第63話 悩みの種と契約問題
天羽紫音には、ある悩みがあった。
ついこの間までエルフ族のお姫様との出会い。そしてうまくすれば他国との友好な関係を築ける可能性が見つかり、いいこと尽くしだった。
しかしそれは、紫音が抱えるある悩みによってその可能性も困難を極めるものとなっていた。
紫音はその悩みを取り除くため悩みの種となっている人物の元へと向かっていた。
ある部屋の前に辿り着き、紫音は意を決して部屋の扉を開けた。
「あっ、シ、シオンさん、おはようございます。今日もいい天気ですね」
メルティナは紫音の姿を確認した途端、持っていた本で少し顔を隠しながら挨拶をしていた。
「ああ、おはようティナ」
ベッドの横に山積みにされた本の山を横目に紫音も挨拶を返す。この読書に夢中になっているメルティナこそ紫音を悩ませる原因となっていた。
メルティナと出会ってから早一ヶ月。ディアナの診察によればもう外に出歩いても問題ないという判断を受け、紫音は少し前からある誘いをしていた。
「なあティナ。いつも本ばっか読んでいないでそろそろ街に――」
「そ、そういえばシオンさん!」
紫音の言葉を無理やり遮り、わざとらしく会話に割って入るメルティナ。
「な、なんだ?」
「いつも本を貸していただいてありがとうございます。いい退屈しのぎになっています」
「別にいいよ。でも、ほとんど子供向け用の本だから逆に退屈しなかったか?」
「いいえ、そんなことありませんよ。外の世界の本に触れたことがなかったのでとても新鮮でした」
嬉しそうに言いながら再び読書を続ける。
この世界での紙は割と手に入りやすい代物である。そのため本の値段も一般市民でも手に入るほど高くない。
そのため、子どもたちへの読み聞かせや識字率の向上を目的に以前から本を購入し続けていた。
「それでな、今日はいい天気だし街にでも――」
「そ、そんなことよりシオンさん……」
「オイ、いい加減にしろ」
「はうぅ……」
軽く叱られたメルティナはしゅんと肩を落としていた。
こういったやり取りがここ数日起きていた。
最初は、メルティナにアルカディアの実態をその目で確かめてほしくて誘ったのが始まりだった。
まだ返事をもらっていないが、先日メルティナを送り届ける代わりに父親の国王に謁見を申し込んでいた。
その際に紫音たちの味方となり、エルヴバルムとの国交を開けるように仲介役になってほしいとお願いしていた。
紫音は、メルティナにその気にさせるためにも一度、国を視察させる目的でメルティナを誘い続けているのだが、肝心のメルティナがなかなか首を縦に振ることはなかった。
対人恐怖症にコミュ障、人と極力接したくない彼女にとって街に行くことは無理な話のようだ。
「いつまでも部屋にこもっていないでいい加減、街にでも行ってみないか?」
これまで何回も断り続けていたのだが、それでもめげずに誘っていた。
「む、無理です! 人がいっぱいいるところに行くなんて絶対に無理です!」
「お前のお父さんにアルカディアのいいところを知ってもらうには、まずお前がその目で確かめたほうが真実味も出るだろ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私まだお父様に会わせるなんて言っていません。そもそも街を見るなんてことも聞いていませんよ!」
「あたりまえだろ。言っていないんだから」
「ず、ズルいです! 騙されました!」
騙されたショックから毛布で全身を覆い、断固としてここから出ないという意思表示を示す。
「いいから早くそこから出てこい。外に出るぞ」
しかし、紫音にはそんな意思表示はなんの意味もなさない。毛布をガッチリと掴み、引き剥がそうとする。
「いーやーでーすっ!」
メルティナも負けじと紫音に取られないように毛布を掴み、意地でも離そうとしなかった。
「往生際が悪いぞ」
「絶対にイヤです」
「なにをしているんですか? お兄ちゃんは……」
そこへメルティナの様子を見に来たリースがジト目で紫音のことを見ていた。
「ちょうどよかった。リースも手伝ってくれ。ティナを外へ連れ出すぞ!」
「この前、無理やり連れだすつもりはないって言っていませんでしたか?」
「あのときはそう思ったが、こいつの病気っぷりを見ていると将来が心配になってな……。少し荒療治を」
「……お兄ちゃんはティナさんの保護者ですか。とにかくティナさんが嫌がっているのでやめてください。せっかく仲もよくなってきたところなのに悪くなっても知りませんよ」
「……た、確かに」
痛いところを突かれ、しぶしぶ紫音は毛布から手を離す。
ようやく紫音からのしつこい勧誘から逃れたメルティナだったが、未だ毛布の中から出ようとはせずにいた。
それを見かねたリースは、メルティナの元へ行き、目線を合わせながら話しかける。
「ごめんなさいティナさん。お兄ちゃんも悪気はないんです。ただティナさんのことが心配で……」
