第66話 魔物からの逃走
「ティナ、ケガとかはないか?」
絶体絶命だったメルティナの前に颯爽と現れた紫音は、開口一番で心配するように尋ねた。
「は、はい……なんとか大丈夫です」
あっけにとられながらも無事だったことを紫音に告げる。突然のことでまだ状況が飲み込めていなかったが今のメルティナにはそれ以外にも紫音に言わなければならないことがあった。
「そ、それよりもシオンさん……。その姿は……いったい?」
「ああ、これか」
メルティナは紫音の変貌した姿に目を丸くしていた。それもそのはず。今の紫音はリンク・コネクトの効果で『竜人武装』した姿になっていたからだ。
メルティナにはこのことについて一切伝えていたため無理もない。紫音は空笑いをしながら頭を掻いた。
「これは、俺が開発した魔法によって変身した姿だ。契約した使い魔の能力が使えるようになって、今は竜人族の力が自由に使えるんだよ」
「そ、そんなことができるのですか?」
「……まあ、その話はあとだ。今はここからとっとと逃げることだけを考えろ」
そう言いながら紫音は今の状況を確認する。
周囲には、魔物や魔獣たちが群れを成して紫音たちを囲っている状態。完全に包囲されている状況だった。
オマケに上を見上げると、鳥型の魔物が上空を旋回し、樹の上にも魔物たちが潜んでおり、逃げ道が塞がれている。
八方塞がりのこの状況に対してどうしたものかと紫音が頭をうならせていると。
「あ、あの……シオンさん。少しいいですか?」
「どうした? なにかいい考えでも浮かんだのか?」
「い、いえ……そうではないのですが、訊きたいことがありまして。……いったいどうやって私のことを見つけることができたのですか? こんな深い森の中で……」
紫音の変貌した姿の他にも疑問に思ったことがあったメルティナは、このことについても紫音に問いかけてみた。
「それは……こいつのおかげだよ」
懐から分裂ライムをメルティナに見せながら答え合わせをする。
「こいつは元々ライムの一部だ。だから分裂体がどこにいようと本体が居場所を察知してくれるんだよ。それで分裂体をメルティナのローブの中に忍ばせてもし迷子になってもいいようにしていたんだが……」
「ローブの中……あっ、それでしたら途中で会った吸血鬼の女の子から逃げるときに置いてきてしまいました」
メルティナのその言葉を聞いた紫音は「あああぁぁ」と声を上げながら頭を抱え出した。
「やっぱりか……。そいつローゼリッテって言うんだけど俺たちの国の一員でな。本当に迷惑をかけた」
「そ、その……恐かったですけどケガとかしていないので大丈夫です」
「本当によかったよ。……それで話を戻すけど分裂体を追ってローゼリッテのところに辿り着いたんだよ。そこからはローゼリッテに逃げた方向を教えてもらって、しらみつぶしに探していたら魔物たちに襲われそうになっているメルティナを見つけたわけだよ」
これまでの経緯を教えてもらったメルティナはなんだか申し訳ない気持ちになってきた。
「私のせいでみなさんにご迷惑をおかけして本当にごめんなさい」
申し訳なさそうにシュンとしながら目を伏せる。
そんなメルティナに対してやさしく微笑みを見せながらなだめる
「ちゃんと見ていなかった俺たちのせいなんだからお前が落ち込むことはないんだよ。それよりもここから脱出するぞ」
「で、でも……どうやって?」
「どこにも逃げ場がない状態だからな…………強行突破する」
紫音は、一方向を指差しながら宣言した。
「えっ!? ま、待ってください……。強行突破って、この魔物たちを相手しながら逃げるってことですか?」
「安心しろ。ここをまっすぐ進めば、さっきまで俺たちがいた街に着くことができるから」
「で、でもここの魔物たちは普通とは違うのですよ!」
「そんなの分かり切っていることだよ。それよりもメルティナ、走れるか?」
強引ではあるが、逃げる算段がついた紫音はそのような質問をしてきた。
「えっ……そ、その……む、無理かもです。腰が抜けてしまって動けません」
メルティナの足を見るとガクガクと震えており、とても立てるような状況ではないようだ。魔物たちに襲われそうになったことや、ここまでの無理な移動方法による魔力の消費により、メルティナの体はもう限界だった。
「しょうがない。……ちょっとだけ我慢しろよ」
「えっ……きゃああっ!?」
前もってメルティナに告げながら紫音は、メルティナのヒザの下に腕を差し入れ、腕を首の後ろに回し、持ち上げる。
