第65話 迷いし姫と救いし者

「うう、どうしましょう。迷ってしまいました」


 紫音たちとはぐれてしまったメルティナは、街から離れた森の奥へといつのまにか入り込んでしまっていた。


「あんな誘惑に負けさえしなければこんなことにはならなかったのに……」


 メルティナは、つい数分前に起きたことを悔いながら下を向いていた。


 事の発端は、紫音たちと街を散策していたときだった。

 見るものすべてが珍しく、メルティナはそのすべてに目移りをしていた。そんなときに雑貨品を取り扱っている店を見つけ、それらの商品につい気を取られてしまっていた。気づけば紫音から離れ、その店の商品を眺めていた。


 そのことに気付いたときには完全にはぐれてしまっていた。

 慌てたメルティナは苦手な人ごみをかき分けながら探すも見つからず、途方に暮れていた。そんなときにジンガに声をかけられたのだが、メルティナ自身ジンガとは面識がない状態だった。


 そのせいか、初対面の人に声をかけられたことやジンガの屈強な体つきや顔の怖さに恐怖を感じてしまったメルティナは悲鳴を上げながらその場から逃げ去っていった。


 そして、気が付いたらいつのまにか知らない森の中へと入ってしまい、現在に至るわけである。


「し、紫音さーん、リースさーん。ど、どこですか?」


 消え入りそうな声で名前を呼ぶも返ってくる声はどこからも聞こえることはなかった。


 さらに誰もいない森の中、一人っきりというこの状況から不安が増してきたメルメルティナは次第に涙目になり、今にも泣きそうになっている。


「みなさん、いったいどこにいるのですか? うう、ふえ……だ、だれか……」


「アンタ、こんなところでいったいなにをしているのよ?」


「……ふえ?」


 メルティナの呼びかけに誰かが返事をしてくれた。

 途端、嬉しさが込み上げ声のするほうへ顔を向けると、そこには木の枝に座り込んでいたローゼリッテの姿があった。


「ふわあぁ。ここならだれも通ることないから絶好のサボりスポットだったのにまさか侵入者が来るとはね……」


「し、しんにゅうしゃ……?」


 なにやら雲行きが悪くなってきた。メルティナは悪い予感を覚え、額からたらりと汗が落ちる。


「あ、あの……私は侵入者ではないのですが……」


「そうかしら? アナタ、街があるほうから走ってきたのにどこにも認識票や契約紋がないじゃない。それがないと森に入ることすらできないはずなのにいったいどうやって入ってきたのよ?」


「そ、それはその……」


 これまでのいきさつを教えればそこで済む話なのだが、今のメルティナにはそれができずにいた。


(な、なに、この女の子……。この、ディアナさんと同じくらいあるわ。それにさっきから向けられている視線に……か、体の震えが止まらない……)


 ローゼリッテから向けられている殺気に対して本能的に感じたメルティナの体が恐怖で震えあがっていた。そのせいでうまく言葉が話せずにいた。


「……それにそのカッコウ、怪しすぎるわ」


「こ、これは……」


「まあ、どうでもいいわそんなこと。どうせすぐに始末するんだから」


 ローゼリッテはスカートの中に隠し持っていた隠しナイフを取り出すと、腕の裾をまくり、肌を晒した。


 そして次の瞬間、


「……っ!?」


 自分の腕にナイフを斬り付けるという自傷行為を行った。

 その行為にメルティナはいったいなにをしているのかという疑問を頭の中で抱えながら唖然としていた。


「まったく、自分の血を使う羽目になるとわね……。サボり目的でいたから持ってこなかったけど、こんなことになるんだったら血のストックでも持ってくるんだったわ」


 愚痴を呟きながら自分の腕から血が流れている光景を目にしたローゼリッテは、目標のメルティナへと視線を移す。


「だれか知らないけどさっさと終わらせてあげるわ。《創成クリエイト》――投擲槍ジャベリン!」


 流れ出た血は、ローゼリッテの指示を受け、その形を変えていき、一本の槍へと変化していく。


 そしてその槍をメルティナのほうへと向け、狙いを定めるローゼリッテ。


「串刺しになりなさい」


 腕を振り下ろし、投擲槍がメルティナに向けて放たれた。


(……っ!? こ、この攻撃は!)