「わ、私のほうこそごめんなさい。シオンさんたちの国を見たいのですが怖くて……つい」
「そんなんでよく王族が務まるよな。王族なら人前に出る機会なんていっぱいあるだろうし、そのときはどうしていたんだ?」
そんなこと、対人恐怖症のメルティナには荷が重すぎると思い、興味本位で訊いてみた。
「今までそういう場面には極力欠席していました。どうしてもというときはフードとかを被って顔を隠して出席していました。目を合わせなければ少しは平気なので……」
「……それは王族としてどうなんだ?」
メルティナの回答にもっともな意見を出しながら紫音は考えていた。どうすればメルティナを外へ連れ出すことができるのかという方法を。
今までのやり取りからこちらがある程度譲歩しなければテコでも動こうとしないことは明白だった。
どういった譲歩をすればいいのか少し思案したところある考えが浮かんだ。
「……それならティナ」
「な、なんですか?」
「さっきどうしてもというときはフードを被って出席していたって言っていたよな。今回もそれでいいから外に出てみないか? それに、街の中に入らず、少し離れたところで見てくれればそれでいいから」
「……ほ、本当ですか?」
「もちろんだよ。それならどうかな?」
「……うん」
頷きながら小さな声で承諾してくれた。
「それじゃあさっそく……と言いたいところだがまずは服だな」
今のメルティナの格好は薄い布地の服1枚しか着ていない状態のためこのまま外に出すわけにはいかない格好だった。
「フィリア……のだと小さいからリースの服でも貸してくれないか?」
「分かりました。着替えもあるのでお兄ちゃんは先に行って待っていてください」
そう言われた紫音は、リースの言う通りに部屋から出ていった。
それから一時間ほどで身支度を終えた二人が到着した。家の前でずっと待っていた紫音は、ようやくかと待ちくたびれた様子で二人を出迎える。
「お、お待たせしました」
「……ティナか? なんだその恰好は」
着替えを終えたメルティナを見た紫音は頭が痛くなる思いをしていた。
膝下まで隠れるほどの大きなローブを羽織り、フードで目元を覆うほど被っている格好だった。
おそらくその下にはリースから借りた服があるのだろうが、ローブのせいでまったく見えなかった。
「……リースの服を借りる意味あったか?」
「わ、わたしもさすがにダメって言ったんですが、ティナさんがどうしてもって……」
「こ、この格好じゃないと部屋に戻りますから!」
頑なな意思を見せるメルティナに対して最終的に紫音のほうが折れた。
「……もうそれでいいよ。ああ、それと今さらで悪いけど街に行く前に俺と契約を結んでくれないか?」
「け、契約っていったいなんですか?」
紫音を警戒するように少し後ずさりするメルティナ。
「前にも言ったけど俺はテイマーなんだよ。割と特殊なね。本当はもっと早くしたかったんだけどなかなかタイミングが合わなくてね」
「そ、それでなぜシオンさんと契約をする必要があるのですか?」
「この国ではみんな俺と主従契約を結んでもらっているんだよ。理由はいろいろとあるが、今のお前にとっては自分の身を守るために必要なんだよ」
「ど、どういう意味ですか?」
「前に話したと思うんだが、この国の周囲は森で囲まれているって言っていたけどそこには俺と契約している魔物が警備のために巡回しているんだよ。そこにいる奴らには、俺と契約するとできる契約紋以外のものを攻撃しろと命令しているから契約しないと危ないんだよ」
侵入者と住民を区別する措置として魔物たちにそう命令していた。
そのためそれがなければ問答無用で襲い掛かってくる危険性があるためメルティナにも契約を促していた。
「で、でも契約はその……」
「もしかして奴隷時代のことを思い出すからイヤなんですか?」
返答を渋っているメルティナの反応を見てリースはそう推測した。
それに対して紫音はハッと気づかされた。奴隷だったころには、首輪の他にも主人逆らえないように奴隷契約を結び、奴隷紋と呼ばれる刻印が刻まれる。
「イヤなこと思い出させてしまったな……ごめん」
「い、いえ、気にしないでください。でもやっぱり契約はその……今はまだ……」
「そうか。……まあ俺たちの傍を離れず森の奥にまで行かなければ済む話だしな。それに最悪いなくなっても俺が命令すれば魔物たちも攻撃することもないから安心しろ」
「ご、ごめんなさい……」
「もういいよ。……あ、でもさらに奥には絶対に行くなよ。そこには俺と契約していない魔物たちが生息しているエリアになるから助けに行くのも難しいんだよ」
「は、はい。気を付けます」
「それじゃあ行こうか」
そう言いながら紫音を先頭に街へと向かった。
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