第64話 エルフ姫のアルカディア訪問

 住民たちが暮らす居住区までは、フィリアの家から十分ほど歩いた場所にある。そこまで舗装された道を進んでいき歩いていくと、人々の活気づいた声が聞こえてきた。


 紫音たちは街が見える森に身を隠し、そっと街の様子を覗いた。


「うわあぁ」


 メルティナの口から弾ませた声が漏れる。

 フードのせいで表情がよく見えないが、声からしておそらく驚いているように聞こえる。


「ほ、本当にいろんな種族の方たちがいるんですね。それに思っていたより街も立派ですね。とても最近できたばかりの国とは思えません」


 まだ一部分を見ただけだとういうのに興奮したように驚き、そして称賛の言葉を述べていた。


「まあな。モノづくりに長けたドワーフ族を主体に造ってもらったんだよ。あの石畳の道路も家や店も全部一から造ったんだよ」


「お店ですか? そういえばこの国って他の国の人が来ることってあるのですか? 周りは森で囲まれているって聞きましたけど……」


「亜人種限定だけど少し前から旅の行商人とか入れているよ。外部から人を入れないとさすがに国も発展していかないからね。そうだな……例えばあそこの雑貨屋で品物を見ている人とかがそうだよ」


 店先で大きな馬車を停め、商品を眺めていた男を指差しながら言った。


「あの人は旅をしている商人みたいだな。ここではよそで手に入らないものとか仕入れているから時々来ているんだよ」


「……あの人はどうやってここまで? 確か外には魔物たちがいるはずなのに?」


「外の森に入る前にこの認識票を渡すんだよ」


 紫音は懐にしまっていたチェーンに繋がれたプレートをメルティナに見せた。そしてプレートには、紋章のようなものが刻まれている。


「これには、俺と契約するとできる契約紋が刻まれている。さっきも言ったが周囲を守っている使い魔たちには契約紋がない者に攻撃するように命令している。でもこれがあればその心配はないってことだ」


「それでその認識票が必要なんですね。……あれ? でも確か紫音さんと契約していない魔物がいるとも聞きましたが」


「ウチの優秀な使い魔たちに護衛させているんだよ。俺と契約している奴は、ただの魔物相手に引けを取らないほどの強さを持っているからな。安全にここまで来れるんだよ」


 メルティナが抱えていた疑問も晴れたが、しばらく街を眺めていると、再びある疑問が浮かんできた。


「この街では一体何が売られているのですか? 外では手に入らないものを売っていると言っていましたが……」


 その問いに答えたのは紫音の隣にいたリースだった。


「ここではいろいろなものが売られています。素材品や魔石、武器や防具なんかが店に出されています。……中でも獣人族が作った工芸品や装飾品は人気ですね」


「へえ、そうなのですか」


「はい。なんでもデザインがいいとかオシャレだとか、人間たちの受けがいいそうです。本当は魔除けや厄払いのために作られたものなんですが……」


 別の目的で人気ができてしまい、複雑そうな顔をしていた。そんな顔をしながらもメルティナに国のことをもっとしてもらうために話を続ける。


「でもやっぱり一番の人気は料理ですね」


「料理ですか?」


「魔境の森と呼ばれていたこの地は良質なマナで潤っているせいか、ここで育てた作物なんかはとってもおいしくなるんです。その食材で作られた料理なんかは今まで食べたことのないってほどおいしいんです」