いわゆるお姫様抱っこの状態でメルティナを抱えた。
「いいか。今だけは吐くのは我慢しろよ。ここから無事逃げることができたときに思う存分にしろ」
到底、女の子に言うようなセリフではないのだが、メルティナにはその可能性が十分にあるため念を押すように言った。
「あ、あにょ……そにょ……これはいったい……」
当のメルティナは、突然お姫様抱っこをさせられるという出来事のせいで頭がいっぱいになり、紫音の言葉など届いていなかった。
「ティナはお姫様なんだしこのほうがいいだろ。そんなことよりしっかり捕まっているよ」
メルティナの体をしっかりと支えながら翼を広げ、魔物の群れの中へと飛んでいく。
「邪魔だ!」
周囲に『炎竜弾』を十個展開させ、紫音たちが進む方向へ全弾を発射させる。
「ギシャアアアアアア」
魔物たちの断末魔が響き渡る。
そして紫音たちの進む道に魔物たちは1匹たりとも残ってはいなかった。
「す、すごい……」
魔物の叫び声をきっかけにようやく正気が戻ったメルティナはその光景を見ながらため息をつくように漏らす。
「うぅ……こ、こんなに強いなら他の魔物たちも倒さなくていいのですか?」
紫音の強さを初めてみたメルティナは、吐き気を抑えながら問いかけた。
「そんなのムリだよ。この状態でいるのもかなりの魔力を消費し続けているんだから他の魔物を相手にするなんて無理な話だよ」
「えっ!? で、でも……う、後ろからたくさんの魔物が追いかけていますけど!」
メルティナの言う通り前へ進む紫音たちの後方には魔物たちの群れが付いてきていた。どの魔物も獲物を狙う獣の目をしており、紫音たちを喰らおうと必死に走っている。
「まあ、当然だよな」
「お、落ち着いている場合じゃないですよ! うぅ……こ、このままじゃ追いつかれるのも時間の問題ですよ」
「そう心配するな。こうなることは予想済みだ。後ろの奴らはあいつらに任せるよ」
「あ、あいつら……?」
心配するメルティナを尻目に上を見上げながら紫音は上空に待機している仲間に念話を送る。
『フィリア、ローゼリッテ出番だ。後ろから追いかけてきている魔物たちを片付けてくれ。……特にローゼリッテは倍以上働けよ』
魔物の一掃を指示されたフィリアとローゼリッテだったが、二人とも心底嫌な顔を浮かべており、あまり乗り気ではない様子だった。
『なんでこのアタシがこんなことを……』
『それはこっちのセリフよ。なんでこの私があんたなんかの尻拭いをしなくちゃいけないのよ。こっちは自室で優雅に過ごしていたのに突然紫音に呼び出されたのよ』
竜化した状態のフィリアは、鋭い眼光を突きつけながらローゼリッテに文句を垂れ流していた。
『しょうがないじゃない! エルフが一時滞在していたのは知っていたけど顔までは知らされていないんだから!』
『あんたがメルティナの顔を見るのをメンドくさがっていたせいでしょうが!』
痛いところをつかれてしまい、うっと声を漏らしながらたじろぐ。
以前から紫音にメルティナの顔を覚えてもらうようにローゼリッテに声をかけていたが、そのたびにローゼリッテはメンドくさいなどとなにかと理由をつけて逃げ続けていた。
そのため情報が共有されていなかったせいで今回のようなことが起きてしまった。
『メルティナがこんなところまで来てしまったのはお前のせいでもあるんだからきっちりと働いてもらうからな』
『ちょっと待ちなさいシオン! 今、血のストックを持ち合わせていないからあんな大群相手できないわよ』
『血なんか魔物から採ればいいだろ。それにお前には、馬鹿力があるんだからそれで殴り飛ばしてしまえよ』
『なっ!? 女の子に向かってそれはないんじゃないの! ……って、このバカトカゲ! 笑ってんじゃないわよ!』
声を上げながら笑っているフィリアを見たローゼリッテは腹を立てながら叫んだ。
『いい加減、念話終わらせるぞ。とにかくさっき指示したとおりに動いてくれ。こっちもそろそろヤバいんだから早くしてくれよ』
その言葉を最後に紫音からの念話は打ち切られてしまった。そして残ったフィリアとローゼリッテはおもむろにお互いの顔を見合わせる。
「しょうがないわね……。ホントはこのままサボって寝たいところだけど、シオンに怒られそうだし……働くか」
「当然でしょう。あんたには私の倍は働いてもらうんだから足を引っ張らないようにね?」
まるで下に見られているような発言を耳にし、ローゼリッテのこめかみがぴくッと動く。
「……へえそんなことを言うってことは、誇り高い竜人族様は討伐数がアタシより下でも構わないっていうのね」
