を鳴らし、地面を蹴り上げ飛翔する。


 自分の幻から離れた後、目標物の位置を確かめるために地上へと視線を移す。

 すると、地上の方では、幻のグリゼルたちがどこから出したのか樹木の槍を構え、攻撃の態勢に入っていた。


「よくできた幻影だな。樹木がねえところでまさかそんなものまで作り出すとはね……だが、所詮あれもハリボテみたいなものだ」


 完全に幻影を無視して破壊にだけ集中しようとしている中、幻の一体が樹木の槍を飛ばし、攻撃を仕掛けてきた。


「そんなもの、俺に効くわけねえだろ」


 今まさに攻撃が飛んできているこの状況の中でもグリゼルは、無視を決め込み目標物を破壊しようと息吹を吐こうとしていたそのとき、


 グサッ。


「……ガァッ!?」


 突如、脚から激痛が走りだし、一瞬にして痛みが全身に駆け巡る。


「ば、ばか……な……」


 痛みの発生源に目をやると、そこには樹木の槍がグリゼルの脚を貫通させていた。

 脚からはドクドクと血が流れており、垂れ落ちた血が地面へと落ちていくのが見える。


「こ、これは幻影魔法のはず。……だが、この痛みと血はまるで本物みたいじゃないか」


 グリゼルの目を騙せるほどの幻影が今、目の前で起きていた。それはもはや幻影ではなく、現実だと思うほど精巧に作られている。


 しかもそれだけではない。

 精神的にダメージを与えられているわけではなく、本当に槍が貫いている物理的なダメージを負っているような感覚に襲われていた。


「ふざけるな! こんなことがあってたまるか!」


 予想外の展開に怒りを表に出しながらも当初の目的を忘れていなかったグリゼルは鳥居を破壊するため息吹を吐いた。


「なっ!?」


 しかし、一体の幻影が鳥居の前に立ち、地面から樹木の壁を出現させてグリゼルの息吹を防いだ。


(馬鹿な! あの幻影は実体を持っているとでも言うのか!)


 立て続けに起きる理解の範疇を超えた光景にグリゼルは次第に冷静さを欠いていた。そうしている間にも幻影たちは次の攻撃に移っていた。


 四方を囲っているグリゼルの幻影が構えていた樹木の槍を一斉に投げ飛ばした。

 逃げ場のない攻撃がグリゼルを襲う。


「くっ! 燃やし尽くしてやる!」


 襲い掛かる槍を炎の息吹で撃墜させようと、応戦する。

 しかし、樹木の槍はまるで炎の息吹など効いていないかのように炎の中を突き抜けていく。

 さらにグリゼルの炎の息吹を浴びた樹木の槍は、その炎を纏わせ一瞬にして炎の槍へと変化していた。

 炎の槍と化した幻影の攻撃は、グリゼルの身体、手足、羽を貫き、グリゼルにさらなる苦痛を与えた。


「グワアアアアアアアアァァァァッ!」


 グリゼルの苦痛を帯びた悲鳴が幻影空間に響き渡る。

 羽を貫かれ、飛ぶ力を失い、グリゼルはそのまま地上へと叩きつけられた。


「ガハッ!」


 力を失くしたように横たわるが、すぐに立ち上がろうと全身に力を入れる。


「うっ……」


 立ち上がろうとした瞬間、全身に痛みが走り、またもや地面に横たわっていた。


(ど、どうなっている……? これほどの幻影魔法、今まで見たことがない。さっきの炎の槍にしてもそうだ。俺の攻撃に合わせて変化するなど現実と一緒ではないか)


 現実と変わらない幻影に翻弄ほんろうされ、もはや打開する術を見つけることができずにいた。


 ドシッ、ドシッ。


「……っ?」


 近くから思い足音が聞こえ、グリゼルは顔を動かす。

 すると、四方からグリゼルの幻影がこちらに向かって来ており、このままでは囲まれてしまう状況に陥ろうとしていた。


「ま、まだ……だ……」


 自分の身体に鞭を打ち付け、無理やりにでも立ち上がろうと抗う。


「うおおおおおおおおぉぉぉぉっ!」


 全身に痛みが走るが、その痛みを紛らわせるため咆哮を上げることでようやく立ち上がることに成功した。

 時折、よろけることもあるが歯を食いしばりながら踏ん張る。


「ハア……ハア……さあ、かかってこいや! 幻影どもがっ!」


 グリゼルは声を上げながら自分の幻影に威嚇し、逃げることなく、真正面から戦うことを選択した。

 幻影は、グリゼルの威嚇にも動揺せず、一斉に飛び掛かった。


「負けてたまるか!」


 グリゼルと幻影による戦いが始まった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「時間ギリギリだったな……。あと少し遅かったら絶対に負けていたな」