 反射的に横へ飛び込み、着ていたローブだけを残し、間一髪のところで直撃は免れた。


「はあ……はあ……今の攻撃はやっぱり吸血鬼族だけが持っている『血流操作』を用いた戦闘方法。……ということはあの娘、吸血鬼族なの!?」


 メルティナは以前、吸血鬼族について記されていた書物を読んだことがあった。そのおかげでローゼリッテを吸血鬼族だと見抜くことができたがそれと同時に絶望的な状況だと悟った。


 種族的に驚異的な身体能力や魔力量、そして今見せた戦闘技術を見せられ、メルティナは瞬時に敵わない相手だと悟る。


(私なんかじゃ敵いっこない。や、やっぱり本当のことを言ったほうが……)


 今さら言って信じてもらえるか疑わしいが、この状況から逃れるにはこの方法しかない。そう判断したメルティナは本当のことを告げることに決めた。


「あ、あの……」


「あれ? アナタ……その耳もしかして……エルフ族の?」


 ローブが脱がされたことによって隠れていたメルティナの容姿が露呈する。そして長い髪から覗く、横に長い耳を見たローゼリッテは彼女がエルフ族だと気づき、にやりと笑みを浮かべながら舌で唇を濡らす。


「その反応は……思った通りのようね。まさかこんなところで会えるとはね……」


「っ!?」


 エルフ族だと分かった瞬間、ローゼリッテから向けられた殺気は収まってきたが、今度は別の悪寒を感じるようになっていた。


「安心しなさい。亜人というなら国の方針で危害を加えるつもりはないわ。……でもその代わりちょっとだけ味見してもいいかしら?」


「……ひい! い、いやです……」


「そんなに怯えなくてもいいのよ。ちょっとだけ血をもらうだけよ」


 木の枝から飛び降り、メルティナへと近づこうとする。その目はまるで獲物を狙う野獣のような目をしていた。


「そ、それ以上、来ないでください……」


「大丈夫よ。ほんの少しだけ血をもらうだけだから心配しなくていいのよ」


「そ、そうじゃなくて……ひい!」


 ローゼリッテは、メルティナの言葉を無視して近づいてくる。迫りくる状況にそろそろメルティナの限界も近づいていた。


 対人恐怖症のメルティナにとって人との距離を詰められることは精神的に無理な話だった。それが初対面ならなおさらである。


(に、逃げなきゃ……)


 この絶望的な状況にメルティナは逃走という手段をとることにした。体を反転させ、一目散にローゼリッテから離れる。


「逃がすわけないでしょ!」


 先ほどの血の槍をさらに変化させ、今度は複数の小さなナイフの形へと変化させた。それらのナイフも槍のときと同じようにメルティナに狙いを定め、一斉に発射させた。


「……っ!?」


 先ほどのようにどこに飛んでもあの量では直撃は免れない。ローゼリッテの攻撃からそう判断したメルティナは、1つの脱出手段を実行する。


「《付与エンチャント――風よエア》」


 両足に風の魔法を纏わせ、地面を力強く蹴る。

 次の瞬間、


「なっ!?」


 メルティナを中心に突風が吹き荒れる。

 目を覆いたくなるほどの突風にローゼリッテは思わず腕で目を守ってしまった。


 しばらくして風が止み、おそるおそる目を開くとそこにはメルティナの姿がどこにも見えなかった。


「やられたわ! まさか付与魔法が使えるなんて予想していなかったわ。……くぅ、クソッ! エルフ族のしかも女の子の血を逃してしまったわ! 一生の不覚!」


 その場で地団駄を踏みながらローゼリッテ悔し交じりの声が森の中に響いていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ローゼリッテから逃げ出すことに成功したメルティナは、森の中を駆け巡っていた。

 風属性の付与魔法を両足に纏わせたおかげで瞬発力や跳躍力が増し、驚異的な移動速度を発揮させていた。そして地面を蹴るごとに辺りに一面に突風が吹き荒れている。


(ま、魔力。とにかくたくさんの魔力が見える方向に)


 危険な森から脱出し、また街へ戻るための方法としてメルティナを思いついていた。


 街にはたくさんの人がいる分、それだけ多くの魔力も点在している。メルティナが持を使用すればすぐに街へ戻ることができる。


 メルティナは今、魔力が多くある方向へ移動している。


(あともう少し……)