「……はあ、なによそれ。……いいじゃない。そこまで言うなら競争でもしてみる。どうせ私が勝つけどね」
「……アタシに負けたくせに言うわね」
そこでローゼリッテは、最もフィリアが気にしていたことをさらりと言う。
「……はあっ! 私負けてなんかいないわよ! ……もういいわ! やってやろうじゃないのよ!」
「後で泣きべそかいても知らないわよ」
そう吐き捨てながらローゼリッテは、魔物の群れの中へと突っ込んでいった。
そしてフィリアも負けじと魔物たちに息吹を放出させ、討伐していった。
フィリアとローゼリッテの助けを借りながら紫音たちは森の中を一直線に突っ切っていった。
後方から激しい戦闘音を耳にしながらわき目も振らず突き進んでいく。
「あともう少しでこのエリアを抜けるからガンバってくれ!」
「は、はい!」
ゴールが近づいてきたことを知り、笑みを浮かべるメルティナ。振り落とされないようにさらに力強く紫音に抱き着く。
もはや対人恐怖症のことなどすっかり忘れ、ただ今はこの危機から抜けだすことだけを考えていた。
そしてついに……。
「お兄ちゃん! ティナさん! こっちです」
野生の魔物と契約した魔物たちがいる境目の森付近で待機していたリースが紫音たちの姿を確認すると、大声で呼びかけていた。
「よし! 一気に行くぞ!」
ラストスパートをかけるようにはばたかせていた翼により一層力を込め速度を上げていき、
「着いた!」
ようやく魔物たちの群れから逃げ切ることに成功した。
「で、でも待ってください! まだ後ろには魔物が……」
安心するのも束の間、メルティナの後ろにはこちらに向かってくる魔物たちが押し寄せている。このままでは侵入を許してしまうのではないかとメルティナは危惧していた。
「大丈夫だよ。ここまで来れば……」
紫音の言葉にいまひとつ理解できていなかったメルティナだが、すぐに紫音が言った言葉が実現するものとなる。
「…………えっ?」
メルティナは今目の前で起きている光景に対して脳の処理が追い付いていなかった。
こちら側へと押し寄せていた魔物たちが迫ってくると思った矢先、突然見えない壁にでもぶつかったかのように魔物たちが次々と倒れていき、こちら側へ入ることができないでいた。
「ディアナが作った結界が張られているんだよ。契約紋を持っていない奴の侵入を防ぐことができるからあいつらはここまで来ることなんてできないよ」
「そ、そうだったんですね……。よかった……」
すっかり安心しきったメルティナは、地面へとへたりと座り込んで安堵を漏らした。
「ごめんなさいティナさん。わたしたちが見失ったせいでこんなひどい目に遭わせてしまって……」
メルティナの無事を確認したリースは涙を流しながら謝っていた。
「そ、そんな私も悪いのですから気にしないでください」
「でも、本当によかったよ。目立った外傷もないし……」
(みなさん、本気で私のことを心配している)
紫音たちを一瞥しながらメルティナはこれまでのことを思い返していた。
(理由はあるけれどシオンさんたちが悪い人ではないってことは分かりました。街にいたみなさんも笑顔が溢れていて誰1人苦しんでいる人がいませんでした……。私ももっとみなさんに歩み寄ってもいいのでしょうか?)
そのときメルティナの胸中で微かな変化が起き始めていた。
「チッ! よくよく考えたらあんな大群、いちいち数えてなんていられないじゃない」
「確かに同感だわ。今回の勝負はなかったことにしましょう」
メルティナに変化が起き始めている中、後方の敵の討伐にあたっていたフィリアたちが愚痴をこぼしながら戻ってきた。
「フィリア助かったよ。ローゼリッテは、ちゃんと働いていたか?」
「ええ、それはもう。……でも、私の倍以上働いたかは微妙だけどね」
「なんですって! 少なくともアンタなんかよりは倒したわよ!」
「なによ、やる気!」
「いい加減にしろお前ら! まったく……」
「あ、あの……シオンさん」
激化しそうになるフィリアたちの仲裁に入っていた紫音の傍によってきたメルティナが消え入りそうな声で呼びかけた。
「じ、実は……みなさんにお話があります」
その言葉に紫音は、特に慌てた様子をすることなく、じっと見つめながら、
「分かった。聞かせてもらおうか」
優しい声で返事をした紫音の顔は、長らく待っていたかのようなそんな顔をしていた。
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