「作戦はうまくいったようね」


「フィリア。無事だったか」


「当然よ。……それにしてもあいつ、本気で殴りやがって……傷が残ったらどうするのよ」


「お前な、どうせ女だからって手加減されたらそれはそれで怒るだろ?」


「そんなのあたりまえじゃない。なに言ってんのよ?」


 フィリアのその発言に紫音は呆れるようにため息をついた。


「それにしても……なんとも滑稽な光景ね…………自分で自分を攻撃しているんですもの」


 フィリアの言う通り紫音たちの目の前では、グリゼルが能力を使用して自分に攻撃したり、爪や歯を自身の身体に突き立て自傷行為を行ったりするという奇妙な光景が映っていた。


「まっ、これもすべてハクの術のおかげなんだけどね。……お、噂をすれば……」


 森の中からハクの姿が見えた。

 役目を終え、主人のもとへ戻ってきたハクに紫音はよくやったと言わんばかりに撫でまわしていた。


「ホント、お前のおかげだよハク。助かったよ」


 紫音は改めてハクに称賛の言葉を送る。

 ハクは嬉しそうに声を上げて鳴いていた。


 今回の最終的な作戦にはハクの力が必要不可欠だった。

 狐火種きつねびしゅと呼ばれる狐の魔獣ハクにはある特殊な力が備わっている。


 魔物や魔獣の中でも狐火種の魔獣は幻を見せる力に長けており、その力は幻影魔法より遥かに上回っている。

 狐火種の力にかかれば、幻を見せられた相手も現実と幻の区別がつかなくなり、次第に今のグリゼルのように幻影の攻撃に合わせて自傷行為に陥ってしまう。


 今回、グリゼルを苦しめているのは結界型の強力な幻を見せている。もちろん、それほどの幻を見せるには準備がいる。

 対象の周囲に幻影結界の起点となる狐火を配置するだけでいいのだが、配置には時間がかかるだけでなく、途中で破壊されてしまえば一からやり直さなくてはならないため発動条件が厳しいのが難点。


 そこで、紫音は最初からハクを戦闘に参加させず、結界作りに専念させ、自分たちでグリゼルの相手をすることで結界を完成させた。

 言うなれば、今までの戦いは結界を完成させるための時間稼ぎだった。


「でも、ハクの力があいつに通用しないっていう可能性もあったんじゃない?」


「それはないな。もしかしたら向こうは、幻影魔法に心得があって対策も知っていたと思うけど……それ以上に向こうにはいくつもの慢心を植え付けてきたからな」


「……慢心?」


「そう。フィリア相手には強化魔法さえなければ勝てる、俺相手には自分の能力があれば勝てるとか必ずどこかに付け入る隙があると相手に与えていたから向こうには慢心があった」


 紫音はニヤリと笑みを浮かべながら続けて言う。


「あいつの中ではもう勝った気でいたんだろうけどハクの力のせいでそれも崩れ落ちたはずだ。幻影魔法など比べ物にならないほどの幻を見せられ、冷静さを欠けば後はこっちのものだ」


「まさかそこまで考えていたとはね……」


「まあ、なんにしてもこれで終わりだ……」


「……ねえ、そろそろトドメでも刺したら? いつまでもこんな光景、見ていられないんだけど」


 先ほどから自傷行為を続けているグリゼルの姿に耐えきれなくなったフィリアがそのような提案を投げかける。


「そうだな。こいつにはまだ用があるし、気を失ってもらおうか」


 そう言うと紫音は、魔導場を空に掲げ、トドメの一撃をグリゼルに与える。


「『グラビティ・ディバイン』!」


 空より巨大な重力の塊が降り注ぎ、グリゼルの身体を押し潰した。


「っ!?」


 地面が割れ、グリゼルは悲鳴を上げないまま気づけば白目を向き、気を失っていた。

 この瞬間、試練も同時に終了した。


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