 ようやくこの恐怖から解放される。メルティナは少しだけ安心し、思わず笑みがこぼれていた。


「……きゃっ!?」


 安心したのも束の間、なにかに足を掴まれ、地面へと転んでしまった。


 全身に痛みを感じながらも自分の足へ目を向けると、そこには蔦のようなものがメルティナの足に絡みついていた。


「な、なに……これ?」


 そのつたに疑問を感じつつメルティナが解こうと手を加えるが、まるで意思でも持っているかのように離れようとしなかった。


 その後も解くために悪戦苦闘していると、


「きゃあああ!」


 蔦がひとりでに動き出し、メルティナを持ち上げたのだ。そのまま持ち上げられたメルティナに待ち構えていたのは大きな口を持った植物型の魔物だった。


「ま、まさか……このまま食べる気じゃ……」


 メルティナの脳裏には嫌な未来が浮かんでいた。

 植物型の魔物には生き物を餌としている魔物がいるが、決して人を食べることはない。せいぜい小動物を捕食する程度の魔物ならメルティナの住む故郷にも生息していた。


 しかし、目の前にいる魔物の口は大人1人ですら余裕で飲み込んでしまうほどの大きさがあり、メルティナですらこれほどの魔物は見たことがなかった。


 まさか一瞬の気の緩みせいでこんな事態に陥るとは、メルティナ自身予想だにしていたかった。


 このまま捕食されるのだと諦めかけていたところ突然横からなにかが飛来し、植物型の魔物に直撃する。


「うぅ……」


 メルティナを縛っていた蔦が解かれ、しりもちをつくがひとまず危機から脱出でき、ほっと一安心した。


「あ、あれは……棍棒かしら?」


 安心したところでなにが自分を助けてくれたのかが気になったメルティナは、先ほどまで自分がいたところに目をやるとそこには大きな棍棒が木の幹にめり込んでいた。


「グオオオオオオオオオッ!」


 突然後ろから獣のような咆哮が上がり、魔境の森を震わせる。


 その咆哮にメルティナは身の毛がよだつような全身の震えに襲われた。正体を確かめるためにゆっくりと後ろを向いた。


「オ、オーク!?」


 メルティナの後方には複数体のオークの姿が。しかもそれだけではなく、猪型の魔獣や別の植物型の魔物などもいる。


「ま、まさか……さっきの魔力って……」


 先ほど追いかけていた多くの魔力の正体はこれらの魔物や魔獣が持っていた魔力だったことを今しがた知ることとなった。


 そしてそれと同時にメルティナはあることを思い出していた。

 それは、紫音たちとともに街へと視察へ行く前に紫音に言われたことだった。森の奥には魔物や魔獣が蔓延っており、さらに奥には紫音と契約をしていない魔物たちがいるということを。


 今メルティナの目の前にいる魔物たちの目は獲物を狙う狩人の目をしている。メルティナを捕食対象としてみている証拠だった。


 先ほどの無理な移動方法をしたせいで魔力が枯渇してしまっている。そのためメルティナには、ここまで来る際に使用した移動方法が使えず、もう逃げる力すら残っていない。


「い、いや……死にたくない」


 にじり寄ってくる魔物たちにただ恐怖するしかない無力な自分に涙を流した。


 誰も助けてはくれない、まるでメルティナの故郷で起きたあのときのような場面に再び遭遇し、またもや無力さを痛感することとなった。


 でも、もしこんなときに助けてくれる勇者のような存在がいたのならあのような悲劇も起きることはなかったのに……。


 しかし都合よく勇者など現れることはない。それでもメルティナはこの危機的状況で叫べずにはいられなかった。

 親でも兄弟でもない、まだ会ったばかりのあの人の名前を。


「た、助けてください! シオンさーんっ!」


 その呼びかけに答えるようにメルティナの頭上から炎の弾丸の雨が降り注ぐ。

 いくつもの魔物たちはその炎に焼かれ、悲鳴を上げている。


 いったい目の前でなにが起きているのか、状況が理解できずにいたメルティナの前に会いたかった人が現れる。


「ま、間に合ったっ!」


 その姿はまるで姫を助ける勇者のようだった。メルティナは助けに来てくれた紫音にそんな姿を重ねていたのであった。

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