「そ、そうなのですか……」


 力説するリースに少し圧倒されそうになるメルティナ。しかし、ここまで言われるとティナも実際に食べたいという衝動に駆られそうになってきている。


 そんなとき、距離があるにもかかわらず街のほうからなにやらいい匂いがしてきた。


「あ、あの……こ、この匂い、いったいなんでしょうか?」


 その匂いを嗅いだティナは思わずよだれがでそうになる。朝食は食べたはずなのになぜかこの匂いを嗅いだ瞬間、お腹がそれを求め始めてもいる。


「これですか……」


 メルティナに尋ねられたリースは、漂ってくる匂いを嗅ぎ、一瞬でその匂いの正体に気付いた。


「この匂いは……ああ、あれですか。これはお兄ちゃんが考えた料理なんですが、今国で一番人気の料理なんですよ」


「そ、そうなのですか……」


 リースから評判を聞き、一層食べたいという欲求に駆られていたが、メルティナは迷っていた。その料理を手に入れるにはあの人ごみの中に突入しなくてはならないからだ。


 対人恐怖症のメルティナには、なかなか達成することができない難問である。

 その様子を見ていた紫音はある行動に出る。


「食べたかったら買ってこようか?」


「……い、いいのですか?」


「もともと街に入らないことが条件の一つだったからな。それに料理っていうのは、その国の文化が見えるものだから国を知ってもらうには好都合だ」


 そう言い残し、紫音は街の中へと消えていった。

 それから数分後、紙袋を胸に抱えメルティナたちのもとへ帰ってきた。


「お待たせ。小腹も空いてきたし、俺たちも食べようか」


 紙袋の中から買ってきたものをメルティナたちに1つずつ配り始めた。

 配られたそれは、紙に包まれており、丸い形をしている。


「これはどうやって食べるのでしょうか?」


 今まで見たことのない料理に思わず紫音たちに助け舟を求めてしまった。


「簡単だよ。紙を少しはがしてごらん」


「こ、これは……」


 言われた通り、包まれた紙を少しはがしてみると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。


「二つのパンにその間には野菜やこれはお肉でしょうか? それらが挟まれていますね」


「俺がいた国では手軽に食べられるハンバーガーっていう料理だよ。ちなみにティナが言っているお肉はハンバーグって名前の料理だよ。それも別の料理店で売られているよ」


「は、はんばーがーですか? やっぱり見たことのない料理ですね。それにこのパン……いつも食べていたパンに似ていますね。この柔らかさとか……」


 手で押しながらパンが弾む様子を眺めながらメルティナは昔のことを思い出していた。


「多分ティナが言っているのは小麦で作られたパンだな。ここでも小麦を育てているから似ているのも当然だな」


 この世界でのパンは、前の世界で言うところのライ麦で作られた硬いパンが一般的だ。しかし、ティナのような上流階級の人々は小麦で作られた柔らかいパンを食べている。

 その理由というのも単純に小麦の値段が高いせいである。そのため一般の家庭で柔らかいパンというのはあまり親しまれてはいない。


 しかしこの国では小麦の生産に成功しており、アルカディアでは小麦のパンが一般的なものとなっている。


「このハンバーガーというのはここまま食べればいいのですか?」


「そうだよ。これの食べ方なんかに作法なんてないよ。行儀が悪いと思うけどかぶりつくように食べるのが一番だよ」


 紫音にそう促され、さすがに大口を開けて食べるのが恥ずかしいのか、控えめに口をあけながらかぶりと咀嚼する。


「……っ!?」


 食べた瞬間、口いっぱいに広がる肉の旨味。そして柔らかいパンにシャキシャキとした野菜。様々な味が口内に流れ込み、気づけば次へ次へとハンバーガーを食べ進めていた。


 野菜は魔境の森で育てている野菜で大地から上質なマナを取り込んでいるため通常のものより美味しさが格段に違う。

 ハンバーグの肉には魔物の肉が使われており、紫音の試行錯誤によってより記憶にあるハンバーグの味と近いものに再現することができた。


「……はう、おいしかったです」


「すごい食いっぷりだったな。まるで初めてハンバーガーを食べたときのリースみたいだな」


「なっ!? は、恥ずかしいので蒸し返さないでください!」


 紫音に昔のことを引き合いに出され、リースは顔を赤くさせながら声を上げた。そしてメルティナも紫音たちに恥ずかしい姿を見られたことに気付き、顔が熱くなっていた。


「お、お恥ずかしいところを見せてしまいまして申し訳ありません……」


 あまりの恥ずかしさに穴があったら入りたいとティナは胸中でそう思っていた。


「べつにいいよ。そんなに気に入ってくれたなら俺も作ったかいがあったよ」


「それで……食べた後はどうしますか? このまま離れたところで説明しても伝わりにくいこともあるだろうし、いっそのこと畑や開拓途中の現場でも見に行きますか?」


 この後のことについてリースは、紫音に向かって提案した。

 紫音も遠くからの説明には骨が折れそうになってきたためちょうどいいと思い、リースの提案に乗ろうとしていた。


「あ、あの……」


 しかしそんな中、控えめな声で紫音たちの会話に横からメルティナが入ってきたため会話がいったん中断された。


「わ、私……一度街を見てみたいです。……ち、近くで」


「いいのか?」


「は、はい。シオンさんたちが必死になって街の魅力について話しているので私もがんばらないと、と思いまして……」


(なんだか気を使わせてしまったみたいで罪悪感が……)


