第91話 ニーズヘッグ

 皆が寝静まり、夜のとばりがエーデルバルムを包み込む頃、王城内にある執務室では一人の男が下卑た笑いを上げていた。


執務室といっても男は仕事を部下に任せっきりでその部屋は完全にその男の私用のみに使われる部屋になっていた。

毎日のように酒を飲んだり、女を連れ込み、新規事業で儲けた金をせっせと数えたりしながら時折、気味の悪い声を出しながら笑っている。


そして今、男は新規事業の奴隷商売がうまくいったことにより手に入った大金を前に一枚一枚丁寧に数えている。


「ヒッヒッヒ、今日もたんまりと入っておるわい。やはり奴隷は金になるな……。まったく父上め、こんな簡単に大金が手に入るというのになぜ奴隷事業に反対しておったのか不思議でならんわ」


亡き父親に対して愚痴をこぼしているこの男はエーデルバルムを治める現国王グスタフ。数ヶ月前にエルヴバルムを襲った主犯でもある。


「……まあ大方、エルヴバルムとかいう田舎種族に義理立てしているせいだろうな。あんな大昔に結んだ契約など無視していればいいものを……」


などと漏らしつつグスタフは机の上に置いてあるグラスを手に取り、中に入っているワインを飲み干す。

脂ぎった肥満体の腹に酒が流れ込むのを感じると、手で口元を拭い、再びグラスへとワインを注ぎ入れる。


「いいや、死んだ愚か者のことを思い出すのはやめよう。それよりも数日後に行われるエルヴバルムへの侵攻作戦のことだ。今度は何百人のエルフどもが捕まるか、見物みものだな……ん? 誰だ!」


近日、開始されるエルフの捕獲に胸を躍らせている中、コンコンと控えめな音を立てながら誰かがノックをする音がグスタフの耳に入ってきた。


「国王様、夜分遅くに失礼いたします。大臣のラールシュトンです」


「何用だ?」


「トリニティの方々がお見えです」


「おお! 待っておったぞ。すぐに入らせろ」


グスタフが部屋への入室を了承すると、閉じていたドアが開かれる。

ぞろぞろ三人の男女が執務室へと入ってきた。


中に入ってきたのは、クロスボウを装備した眼鏡の男に大鎌を肩に掛けているガラの悪そうな男、最後は足元まで隠れるほどの外套にマフラーで口元を隠した女だった。


トリニティと名乗るこの三人組は、数ヶ月前にエルヴバルムを襲った一味であり、メルティナを攫った張本人でもある。

執務室へと入室したトリニティは、部屋の中央においてある客人用のソファーに座ると、体を預けるようにそのままもたれかかっていた。


「これはこれは、トリニティの皆様。本日は私の依頼をお受けいただきありがとうございます」


まるで媚を売るような口振りで感謝の言葉を口にすると、眼鏡の男がくいっと眼鏡の位置を直しながら話す。


「お礼を言われるほどではありませんよ。事前に前金を貰っている以上、私たちはクライアントの依頼を遂行するまでです」


「ケッ! オイ、キール! オレは金なんかどうでもいいんだよ! それよりも今回の依頼はまたあのエルフの国に乗り込むんだろ?」


仲間からキールと呼ばれている眼鏡の男は「ああ」と一言声に出しながら頷く。


「まさかこんなにも早く再戦できる日が来るとはな……。前は結局、あのエルフの騎士と勝負がつかないままだったが、今度はそうはいかねえぜ」


「ダイン……。再戦を希望するのは構わないが、目的を忘れるなよ」


「ヘイヘイ、わかりましたよ」


大鎌使いのダインは、適当な返事をしながらそっぽを向いてしまった。


「……おい、話が脱線しているぞ」


「ああ、本当だな……。すまないキリカ」


マフラーを首にかけた女性――キリカにそう指摘されると、キールはすぐに話を元に戻した。


「それで、今回グスタフ様のところまで足を運んだのは依頼内容の確認です。今回も前回と同じようにエルフ族の捕獲でしょうか? それにしては今回の前金、かなり多いのですが……」


「それはもちろん、今回は前回とは違い規模が大きい作戦になるからですよ。今回はエーデルバルムだけでなく、近隣諸国のギルドにまで依頼書を手配しているんだ。きっと前回よりも何倍もの参加者が押し寄せてくるはずだ」


「……それにしても前回からわずか数ヶ月しか経っていないというのにもう二回目ですか?」


「そろそろ捕獲したエルフどもが全員売り払えるから次のエルフの奴隷を仕入れないといけないからな。それに、向こうの戦力が整わないうちに仕掛けたほうが成功する確率が高いだろうが」