 意図的にしたわけではないため素直に喜べずにいたが、結果的に行く気になってくれたので紫音は無理やり自分を納得させ、気にしないように努めていた。


「でも大丈夫か? 今から人ごみの中に行くんだが……」


「だ、だ大丈夫です。手を……服の裾に捕まっていればたぶん大丈夫と思います」


 不確かな提案をしつつもメルティナの意志は固いようだった。

 結局、紫音の服の裾に捕まりながら同行することになった。近すぎず離れすぎず微妙な距離感を保ちながら紫音たち一行は、街へと入っていった。


 街に入ったティナだったが、街の喧騒や近づいてくる人などに一喜一憂しており、その顔には早くも後悔の色が出始めていた。


「おい、大丈夫か?」


「は、はい……吐きそうになるときもありますが、まだ大丈夫です……」


「それは大丈夫って言わないだろ。それになんだか顔色も悪いし、無理するなよ」


「これは私から言ったことなのでこんなにも早く終わるわけにはいきません」


 変なところで意地になっているメルティナに紫音はこれ以上なにも言うことができずにいた。

 しかたがないのでこのまま様子を見ることにした。


 体調が悪くなりながらも街を歩きながら紫音たちから説明を受けていたメルティナはあることに気付いた。


「そ、そういえばシオンさん。さっきから道を歩く人から『国王様』や『王様』と呼ばれていますが、なんでそんな風に呼ばれているのですか?」


 歩く人たちを見渡しながらメルティナはそのようなことを訊いてきた。

 紫音は答えにくそうな子をしながらティナの問いに答える。


「そのことか……。それはたぶん俺が国のために動いているせいだな」


「……? それってどういう意味ですか?」


「作物の栽培や開拓の指示に亜人奴隷の移住、国の発展に繋がることのほとんどは俺が指示してきたようなものだからな。フィリアの場合はそういった政は全部丸投げしていたから途中から移住してきたものの目には俺のほうが国王に見えているんだろう」


 しかしその点、フィリアには侵入者の撃退や戦闘においては心強い働きを示しているため紫音自身、適材適所だと思い、このことについて目を瞑っていた。


「まあ、そんなことよりあれ見ろよ」


 国王と呼ばれる自分に気恥ずかしさを感じた紫音は、露骨な話題転換をしてティナの意識を逸らしていた。


「あそこの店は芋を揚げた料理を出すんだが、これもなかなか美味しいんだぜ。リースが尻尾を振りながら食べるほどの旨さなんだからな」


「わああっ! その話はやめてください!」


「い、行きましょう」


 ハンバーガーの一件で味を占めたメルティナはせかすように紫音に言った。


 それからというもの初めての食べ歩きや雑貨屋など様々な店を紫音たちはまわっていた。

 いつも仕事ばかりで休みがほとんどなかったためこういった時間は紫音にとって久しぶりだった。

 そのせいか、次第に楽しくなってきていた。


「お兄ちゃん、次どこに行きますか?」


「そうだな……次はどうするかな? ティナはどこに行ってみたい…………あれ?」


 メルティナに相談しようと後方を振り返ってみるがそこにはいるはずのメルティナの姿が見えなかった。

 その瞬間、紫音の顔から血の気がサーッと引くような感覚に襲われる。


「なあ……ティナどこに行ったか知らない?」


「えっ!? いないんですか!」


「……まずい……やっちまったよ。どどどどうするよ」


 珍しく、慌てふためく紫音。


「お、落ち着いてください。とにかく来た道を戻ってみましょう。きっとどこかにいるはずです」


「そ、そうだな」


 リースの提案にすぐに乗った紫音は、急いできた道を戻っていく。戻る途中、道の隅々にまで目を配っていたが、一向に見つからずにいた。

 かなり目立つ格好をしていたため見逃すはずがないのにまったく見つからない。だんだんと焦りが見え始めていた紫音たちの視線の先に巡回途中のジンガの姿が見えた。


「おーい、ジンガ!」


「ん? なんだ小僧」


 毛嫌いしている紫音に声をかけられ、そっけない返事をするジンガだったが、今の紫音たちにはどうでもいいことだった。


「大きなローブを着ていてフードで顔を隠した奴を見なかったか?」


 服の特徴を伝えると、ジンガは少し考える仕草を見せる。数秒したのち、ハッと目を見開かせながらなにかを思い出したかのような顔をした。


「ああ! そういえばいたな」


「ど、どこにいたんだ?」


「見るからに怪しいヤツだったからな。威圧的に声をかけたら一目散に逃げていったぜ。確か……森のほうに走っていったな」


 魔物や魔獣がうようよといる森を指差しながらジンガは答えた。


 紫音たちは即座に数多くの最悪の未来を頭の中で巡らせていた。

 そして……。


「お前のその顔で話しかけられたら誰だって逃げちまうだろ!」


「そうですよ! ちょっとは自覚を持ってください!」


 ジンガにそう吐き捨てながら紫音たちはメルティナが向かったと思われる森の中へと追いかけるように走っていった。


 残されたジンガはというと、状況がまったく飲み込めないままただ茫然と立ち尽くしていた。

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