「……そうですか」


グスタフにはそう考える根拠があった。

前回捕獲したエルフ族の中には王宮にいた騎士や兵士などエルヴバルムを防衛する戦士たちが大勢含まれていた。

そのため戦力が大幅に失われたと考え、この短期間での決行を決意したのだった。


「ここからが本題なのだが、実は今回の作戦に君たち以外の異種族狩りの人員を回して欲しいんだよ」


「ああ、それで前金が前回より多かったんですね」


「そうだとも。お前らなら同じ異種族狩りの伝手くらい見つかるだろ」


「……それにはご心配なく」


「……っ!? うわわわあぁっ!? だ、誰だ貴様は!?」


聞いたことのない男の声が聞こえたと思った瞬間、誰もいない場所からまるで瞬間移動でもしたかのように突然人が現れる。


「申し遅れました。僕はルーファスと申します。驚かせるつもりはなかったのですが、配慮が足りなかったようですね」


「……な、何の用だね」


ルーファスと名乗る青年にグスタフは警戒しながら用件を聞き出す。


「この度は人員が必要とのことで我が『ニーズヘッグ』から大勢の異種族狩りを今回の作戦に参加させる話をつけてきましたのでその後報告を……」


「なに!? ずいぶんと話が早いな……。いや待て、ニーズヘッグだと? まさか君たちもか?」


「ええ、彼らもニーズヘッグの一員です。我々、ニーズヘッグのことをご存知なのでしょうか?」


「奴隷事業に手を染めてからというもの裏の世界にも情報網を張り巡らせているからな。だが、分かっていることといえば異種族狩りを専門としている戦闘集団や異種族狩りを行っている連中は全員、お前らの組織に属しているということぐらいだ」


現在、グスタフが掴んでいる情報はそれだけであり、謎多き組織だということが今の話の中で伝わってくる。


「それだけ分かれば充分ではないですか。決してそこから先へは足を踏み入れないように……」


「も、もちろんだとも……。そ、それでどれくらい集まりそうかね?」


「グスタフ様より大幅な前金をいただいてからおそらく戦力の増員を要求してくるだろうと予測していましたためとりあえず数十名ほどの人員を確保しておきました」


「……まあ、それだけのプロの異種族狩りが安心だな」


「ところで、僕たちはともかくそこまでの冒険者をよく集めることができましたね。前回は貴族殺しの犯人を捜すためエルフを捕らえましたが、さすがに二度目は通用しないでしょう」


ルーファスは今回の作戦に大勢の参加者が募るとは思っていなかったようで怪訝そうにグスタフに問いかける。


すると、不敵な笑みを浮かべながらグスタフがルーファスの問いに答える。


「簡単なことですよ。奴らにとって犯人捜しなどただの口実。奴らが欲しいのは金ですよ……金」


「……ほう」


「実はですね、前回の作戦がうまくいった後、参加した冒険者の何人かに金を掴ませて噂を流すように仕向けたんですよ。『エーデルバルムで美味しい依頼が入った。エルフを捕まえるだけで大金が手に入る。しかも近いうちにまた同じ依頼が出回る』ってね」


「なるほど。事前に他国への根回しをしていたんですね」


「所詮、奴らは金で動きますからな。異種族狩りと同じことをやっている自覚はあるが、大金が手に入るなら同じことをやる連中です。……それに、奴らにはそういうことをやってもいい理由がありますからね」


知らず知らずのうちにグスタフに踊らされているとも知らない冒険者のことを思い出し、グスタフの口から笑い声が漏れ出していた。


「なかなか面白い理由が聞けて満足です。……それでは我々はこれで」


そう言い残し、ルーファスはキールたちを連れて退出しようとする。


「もう帰るのかね。上等な酒があるのだがこれから一緒に飲もうではないか?」


「お気持ちだけで結構です。我々にも準備がありますから……」


「そうか。……今回の作戦、大いに期待しているぞ」


「ええ、お任せを」


一言、グスタフに告げルーファスたちは執務室を出る。


「オイ、待てよ」


城を出た後、そのまま帰ろうとするルーファスをダインが呼び止める。

気に入らないといった顔をしながらルーファスに向かって不満をぶつける。


「なんで幹部のアンタがでしゃばってくるんだよ。オレたちだけで充分じゃねえか」


「当初は僕もそのつもりはなかったのだが、ボスの命令で仕方なく」


「それはつまり、それだけ今回の作戦が重要だということでしょうか?」


「ボスはそうお考えのようですよ。今回の作戦を確実に成功させるために僕を投入するくらいですから」


「他にもなにかあるんでしょ」


無言を決めていたキリカもなにか根拠があるのかそのような質問を投げかける。


「フフ、まあそうですね。これはボスの考えではなく、僕の考えなのですが、もしもエルヴバルムに外部の協力者がいた場合のことを考えたら僕も出たほうが最善だと思って私も参加することにしたんですよ」


「外部から……? まさか、それはないですよ。奴らはもう何百年も前から外との交流を閉じた国ですよ。そんな可能性あるはずないでしょう」


「これはあくまで僕の予想にしかすぎませんよ。しかし……もし僕の予想が当たっていた場合、あのグスタフが考えていたシナリオが根底から覆ることになりそうですがね」


そう言い終えると、ルーファスはキールたちとそこで別れ、闇夜に紛れるように姿を消した。

残されたキールたちはルーファスが口にした予想に惑わされながらも自分たちが成すすべきことを果たすため、その準備に取り掛かるために隠れ家へと戻る。


エルヴバルムへの侵攻が始まるまであと二日になろうとしていた。

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